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第88話 片づける日と、残っていくもの

朝、空は高く晴れていた。

 雲は遠く、光が部屋の奥まで届いている。

 風も、もう冬の冷たさではなかった。


 縁側に出る。


 庭の草は、昨日よりさらに増えている。

 緑が、土の色を少しずつ押し広げていた。


 タマは縁側で眠っている。

 陽の当たる場所を知っている顔だ。


 「暖かいな」

 みーちゃんが言う。

 「うん」


 そのまま部屋を見る。


 炬燵。


 冬の間、ずっと真ん中にあった。


 雪の日。

 雨の日。

 静かな朝。


 全部、この場所だった。


 しばらく見てから、小さく息を吐く。


 「片づけようかな」


 みーちゃんが目を細める。


 「決めたか」


 「うん」


 少し寂しい。

 でも、それでいい気がした。


 台所へ行く。


 窓は開いている。

 風が通る。


 火を入れる。

 もう、前ほど強くしなくていい。


 味噌桶の蓋を開ける。

 匂いは変わらない。


 でも、季節の匂いが周りを変えている。


 居間へ戻る。


 炬燵布団に手を置く。


 まだ少し温度が残っている。


 「ありがとう」


 小さく言う。


 自分でも少し可笑しい。


 でも、そう言いたくなるくらい、

 この場所には時間が積もっていた。


 坂の下で戸の音。


 足音が二つ。


 佐伯さんと、あの子ども。


 縁側の前で止まる。


 「おはようございます」

 佐伯さん。


 「おはよう」


 子どもが部屋を見る。


 炬燵布団が、半分めくられている。


 少し止まる。


 「しまう?」


 ぽつりと言う。


 「うん」


 短く答える。


 子どもが少しだけ炬燵を見る。


 寂しそう、というほどではない。

 でも、いつもと違う顔。


 「春だから」


 そう言うと、小さくうなずく。


 佐伯さんが笑う。


 「ちゃんと季節が進んでますね」


 「進んでるね」


 止まっているようでも、

 ちゃんと変わっていく。


 子どもが炬燵のそばへ行く。


 布団を少し触る。


 それから、ぽつりと言う。


 「ここ、あったかかった」


 静かな声。


 「うん」


 それだけ返す。


 十分だった。


 みーちゃんが言う。


 「消えるわけじゃない」


 「うん」


 片づけても、

 なくなるわけではない。


 ここで過ごした時間は残る。


 「入っていいですか」


 佐伯さんが言う。


 「どうぞ」


 戸は開いている。


 靴をそろえる音。


 居間へ。


 今日は、炬燵の熱がない。


 でも、部屋は寒くない。


 湯を三つ用意する。


 湯気が重なる。


 窓から春の風が入る。


 冬の真ん中にあった場所が、

 少しずつ別の形へ変わっていく。


 子どもが湯飲みを持ちながら言う。


 「また冬になったら出す?」


 少し笑う。


 「出すと思う」


 子どもが小さくうなずく。


 それでいい。


 季節は戻る。


 だから、片づけても平気だ。


 やがて二人が立ち上がる。


 「また来ます」

 佐伯さん。


 子どもは、片づけ途中の炬燵をもう一度見る。


 それでいい。


 二人が坂を下りていく。


 足音が二つ。


 縁側に戻る。


 部屋の真ん中が、少し広い。


 でも、不思議と空いてはいない。


 冬の温度は、

 布団の中ではなく、

 ちゃんとここに残っていた。

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