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第85話 リエリスの悩みとケンの答え


リエリス=キュンメは、休日の朝早くにマリアネア第二孤児院に訪れていた。

もちろん、院長であるナタリーメイ=ウッドヤットに個人的な相談をする為だ。

ここに来る事は前もって音話で連絡を入れているので、リエリスは孤児院の事務室の扉をノックしてから、返事を待たずに事務室の中に入る。

まだ朝早い時間なので、部屋の中に職員は1人しかいなかった。

輝くような銀髪の髪を持つ女性事務員は、事務作業の手を止めてから、椅子に座ったままでリエリスの方に顔を向ける。


「…おはよう、リエリス。ナタリーメイ院長は院長室におられます」

「イシュタリアさん、いつも早い時間に申し訳ありません」

「…いいの、気を遣わないで。あなたはケン君の恋人。私達は他人じゃない。だから、ファミリ―ネームじゃなくて、タラチナって呼びなさい」


そう言って、タラチナ=イシュタリアは、にっこりと笑う。

その笑顔は透き通るように美しく、同性であるリエリスから見ても心を奪われるほど魅力的だった。

初めて会った時の無愛想な様子から見れば考えられないほどの変化だが、リエリスは彼女の性格を理解しているので不思議には思わない。

自分だって心を許した人相手には、出来るだけ素直でありたいと考えているのだから。

…もっとも、それが出来るくらいならここに来る必要は無いのだが。


「…はい、タラチナさん。院長をお借りしますね」

軽くウインクをするリエリスを見て、タラチナは「フフッ」と笑い、

「お貸しします。もちろんタダよ」と、つまらない冗談を言う。

…相変わらず、ギャグセンスは無いようだ。



タラチナの横を通り抜けて、事務室奥の院長室のドアをリエリスはノックする。

直ぐにドアが開いて、ナタリーメイの理知的な顔が部屋の中から現れる。


「キュンメさん、待ってましたよ。中に入りなさい」

「はい、…すいません、急に音話して」

「いいえ、…さあ、ソファーに座りなさい」


ナタリーメイはリエリスを部屋に招き入れ、「タラチナ、お茶を用意して」と、外に声を掛けてからドアを閉める。

それから、行儀よくソファーの横に立っているリエリスの所に向かう。


「…それにしても久しぶりですね。あなたと会えて嬉しいですよ。変わりは無いですか?」

「はい、おかげさまで学業は順調です。体調も問題ありません」

その様な、いつもの決まり切った会話を交わしながら、2人は応接セットのソファーに向かい合わせに腰掛けた。


ナタリーメイ=ウッドヤットは、リエリスにとって、心の師と言ってもいいほどの存在である。

特に小さい頃、少々精神的に不安定な面があった彼女を助けてくれた恩人でもある。

だが、リエリスの現恋人であるケン=マッケンジーと知り合ってからは、彼女がナタリーメイの元を訪れる機会はめっきり減っていた。

これは、彼女の不満やストレスを彼が解消してくれていたからだが、それでも2,3カ月に一度くらいは顔を出している親しい関係である。

そして、言うまでも無く、ケンとリエリスの事をよく知っている人物でもある。



タラチナがお茶を淹れて院長室を立ち去った後も、しばらくは雑談を交わしていた2人だが、話題が途切れるとリエリスは居ずまいを正してナタリーメイに話しかける。

ここからが、今日の本題と言う訳だ。


「院長先生、恋心ってどうやって制御したらいいんですか? そもそも恋って何でしょうか?」

リエリスの真剣な問いかけに、ナタリーメイは完全にフリーズする。

リエリスがそんなの相談をするなんて初めてだから、ちょっと意表をつかれた事もあるが、その分野は彼女が最も苦手にしているからだ。


「…ケン君と、何かあったのですか?」

ナタリーメイは、気を取り直して何とかそれだけを絞り出す。

彼女は、2人が恋人同士である事を当然知っているし、それを大っぴらにしていない事情も少しは理解している。

だから、苦手で良い意見が出ないとしても、リエリスが気を許して相談出来る人物は、自分しかいないと思い直した訳だ。


そんなナタリーメイの内心はともかく、彼女の声と言葉は人々を落ち着かせる不思議な魅力を持っている。

リエリスは悲しそうな目で頷くと、まるで聖女にすがりつくような表情で告白を始める。


「…何もありません。ケンは何も悪くなくて、私の気持ちの問題なんです。彼は年下のくせに頼りになるし、私の我がままに付き合ってくれているし、パートナーとしても合格点だし、何よりとっても優しいんです。彼の実家は貧乏で、修業で忙しいから、あまり遊びに行く事は無いですけど、時間を作って出来るだけ会ってくれようとしています。彼と話しているだけでもとっても楽しいし、私のギフトでも『予測』出来ない言葉を聞くたびに、幸せを感じます。

 …たまに生意気な所はありますけど、そんな所も可愛いし、笑った顔もキュートだし、怒った顔もドキドキします。ケンは、私の弱い心を支えてくれる最高の恋人なんです」


リエリスのあまりにも正直な感想に、ナタリーメイは年甲斐も無く頬を赤くする。

はたから見れば完全にのろけであるが、本来ならそんな事を言うタイプでは無いし、彼女がここまで正直に心をさらけ出す人物は、自分しかいない事も知っている。

そして、その信頼に応えるように、リエリスの言葉を聞くにつけ、ナタリーメイは彼女の悩みが何となく理解出来た気がした。


「…そうですか。それで、あなたの悩みは何です?」

あえて確認を取るようにそう問いかけると、リエリスは苦悩の表情を隠すようにうつむく。


「ケンは、後1年足らずでネオジャンヌを離れて旅に出てしまいます。…私は、それに耐えられる自信がありません。…彼にずっとそばにいて欲しい。…でも、別れは必ず訪れます。それを考えるだけでも、辛くて仕方が無いんです」


完全に予想通りの答えに、ナタリーメイは内心で溜息を漏らす。

今まで様々な相談に乗ってきた彼女の考えでは、リエリスは非常に気が強くてプライドが高いが、純粋で固くてもろい、ガラスの様な心を持っている。

はっきり言って打たれ弱い性格をしているが、彼女の優秀な頭脳やギフトによって、それを前もって回避しているだけなのだ。

本来なら自制心が強いから、理屈で納得できる事なら耐えられるが、逆に言えば論理的では無い感情には振り回されてどうしていいのか解らないのだろう。


…だが、それは当然なのだ。

恋心なんて、理屈では無いのだから。

ナタリーメイは慈悲深い微笑みを浮かべて、ゆっくりと話し始める。


「リエリス、あなたは今、本当の恋をしているのですよ」

「本当の恋? 私が今まで付き合ってきた相手は、本当の恋人では無かったという事ですか?」

そのあまりにも幼い考え方に、ナタリーメイは苦笑する。

恋人との付き合い方は相手によっても違ってくるし、そう簡単に決め付けられる物では無いのだから。


「いいえ、それは違いますよ。…考えてみなさい、ケン君と付き合い始めてから、あなたの気持ちは変わっていませんか? 今と全く同じでしたか?」


「…いいえ、それは違います。ケンとの付き合いは長かったし、元々かなり好きだったから、恋人になってからも気持ちはそれほど変わらないと思っていました。…でも、変わったと思います。…自分の気持ちを抑えられないくらいに」


「…つまり、気持ちの強さが増加した。…いいえ、全てが変わったんですね? まるで、同じ人を2度好きになったみたいに」


ナタリーメイの言葉は、彼女の心の形にぴったりと一致した。

だから、今の正直な気持ちを飾りもせずに打ち明ける。


「はい、ケンは事情があって、私に隠し事をしていました。臨時パートナーになる前に、全て話してくれましたけど、それからも彼は、節度を持って接してくれていました。

 …でも、恋人になってからしばらくすると、一切遠慮をしなくなりました。会うたびに好きだって言ってくれるし、忙しい時間を割いて会ってくれるのは本当に嬉しかったです。特に、最近性欲が落ち着いて正式なパートナーになってくれてからは、私だけを見てくれる気がして夢中になってしまいました。

 …でも、気付いたんです。彼に近付いてくる他の女性に対して、私が醜く嫉妬している事に。以前は、いとこのサーラの話も普通に出来ていたんです。でも、最近は気分が悪くて仕方ありません。ケンの『真の友』で、私の大切な幼馴染のサーラの事を嫉妬するなんて、自分の心が信じられないんです。…恋なんてしなければよかったって思うくらい自分が嫌いになりました。でも、ケンと別れるなんて考えられません。もうどうしていいか解らないんです!」


ナタリーメイは、リエリスの気持ちを完全に理解した。

リエリスは、人間族としては非常に感情豊かで、しかも激しい気性をしている。

そのあふれる感情を優れた理性とガラスのような固い意志で抑え込んでいるだけなのだ。

そんな彼女が、理性や論理を超える恋心や嫉妬といった厄介な感情に振り回されて強過ぎる感情が心の中を嵐のように暴れ回っているのだろう。

それを何とかして克服しようとして考えた結果が、最初の質問につながったのだろう。


『恋心ってどうやって制御したらいいんですか? そもそも恋って何でしょうか?』

まさに、彼女の心の叫びだった訳だ。

ナタリーメイはしばらく目を閉じて、考えをまとめた上で、リエリスにアドバイスをする。


「ケン君に、思いのたけを伝えてみたらどうです? あなたは、彼と一緒に世界を旅したいのでしょう?」

その、あまりにも突拍子もない意見に、リエリスは目をまたたく。

その発想は無かったが、すごく楽しそうだと思ってしまった。

だが、彼女の優れた知性と理性が、その考えに冷や水を浴びせかける。


「……院長先生、それが出来たらどんなにいいでしょう。…でも、それは私の今までの人生の否定です。私は、年を取るまではキュンメ家の名に恥じない生き方をしたいんです。それだけが、戦闘職に就かない直系の私が出来る、せめてもの家族への恩返しです。だから、私はこの街を離れるつもりはありません。私は頭脳職のトップを目指して、これからも精進します。ケンと一緒に旅をする私は、もうリエリス=キュンメではありませんもの」


ナタリーメイは、満足そうに頷く。

リエリスの相談に乗り始めてからかなり経つが、彼女の意見からは確かな成長を感じさせられた。


「当然ですね。あなたは今でも十分論理的で理知的ですよ。だから、嫉妬心を感じたとしても、そんなに恥じる必要はありません。

 …リエリス、あなたは頭が良すぎるのです。だから、『予測』のつかない事に関しては過剰に反応してしまうのですよ。あなたの心は強くて弱い。でも、素直な気持ちを忘れない限り何も心配いりませんよ。最低限のラインさえ守っていれば、きっとあなたは成長して、今の気持ちに折り合いを付けられますよ」


「…本当にそうでしょうか? ケンと恋人になる前は、今のような気持になるなんて『予測』どころか想像さえ出来ませんでした。もちろん、院長先生のおっしゃる事は解ります。でも今は、自分で自分が信じられないんです」


ナタリーメイは、迷い子のようなリエリスの様子を見ると、優しく包み込むような笑顔を浮かべる。


「…あなたがケン君と恋人になったと聞いた時は、私は本当に嬉しかったですよ。あなたの弱い心を支えてあまりあるほど、彼の精神は安定してますから。ですが、あなたがこうなる『予感』は以前から何となくありました。あなたは純粋で、まだ若くて未熟ですから。

 …でも今は、別の『予感』が私の心の中でささやいています。

 …ケン=マッケンジーに全て打ち明けて相談しなさい。例え遠回りになっても、それが全ての解決につながるでしょう」


リエリスは、希望を見い出したと同時に酷く落胆した。

彼女の『予測』結果でも、自分の力だけでは解決出来ないと答えが出ていたからだ。

そして、そんな自分が情けなくて仕方が無かった。


「…また私は、ケンに頼るのですね。…3つも年上なのに」

「それは当たり前の事ですよ。あなた達は恋人同士なんですから」

「…私は、恋人として彼の力になっているのでしょうか?」

「それも彼に聞いてみなさい。彼なりの答えを返してくれるはずですよ」


ナタリーメイの優しい声を聞き、リエリスは決意した。

自分の恋人を信頼して、素直な気持ちで相談するしかないと。

いくらみっともなくても、彼ならきっと応えてくれるに違いない。


「はい、ナタリーメイ院長先生、ケンとは今日の午後に私の部屋で会う予定ですから、思いっ切って打ち明けてみます。彼が私を好きでいてくれる事は自信があるんです。だからきっと大丈夫。…あの、駄目だったら、また相談に乗っていただけますか?」


「もちろんですよ。リエリス、彼と話す時は意地を張らないようにしなさい。それと、あまり恥ずかしがらないようにね」


リエリスはき物が落ちたように笑って、コックリと頷いた。


―――――――――――――――――――――――――


その日の午後、ケン=マッケンジーはリエリスの事情も知らないまま彼女のマンションを訪れていた。

もうすっかり通い慣れた場所だが、今日はウルルス高専からの帰り道だったので、マンションの前で浄化魔術を行使して服装の汚れを落とし、身だしなみを整えてから3階の彼女の部屋に向かう。


彼が休日にもかかわらず学校に寄っていたのには、もちろん訳がある。

生徒会の用事に、駆り出されていたからだ。

5年生にもなって休日の助っ人をするなんて、生徒会長のハイド=ノワールの頼みなら断っているが、今回は副生徒会長のレイカ=アネアスの要請だから断りにくかった。

彼女は、クラブ間の調停で知り合って以降、何かと声をかけてくる可愛い後輩だった。


今回も、たまたま生徒会の人員がクラブの大会の付き添いで出払っていて、午後にならないと帰ってこないので、休日のクラブ活動の為に誰かが生徒会室に残っていなければならないとレイカに泣きつかれて、結局引き受けてしまった。

まあ、万が一に備えての待機だし、その間は生徒会室で勉強でもしていればいいのだから、大した事は無いと思ったのもある。

実際その通りだったし、その後帰ってきたレイカと生徒会室で30分くらい話した事も楽しかったのでケンに不満は無い。

それに、ハイドはもうそろそろ引退の時期で、これ以降はケンが生徒会に関わる事は無いだろう。

本来なら5年生の今の時期は、もう進学準備に忙しいはずなのだから。



そんな事を考えながらケンが玄関ベルを鳴らすと、待ちかねていたようにリエリスがドアを開ける。

「こんにちは、リエリスさん。今日の服も素敵ですね。もちろん、あなたが一番きれいですけど」

「…そういうのはいいから、さっさと入りなさい」


相変わらずそっけない態度の彼女だが、彼は本気で言っているから全く気にしない。

それに、本当に嫌なら彼女ははっきり言うタイプだし、何も言わない時は機嫌が悪くなるから、例え決まりきった褒め言葉だと思われているとしても、やめるつもりはない。

彼から見れば、そもそもリエリスという女性は、意地っ張りでお嬢様で素直じゃないのだ。

そんな人に惚れた自分が悪いのだから、ケンに不満など無い。



2人はいつものように、居間のソファーでくつろいで話している。

今日はプレイの予定は無いから、純粋に恋人同士のたわいない会話を楽しむつもりでいる。


…ところが、リエリスの様子がおかしい。

一言で言うと、挙動不審だった。

だが、悪だくみをしている様子でも無いし、時間を気にしてる訳でもなさそうだ。

それなら、あえて突っ込む必要も無いので気にしないようにして、彼が今日の出来事を話をしていると、急に彼女の表情が不快に変わる。


「…つまりあなたは、レイカ=アネアスに言われて、生徒会の用事を手伝っていたんだ」

「そうですよ。彼女は今度の生徒会長選挙に立候補するつもりなんです。今の時期にトラブルが起こると影響が大きいから、僕に手伝って欲しかったそうです」

「…気に入らないわ。あなたに色目を使っているに決まってる。今日だって必要も無いのにわざと呼びだして、告白する気だったに違いないわ」


ケンはギョッとしてリエリスを見る。

今ちょっと、あり得ない言葉を聞いた気がする。

…これは、慎重に受け答えした方がいいだろう。


「そんな訳ないですよ。僕に恋人がいる事は、彼女に話してますから」

「単にあきらめてないだけよ。厚かましい女だわ!」


これは本当に、いよいよおかしい。

冗談にしても、彼女はそういう事を言うタイプでは無い。


「どうしたんです? まるで嫉妬しているみたいですよ」

「…そうよ、それ以外の意味は無いわ」

「…あの、前にも言いましたけど、僕にその気はありませんよ。彼女はただの後輩ですし、それにもう僕には、リエリスさん以外は臨時パートナーさえいませんよ」

「知ってるわよ。…私が気に入らないだけ。嫉妬っていうのは自分勝手なものなのよ」


さすがにこれは色々まずいと思った彼は、身を乗り出して彼女の手を優しくつかむ。

それから彼女をじっと見つめて、精一杯の気持ちを込めて語りかける。


「僕はあなたの事が好きですよ。…心の底から、…世界中の誰よりも!」

「…そんなの当たり前でしょ。会うたびに好きって言ってくれるんだもの。ケンはそんな嘘はつかないわ」


急に元気が無くなる彼女。

今日は、感情の起伏がいつもより激しい。


「…つまり、リエリスさんの気持ちの問題なんですね。僕の気持ちとは関係なく」

彼女は名残惜しそうに、彼の手を振り払う。


「そういうこと、…こんなみにくい女で幻滅した?」

目も合わせずにそう言う彼女に、彼は優しく語りかける。


「いいえ、全く。僕だって、リエリスさんが他の男に言い寄られていたら、いい気分はしませんから。…でも、急にどうしたんです? 今までそんな事は、一言も言わなかったのに」

その質問には答えず、リエリスは悲しく表情を歪めて質問を返してくる。


「…ねえ、私があなたにずっとそばに居てって言ったらどうするの? 世界を回るのをやめて、ずっとそばに居てくれる?」

この質問には唖然となった彼だが、彼女の真剣で不安そうな表情を見て、自分の心に問うてみる。

ケンの思い悩む姿を見て、更に不安になったリエリスは、大きな声でケンの思考を中断させる。


「待って! 今のは忘れて。…ケンは旅に出かけたっていいの」

「…そうですか」

「…ごめんなさい、正直に話すのって難しいわ」


考えるまでも無く、ケンは気が付いた。

リエリスの感情は、今とても不安定だ。

最近そういう兆候はあったが、彼女は意志が強いので、すぐに立ち直っていた。

一体何があったのかは知らないが、今は真剣に向き合うべきだろう。


「…リエリスさん、何があったか詳しく話してください。何があっても受け止めて見せます。僕はあなたの恋人なんですから」

ケンの真摯しんしな告白を聞いたリエリスは、花が咲いたように笑った。



しばらくの間、今日の朝の話を彼女から聞いた彼は、腕を組んで考えている。

「…そうですか、ナタリーメイ院長がそんな事を」

「…そうなの、だけど、どう気持ちを伝えたらいいか解らなかったから、理性を出来るだけ無視して話してみたのよ。…でも、感情が暴走して上手くいかないわ。私、全然論理的じゃなかったでしょ?」


いくらナタリーメイに、素直に恥ずかしがらずに話せと忠告されたからと言っても、理性を取っ払う極端な判断をするリエリスには驚いたが、ある意味彼女らしいともいえる。

リエリスの気持ちがはっきりと解ったのはありがたかったが、もうこれ以上は必要ない。


「そんな事が出来るリエリスさんはすごいと思いますけど、あなたらしくないですよ。理性も感情も全部含めてリエリス=キュンメでしょ? いくらなんでも極端過ぎますよ。

 …まあ、たまにはこんなのもいいですけどね。少しはすっきりしましたか?」


「…逆効果だったわ。考えてみれば、自分の感情を上手くコントロールできない悩みなのに、理性が無くなったら悪化するだけだもの」


「…本当ですか?」


「…実は、ちょっと気が晴れたわ。ケンのカッコいい所も再確認出来たしね」


舌をぺろりと出して、やわらかく微笑むリエリス。

ケンとしてはちょっぴりくやしかったが、ナタリーメイの助言はリエリスの心の壁を取り払ったようだ。

それに、あまり恥ずかしがらずに素直に話してくれるのは、単純馬鹿な彼にはありがたかった。


「じゃあ、たまにはレクリエーションのつもりでやりましょうよ。完全に理性を飛ばすんじゃなくて、恥ずかしがらずに気持ちを正直に言う程度なら問題ないですよ。要はストレスをためない事です。恋人として付き合う以前は、そうしてくれていたでしょ? だから、苦しいなら無理に変える必要は無いんですよ」


彼女は、ただ黙って頷く。

そして、少しはかなげな表情で彼に問いかける。


「…ねえ、あなたはどうしてそんなに強いの?」

自分の強さに自覚が乏しいケンは、首をかしげて考える。


「…強いっていうか、僕は結構、好き勝手言ってますよ。ヨシト先生に言わせれば、馬鹿は図太いそうです。今回の事だって、リエリスさんにとっては大変な事かもしれませんけど、僕にとっては大したことじゃないんです」


「どういう事なの? あなたは、恋の悩みのエキスパートなのかしら?」

ケンは冗談っぽい口調でその質問に答える。


「前世の自分は、地球という世界の猿人だったと以前に説明しましたよね? 実は、そいつは今の僕くらいの年頃に、一度に3人の女性と付き合ってたんです。全員が好きだからという理由で、次から次へと好き放題に関係を持って、結局、浮気がばれて全員と大げんかになった事もあります。そんな記憶を2歳頃から無理矢理見せられている僕からしたら、リエリスさんの悩みは可愛らしいもんですよ」


「…ふぅ~ん、ケンは浮気性なんだ」

リエリスの目が、スーッと細くなる。

その口調は妙に冷静で、思わずケンの背筋が凍る。


「ぜ、前世の僕ですよ。今とは別人格ですから」

「浮気なんて許さないわ」

「もちろんです!」

「…そんな事をしたら殺すわよ」

「こ、こわ! …肝に銘じます!」

「…ケンと浮気した女は皆殺しよ!」

「そっちですか! そんな本気そうな目でにらまないでください。あなたならやりかねません!」

リエリスは、吐き捨てるように笑う。


「…もちろん冗談よ。体はともかく、心は奪わせないわ。そんな女は、精神的に追い詰めて廃人にしてやるから」

「人間族らしい嫉妬の仕方をしないでください! そっちの方が怖いです!」

「それくらい、あなたが好きってことよ。…あなたの旅に、付いて行きたいくらいにね」


話が一周して、先程の質問に帰ってきた。

だが、彼はようやく気付く。

始めから話は何も変わっていないのだ。


「…結局、それが問題なんですよね。リエリスさんは離れたくないのに、僕はあなたと別れて旅に出る。それが、あなたを不安にさせる」


「やっぱり、別れるつもりなの?」


彼女の目に、うっすらと涙がにじむ。

心が動きそうになった彼だが、前々から考えていた事なので、比較的冷静に対処出来た。


「付き合ってちゃまずいでしょ? 今の僕はウルルス高専生ですけど、卒業後は良くても変わり者、悪ければ人生の落後者とか風来坊だと世間から思われますよ。今以上に、リエリスさんとは釣り合いませんよ」


「…よく解ってるじゃない。あなたは何にも変わらないけど、家族や友人にはちょっと紹介出来る立場じゃないわよ」

そう言って、悲しそうに微笑む彼女。


友達は選んで付き合えと言うが、恋人なら尚更だ。

それは、ここルミネシア世界でも変わらない価値観である。

ましてここは首都ネオジャンヌ、人間関係は濃密で、その価値は人の評価に直結する。

ケンは、以前から自分の評価がリエリスに影響する事を恐れていた。

彼女が恋人だと、友人達に大っぴらに言えないのもその為である。


2人の道は、どう考えても交わらない。

彼女がこの街で成功する事を望んでいるのは、今更言われなくても知っている。

そして彼は、この街に留まるつもりは無い。

だが、それを突き詰めると彼女を追い込むだけなので、彼はあえて冗談で返す。


「秘密の恋人ですか? 背徳的な響きですよね」


「馬鹿じゃないの? …ごめん、馬鹿だったわね。…ああ、自分勝手な馬鹿を好きになった私は、ゴミのように捨てられる訳ね」


「人聞きの悪い事を言わないでください! そんなに嫌なら、リエリスさんが僕を捨てたらいいだけでしょ!」


「それが出来るなら、こんなに悩まないわよ」

落ち込む彼女を見た彼は、わざと非論理的な意見を言う。


「だったら、別れないでおきましょう。パートナーは無理としても、リエリスさんさえよければずっと秘密の恋人でいましょう」


「…そんなのけじめがつかないわよ」


少し呆れた口調で返事をするリエリス。

もちろん、ケンだって解っている。

でも今は、何より彼女の気持ちが大事だった。


「確かにそうですね。でもそれは、誰の何に対するけじめですか? 社会的な価値と自分の気持ちが違う時、リエリスさんはどちらを選びますか?

 …僕は、自分の気持ちに正直でいたい! 好きな気持ちなんて、けじめとか周りの都合だけで割り切れませんよ。だから僕は、形にこだわるつもりはありません」

相変わらず矛盾した考えを言う彼だが、彼女は少し皮肉を込めて笑った。


「私は、そこまで単純に考えられないわ。あなたほど、馬鹿じゃないもの」

「リエリスさんは、難しく考え過ぎですよ」

「いいかげんなのね」

「これくらいはいいと思いますよ。だって、お互い好き同士なんですから」


ケンは優しくリエリスの手を握りしめて、穏やかに笑う。

それから、精一杯の気持ちを込めて語り掛ける。


「…本当は僕だって、両方とも手に入れたい気持ちはあります。でも、僕にそこまでの力はありません。どちらかしか選べないんなら、無理に選ばなくてもいいんです。大事な事を選び取るには、それ相応の努力や覚悟が必要なんです。…残念ですけど、あなたには、それが無い。だからどうしていいか解らなくなるんです」


彼女は、彼の手を強く握り返す。


「厳しい事を言うのね。私は努力不足で、何の覚悟も無いとあなたは言うのね?」


「はい、そんなに僕が好きなら、…将来、会えないのが辛いなら、どうして移送魔術をスキル化しないんです? 僕はもうすぐスキル化する予定です。世界を回る為にどうしても必要だと思ったからです。リエリスさんの好きは、僕の覚悟に釣り合いますか?」


ケンの挑発に、リエリスの目の奥に闘志の炎が燃える。

それを見たケンは、内心で安堵する。

それでこそ、彼の好きなリエリス=キュンメだ。


「私は、移送魔術をスキル化する予定は無いわ。他に優先すべき魔術があるからよ」


「そうですよ。あなたはそうあってください。僕はそんなリエリスさんが大好きです」


ケンの言葉は、彼女の心に芯を入れる事に成功した様だ。

まだ、か細くて、簡単に折れてしまうほど弱々しいものではあるが。


「…あなたの卒業後に、恋人関係をどうするかは、もう少し考えさせて」


「無理に決めなくていいんですよ。覚悟も無いのに無理に決めてもろくな事がありませんから」


「これからも、相談に乗ってくれる?」


「もちろんです。僕達は恋人同士なんですよ。あなたが1人で戦えるまでの支えになるつもりです」


彼女は自嘲の笑みを浮かべる。


「…私は、あなたに何も返せない」


「もう、十分に返してもらっていますよ」


「…そんな訳ないわよ」


「いいえ、僕はこうしてリエリスさんと話しているだけで、とても幸せなんです。だから、あなたがどんな結論を出しても、旅立ちの日まではずっと恋人として好きで居続けます」


「…ありがとう、ケン」




2人の結論は、問題の先送りだった。

だがこれは、逃げでは無いとお互いが思っている。

これから1年近くをかけて、2人は共同で問題に立ち向かっていく覚悟だけは持っているのだから。


だから、リエリス=キュンメは今も着実に成長している。

大好きな恋人に支えられて、1人で立ち上がるその日までは、2人の関係は終わらないだろう。



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