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第87話 片づける炬燵と、残したい温度

朝、空は明るかった。

 雲は少なく、光がまっすぐ庭へ落ちている。

 風も、前よりやわらかい。


 縁側に出る。


 草の色が、少し濃くなっていた。

 庭の端だけ、小さく春が進んでいる。


 タマは縁側で伸びている。

 丸くならない。


 「完全に春の顔じゃな」

 みーちゃんが言う。

 「そうだね」


 台所へ戻る。


 窓は今日も開いている。

 火を入れると、風が少し揺れる。


 味噌桶の蓋を開ける。

 匂いは変わらない。


 でも、炬燵の熱が少し重い。


 座っていると、足元が熱く感じる。


 「そろそろかな」


 小さく言う。


 みーちゃんがこちらを見る。


 「片づけるか」


 「まだ迷ってる」


 炬燵は冬の真ん中にあった。


 雪の日。

 雨の日。

 静かな朝。


 全部、この場所だった。


 だから、簡単には片づけられない。


 縁側へ戻る。


 坂の下で戸の音。


 足音が二つ。


 佐伯さんと、あの子ども。


 今日は、二人とも少し薄着だ。


 縁側の前で止まる。


 「おはようございます」

 佐伯さん。


 「おはよう」


 子どもは庭を見る。


 草の場所へ行く。


 しゃがむ。


 今日は、少し長く見ている。


 「増えてる」


 もう確認みたいな声。


 「増えてるね」


 そのまま返す。


 佐伯さんが部屋の中を見る。


 「暑くないですか、最近」


 少し笑いながら言う。


 「ちょっと」


 正直に答える。


 「でも、まだ使ってるんですね」


 炬燵を見る目が、少しやわらかい。


 「なんとなく」


 それだけ言う。


 理由は説明しなくても分かる気がした。


 子どもが縁側へ戻る。


 タマを撫でながら、ぽつりと言う。


 「ここ、冬って感じ」


 少し驚く。


 でも、その通りだった。


 「そうだね」


 短く返す。


 炬燵の熱。

 湯気。

 並んだ湯飲み。


 全部、冬の形だった。


 みーちゃんが言う。


 「残したいんじゃろ」


 「少し」


 認める。


 季節は進む。

 分かっている。


 でも、終わる前に、

 少しだけ立ち止まりたい。


 「入っていいですか」


 佐伯さんが言う。


 「どうぞ」


 戸は開いている。


 靴をそろえる音。


 居間へ。


 炬燵。

 湯気。

 いつもの場所。


 今日は、三人。


 でも、前より少し熱い。


 子どもが炬燵に入りながら言う。


 「あつい」


 「春だから」


 そう返す。


 湯を三つ用意する。


 湯気が重なる。


 窓から風も入る。


 冬と春が、

 同じ部屋にいる。


 佐伯さんがぽつりと言う。


 「季節って、急には変わらないですね」


 「変わらないね」


 少しずつ、混ざっていく。


 それで進む。


 やがて二人が立ち上がる。


 「また来ます」

 佐伯さん。


 子どもは、炬燵を一度見る。


 それでいい。


 二人が坂を下りていく。


 足音が二つ。


 縁側に戻る。


 風が、部屋を抜けていく。


 炬燵の熱は、まだ残っている。


 冬の温度は、

 少しずつ薄くなる。


 でも、

 消える前の時間には、

 ちゃんと意味があった。

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