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第69話 来ない朝と、残っている気配

朝、空は灰色に沈んでいた。

 雲が厚く、光が届かない。

 冷えが、少し強い。


 台所で湯を沸かす。

 火の音が、いつもよりはっきり響く。

 味噌桶の蓋を開けると、匂いが変わらず立つ。


 縁側の戸を、半分だけ開ける。

 冷たい空気が入る。


 坂の下を見る。


 戸の音はしない。


 足音もない。


 「今日は来ぬな」

 みーちゃんが言う。


 「うん」


 それだけで分かる。


 湯を一つ、用意する。

 手が、少しだけ止まる。


 二つにしない。


 炬燵に座る。

 タマが布団の中で丸くなる。


 いつも通り。


 でも、少しだけ静かだ。


 縁側に出る。

 空は動かない。


 坂の上も、下も、

 人の気配が少ない。


 「学校?」

 「そうじゃろう」


 理由は分かる。

 でも、説明はいらない。


 風が通る。

 戸が少し揺れる。


 昨日までの足音が、

 ここには残っている。


 板の上。

 炬燵の端。

 湯飲みの位置。


 全部、少しだけ覚えている。


 「静かだね」

 「元の形じゃ」


 その通りだった。


 元々、この家は静かだった。


 でも今は、

 静かさに、形がある。


 昼前、味噌汁を一人で飲む。

 味は同じ。

 でも、少しだけ広い。


 午後、何も変わらない。

 でも、時間の進み方が違う。


 言葉がない分、

 気配が浮かぶ。


 縁側に座る。


 「来ると思う?」

 「来る日も、来ぬ日もある」


 それでいい。


 無理に続けるものではない。


 でも、消えるものでもない。


 夕方、空が少し暗くなる。

 雪の気配がある。


 足音は、最後まで来なかった。


 夜、灯りを落とす。


 炬燵の中でタマが動く。


 みーちゃんはいつもの位置。


 何も変わらない。


 でも、確かに違う。


 来ない朝は、

 来ていた日を、

 はっきりさせる。


 この家に、

 残っているものが、

 ちゃんとあると分かる日だった。

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