第78話 サーラとリエリスは対立する
サーラ=キュンメのマンションの玄関ベルが鳴っている。
ケン=マッケンジーはどうしていいか解らずに、完全に硬直している。
それを見たサーラは、「ケン、どうする? 窓から逃げる?」と尋ねてくる。
一瞬、その言葉に従いそうになったケンだが、浮気現場を見つかった間男じゃあるまいし、いくらなんでもそれは無い。
この状況は不本意ではあるが、自分は何も悪い事はしていない、…はずだ。
それに、この機会を逃せば、リエリスと直に会って話す事はもう無いかもしれない。
彼女との関係は、このまま自然消滅でも仕方無いと覚悟していたが、いくら見込みが無くても好きな人の前から逃げるような不誠実な男にはなりたくなかった。
それならばいっそ彼女の気持ちを聞いて、すっぱりと振られた方がいいかもしれない。
今が自分の恋心に決着を付けるべき時だと思って、ケンは覚悟を固めた。
「…会って話をしてみます。サーラさんには迷惑をかけるかもしれませんけど」
深刻そうな顔でそんな事を言う彼の様子を見たサーラは、「わかったわ」とだけ言って玄関に向かう。
ケンは居間に残って、彼女達が来るのを神妙な面持ちで待っていた。
サーラが玄関の扉を開けると、目の前にはもちろんリエリス=キュンメが居た。
「いらっしゃいませ、リエリス姉さま」
「遅れてごめんなさい、サーラ。とても素敵なマンションね。今日はゆっくり話しましょうね」
「はい、どうぞ上がってください。…実は友人が来てるんですよ。姉さまに会って欲しくて、無理を言って残っていてもらっていたんです」
リエリスは、サーラの後ろを覗き込むように家の奥を見る。
しかしここからでは客の姿は見えないので、お泊りセットが入った鞄を抱えて、玄関から居間に続く廊下をサーラの後から歩く。
「誰かしら? 私の知ってる人?」
「ええ、リエリス姉さまの後輩です」
それを聞いたリエリスの足が止まる。
「…まさか、ケン=マッケンジー君なの?」
背後からそう尋ねられたサーラは、「そうです、さすがはリエリス姉さま」と振り返ってから答える。
リエリスは呆れたような表情で、目の前の義理のいとこを問い詰める。
「…サーラ、あなたってそんなにお節介なタイプだったかしら? どうせこの前の事を気にして、マッケンジー君をこの時間に呼んだのでしょう?」
「はい、きっと誤解があると思って、お2人に話し合って欲しかったんです」
「…あのねぇ、マッケンジー君相手に、今更誤解も何も無いわよ。もう1年以上も前から友人として話しているのよ」
「それは、ケンから聞きました。最近は仲が悪い事も。…リエリス姉さま、彼はとってもいい男です。事情は解りませんけど、じっくり話せばきっと誤解は解けるはずです」
リエリスの目が、スーッと鋭くなる。
明らかに気分を悪くした様子に見える。
「ケンねぇ~、…つまり、サーラは私があの馬鹿と話せば満足するんだ。いいわよ、いくらでも話すわ。ご期待に添えるかどうかは知らないけどね」
そう言うと、彼女は1人でズカズカと居間の方に向かって歩いて行く。
サーラは、呆気に取られてそのまま見送ってしまった。
すぐに我に帰って、急いでリエリスの後を追いかける。
「待って、リエリス姉さま」
リエリスは、後ろから聞こえるサーラの言葉を完全に無視して、居間に鞄をドン!と置くと、ソファーに座っているケンの前に仁王立ちする。
その姿はまるで舞台女優のように凛々しいが、彼女の様子では感動の再会劇にはならないだろう。
その証拠に、彼女はケンの顔を見ると、眉尻を少し上げて厳しい言葉を吐き捨てる。
「あらぁ? どこの誰かと思ったら、マッケンジー君じゃありませんか。久しぶりに見たけど、相変わらず子供っぽい顔をしているのね」
「…お久しぶりです、キュンメさん」
「それで、仲の悪い私と何の話があるって言うの? 義理のいとこの力を借りなきゃ、会って話す気も無いヘタレのくせに」
「いえ、あの、…何でそんなに怒ってるんです?」
「怒ってるですって? 私が? あなたに? そんな訳ないでしょ! 本当に馬鹿な男ね! それより、わざわざ待ってでも私に言いたい事があるなら、はっきり言ったらどうなのよ」
「…あの、本当にすいません。こんなだまし討ちみたいな形になってしまって。帰ろうと思ったんですけど、キュンメさんに久しぶりに会えるなら話しておきたかったんです」
シュンとしたケンの様子を見て、リエリスの興奮は少し冷める。
考えてみれば、サーラからケンとの仲が悪いと言われて頭に血が上っただけで、自分が彼を責める理由は何一つ無い。
というより、いきなり彼を罵倒した自分の方が悪いに違いない。
彼女の『予測』ギフトによれば、ここで謝罪しなければ間違いなくトラブルになる事が解ってしまうが、だからといって素直に謝りたくはなかった。
(だって、こんなにムカついているんですもの。彼に対しても、…自分にも)
専門院(大学院)に入学してからは、自分を教授に売り込んで、研究に参加していたのでかなり忙しかった。
特にサマンサ町での事件があってからは一度も会わないようにしていたのに、いとこの部屋で会うなんて何だか気分が悪い。
サーラのお節介だとは解っていたが、それに乗った時点で彼だって同罪だ。
そもそも話したいなら音話をかけてくればいいのに、知り合ってから今までに彼からの音話はサマンサ町への旅行の連絡のたった一度しかない。
ここ最近の音話でも、どうして半年以上も会えないのかに付いては何も聞いてこない。
今だって、文句があれば言えばいいのに、逆に謝られたらどうしていいか解らないではないか。
だが、それは当然の反応だろうとリエリスは考えている。
自分が素直な彼を一方的に利用しているのは解っているし、それを彼が気付いているのにも関わらず、文句を言いつつも付き合ってくれているのも知っている。
始めは友人がいないから寂しいのだろうと思っていたが、どうやら自分に気がありそうなのに気付いて、丁度いいとばかりにその気持ちをもてあそんだ。
それでも罪悪感が無かったのは、嫌な事は嫌という彼の性格を知っていたから、本当に嫌なら離れて行くと感じていたからだ。
名家のお嬢様で天才と呼ばれているリエリスから見ると、はっきり言って、ケン=マッケンジーは物足りなかったし、それほど好みのタイプでも無かった。
彼女は、社会的地位が高くて裕福で見識があってユーモアのセンスがあり、尚且つわがままな自分を遊ばせてくれる包容力のある大人の男が恋人にふさわしいという、いかにもわがままなお嬢様らしい考えを持っていた。
以前付き合った恋人は年上で、それでも頼り無く思えた彼女にとっては、ど田舎出身で3つも年下のケンは恋愛対象になり得なかったのだ。
そもそもの出会いからして、女神の加護の研究の協力者程度にしか考えていなかった。
その時の話し合いは決裂したが、思考が読めないのが気に入ったし、ちょっと面白そうだったので無理矢理友人という名目で下僕にした。
その時は、(友達もいない劣等生が優秀な私に付き合えるんだから感謝しなさい)なんて偉そうな事を考えていた。
だがすぐに(この子、けっこう優秀だわ)と考え直した。
特にサマンサ町の出来事があってからは、(彼は私より上かもしれない)と、認めたくない事実を突き付けられた。
つまり、一方的に利用しているつもりが、一方的に頼っているんじゃないかという事に気付いたのだ。
これは、プライドの高い彼女にとっては屈辱的だった。
特に、過激派の襲撃から守ってもらい、命を助けてもらったのは痛恨の一撃で、悔やんでも悔やみきれない。
その後、専門院での研究がすごく忙しくなったので、都合よくそれに没頭した。
それでも、たまに彼に音話をかけて溜まったストレスを発散していたのだから、自分で自分が解らずに呆れてしまう。
こんなずるい女に見えるリエリスだが、彼女にだって言い分はある。
自分は包み隠さず全て話しているのに、彼は明らかに隠し事をしている。
もう長い付き合いになるのに秘密を打ち明けてくれないのは、自分を信用してくれていないという事だ。
それならば、この程度の意趣返しをしても構わないと考えていた。
しかし、その何とも不思議な関係に変化が訪れた。
何の因果か、大切な幼馴染である義理のいとこのサーラが、彼の臨時のパートナーになってしまったからだ。
そうなった理由も理屈では解っていたが、はっきり言って不快だった。
自分は、彼が生徒会を辞めた事も知らなかったのに、その事実をサーラから聞かせれて知ってしまった事も腹が立つ。
尚且つ、彼女から2人は仲が悪いなんて言われて頭に血が上ってしまった。
そんなプライベートな事を知り合って間もないサーラには話しているのに、自分には何も伝えないなんて、それほど自分が信用できないなら、この場で面と向かってはっきり言えばいいのだ。
そして、そんなみじめな事を考えている自分が嫌で仕方無かった。
「…最低ね」
リエリスがポツリとつぶやいたのは、誰の何に対しての言葉だったのだろうか?
だが、彼女の前にはたった1人しかいないのだ。
ケンの表情が、悲しげにひきつる。
それを見て、(しまった!)と思ったリエリスだが、言い訳は口から出てこなかった。
2人の間に沈黙が流れて、気まずい雰囲気が居間全体を覆う。
「リエリス姉さま、それはいくらなんでも酷過ぎる。ケンに謝ってください!」
沈黙を破ったのは、少し離れて会話を聞いていたサーラの言葉だった。
リエリスは少し救われた気がして、自分を責めるいとこの方に顔を向ける。
「…あなたには関係ないでしょ?」
「関係あります! 全部私が仕組んだんだ。ケンは悪くない!」
「だからといって、あなたに私と彼の関係までとやかく言われる筋合いなんて無いわ」
「何でですか? …リエリス姉さまはどうかしています。いきなりケンカ腰じゃ、話し合いにならない」
「…余計なお世話よ。そんなに彼が大切なら慰めてあげたら?」
「なっ、何を言ってるんです! 今日のリエリス姉さまはおかし過ぎます」
「サーラ、おかしいのはあなたよ。私がマッケンジー君とここで会って、何を話せっていうのよ? そもそも、そんなお節介をされて私が喜ぶとでも思ったの?」
「…それは、でも、……まさかリエリス姉さまが、これほどケンを嫌ってるなんて思わなかったから」
それを聞いたリエリスは、一気にヒートアップした。
その言葉は許せない。
一度だって、自分はケンの事を嫌いだなんて言っていないのだから。
「勝手な事言ってるんじゃないわよ! あなたが、こんな馬鹿だとは思わなかったわ! そんなにケンとのプレイが良かったの? ちょっとプレゼントをもらったらコロッといっちゃって、みっともないったらありゃしないわ! たかが臨時のパートナーに夢中になるなんて、本当に色ボケはタチが悪いわね! そんなにケンが大切なら、いっそ得意の『拘束』ギフトで縛りつけておけば?」
それを聞いたサーラの全身が震えて、顔色が真っ青になる。
完全に目が座って、全身から怒りの思考が噴き出しているようだ。
「…リエリス姉さま、いいや、リエリス=キュンメ! 今の言葉は取り消せ! 私の誇りを傷つけるな!」
リエリスも一歩も引かずににらみ返す。
「…面白いじゃない。取り消さなければ、どうするっていうの?」
「…是非も無い。表に出ろ!」
その時、ケンが2人の間に割って入る。
次の瞬間、水道の蛇口から噴き出した水が、大きな水球になって2人の頭の上から一気に降りかかる。
「冷たい!」
「うわ! 服が濡れて…ない?」
彼女達が軽く悲鳴を上げているのとは対照的に、ケンは冷静に、落ち着いた声で話し出す。
「当然です。僕のギフトで完全に意志付けした水ですから、濡れる訳がありません」
「どういうつもり!」
「そうだぞ、ケン。突然、何をするんだ!」
「まだ、頭が冷えて無いんですか? 今度は全身で水を浴びてもらいますよ」
さすがにそれは嫌だったのだろう、2人とも黙り込む。
ケンは大きな溜息をつくと、「とりあえず座りましょう。…話し合って、それでもどうしてもケンカがしたいのなら、僕が立ち合いますから」と、2人にソファーを指さした。
ケンはわざとサーラとリエリスを横並びに座らせて、自分は向かい側の席に着く。
「まずは、お2人に正式に謝罪させてください。リエリス=キュンメさん、こんな騙すような形になってしまい、気分を悪くさせてしまってごめんなさい。サーラ=キュンメさん、リエリスさんとの事を詳しく話していなかったのは、完全に僕の落ち度です。心配をかけてしまってすいません」
ケンは胸に両手を当てて、最大限の謝意を示す。
これには両名とも呆気に取られたようだが、すぐに回復したサーラが首を横に振って話す。
「いいえ、ケンは悪くないわ。元々は、私があなたに黙って仕組んだ事だもの」
ケンはにっこりと笑って、「よかった、サーラさんは、今でも悪かったと思っているんですね。それでしたら、僕よりもリエリスさんに正式に謝罪して下さい」
彼女は一瞬顔をひきつらせたが、ケンの真剣な顔を見て少し落ち込んでしまった。
「…でも」
「言いたい事は解りますけど、順番ですよ」
サーラはコックリと頷くと、横に座るリエリスの方に体を向け、「リエリス姉さま、ごめんなさい」と、両手を胸に当てて謝る。
それを見たリエリスは、ジロリと彼をにらむ。
「わかったわよ! 相変わらず腹の立つ男ね」
吐き捨てるように言ってから、サーラの方に向き直る。
「サーラ、本当にごめんなさい。さっきの言葉は撤回します。あなたが心配してくれていたのを知っていたのに酷い事を言ったわ。心から謝罪します」
「…いいえ、撤回して下さるならいいんです」
サーラは、少し赤くなってうつむく。
それを確認したケンは、今度は不機嫌そうな声で2人に向かって文句を言う。
「それにしても、お2人がここまで馬鹿だとは思いませんでした。サーラさんは、リエリスさんが心にも無い事を言っているのが解ったでしょ? あんなのタチの悪い冗談に決まっているんですから、放っとけばいいんですよ。
それに、リエリスさんは問題外です。今日一番馬鹿だったのは間違い無くあなたです。何が気に入らなかったのか知りませんけど、サーラさんに八つ当たりしているようにしか見えません。僕が嫌いだったら、目の前に居るんだから、はっきり言えばいいんです」
ケンの叱責を聞いたサーラはシュンとなるが、当然リエリスは黙っていない。
彼をキッとにらむと、反撃を開始する。
「じゃあ言わせてもらいます。だいたいあなたは生意気なのよ。何を私の事を解った気になってるの? ここしばらくは忙して会えなかったら、私に嫌われているですって? ふざけるんじゃないわよ! 私が忙しかった事情はサーラなら知っているわ。あなたは何も聞かなかったくせに、勝手に決め付けているだけ。それとも何? いちいち私から事情を説明しなければ、心配して夜も眠れないのかしら? 大した御身分ね」
それを聞いたケンは、驚いて思わずサーラの方を見る。
彼女は頷いて、「リエリス姉さまは、本当に忙しくて時間が取れなかったんです。ようやく時間が出来て、私も最近会えるようになったばかりなんです」と答える。
ケンがあからさまにホッとした表情を浮かべるのを見た彼女は、ニヤリと笑って更に文句を言う。
「でも、あなたを嫌いなのは本当だけどね」
ケンは、思わずずっこけそうになるのを耐える。
(この女、絶対、分かってやってるな。なんで僕は、こんな人を好きになったんだ?)
そんなケンの心を知らずに、サーラは素直な気持ちで質問する。
「どうしてそんな事を言うんですか? リエリス姉さまなら、本当に嫌いな人は相手にもしないでしょ? それに、ケンを馬鹿って言いますけど、ウルルス高専生ってだけでも馬鹿じゃないですよ」
「私の『予測』ギフトで理解出来ないから、少なくても論理的じゃないわよ。だいたい、いきなり女性の顔に水をかけるなんてあり得ないでしょ。普通なら、さっさとここを立ち去るか、とりあえず言葉で仲裁するはずよ。しかも、その後いきなり私達に謝って、次に説教をするなんて意味不明すぎるわ。結論は、やっぱり馬鹿よ」
「…なるほど、ケンは、愉快な馬鹿なんですね」
「そうよ、突拍子も無い馬鹿なのよ」
酷い言われ様だが、ケンに自覚があるので反論できない。
一応、彼なりの計算があってした事だが、論理的でないと言われるとその通りだし、馬鹿だと言われるのにも慣れているから異論は無い。
彼が困ったような表情で黙っているのを気にもせず、サーラとリエリスは話を続けている。
「つまり、リエリス姉さまは馬鹿は嫌いなんですね」
「あら、そんな事は言って無いわよ。程度にも寄るけど、馬鹿は嫌いじゃないわ」
「よかった、私もそんなに利口じゃないから。…でも、それならどうしてケンを嫌いなんです?」
「サーラ、勘違いしないで。嫌いな所があるだけよ。誰だってそうでしょ?」
「…そうですね。完全に好きはありませんから。それならケンに、悪い部分を直してもらえれば仲良くなれますよね」
「無理だと思うわ。だって、本人に直す気が無いんですもの」
だんだん、雲行きが怪しくなってきた。
今までの経験からして、リエリスは悪だくみしているに違いない。
さっき水をかけた復讐かもしれないし、もっと深刻かもしれないとケンは感じとって撤退準備を始める。
「サーラさんリエリスさん、僕はそろそろ帰ります。お2人とも後はどうぞごゆっくり」
ケンは、ぎこちなく微笑むとソファーから立ち上がる。
その手を身を乗り出してリエリスがつかむ。
「お待ちなさい、ここで逃がすほど私は優しく無いわよ。あなたはさっき、『嫌いだったら目の前に居るんだから、はっきり言え』って自分で言ったのを忘れたのかしら?」
「…いいえ、でもせっかくのいとこ同士のお泊り会なんですから、邪魔者は消えた方がいいですよね」
「あら、ケン君はさっきからリエリスって呼んでくれてるじゃないの。私、とっても嬉しいわ。お互い名前を呼び合う仲なんだから、もうちょっと遊んで行きなさい」
実に楽しそうに、ニヤリと笑うリエリス。
本格的にまずいと感じたケンは、完全撤退を決める。
口で勝てないのは理解しているから、リエリスの手を優しく振り払うと無言で反転して玄関に向かう。
「サーラ! やってしまいなさい」
「はい! 姉さま」
息の合った掛け声とともに、ケンの体は『拘束』された。
サーラのギフトを初めてくらったケンは、そのあまりの威力に身動き出来ない。
訳の解らない力で、ケンの体は歩き出した姿勢のまま硬直している。
渾身の力を込めて足を動かそうとするが、少し動かすのがやっとだ。
ケンは、振り返る事も出来ずに文句を言う。
ここまで『拘束』されているのに、口だけは動かせるのが何とも不思議だ。
「ちょっと、サーラさん! やめてください!」
「…ケン、約束は守らないと。…それに、さっきの水は冷たかったわ」
「じたばたしても無駄よ。サーラの『拘束』ギフトは、20m級の魔物だって抑えつけられるのよ。…それにしても、身動き出来るなんて、どんな体力をしているのよ。…こら、大人しくしていないと怪我するわよ。…えい、くすぐっちゃえ」
「リエリスさん、ちょっ、はは、あはは、やめてくれ!」
それからケンは2人に抱え上げられ、魚市場のマグロのようにソファーの上に転ばされた。
女性2人はすっかり盛り上がって、奥の部屋からお酒を持ってきてグラスにつぎ出した。
「私達の友情に乾杯」
「…あの、さすがに可哀そうなんですけど」
「いいのよ、ケン君は酷い男なんだから」
ケンはリエリスの方をにらみながら、「絶対リエリスさんの方が酷いぞ」
その精一杯の皮肉を聞いたリエリスは、素晴らしい笑顔を彼に向ける。
「あら、またくすぐって欲しいの?」
「…ごめんなさい、もう言いません」
「…仕方ないわね、逃げ出さないと誓約するんなら、サーラに『拘束』ギフトを解いてもらうわ」
「…そろそろ帰りたいんですけど」
「何言ってるの、明日は休みでしょ。今日はとことん付き合ってもらいます」
「賛成です。2人より3人で飲んだ方が楽しいです」
まさかサーラまでそんな事を言いだすと思わなかったので、ケンは思いっきり焦る。
「サーラさん、僕は未成年ですよ」
「キュンメ家では、10歳以上の飲酒は認められているの」
「そんなローカルルール反対。法律は守りましょう」
「お酒なんて水と変わらないわよ」
「酒の匂いをさせて帰ったら、ヨシト先生に怒られますよ」
さすがにそれはまずいと思ったサーラがどうするべきか考えていると、リエリスは鋭い突っ込みを入れる。
「ごちゃごちゃ言わない! あなた3歳の時に故郷の村で酒盛りをして怒られたって、前に私に話してたのを忘れたの? それに、どうせあなたなら体内浄化魔術でアルコールを抜けるはずよ。下手な言い訳はしないように」
「…それはすごいな。ケンは3歳の時は不良だったんだ。でもリエリス姉さま、体内浄化魔術はかなり難しい魔術ですよ」
「私にでも出来るんだから、この男なら出来るはずよ」
「…ウルルス高専生ってすごいんですね。こうなったら無理矢理飲ませましょう」
「本当に許して! …わかりました、誓約します。飲み会にでも何でも付き合いますから」
さすがにケンは観念する。
結局どうやっても自分の意見が通らないなら、今日は2人にとことん付き合って、思いっきり楽しんでやろうと開き直るしかないだろう。
それに、どうせ酒が入ったら状況はもっと悪化するにきまっているのだ。
『拘束』ギフトで縛られたままでは、何をされるか分かったもんじゃない。
その後、ようやく体の自由を取り戻したケンは、体中の関節を回しながら不機嫌に言う。
「…今からヨシト先生に音話をかけて来ます。それと、酒のアテを作りますからキッチンを借ります。いいですよねサーラさん」
「ケンは気が利くわね。大した食材は無いけど、好きに使っていいわよ」
「はいはい、勝手にやらさせてもらいます」
ケンは、音話が置いてある奥の部屋に向かう。
扉が閉まるのを確認したサーラは、リエリスに小声で話しかける。
「…リエリス姉さま、ケンが嫌いだなんて嘘ですよね。だってすごく楽しそうですもの」
「当り前でしょ。…彼は命の恩人なの。いくら私が軍人じゃ無くても、そんな人を嫌う程、私は恩知らずじゃないつもりよ」
サーラは思わず息を飲む。
軍人の家系であるキュンメ家にとって、命の恩人は特別な存在だ。
「それって…、一体何があったんですか?」
「…今夜は時間がたっぷりあるから話してあげる。でも、キュンメ家の家訓の事は言わないで。さすがにそこまでの覚悟はもてないもの」
「…わかりました、でもちょっと聞くのが怖いかも」
「厳密に言えば、命の恩人じゃないわ。だから、サーラは私に気を使う必要は無いわよ」
『命の恩は、命で返せ』
これはキュンメ家の絶対の家訓だが、あくまでも戦場での話である。
しかも、心意気を示したものだから、実際に命を投げ出す必要は無い。
まして、頭脳職を希望しているリエリスなら、無視したって問題ないはずだ。
でも、彼女は本家直系のお嬢様で、責任感もプライドも高い。
そのリエリスが、ケンの事を命の恩人だと言った意味は大きいとサーラは考えていた。




