表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
100/100

最終話 春の満開と、これからも続く日々

朝、空は青く澄んでいた。


 雲はほとんどない。


 光が庭いっぱいに降りている。


 縁側へ出る。


 思わず足が止まった。


 木の花が、一気に増えていた。


 昨日まで枝のあちこちに散っていた白が、今日はまとまって見える。


 咲いている。


 たくさん。


 若葉の緑と花の白が重なっている。


 「満開じゃな」


 みーちゃんが言う。


 「うん」


 しばらく見上げる。


 風が吹く。


 枝が揺れる。


 花も揺れる。


 春の木になっていた。


   ◇ ◇ ◇


 庭へ降りる。


 草も増えている。


 花びらも落ちている。


 白い小さな欠片。


 緑の上に散らばっている。


 しゃがむ。


 一枚拾う。


 薄い。


 軽い。


 冬の雪とは全然違う。


 でも、どこか似ている。


 どちらも季節の形だった。


 「覚えておるか」


 みーちゃんが言う。


 「雪玉?」


 「うむ」


 少し笑う。


 あった。


 確かにあった。


 ゆうたが作った小さな雪玉。


 縁側の端。


 今はもう跡もない。


 でも、忘れていない。


   ◇ ◇ ◇


 台所へ戻る。


 窓は大きく開いている。


 風が通る。


 湯を沸かす。


 火の音。


 味噌桶の匂い。


 変わらないもの。


 それが今日もここにある。


 味噌汁を作る。


 いつもの手順。


 いつもの鍋。


 湯気が立ち上る。


 その匂いが部屋に広がる。


 ふと、この家へ来たばかりの頃を思い出した。


 一人だった。


 静かだった。


 悪くはなかった。


 でも今とは違う。


   ◇ ◇ ◇


 坂の下で戸の音。


 足音が二つ。


 佐伯さんとゆうた。


 いつもの朝。


 縁側の前で止まる。


 「おはようございます」


 「おはよう」


 ゆうたはすぐに木を見る。


 そして目を丸くする。


 「あ!」


 思わず漏れた声。


 少し笑ってしまう。


 「咲いたね」


 ゆうたが何度もうなずく。


 「いっぱい」


 「いっぱいだね」


 佐伯さんも見上げる。


 「きれいですね」


 その声は穏やかだった。


   ◇ ◇ ◇


 縁側へ座る。


 三人。


 そして空いた一席。


 春の光。


 満開の花。


 風。


 湯気。


 全部が穏やかだった。


 そのとき。


 坂の下から声がする。


 「咲いたわねぇ!」


 ツネさんだった。


 みんなで振り向く。


 ツネさんが笑いながら坂を上がってくる。


 手には何も持っていない。


 今日は花を見るためだけに来たらしい。


 「満開じゃないの」


 嬉しそうに言う。


 四つ目の座布団へ座る。


 ぴったり収まる。


 もう誰も驚かない。


 そこがツネさんの席になっていた。


   ◇ ◇ ◇


 お茶を飲む。


 花を見る。


 風を感じる。


 誰も急がない。


 誰も無理に話さない。


 ただ、一緒にいる。


 それだけで十分だった。


 ゆうたが花を見ながら言う。


 「きれい」


 小さな声。


 でも、ちゃんと聞こえた。


 「うん」


 私も答える。


 「きれいだね」


   ◇ ◇ ◇


 風が吹く。


 花びらが舞う。


 ゆっくり。


 静かに。


 縁側の前へ落ちる。


 庭へ落ちる。


 草の上へ落ちる。


 きれいだった。


 冬。


 雪から始まった。


 静かな祠。


 みーちゃん。


 タマ。


 縁側。


 少しずつ増えていった。


 佐伯さん。


 ゆうた。


 ツネさん。


 草。


 若葉。


 花。


 全部が自然だった。


 無理に増えたものは一つもない。


 だから心地いい。


   ◇ ◇ ◇


 季節は巡る。


 この花も、いつか散る。


 夏が来る。


 秋が来る。


 冬もまた来る。


 だけど、それでいい。


 ごはんを作る。


 お茶を飲む。


 縁側で風を感じる。


 誰かが来て、誰かが帰る。


 そんな毎日が続いていく。


 きっとこれからも。


 隣の祠には神様がいて。


 庭には猫がいて。


 この家には、私がいる。


 それで十分だ。


   ◇ ◇ ◇


 春の風が吹く。


 花びらが一枚、空へ舞った。


 私は湯飲みを両手で包む。


 温かい。


 その温かさを感じながら、静かに笑う。


 今日も、いい日だ。


           了


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ