22 取り引き
※いきなり三人称視点が始まります※
見わたす限り、真っ白な花畑。
水の底に咲くという奇跡の花は、淡い光を帯びながらゆらゆらと水の流れに揺れている。周りの環境もあってか、それはとても幻想的な光景に見えた。
「綺麗ね」
わたしはその場に膝を折った。咲きならぶ花のひとつに手を振れると、りん、と涼やかな音が耳をかすめる。そしてわたしのすぐ背後に、ウンディーネが立つ気配がした。
「しかしこのような花を持ち帰ってどうしようと言うのだ? お主も変わった精霊だな」
「精霊じゃないわ、人間よ」
「その姿でか」
否定したわたしに、彼女はあっさりと言い切った。水の大精霊とそっくりな色の、青髪を持った娘。いまのわたしはそんな姿をしている。
「だとしてもわたしは人間なの。そりゃあ半分はお母さんの血を引いているけど……」
言葉じりを失くしたわたしに、ウンディーネは「ふむ」と顎に手をあてた。
「私も暇ではないのだ、娘。さっさと花を摘むがよい」
言われなくても分かってるわよ。
わたしの義理の姉だと言った彼女は、むっとするほど態度がでかかった。少しだけヴェイドさんやアレクを思い出すが、彼女は彼らよりも、いささか人の感情が欠落しているようにも思える。まあ、精霊の長だというのだからこれぐらいは普通なのだろう。
わたしは黙って、花のひとつを手折った。揺れた花びらから、小さな光がこぼれ落ちる。
「ひとつだけ、もらうわ」
あまりたくさんは要らない。それに奇跡の花なんてたいそうなものを、両手に抱えて持ち帰ったら、きっと吃驚されるだろう。振りかえったわたしに、ウンディーネは言う。
「なんだ、ひとつだけか。残念だな」
「そうよ」
うなずいたわたしに、彼女は笑う。だがまるで嘲るような笑い方に、本能的に違和感を覚える。なに、と問いかえす間もなかった。
「ならば引き換えにひとつ、おまえから何かをもらおう」
「え……」
その言葉に、わたしは目を見開いた。
しまったと、そう思ったときには遅かった。いいように嵌められたのだ。だから彼女はあっさりとわたしに花を摘めと言った。
そんな、とつぶやくわたしにウンディーネはにやりと笑う。
人間同士じゃないのだから、こういう取り引きがあることは容易に想像できたはずなのに、またしてもわたしは考えが足りなかった。
そして大精霊の姫は言った。
「私が欲しいのはおまえの血だ。――我が妹よ、わたしと共に来るがよい」
それからのことは、わたしは覚えていない。
◆・◆・◆
帰ってこないのだとアレクが言ったのは、フィオナが消えてから三日後のことだった。
水の魔術師のもとを訪れた王子は、静かな声音で「迎えにいってくれないか」とそう言った。待とうとは思っていたが、さすがに我慢できなくなったのだ。
「なぜぼくに頼むの?」
「う、それは……」
「彼女を行かせたのはきみじゃないのか」
突き放した声で応えたヴェイドは、アレイストに振り返ることもしなかった。ただ彼は、呪われた王子を救うために治癒術をかけ続けていた。
「そうだ、僕が行かせたんだ」
アレクは苦い顔になる。
「もしかしたら、あと何日後かには戻ってくるのかもしれない……」
精霊界と人間界は、時の流れが違うから。
そう言ったアレクだが、あまり自信ありげには見えなかった。必ず帰ると言った少女は、まだ泉から戻ってこない。もしかすると何かあったのかもしれないと、そう思わせるだけの時間が経っていた。だからアレクは、水の魔術師であるヴェイド・フロディスのもとを、こうして訪れた。
しばらくの間をおいて、「魔術は」とヴェイドは口を開いた。
「魔術は本来、人の手には負えないものだ。だから魔の法則と――魔法と呼ばれることもある。だがぼく達は修行をしてまでそれを会得するのは、なぜだと思う?」
淡々とした声だった。
彼は怒っているのだとアレクは思い当たる。彼が大切にしている少女を、わざわざ危険な場所に向かわせたのはアレクだった。それが例え、本人自らが行くのだと言ったとしても。
「魔術師は己の力量を見誤ってはいけない、それは絶対条件だ。ぼく達は自分で制御できる範囲を見定めるために、修行をするんだ」
あるべき理を曲げないように。
そして何よりも、命を落とさないように。
「きみは魔術師失格だね」
アレクは何も言い返すことができなかった。精霊界の扉を開けることが何だというのではない。アレクに、フィオナを取り戻す責任が果たせないことを、魔術師は責めているのだった。覚悟もなしに魔術は使ってはいけない。それは必ず、自分のもとへと還るのだから。
「迎えに行ってくれ、フロディス」
口惜しさをにじませた声で、アレクは言い切った。
「彼女は弟を救うために泉にもぐった。責任は後で僕が取ろう。だから何としても、彼女をここに連れ戻してほしい」
「条件として、この王宮からぼくを解放しろと言っても?」
「それでも構わない」
アレクは言う。
「僕も常々、この土地に花が咲き続けるのはおかしいと思ってたクチだ。薔薇の姫は他国に嫁ぐ。だったらもう、おまえが花を咲かせ続ける意味は無いだろう?」
花の都リースブルーム。
リスタシアの北の大地に広がるこの王都は、年中花で咲き乱れている。それがこの水の魔術師の仕業だと知っているのは、王宮でもごく限られた人間だけだ。
初代国王リスタブルードが愛したという、ローザリアの花。いまとなってはその理由も分からないが、もう過去の話にしても良いのではないか。
時代は移り変わるのだと、アレクはそう思っていた。
そうすることで、この魔術師が自由の身になるというのなら、それも良い。彼がいたことで長らくこの国は平穏を護ってきたが、全てを一人の男に背負わせるのは、国としてあるべき姿ではない。
「大見得きったね、アレイスト」
解放しても良い。そう言った彼にヴェイドは肩越しに振り返ったかと思うと、にやりと笑った。
「ぼくはね、一番残念だと思っていることがある。きみが王位継承者じゃないことだ。きみは誰よりも、ぼくが知るリスタブルードに似ているというのに」
見た目の問題ではなく、心の在り方が。ローザリアをいつくしんだ、今は遠い過去のかの国王。彼の言葉に、アレクは肩をすくめた。
「フロディス、だとしても僕は王位を継ぐ気はさらさら無い。僕はレオディスのために生きると決めたんだよ。弟が僕の命を救ったんだ」
まだ幼かった弟のお蔭で、彼はいまこうして人として生きている。
そう思えるまでには多少の年月を要したが、だからアレクは人と精霊との間で悩みながらも、自分を押し殺して魔術師になったのだ。サングレイスに遊学してまで、古代の魔術も学んできた。さすがに大魔術師の彼の前では、アレクの力も赤子のように無力なものであったが。
「君の後継は僕がやろう。これで条件成立、取り引きは終了だ」
「馬鹿いわないでもらえるかな、アレイスト」
ヴェイドはあきれた顔になった。
「フィオナを迎えに行けだって? それも精霊界に。水属性に関してなら、多少の無茶はするがぼくに出来ないことはないよ。でもレオディスの治療はどうする?」
「それも、ぼくが引き継ごう」
「きみに治癒術が使えるかい?」
ヴェイドは試すようにふっと笑う。
「きみは確かに優秀なほうかもしれない。でもほとんど人の身で、水属性と地属性の魔力を練りながら、しかも小さくか細く魔力を注ぎ込むことができるかい。手を誤ればレオディス王子はあの世行きだというのに?」
「おまえは本当に陰険な魔術師だな」
圧力責めなんて、フィオナが知ったら幻滅するぞ。
嫌そうな顔になったアレクだが、ヴェイドは聞こえなかったかのように平静な顔をしている。
「ぼくはフィオナもレオディスも、同じぐらいに大切に思うんだ」
本心かは図りかねた。だが、嘘を言っているわけではないのだとアレクは思う。そして同時に、彼はフィオナを迎えに行くつもりなど無いのだと理解した。
「いいのか、フロディス。きっと後悔するよ」
アレクは眉をひそめた。大切な人が戻ってくる保障なんて無いというのに、この魔術師は。だから人間らしくないのだと声を荒げて言いたい気分だったが、そうしたとして彼には届かないだろう。
あの小さな精霊でないと。
あるいは、こいつに思いを寄せた……
そうしてまた部屋のなかに沈黙が訪れたが、それはすぐに破られることになる。
「ヴェイド様!」
ああやっぱりローズだったかと、アレクは金髪をかきあげた。
「どうしたの、ローズ」
部屋に飛びこむように入ってきたローズは、アレクを一瞥するとまっすぐにヴェイドを見やった。ああ、無視なんてお兄ちゃん傷つくじゃないかと内心思ったアレクだが、彼もフィオナと一緒にクリアライトうんたらを立ちまわったのだから、無理もない話である。彼女はまだ、アレクとカルーを許していないのだ。
「ヴェイド様、フィオナはまだ戻らないのですか」
「うーん、どうしてきみ達はぼくに言うのかな」
「とぼけている場合ではありませんのよ。さっさと重い腰をあげてくださいませ。ただ花を取って帰るだけのことに、なぜ三日も要するというのです」
彼女もまた、フィオナの身を案じている。同性の友達がいない彼女ではなかったが、彼女が“薔薇の加護”を受けた姫であることは誰も知らないだろう。そう考えると、フィオナはこの王女にとって初めての、自分をさらけだした者といえる。
――良い友人になれると思っていますのよ。
彼女がそんなことを言うのは珍しい。フィオナはまだその言葉の価値を知らないだろう。そう思うと、アレクはまた胸が痛んだ。
「……ローズ。悪いけど、ぼくは彼女を迎えには行きませんよ」
水の魔術師は、アレクに言ったよりは穏やかに、しかしきっぱりと言い切った。
「なぜですの?」
「泉に向かったことで命をなくすなら、それは彼女が力量をみあやまったということです。ぼくは彼女に何度も、無茶と無謀をはき違えるなと言った。自分でよく考えろとも言った」
それでも行動に出るならば、それは彼女の責任となる。魔術の世界に足を踏み入れるならば、それは避けては通れないことだ。
淡々と言うヴェイドに、ローザリアは激高した。
「あ……あなたは、このような時にも“水の魔術師”でいらっしゃるのね!」
「なにを言う。ぼくはどっちも大事だからレオディスを選ぶと言ってるんだ。それでは駄目なのかい」
不機嫌そうにヴェイドが彼女を見やると、「駄目ですわ」と、ローズは言った。
「わたくし、フィオナにも言いましたけれど、ご自分から逃げていてどうなりますの。そう仰ってまで、フィオナが大切な者ではないとご自分に言い聞かせたいのですか? レオディスがフィオナよりも大切だなどと、笑止ですわ。寝言は寝てからおっしゃい」
ローズは魔術師の顔さきに、自分の扇子をつきつけた。
「あなた、――あなたの心はなぜ時を止めてしまったのか分かっていますの? あなたはただ、ご自分の心に鍵をかけているだけなのですわ。あなたはご自分を、人の情に疎い、冷酷な魔術師だと思い込みたいだけなのです!」
「それが何だと言うんですか?」
それがどうした。そんなことは自分でも分かっていると、ヴェイドの声音からは読み取れた。だがローズはそんな言葉には臆しない。
「何だかんだもありませんわ。あなた、フィオナのことを口にするとき、ご自分がどんな顔をなさっているか知りませんの?」
彼女が一番よく分かっている。
幼いころ、確かに彼女はこの魔術師に恋をしていた。それは淡い初恋だったが、あの頃の叶わなかった彼女の思いは、いま、見た目だけは幼い姿のフィオナに重なる。よく分かっているのだ、あの頃に彼女が見たいと焦がれた魔術師が、あの娘を前にしたときにだけ――…
「あなたはあの娘に恋をなさっているのです。気づいていないのは、あなただけですわ」
息をあらげたローザリアの言葉に、ヴェイドの青紫の瞳が静かに揺れる。
「そんなことはない」
彼の言葉は弱く、普段自信ありげな彼にしてはまるで説得力のない声だった。
「ならばわたくしを、抱き寄せてごらんなさい」と、ローズは自分の胸に手をあてる。
「あなたはそれでも、フィオナと同じように思えますか」
いつの間にか涙を流していたローザリアを前に、いたたまれなくなったらしいヴェイドは、彼女を片手でそっと抱き寄せた。
その光景を見ていたアレクは、昔も彼女はこんなふうにヴェイドに慰められていたことを思い出した。薔薇の加護を気味悪がられたとき、必ず彼女は彼のもとを訪れた。ある意味、ローズが彼に恋をするのは必然のことだったと言える。
魔術師の胸に顔をおしつけた王女は、嗚咽のまじる声で話し出した。
「あなたは以前、わたくしに言いましたわね。人の顔がみな同じに見えると」
それが、彼が彼自身にかけた心の鍵だった。だから一定のところまでしか、人と親しくなれないのだと。そう言ってローズは振られた覚えがあった。
「あなたにとってフィオナも同じ顔ですの? わたくしの言葉の意味を、よく考えてくださいませ。本当に、わたくし達とフィオナは、同じだと思いますの」
わたくしにここまで言わせるだなんて、あなたってなんて酷い人間なのかしら。姫のか細いつぶやきに、ヴェイドはなにも言わなかった。ただ、目の前の王子に治癒術をかけ続ける。
「姫のことは傷つけてばかりです」
「罰しないことを有難くお思いなさい」
涙をぬぐうローズの言葉に、ヴェイドが小さく苦笑するのがわかった。そして、
「アレイスト、レオディスの治療を引き継いでくれ」
「え?」
突然そう言い出したヴェイドを、思わずアレクは見返した。
「なんだ、やる気になったか」
「さすがに薔薇の姫を泣かせてまで、無視しようとは思わないよ」
ヴェイドは微妙な顔をしているが、理由はそんなことではないのだとアレクは思う。まったく、世話のやける魔術師だなあ。まさかヴェイドも、三百歳も年下の相手にそう思われているとは思っていないだろう。
アレクは笑う。
「残念だけど、僕に治癒術が使えるというのは、うそっぱちだ」
「……正直に言うだけ成長したな」
苦虫をかみつぶした顔でヴェイドは言ったが、先ほどアレクが感じた怒りは消えていた。
「王宮中の魔術師を総動員させても構わない。だれでもいいから、レオディスの治療をしといてくれ」
「むちゃくちゃな魔術師だな」
「フィオナが作り貯めた治療薬もあるんだろう? あれを媒体にしてでも頑張りなさい」
完全にいつもの彼だった。
アレクはぶつぶつと文句を言いながらも、彼に反論することはしなかった。治癒術を使うことはかなり骨の折れる仕事だが、彼はこれで良かったのだと安堵している。
「ヴェイド様、わたくしは……」
そっと身を離されたローズは、魔術師の静かな瞳を見あげている。ヴェイドは彼女の髪をそっと撫でた。かつて泣きはらす彼女を励ましていたときのように。
「きみはレオディスには触らないように。薔薇の加護が余計な仕事をしてしまうからね」
そして彼は微笑んだ。
「泣かないでください、姫。必ずあの子は連れて帰ってきますよ」
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