第89話 広くなった部屋と、新しい座り方
朝、空はやわらかく曇っていた。
光は薄いが、部屋の奥まで静かに届いている。
風は、もう春のものだった。
縁側に出る。
庭の草は、さらに増えている。
小さな緑が、あちこちに散っている。
タマは縁側の端で眠っている。
丸くならず、長く伸びている。
「完全に春じゃな」
みーちゃんが言う。
「そうだね」
部屋へ戻る。
炬燵は片づけられている。
部屋の真ん中が広い。
最初は少し落ち着かなかった。
でも、昨日よりは慣れている。
座布団を並べる。
二つ。
少し考えて、もう一つ出す。
自然に手が動いていた。
「増えたな」
みーちゃんが言う。
「うん」
台所へ行く。
窓は開いている。
風が通る。
火を入れる。
弱めで足りる。
味噌桶の蓋を開ける。
匂いは変わらない。
でも、部屋の空気は軽い。
坂の下で戸の音。
足音が二つ。
佐伯さんと、あの子ども。
縁側の前で止まる。
「おはようございます」
佐伯さん。
「おはよう」
子どもが部屋を見る。
炬燵がない。
少しだけ止まる。
でも、昨日ほど驚かない。
座布団を見る。
「ここ?」
ぽつりと言う。
「うん」
そのまま返す。
子どもが部屋へ入る。
靴をそろえる音。
前より自然だ。
座布団の前で少し迷う。
それから、ゆっくり座る。
「あつくない」
小さく言う。
少し笑う。
「春だから」
佐伯さんも座る。
部屋の真ん中が広い分、
少しだけ距離が変わる。
でも、遠くはない。
湯を三つ用意する。
湯気が重なる。
窓から風が入る。
冬の部屋とは違う。
でも、ちゃんと落ち着く。
子どもが部屋を見回す。
「広い」
「広くなったね」
そのまま返す。
みーちゃんが縁側で言う。
「形が変わったな」
「うん」
炬燵はなくなった。
でも、並ぶ場所は残っている。
だから大丈夫だった。
佐伯さんがぽつりと言う。
「季節が変わっても、来ちゃいますね」
「どうぞ」
短く返す。
それで十分。
外では風が草を揺らしている。
窓が少し鳴る。
子どもが湯飲みを持ちながら言う。
「ここ、春」
少し考える。
それから、うなずく。
「うん、春だね」
冬の場所だった部屋が、
少しずつ春の形へ変わっていく。
でも、
並んで座る時間だけは、
ちゃんと続いていた。
やがて二人が立ち上がる。
「また来ます」
佐伯さん。
子どもは、座布団を一度見る。
それでいい。
二人が坂を下りていく。
足音が二つ。
縁側へ戻る。
春の風が、部屋を抜ける。
広くなった真ん中には、
もう新しい並び方ができていた。




