第90話 ケンの旅立ちの日
最終回です。
いよいよ、ケン=マッケンジーがウルルス高専を卒業する日が近付いて来ていた。
卒業試験と並行して魔道具及び魔術機械製造マイスター試験の勉強をしていた彼は、最近すごく忙しかったが、先にマイスター試験を終えた後は時間に余裕が出来ていたので、卒業後の冒険の旅の為に料理や獣人語の会話の修業をしていた。
1週間前に受けたマイスター試験の手ごたえは完璧だった。
合格率が3%以下だとは思えないくらいに、試験や実技は彼にとっては簡単だった。
ただ、ヨシト=ウッドヤットに教わった技術や知識が一般に知られているものと違っていたので、試験用に覚え直さなければいけないのが手間だったくらいだろう。
だが、同じ試験を受ける姉のマリと協力出来たので、魔術の修業も同時に続けていた彼にとっては、ずいぶん助かった。
合格発表はウルルス高専の卒業試験の結果と同時期なので、全ては1週間後に解るだろう。
そんな忙しない日々の夜の事、
明日から始まる卒業試験の為に、ケンはウッドヤット家のゲストルーム2階部分の自室で、試験勉強の追い込みをかけていた。
大丈夫だとは思うが、ウルルス高専の学科試験は最後まで気を抜けない。
友人のハイドの試験予想を書いたノートを見ながら、彼は感慨深げに溜息をつく。
思えば、3年になってからはずいぶんこの予想に助けられた。
もちろん、生徒会に入会した事で成績1割アップの恩恵を受けているのもありがたかった。
(…ハイドに、僕の秘密を話すべきだろうか?)
ケンの性格なら、ヨシトの不利益にならなければとっくに話している。
逆に言えば、それだからこそ話せない。
そして、この問題はヨシトに相談すべきではない。
今までだってずっと悩んできたが、彼は最後の結論を下す。
(全て自分の胸の中に収めよう。ハイドを信用していない訳じゃないけど、僕が楽になりたいだけの様な気がするから…。だったら一生話さなくても構わない。卒業後も僕を知っているウルルス高専の関係者とは会わない。長い時間が経って、僕の能力とヨシト先生を結び付ける人はいなくなるまでは)
世の中にはゆっくりと能力値が伸びる特異体質の人がいる。
何十年後になるかは解らないが、再びハイドと出会った時に自分の能力値について話せる時が来るだろう。
その時初めて、自分の心のわだかまりが解けて、2人は親友になれるかもしれない。
彼は気合を入れ直すと、試験勉強に集中する。
今はやるべき事をやるしかないのだから。
それから1週間後、ケンは無事に卒業試験をクリアーして、ウルルス高専の卒業が確定した。
同時にマイスター試験の結果も発表され、彼は正式に魔道具及び魔術機械製造マイスターの資格を取得した。
それを教師達に報告すると、手のひらを返したように彼らの態度が変わった。
『15歳で最難関に合格するとは素晴らしい』とか、
『最年少のタイ記録だ。君はウルルス高専生の誇りだよ』とか喜んでくれている。
教師達から見れば、ケンはエリート校のメンツを保った優等生という訳なのだろう。
もちろんそれだけではなく、彼の努力を認めてくれる先生も多くいる。
だから彼は、素直に喜ぶ事にした。
間違いなく教師達は論理的思考を教えてくれた恩人達で、彼らがいなければ、ケンはただの冒険者として世界を回っていた可能性があるのだから。
卒業式までの後一カ月間、もう学校の授業に出る必要は無いので、彼は本格的な旅の準備を始める。
まず手を付けたのは、ヨシトから貰って2人で直した自由飛空車を行商車に改造する事だった。
後部座席を折りたたみ収納の物に取り換えて、旅に耐えられるように足周りと外装を強化し、お金や貴金属材料をしまう小型金庫を設置する。
荷台にはアクセサリーや魔道具を飾る移動式の棚を設けて、重力軽減魔術刻印を打つ。
他にも、食料保存庫や水生成の魔道具や拡声魔道具を飛空車に取り付ける。
更に、屋根の上には荷物を積めるルーフレールを設置して、強化材を使った荷物ケースをその上に取りつける。
もちろん空を飛んでも支障がないように空力計算された物で、重力軽減魔術刻印付きなのは言うまでも無い。
最後に、新たに取り付けた装備に移送魔術発動時の無重力状態や、急な加速に対応するための固定結界の刻印を打つと飛空車の改造は終了した。
それらの作業を全て自分で行い、ヨシトに最終チェックしてもらうと、彼の旅の相棒となる行商用の飛空車は完成した。
その車の名前は『日本号』、―――センスの欠片も無いネーミングだが、ナンバープレートに英語と日本語で書かれた文字が、数字と一緒に記されている。
もちろんこれは、旅の目的の1つである異世界の記憶を持つ人を探す為だ。
こうして、全長約5m、高さ2、5m程度の『日本号』は、出発の日までウッドヤット商会の屋上にある車庫に収められた。
次に行なったのは、ヨシトに頼んでガレア地方の主要都市に連れてってもらい、移送スキルに必要な位置情報を覚える事である。
もちろん空いた時間で、魔術の修行の総仕上げをする事も忘れない。
旅に必要な魔術はだいたいスキル化しているが、ヨシトから言わせればまだまだケンは半人前なのだから。
最後に行ったのは、行商の旅の実習だった。
商売に必要な知識や帳簿付けなどの勉強は以前からしていたので、いまさら教わる事は無い。
だから経験を積む目的で、1人で荷物を抱えて地方の村に飛んで行き、実際に実演販売を行う。
もう完全に的屋の兄ちゃんだが、彼にはそっち方面の才能があるみたいで、安い銀製のアクセサリーがよく売れた。
これなら、獣人族の国に行っても何とかなるだろう。
まだ細かい準備は残っているが、ケンの旅の準備は整ったといえる。
後は最後の修行を続けながら、卒業式を待つばかりだ。
……そんな1カ月はあっという間に過ぎて、7月最初の週にウルルス高専の卒業式が執り行われている。
エリ-ト校の卒業式は日本と比べても質素な物で、在校生の出席はなく、父兄もそれほど参列しない。
彼らは全員成人しているので、それも当り前だろう。
ケンはクラスメイト達と一緒に講堂の折りたたみ椅子に座り、今日で最後になるウルルス高専の姿を目に焼きつけながら、同時にこの5年間の事を思い返している。
辛い事が多かったが、楽しい事もたくさんあった。
特に3年生になってからは、クラブ活動や生徒会に参加したりして友人もたくさん出来た。
写真動画撮影部は、彼が引退した後も中堅クラブのままで活動を続けている。
メニエル先輩も無事卒業をし、今はジギリア魔術工学院に在籍していて、この前の音話での話では、アメリカ商会の研究所に就職希望なのは変わっていない聞いている。
ハイドと恋人にならなかったのは意外だったが、彼はモテまくっていたし、周りには常に誰かいたので、大人しい性格のメニエル先輩なら躊躇しても仕方ないとケンは思っている。
やはり人と人との関係は、気持ちだけではどうしようもない部分があるのだろう。
彼が所属していた時の生徒会メンバーとはその後の繋がりはないが、噂で聞いた所によると全員が専門院に入学していて、順調にキャリアを積み重ねているようだ。
ケンに対して冷たかった彼らも、優秀なウルルス高専生である事には間違いないので、これも当然だろう。
ケンにも特に不満はない。
全ての人と仲良くなるなんて出来ないし、馬が合わないからといって、その人が劣っているとは限らないのだから。
彼の思考を遮るように、講堂内に拍手が響く。
前生徒会長のハイドが舞台の上に立ち、今から卒業の言葉が語られる。
ケンも他の人に負けじと拍手を打つ。
これが腐れ縁の友人のウルルス高専最後の晴れ舞台なのだから。
ハイドの言葉が拡声魔道具を通じて講堂内の隅々に届く。
保守的な彼らしく、奇をてらった物ではないが、その実直な言葉はケンの心に静かに浸み渡る。
思えば彼の存在がなかったら、始めの2年間は体調の悪さもあり、ケンは途中でへこたれていたかもしれない。
…生徒全員から無視されるというのは、最も辛い事だ。
3年生になったら友人になってくれるというハイドの言葉は、その時のケンの唯一の希望だった。
だから彼は、せめてもの感謝のしるしに、ハイドの言葉が終わると起立して精一杯の拍手で応える。
今日を最後に、もう二度と会えないかもしれない友人の為に。
ウルルス応用魔術高等専門学校(略してウルルス高専)の校長、ピッケル=シライシの長い式辞が終わると、卒業式は無事終わる。
ウルルス高専での卒業証書は、小さな金属製のプレートに刻まれている。
彼はそれが収められたケースを持って、静かに講堂を後にする。
ほとんどの卒業生達は、この後は教室で集まってお別れ会を開くが、彼は参加するつもりはない。
それはハイドに伝えているし、もう教室に在ったすべての荷物は片付けている。
つまり、今日この時を持って彼はウルルス高専に立ち寄るつもりはなかったのだ。
少なくても、ケン=マッケンジーを知る人が、この学校からいなくなるまでは。
彼は1人で、校庭の道を抜けて正門に向かう。
このまま家に帰って、ヨシトに会う必要があるからだ。
その後は、次の大切な事に備える予定だ。
彼の恋人であるリエリス=キュンメと会って、決着を付けなければならない。
それ以外の考えは、彼の頭の中に無かった。
「マッケンジー先輩! 待ってください!」
突然、彼を呼びとめる甲高い声がする。
彼の足が止まり、声の方向に振り向く。
「やあ、レイカさん。さぼりか? 生徒会長なのに不良だな」
「…いいんです。だって、最後にどうしても先輩に会いたかったから」
レイカ=アネアスは、ケンに近付くと目の前に立ち、緊張した様子で手を胸の前でキュッと握りしめる。
「先輩! 校章バッチをください!」
「もちろんいいよ。…ちょっと待ってて」
胸に留めてあった小さなバッチを外すと、ケンはアネアスに手渡す。
彼女は大事そうにそれを手にとって握り締めると、泣きそうな顔で彼を見つめる。
「…先輩、お元気で。外国に行っても私を忘れないでください。…私、絶対あきらめません! 先輩の彼女さんに負けないくらい、いい女になって見せますから!」
アネアスはそれだけ言って踵を返すと、ケンの前から走り去った。
「…ハイドの奴、よけいな真似を」
ケンは彼女の後姿を見送りながら、つぶやくように友人に文句を言う。
この学校で、彼がネオジャンヌを直ぐに離れると知っているのは奴しかいないのだ。
お節介焼きは、相変わらずの様である。
ウルルス高専の校門を通り過ぎると、彼は振り返って5年間通った母校の姿を心の大切な部分に刻み込む。
「…さようなら、お世話になりました」
小声でそれだけをつぶやくと、踵を返して学園通り駅に続く舗装された道を歩く。
もう彼が振り返る事は2度となかった。
ケンはウッドヤット家に帰ると、早速2階にあるヨシトの診察室に向かう。
5年半以上住んでいたゲストルームは引き払っていて、荷物は実家に預けているから、もう4階に立ち寄る事はない。
診察室の扉を開けると、そこにはヨシトが座って待っていた。
「…先生、終わりました」
「了解、…じゃあ、早速手術を始めよう」
師匠と弟子はそれだけ言うと、奥にある小さな処置室に入る。
今からケンの魔蔵の横に埋め込まれている、能力値や魔力体の様子を誤魔化す魔道具を取り払う為である。
10分ほどで全ての処置が終わると、麻酔のかかっているケンをヨシトは魔術を行使して目覚めさせる。
「どうだ、痛みはあるか?」
「…いいえ、先生の手術は完璧ですね」
ケンは手術台から身を起してそう答えると、横の台に置かれていた魔道具を見る。
「結局、この魔道具に名前を付けないまま役目が終わっちゃいましたね」
「…必要ないさ。二度と使う事はないからな。それより、診察の結果は異常無しだ。肉体も魔力体と十分馴染んでいる。しばらくは違和感があると思うが、直ぐに慣れるはずだ。よほどの無茶をしない限りは肉体は壊れないだろう」
ケンは、手術台の横でしきりに体を動かして具合を確かめている。
そして服を着ると、素直な感想を述べる。
「…前にも思ったんですけど、不思議な感じですね。今まで100kmまでしかなかったスピードメーターに500kmまでの表示がついたみたいです。力加減を調整する感覚が戻ったのは助かりますけど、本当にこんな力が出るんでしょうか?」
「追い追い確かめればいいさ。日常生活には必要無い力だからな。だが、フルパワーで動くと腹が減るから気を付けろよ」
「了解しました。旅には食料を多めに持っていく事にします」
その言葉に反応して、ヨシトはケンを優しく見つめる。
「…やっぱり、明日旅に出るのか?」
「はい、今日はこの後、リエリスさんのマンションに泊まって、明日の朝、屋上の車庫に寄ってから、そのままネオジャンヌを出ます」
ヨシトは右腕を指し出す。
「…契約終了だな」
「…契約終了です」
2人はがっちり握手を交わす。
それからゆっくり手を離すと、お互いに笑い合う。
「とは言ってもな、ケンがガレア地方にいるなら、いつだって連絡が取れるから実感は無いな。旅の報告や原稿の事もあるから、ここに何度も帰って来る必要があるしな」
「そうですよ、先生が開発した衛星音話を使えば、緊急の連絡なら出来ますから。第一、先生の伝手がなければ、いくら原稿を書いたって発表する場所が無くなります。今のところ、旅の本を自費出版するつもりはありませんからね。…でも、本の出版どころか、旅行雑誌に掲載されるかどうかも解りませんよ。出版社の人の話では、面白くなければボツという条件ですから」
そんな話をしながら、2人は3階の居間に向かう。
例え契約が切れても、師匠と弟子の関係は変わらない。
もちろん、それ以外の関係だって何も変わらないだろう。
それからケンは、今日の最後の目的地に向かう。
通い慣れたリエリスのマンションも、話の展開によっては二度と訪れる事はないかもしれない。
彼はいつものように彼女の部屋に入り、いつもの場所に座り、いつもと同じように恋人に愛の言葉を囁き、いつものように彼女との会話を楽しむ。
だが、いつもと違う雰囲気は、確実に居間の中に漂っている。
一つだけ間違いない事は、2人が今日でパートナーを解消する事だろう。
場合によっては、恋人関係も同じだ。
それを今から話し合うのだから。
実は、かなり前からケンの気持ちは決まっていた。
彼は、リエリスが強く望まない限りは2人の関係を清算するつもりだった。
以前に話し合った後、彼女は自分の性格の弱い部分と向き合い、緩やかにだが着実に成長していると彼は感じている。
特に最近は、精神的に不安定な部分は全く見られず、自分の感情を完全に制御出来ている。
彼と付き合ったこの1年半で、彼女はもう1人で生きていけるほど強くなったはずだ。
それならば、1人ネオジャンヌに残って遠距離恋愛の辛さを味わうよりは、新しい恋人と出会って更に成長をした方が良いはずだ。
念の為に、ナタリーメイ院長先生にも気にかけてくれるように頼んでいるが、彼はそれほど心配はしていなかった。
結局、リエリスの心に問題が無いのなら、2人の社会的地位や周りの目を気にする必要がある訳だ。
姉のマリとヨシトは5年会えないだけで別れている。
いくら移送魔術をスキル化していても、世界をくまなく回る自分の旅は、少なく見積もってもそれ以上はかかるだろう。
しかも彼は、社会的に見たら最下層に落ちる訳だから、この街でトップを目指す彼女とは釣り合わない。
いくら好きでも、例え今は辛くとも…、生きる道が違う以上はお互いが新しい恋を見つけるべきだろう。
風来坊同然の自分に恋人が出来る可能性は低いが、リエリスなら引く手あまたなのだから、彼は何とか決断出来た。
…だが、彼女の本当の気持ちは解らない。
大丈夫だとは思うが、出来るだけ精神的なダメージを与える事は避けたい。
どうしたらいいか必死に考えた彼は、彼女にある提案をした。
『リエリスさんのギフトで、僕の旅の価値を確かめてください』
彼女に渡したのは、ヨシトと一緒にガレア地方の都市を回った時に書いた旅行記だった。
つまり彼は、自分の書いた原稿を読んでもらって、彼女に判断してもらおうと思ったのだ。
もしこれで、旅自体に興味を持って付いて来たいと言ったらそれも良し。
恋人を続けたいと言うなら、しばらくは秘密の恋人関係を続けるのも良し。
逆に呆れて幻滅すれば、彼女も別れの決断しやすいだろう。
だからケンは、しばらくは今日の卒業式の話をしていたが、頃合いを見て彼女に確認をする。
「…リエリスさん。僕は、明日の朝早くにこの街を出ます。あなたはどうしますか?」
「私はこの街に残るわ。今日で恋人関係も解消しましょう」
あっさりと言い放つ彼女。
彼は内心は複雑だったが、何とか自分の感情に折り合いを付ける。
これは、お互いにとって必要な別れなのだから。
「…それが良いと思います。リエリスさんにはこの街が似合ってます。スカートだってネオジャンヌ以外では着れませんからね」
あえて明るく返すケンに、ニコリともしないリエリス。
「…どうしてかって聞いてくれないのね?」
「聞くまでも無いでしょ。結論は変わりませんから」
「でも、気持ちは違う。…そうよね? だって、私達は恋人同士なんですもの」
その言葉に、彼は思い直す。
これはけじめであるし、確かに重要な事だ。
例え受け入れられない言葉であっても、理由をきちんと聞く必要がある。
「…説明して下さい。どうして恋人関係を解消しようと思ったんですか?」
「…ちょっと長い話になるわよ」
「構いません。まさか話が終わったら、僕を家から叩き出す気じゃないんでしょ?」
彼女は笑って、「当り前よ」と答える。
それから立ち上がって自分の部屋に行き、ケンが渡した原稿を持って再びソファーに腰を下ろした。
「あなたの書いた話は面白かったわ。もちろんプロの作家に比べると色々足りない部分があるけど新鮮で魅力的だった。…でも、一緒に旅に出たいかと言われたら、それは出来ないわ。だって、これを読んでも、私は今までの生活を捨ててまで旅をしたいとは思わなかったから」
当然の結論にケンは頷く。
彼だって、彼女が勉強している理化学について興味はあるが、専門院に通って研究職になりたいとは思わない。
だから、大人しく次の彼女の言葉を待った。
「厳しい事を言うけど、この原稿を出版したってそれほど売れないと思う。私の『予測』の結論だと、採算が取れるギリギリってとこね。ケンが書き慣れてくればどうなるか解らないけど、もともとこの分野の本は売れないのよ。…人間族は冒険心に価値を持っていないから」
これも当然の話なので、ケンは頷くしかない。
ただ驚いたのは、採算が取れると彼女が言った事だった。
彼女の『予測』ギフトの結論はかなり信用出来るので、素直に嬉しかった。
「だから、論理的に考えたら私達は別れるべきよ。あなたは世界を見る、私は学問を究める。2人の道は簡単には交わらない。…でもね、そんな理屈じゃなくって、あなたと別れるのは嫌だった。例え数カ月に一度しか会えなくても、私はあなたと繋がりを持っていたかったの」
(僕だってそうです!)という言葉を彼は必死に飲み込む。
そんな事を言う資格は、彼には無い。
そんな中途半端な関係は、彼女を苦しめるだけだろう。
「あなたの原稿を何度も読み返しながら、そんな事を考えていると、私のギフトが働いたのよ。これはチャンスじゃないかって?」
「…どういう事です?」
彼女は柔らかく微笑んだ。
「あなたが順調に成長してくれれば、読者はだんだん増えて行く。もちろん限界はあるでしょうけど、若いうちにケン=マッケンジーの本を読んだ人間族には、冒険心が養われる可能性が高いって結論が出たの。
…これは素晴らしい事よ。冒険心って論理的じゃないから、少数とはいえ違う価値観を持つ人が増えるわ。ガレア地方を出て開拓を始めたり、そこまで行かなくても老後に世界を旅する人が増えるはずよ。論理じゃない感情や好奇心に突き動かされてね。その効果が出るには何十年、何百年かかるかは『予測』出来ないけど、ゆっくりとでも世界が変わる事は間違いないわ。つまり、長い目で見れば私達は同じ目的を持つ同士って訳よ。あなたと私の道は、遥か向こうで繋がっているって、確かにそう感じたのよ」
「…そういえば、リエリスさんの野望は理知的や論理的でない人間族を増やす事でしたね。理化学系専門院に進学したのも、女神様の加護に代わる強化方法を開発する為でしたっけ?」
「ええ、卒業後は薬学系の専門院に行く予定よ。何年かかるか解らないけど、私の方法でも人間族の価値観を少しは変えられると思うわ」
ケンは、リエリスらしい考え方に少し脱力するが、それでこそ彼女らしい。
彼は、将来の野望を生き生きと話す彼女の事も好きなのだから。
「つまり、お互いがもっと頑張れって事ですか?」
「そうなるわね。その為には、私達は恋人を続けていてはいけないわ。私を気にしてこの街にしょっちゅう帰って来るなんて、あなたの成長を妨げると思ったのよ。だから、せいぜい頑張って世界的な作家になりなさい。ウッドヤットさんに負けないくらいにね」
ヨシトと比べられるなんてたまらないが、彼の書いている小説はパクリだし、自分はノンフィクションしか書くつもりはない。
全然分野が違うと思うが、だからこそ住み分けが出来る上に、読者層も広がるかもしれない。
結局、彼女の言う事は何一つ間違っていない。
さすがは、リエリス=キュンメである。
「わかりました。とりあえず頑張ってみます。でも僕の場合は、考古学に転ぶかもしれませんよ」
「…それはそれで面白いわ。どうせあなたの事だから、論理に徹するなんて出来ないでしょ? きっと学者を志す人間族からも、想像力を刺激される人が出てくるはずよ」
「それも『予測』ですか?」
「いいえ、恋人としてのカンよ」
涼やかに笑った彼女は、最後にこう言った。
「だからね、ケン。私は100年後の未来にかける事にしたのよ。それまでにもっと経験を積んで、今よりもっといい男になりなさい。100年後の成長した私を夢中にさせるくらいにね」
ケンは笑って、「了解! 曹長殿!」と敬礼した。
2人が初めて出会った、あの時のように。
彼の不格好な敬礼の角度を今度は彼女は直さずに、「やっぱり下士官なのね」と笑った。
その後、最後の逢瀬を終えた恋人達は、100年後の未来を信じて、大切な関係を解消した。
そこには、悲しみの感情の他にも、ちっぽけだが確かな希望があった。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
まだ朝早い時間、最後にそれだけの会話を交わすと、ケンはリエリスのマンションを後にする。
ウッドヤット家に向かう彼の瞳からは涙がこぼれたが、それはあえて無視した。
涙をぬぐう資格さえないとケンは思っていた。
大好きな女性を捨てる自分は、みっともない泣き濡れた顔がお似合いなのだ。
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ケン=マッケンジーは、ネオジャンヌの正門前に立っている。
彼の横には行商車が停めてあり、魔導エンジンがかすかな音を立てている。
彼は、5年半以上も暮らした街をじっと見つめ、心静かに思い返す。
たくさんの人との出会い、辛かった事や悲しかった事、そして楽しかった事。
ここは、彼の第二の故郷といえるかもしれない。
ケンは最後に、日本人のようにネオジャンヌの街に深々と一礼する。
それから、唇をかみしめながらドアを開けて行商車に乗り込む。
運転席に座り、シートベルトを装着した彼は、今まで未練を全て断ち切るように、両手で頬をバチン!と叩いて気を引き締める。
彼がアクセルを緩やかに踏み込むと、魔導エンジンの回転数が上がり、車は一気に加速する。
街道を走る行商用の飛空車は、ふわりと浮きあがる。
上空高く舞い上がると、機首を東の方角に向ける。
最初の目的地は言うまでも無い、水精族のコミューン、チリヌル湖だ。
(ノッコさん、今から行きます)
運転席でケンは、移送スキルを発動する。
移送結界に包まれた行商車は、遥か彼方に向かって、移送ロードを音も無く突き進んだ。
住み慣れた街を捨て、約束された社会的な成功を捨て、友人と別れ、恋人との関係を清算し、愚か者は旅立つ。
後に残った物は、大切な人達との絆と、心に満ち溢れる冒険心だ。
今までの経験と幼心に芽生えた信念を携えて、飛空車と共に世界を旅する馬鹿の未来は、現時点では誰にも解らなかった。
青年編 (完)




