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21 姫の帰還

 アレクが言った王宮の北の外れにあるという泉は、四半刻ほど馬を走らせた場所にあった。

 わたしは、先に降り立ったアレクの手をとると、ぎこちない動作で馬の背から降りた。ほとんど抱えられるように降りたわたしである。馬なんて乗ったの初めてよ……ほんのちょっと走っただけなのにおしりが痛い。

「うう、わたし女の子なのに……」

 うめくわたしに、アレクは笑った。

「馬鹿だな、フィオナ。ローズだって馬に乗れるんだぞ」

「わたしはただの庶民なの! 乗馬なんて習うわけないじゃない」

 そういうのは貴族の特権でしょう。思わず反論すると、アレクは楽しそうに「これから必要になるかもな」と言った。

「フロディスの傍に居るなら、いずれ習うことになるだろう。あいつ、あれでも貴族だからさ」

「なんでヴェイドさんの話になるのよ」

 わたしは眉をひそめながら、彼を見た。彼はにやりと笑っている。

「君が扉の鍵として思う相手はやつだ、そうだろう?」

「ちょ、ちょっとそんなこと言ってないじゃない」

 たじろぐわたしに構わず、彼は続ける。

「振られたら僕のところに来るといい。(ローズ)も嫁いじゃうわけだし、大事大事にかわいがってあげるよ」

「なっ……、あ、アレク、あなた良い性格してるわね……」

「その代わり、王妃にはなれないけどね」

 冗談ぽく言った彼を、わたしは何も言わず黙って見あげた。王位を継ぐような未来は、彼には存在しない。だって彼にはレオディス王子がいるから。彼を失う未来はないのだから。

 わたしは余裕ぶって、彼に微笑みを返した。

「いいじゃない。あなたにはずっと苦労の人生をあげるわよ」

「じゃあ弟を救ってくれよ、フィオナ」

 ちゃんと戻ってくるんだよ、と彼の瞳は言っていた。

「まかせて」

 そう言ったわたしを見て、彼は眩しそうに目をほそめた。







 問題の泉というのは、生い茂る草木のなかに存在した。

 まるで隠れるように枝葉の伸びたその場所は、上から陽の光が幾重にも差しこんでいる。確かに精霊が棲んでいてもおかしくない、神秘的な印象だった。遠くから鳥のさえずりが聴こえ、静まりかえった水面は深くわたし達を見返している。

 カルーは泉の奥をのぞきこむように目をすがめた。

「あるの?」

「うむ、あるな」

 まるで合言葉のようにあっさりと返したカルー皇子である。ちょっと使いどころが間違ってる気がしなくもないが、具眼というのは本当に便利だ。

「それで」と、わたしは背後のアレクに振りかえった。「“精霊界のほころび”は分かる?」

「んー、いま調べているところだ」

 アレクは魔導具を片手に、目を閉じていた。

 いまの彼は魔術師の衣装――黒のローブを身にまとっている。どうしていきなりそうなのかと言うと、魔術師の力を最大限に生かすには、こうして全身の魔力をこもらせるほうが良いのだと彼は説明した。だから魔術師は長い服ばっかり着ているのね。

「僕はふつうの魔術師だからね。ちょっと時間がかかりそうだよ」

 そう言ったアレクは、それでも能力的には中位魔術師に属するようだ。

 ここまで来る道のりで、彼はわたしに学院時代の話をしてくれた。デスタン魔術学院ではかなり上位の成績で学を修めたという彼だが、そんな彼であっても簡単に魔術は扱えない。息をするようにばんばん魔術を行使するヴェイドさんを“化け物級”と揶揄したアレクの気持ちは、まあ分からなくもない。でも、『言っておくけどきみも同じだからね』とからかうように言われたこと、文字通り一生忘れないわよ……!

 そしてしばらくの間があって、アレクは「見つけた」と、短く言った。

「泉の中央だな。そこに指輪を投げ入れれば、理論的には扉が開く」

「泉の中央ぉ?」わたしは問い返した。「ちょっと、中央に投げ入れてって簡単に言うけど……アレク、この泉のデカさわかってるの?」

 そう言って、わたしは泉へと振り返った。

 ばかでかい。

 隠れるように広がる“結びの泉”ではあったが、予想に反して規模がでかかったのだ。フロディス邸がすっぽり沈むぐらいの広さはありそうだった。でも名前は湖じゃなくて泉なのね、という突っ込みはさておき。こんな広い場所の中央に、この小さな指輪を投げ入れられる腕力はわたしにはない。もちろん、アレクやカルーだってそうだろう。

 だが、わたしの懸念をよそに、アレクはそれがどうしたという顔をした。

「そんなのべつに簡単だろ?」

「簡単じゃないわよ」

 あきれたようにアレクは言った。

「……記憶力のいい君だが、ひとつ忘れているね。僕は魔術師なんだよ?」

「…………」

 そういえばそうだったわね、とわたしは思った。未だに彼が魔術師という事実には慣れないわ。彼はつと、わたしの手から魔石のついた指輪をつまみあげた。薔薇の加護を受けた石は、淡い桃色にきらめいている。

「フィオナ、投げるよ。いい?」

「………………いいわよ」

 そう返事をするには、少しばかり時間を要した。

「嫌なら別にやめといてもいいんだぞ」と、言ったのはカルーだった。「それはお前の母親の形見なんだろう? 俺がローズに贈ったものとはわけがちがう。世界にひとつしかない指輪だ」

 なんの含みも持たず、大事なものは大事にしなさいと彼は言った。

 アレクのことを信用していないわけじゃない。ただ、投げたところで戻ってくるのだろうかとか、母親代わりとも言える石を乱暴に投げたりしても良いのだろうかとか、少しの葛藤はあった。

「いいわ。投げて、アレク」

 わたしは言い切った。アレクの深緑の瞳がわたしをじっと見おろした。

「本当に?」

「ここまで来て引き返せないわよ。それに指輪の加護もいつまで保つか分からないし……」わたしは言った。「それにもし戻ってこなくても、ヴェイドさんに拾いに行ってもらうわよ」

 それぐらいの労いはしてくれるでしょ。そう言ったわたしに、アレクは噴き出した。

「大魔術師を小間使いにできるのは君ぐらいだな」

 う、うるさいわね。

 そして彼は真剣な表情で、泉へと向きなおった。

「――我がアレイスト・リディオ・セフィールド=リスタシアの名を持って命じる。この身に流れし古の力よ、その息吹を我に貸し与えたまえ――」


 薔薇の加護よ鍵となれ。

 恵みの力を持ち、偉大なる我が血族への扉を開かん。


「いくぞフィオナ、用意しとけよ」

 ゆっくりと流れるように詠唱し終えたアレクは、そしておもむろに――

 指輪を蹴った。

「ちょ、ちょっとおお!?」

「え、駄目だった?」

 きょとんとした顔でこちらを見たアレクは、なんの悪びれた様子もなくそう言った。……し、信じられない! わたしは彼に詰め寄った。

「駄目に決まってるでしょう! 大事な指輪だって言ったじゃない、なんでそれを蹴るのよッ」

「でも成功したみたいだな」と、カルーが顔の前に手をかざして遠くを見ていた。ごう、と音を立てながら炎の塊に包まれた指輪は矢じりのように飛んでいく。それはやがて泉の中央へと達して、

 ぽちゃり。

「大成功じゃないか。僕の卒業試験並みの出来だ」

「あなたって人は……!」

 魔術師なんてもう信じないわ。わたしは、わなわなと手を握った。そのすぐ背後では地響きをあげながら泉の水面が揺らぎ始める。精霊界への扉が開かれたのだ。ただの水だと思っていた水面がぶわりと浮かびあがり、手を伸ばすように迷いなくわたしの体へと巻き付いた。

「お、覚えてなさいよ!」

 半ば引きずりこまれながら、わたしはアレクに向かって叫んだ。帰ってきたら恐いんだから! アレクは、あはは、と笑っている。

「フィオナ、気をつけるんだよ」

 言われなくても。

 絶対に、絶対に帰ってくるわよ。

 そしてぱしゃん、と音をたてて、わたしは泉のなかへと引きずり込まれた。



 ◆・◆・◆



 しばらくの浮遊感の後、わたしは水の底のような場所に落とされた。

「不思議だわ。普通に息ができてる……」

 わたしは思わずつぶやいた。

 普通だったらありえないが、わたしは地上と同じように立ち、呼吸をしている。なのに辺りは水に包まれ、水草がゆらぐ。ときどき淡水魚が驚いたように逃げていくのを目の端にとらえた。

 ここが精霊の世界なのか、と思うと感慨深いものがあった。精霊界と人間界が入り混じる場所。確かにわたしはたどり着いたようだ。

 でも、ここからどうしたら良いのだろう。きょろきょろと周囲を見渡すと、わたしは母親の魔石の指輪を見つけた。桃色の光に輝く石を、わたしはそっと拾い上げる。

「なんだ、ちゃんと返ってきたじゃない」

 わたしは安堵の息をついた。指輪を握りしめると、ほんのりと温かい気配を感じた。ローザリア姫の加護が未だに生きていることがわかる。それだけでも先が見えたような気がした。

 そうだ、岩場を探さなきゃ。

 入った場所はたぶん、泉の中央あたりなのだろう。どこに向かって歩けばいいのか分からないが、どこかに真っ直ぐ歩けば、そのうち壁に行きつくだろう。精霊の世界の理なんて知らないわたしは、単純にそう考えていた。

「――あら、人間のお客様かしら」

「へっ!?」

 ふいに声がかけられ、わたしはびくりと飛び上がった。女の人の声に聞こえた。おそるおそる振りかえってみると、そこには綺麗な女性が立っている。

 ただし、色が薄い水色だ。それも少しだけ透き通っている。

「あ、あなたは……」

 どう見ても精霊だろうと思われたが、わたしはいちおう聞いてみた。彼女はふふ、と小さく笑ったかと思うとおもむろにわたしへと近づいてくる。

「わたしは門番を兼ねているの」

 そうして彼女はわたしの手を取って、「あら、あなた人間じゃなくて精霊なのね」と嬉しそうに言った。

「わたし達のお仲間なら歓迎するわ。ようこそ、水精霊の土地へ」

「えっと」

 つかみどころの無い笑顔を向けられ、わたしは戸惑いがちに目を伏せた。

「わたし、あなた達の仲間じゃないわ」

 なんとなく、仲間と言ってしまったら恐ろしいことになりそうな予感がした。だが、言われた彼女は不思議そうに首をかしげる。

「そうなの? でもあなた、こんなに綺麗な青色の髪なのに」

 青色の髪?

 わたしは目を瞬いた。そしてはっとしながら自分の姿を見おろした。――そこには、はっとするほど鮮やかな青の髪が、水の流れに揺らいでいた。

「どうして」

 わたしの髪は、藍色がかった黒髪だったはず。なのにこれではまるで、彼女たちの仲間のようだ。もしかすると瞳の色も変わっているのかもしれなかったが、それは確かめる術もない。

「生きましょう、お嬢ちゃん。わたしの長に紹介するわ」

「え、ちょ、ちょっと」

 茫然と自分を見おろしていると、わたしは水色の女の人にぐいぐいと腕を引っ張られた。人ならざる力なのか、殊のほか彼女の力は強く、振りほどけない。

 それにしても長って!

 こんなことしている場合じゃないのにと、わたしは焦る気持ちでいっぱいになっていた。


 連れて行かれた場所は、岩場を崩したような洞窟の前だった。

 そこには水色の彼女と同じような姿の女の人が何人もいて、みんな珍しそうにわたしの顔を眺めていくものだから、かなり気まずい心境だ。

 わたしの手をひいて来た女の人は、別の女の人に一言二言なにかを言ってから、わたしに振り返った。

「喜んでお嬢ちゃん、ちょうど長が戻ってきたみたい」

 すいません、喜べません。

 わたしは完全に引いていた。これから何をされるのだろうと、ただそれだけを思う。クリアライトを探す目的からかなり逸れてしまっている焦りもある。

 わ、わたしを返してくださいっ。

 そう言う間もなく、わたしはまた彼女に引きずられるのだった。







「なんだ、お主は」

 連れていかれた先には、それまた美しい女の人が待っていた。

 というよりも、単純に座っていただけだとも言える。彼女がこの土地の長だと言われて、わたしはおずおずと彼女を見やった。足首ほどもありそうな長い髪を水に揺らした、聡明そうな顔つきの女の人は、珍妙なものを見るようにわたしをまじまじと見おろしている。

 いたたまれない気持ちになり、わたしは彼女の不思議な色合いの薄い服をじっと見ていた。

「このお嬢ちゃん、土地のすみっこに立ってたんですよ」

「ナイアス、妙なものは拾ってくるなと言ったであろう」

 わたしは妙なもの扱いですか。

 ええだってえ、と困り顔になった女の人――たぶんナイアスさんにがっちりと手を繋がれながら、わたしは思わず毒づきたい気持ちになった。

「でもウンディーネ様、この子とっても綺麗な色だと思いません? ウンディーネ様とおんなじ色」

 ナイアスさんは嬉しそうにそう言った。え、ちょっとまって、ウンディーネ? まさかの水の大精霊の名前が出て、わたしは驚きに目を見開いた。

「う、ウン……!?」

「ああ、言われてみると確かに良い色をしているな。ほれおなごよ、近うよれ」

「ほら、いってらっしゃーい」

「え、え?」

 どんと背中を押されて、わたしは大勢を崩すように前のめった。ぼふ、と“ウンディーネ様”の胸に着地する。見あげると、わたしの髪よりもちょっと薄い青色の瞳がこちらを見ていた。

「なるほど、お主は半精霊か。それも懐かしい魔力をしている」

 したり顔になった彼女は、全てを察したかのように顎をひいた。

「アンディーナの忘れ形見といったところか……」

「お、お母さんのこと知っているの?」

 低く言った声に思わず訊ね返すと、彼女は「知っているとも」と、にやりと笑った。

「かの者は私の先任者であった。だがそれ以上に、私の育ての親でもある。……娘よ。言うなれば、お主と私は姉妹にあたるのだ」

 ええっ!

 驚きに言葉も出ないわたしに、彼女は楽しそうに目を細めた。

「娘よ、お主は強い力を持っているな。この土地の誰よりも、そして私よりも……。喜ばしいことではないか、姫の帰還を祝おうぞ」

「だ、だめよ」

 その言葉に、わたしはさっと血の気が引いた。逃げなきゃと思った。わたしは水の精霊の血を引くけれど、ここに里帰りするために来たのではないのだ。

「わたし探し物があって来たの。ここに帰ってきたわけじゃないわ」

「ほう、何を探すのだ」

「奇跡の花……クリアライトよ。わたしはそれを持ち帰らなくちゃいけないの」

 そしてレオディス王子を救うのだ。こんなところに長居をしている場合ではない。真剣に言ったわたしに、ウンディーネは興がそがれたと言わんばかりにため息をついた。

「なんだ、大そうな物言いをしたと思えばそんなものか」

「そんなものって」

 希少な花なのに、なんてぞんざいな物言いだろう。だが彼女は、あきれたように自分の背後を指差した。

「ほれ、そのクリアライトとやらが欲しいのなら、好きなだけ摘んでいくがいい」

「へ?」

 好きなだけ?

 そんないくつも咲いている花なのかしら、と思わず目を丸くしたわたしだったが、次に彼女の背後を見て、さらに驚きあきれる羽目になった。

「う、うそお!?」

 そこには白き輝きを帯びた奇跡の花が、まぶしいほどに咲きほこっていたのだ。




.

微修正。

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