23 花びら一枚、また一枚
「遅いではないか、魔術師よ」
結びの泉におもむいたヴェイドは、まずそんな言葉をかけられた。リスタシアに遊学中であるサングレイスの皇子、カッタルーダだった。城に戻ったアレクの代わりに、彼はここで待機していたのだろう。
「遅いって……」
まるで最初から来ることが決定していた物言いに、ヴェイドは微妙な顔で彼を見返した。
「ぼくは、あなた方のしりぬぐいをしてさしあげるんですよ、皇子」
「だとしても遅すぎる。俺なら愛する者が帰らなければ一日と持たないな。まあ、俺がローズにそんな場所に行かせるとは思えないが」
「べつに愛してるわけじゃありません」
「ふうむ」
黄金の見通す瞳がこちらを見ている。見透かされたとは思っていないが、どことなく不安な気持ちにさせる瞳だとヴェイドは思う。具眼とはそういうものだ。畏怖を抱かせる王者の証。
「それで、どうするのだ?」
カッタルーダが思案気に問いかける。なにか策はあるのか、と。
「決まっています。ぼくも泉にもぐりましょう」
「だが、半精霊と言えど、一度精霊界に戻った者をこちら側から呼び戻すには……」
外界から働きかけることは容易ではない。戻ってくるのを待つしかないと思っていたカルーは、そこまで言いかけて、はっとしたように顔をあげた。
「おまえ、もしかして」
ヴェイドは彼に向けて肩をすくめた。精霊界の者をこちらに呼ぶには、こちらから仕掛ける方法は限られている。精霊として召喚するか、あるいは。
「……本気か?」
カルーが訝しい目で彼を見やる。とてもそうは見えないのだが、とでも言いたげな顔だった。ヴェイドも、そう言われるだけの態度は取っている。
「今のところは本気です」
しれっとして言ってやると、彼は否定するように指を振った。
「だがおまえ、フィーのことは愛していないと言ったじゃないか」
「でも好きですよ。一緒に暮らせるぐらいには」
「そんな気持ちで求婚される精霊の身にもなってみろ」
カルーは目をすがめている。具眼を持つ彼は、彼なりに精霊たちと関わって生きてきたのだ。フィオナとは違う生き方ではあるが、彼もまた不思議な生き物たちと会話し、ともに共存する。
「失礼ですが、皇子。フィオナは人間ですよ。精霊ではありません」
「だがおまえは精霊として水の精霊に求婚し、契約で縛ろうとしている。違うか?」
違わない。
だが、それ以外に彼女を呼び戻す方法はない。精霊として召喚してしまえば、彼女はもう人として生きることは叶わないだろう。誰かほかの魔術師に呼ばれる日々を送るだなんて、ヴェイドには考えられなかった。だが、その感情がどういうものなのか、彼にはまだ名づける勇気がない。
「契約解除の方法もあるんですよ。フィオナが嫌がればそれも考えよう」
「まったく」
カルーは行儀悪く、泉のほとりにあぐらをかいた。
「こんなことを言っていても、おまえには水掛け論ではないか。あの美しき花も不幸な星に生まれたものだ」
いってろ、と思いながらヴェイドは足もとに術式を広げる。ぶわりと浮かんだ魔法陣から小さな風が巻きあがり、彼の着こんだローブの袖口をはためかせる。そこにのぞいた両腕には、指先にかけてびっしりと古代文字が描かれている。
「できれば人の姿のままで戻ってこい、魔術師ヴェイド」
「言われなくとも。だからこうして、陣で己を護るのですよ」
腕に描かれた文字は、彼の身を護る陣。時を外れたヴェイドとて、まだいちおうは人の身であると自負している。
だが、精霊界というのは精神世界とも言える場所だ。あの境界のあいまいな場所に入り込むには、人の身にはいささか負担が大きすぎる。下手をすれば心が壊れて狂ってしまう、そんな恐ろしい場所だ。ある意味、そんな場所に簡単に行ってしまうフィオナは、やはり人間ではないのだと言えた。
それでも、とヴェイドは思う。
彼女が自分を人だと思いたいのなら、彼もまた彼女を人であると言い切ろう。強い思いはそれだけで、自分を変えてしまうほどの力がある。
「奇跡の花の場所を教えてやろう。泉の中央から、やや西に移したところだ。一輪だけ群から漏れた光があるから、もしかするとそれがフィーかもしれない」
「そうですか」
頬杖をついたカルー皇子に、ヴェイドは短く言葉を返した。
「しくじるなよ。おまえはもう、死ねないはずだからな」
ヴェイドの目に彼の黄金の瞳がきらめいて見えたのは、明るい陽光のせいだろうか。いや、彼は全てを見ぬいているのかもしれない。淡い光を帯びた魔法陣のなかで、ヴェイドの耳飾りがきらりと光った。
「案じていただけるのは結構ですが、皇子。ぼくは水の魔術師ですよ? 水属性でぼくは負けたことがない」
自信ありげに言い切ったヴェイドは、
「分かったら、さっさとローズに謝りに行きなさい。――彼女まだ怒ってたからね」
にやりと笑ってやると、カルーは「あーあーあー聞こえない」だとか何だ言いながら、思い切り悲壮感たっぷりにふさぎ込んだ。まあ苛めるのはこれぐらいにしてやるか。
ヴェイドはふと、いまは居ない少女を思う。
――置いていきそうになったら、迎えにきて。
まさか彼女も、そんなつもりで言ったのではないだろうが……。迎えに行くと言ってしまった以上、彼はそうするしかない。いつになっても女の涙には弱いなと、ヴェイドは苦く思うのだった。
そして少女がさらわれた時と同じように、ぱしゃりと散った飛沫が、魔術師を泉の底へとさらって行った。
結論を言うと、フィオナはすぐに見つかった。
わりとあっけない探索だったが、なにしろ彼女は目だっていたのだ。
「う、うーん……」
ヴェイドは思わず、頭を悩ませることになった。これだけの期間、精霊界に身を置いていたのだから、フィオナとて精霊の部分に引っ張られているだろうとは予想していたが……。
「お姉さま苦しいです」
「なにおう、妹よ。もっと近う寄れ、あっはっは」
「なんだい、この光景?」
ヴェイドは思わず、傍にいた水精霊に訊ねていた。すぐ目の前では、フィオナらしき人物が、豊満な体つきの女性といちゃこらしているという意味不明な光景が広がっていた。酒を幾瓶も開けたと思われる女性は、青色の頬を真っ赤に染めている。
訊ねられた淡い水色の精霊は、「なんていうか、うちの長も酒癖が悪くって」と、困ったように頬に手をそえる。
「きみも部下なら、もう少し彼女に厳しく接しないとだめだよ」
「そうですねえ。今日から断酒です! 一滴とて飲ませません」
「それもちょっとどうかなあ」
「やっぱりストライキ起こされちゃいますかね」
「そうかもね」
気がつけばヴェイドは、彼女にそんな助言を与えていた。彼もまた混乱していた。意味わかんねえという感想はさておき、ヴェイドは本来の目的を果たそうとようやく思いあたる。
彼はひとつ咳払いをしてから、酒乱の大精霊に歩み寄った。
「ええと、ウンディーネ」
「ああ? 誰だお主はあ」
フィオナを抱きしめたまま、水の大精霊は不審げな目でヴェイドを見あげた。当のフィオナは彼女にがっちりと拘束されている。
「忘れてしまいましたか? 先に挨拶にうかがった魔術師ヴェイドです」
「ああ、代替わりしたときに来たやつか……。よくもまあ、こんな辺鄙な場所に二度までも」
私を召喚するでもなしに何をしに来たのだと、彼女は言った。ヴェイドはにこりと微笑んでやる。
「その腕のなかの少女をもらい受けに来ました」
「だめだ」
「は?」
即答されて、つい眉をひそめるヴェイドである。ウンディーネはへらへらとした笑いを浮かべて彼を見返す。
「これは私のペットみたいなものだ。奇跡の花との引き換えだ」
「ああ、そうなんですか……」
ヴェイドは微妙な顔になっていた。
どうせこんなことだろうと思っていた。奇跡の花を取りに来た彼女は、うっかり“精霊の交換条件”に引っかかってしまったのだ。普段ヴェイドに対し大人ぶってはいるが、やはりまだ十五歳の少女だった。それもかなり天然の。
「だとしても、彼女もまた水精霊でしょう。ぼくは彼女に結婚を申し入れに来ました」
「ほう」
ウンディーネがにやりと笑う。彼女がなにを考えたかは、なんとなく察する。そうはさせまいとヴェイドは先手を打った。
「人間のフィオナと精霊のフィオナ、どちらもぼくが貰っていきますよ、姫」
「なんだつまらん。人間だけ抜き取ってやろうかと思ったのに」
隙のない男は嫌われるぞ、とウンディーネはそれこそまるで人間のようなことを言う。舌打ちして悔しがる大精霊にヴェイドは微笑んだ。
「わかったらさっさとこちらに寄越しなさい」
「交換条件だ。あとで私のもとに上等な酒を届けるがよい」
「シュトラリク、一ダース。それで良いですね?」
彼女の酒乱を嘆いていた水の精霊には悪いことをするかもしれない。心の隅でそう思いながら、ヴェイドはウンディーネを見おろした。
「おお懐かしい名酒だ。それで構わん」
そう言うと、ウンディーネはほれ、と腕のなかの少女を解き放った。精霊の腕力は人間よりもずっと強い。思い切り突き飛ばされる形になった小さな精霊は、目をまわしながらヴェイドの腕にとびこんだ。
「ま、魔術師さん?」
以前にも似たような形で、彼女を受け止めた気がする。そう思いながら、ヴェイドは軽くフィオナの髪を何度かはたいた。いまは青色になってしまった彼女の髪が小さく揺れる。
「フィオナ、ぼくが分かる?」
分からないだろうなあと思いつつ、ヴェイドは訊く。案の定、彼女はしばらく考え込み、「あなたのこと知らないわ」と困ったように眉じりを下げた。見慣れない蒼の瞳が、彼を観察するようにじっと見開かれる。
仕草はすべてフィオナだった。
だがそれだけに、ヴェイドは胸の奥がつきりと痛む。目の前に彼女が居ない。それがどうして彼にとって不愉快なことなのか、ヴェイドは全く分からなかった。
ただ、フィオナに会いたいと思った。
「ぼくが分からなくても良いよ」
ヴェイドはこちらを見返す瞳をじっと見おろす。
彼女は気がつけば時々、こうして彼の瞳を見つめていることが多かった。以前、彼の瞳のことを水底のようだと言っていたが、いまは彼女の瞳こそが自分を飲み込む色だ。そうしてヴェイドは、彼女のなかにフィオナを見つけた気がして、心の奥が小さく動くのを感じていた。
「きみの真名を教えてほしいんだ。フィオナはきみの略称だろう?」
「わたしと契約しようっていうの?」
「まあ、似たようなものだ」
本来だったらこんな風に、直接名前を問うことはしない。そんな馬鹿正直な質問に答える精霊などどこにも居ない。だけど彼女は半分が人間だ。いつものように、真名を感じ取れないことにヴェイドは少しの苛立ちを感じていた。
予想の通り、「大事な名前を教えられると思う?」と、フィオナは言った。
「やっぱりか」
「そうね、なにか見返りがあるなら教えてあげてもいいわよ。魔術師さん、とっても良い魔力を持っているもの。お姉さまの魔力よりも結構好きだわ」
腕のなかの少女は魔術師の魔力に惹かれるように、てらいなく彼に頬を寄せた。普段の彼女ならこんなことはしないだろう。その辺、だいぶ精霊の部分に引っ張られているのだとヴェイドは思った。
「こう言うところはちゃっかり精霊してるんだから……」
せいぜい胸もとあたりにしか来ない少女の頭を、ヴェイドはそっと撫で返した。
「それできみは何が欲しいんだ?」
「そうね、その耳のピアスがいいわ」
交換条件を定めるために問うと、彼女はそう言って顔をあげた。
「とっても綺麗な魔石だもの。不思議な力が宿っているわね」
「これはダメだ」と、ヴェイドは言い切る。「これならあげよう」
そう言って差し出したのは、一本の髪の毛だった。ここに来るまえにこっそりローザリア姫から抜き取ったものだった。薔薇の加護が宿る髪なら、精霊と取り引きするには十分だ。
「けちね」
そう言いながらもフィオナはそっと髪の毛を受け取った。薔薇の加護は、精霊の彼女にとても心地よい魔力を与えるだろう。
「じゃあ名前のヒントをあげるわ。わたしの名前はお姫さまよ」
だが、まさかこう来るとは思わないヴェイドだった。
人間の部分が隠れた少女は、思ったよりも精霊らしい。呪文のようにそらんじる彼女の声は、引き込むような声音でヴェイドの耳をかすめていく。
水のなかのきれいなきれいなお姫さま。
王子さまを焦がれ続けて、花びら一枚、また一枚。
最後に奇跡の光を持ってきたのはだれ?
「まったく、どっからこんな知恵をつけてきたのか」
ヴェイドは苦い顔になった。そして思いつく限りの名前を口にするが、どれも違うと言われて多少げんなりとした。
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