第72話 モテる男とモテない男
学生プレイクラブの1階にある総合案内所から出て、ロビーに向かう廊下の途中で、ハイドはケンを背後から呼びとめる。
「ケン、ちょっと待て。俺に提案がある。しばらく手前の青いソファーに座って、まずは様子を見てみよう。どういう流れなのかを知る必要がある」
振り返ったケンは、腕を組んでしばらく考えて、珍しく消極的な意見を言う友人に反論する。
「……そんな事しなくても、初めてですって言って、相手に聞けばいいんじゃないの?」
「初心者だと正直に話すのはいいとしても、最低限のマナーは知っておくべきだろう?」
「待ち合わせロビーに男2人が並んで座って、奥を観察する方がマナー違反だと思うぞ」
「別におかしくは無い。そのまま、手と手を繋いで事務室に行かなければな」
「…嫌な事言うなよ」
「…確かに失言だった」
2人は歩き始めると、玄関ホールの奥を抜けてロビーに到着する。
総合案内所の女性事務員の説明通り、手前には合計20人くらいが座れる平椅子の青いソファーが並んでいる。
低い衝立を挟んで、ロビー奥の広いスペースには、赤色の応接セットがたくさん並んでいる。
拡声魔道具から静かな音楽が流れていて、合計100人以上は楽に座れる数のソファーとバーカウンターがあり、そこでは既に50人近くの会員達が楽しげに会話を交わしていて、ガラステーブルの上にはドリンクバーから取ってきたジュース類が置いてある。
もしも激しい音楽が流れていて、スポットライトやミラーボールが辺りを照らしていれば、日本のクラブの様な感じの空間だ。
「なあハイド、観察するにしても、座っていたら衝立が邪魔して見えないぞ」
「…いいから座れ。物音や話し声だけでも、ある程度は状況が分かる」
ケンは別に急いでもいなかったので、ハイドの指示に従う事にして、衝立の近くの青いソファーに腰を下ろす。
ハイドは少し間を置き、ケンとは距離を取って衝立の近くの席に座る。
他にする事も無い2人は、自然と聞き耳を立てるようになり、会員達の様子を探る。
聞こえてくるのは、彼らと同年代の人間族の若者達が交わす、積極的な会話だった。
『ねえねえ、私達2時間だけしか空いて無いんだけどさ、それでいいかな?』
『僕はいいけど、カシオスはダメだよ。明後日なら2人とも大丈夫だよ』
『え~! そんなに待てないわよ。じゃあカシオス君、1時間だけでどう?』
『ボクはパス! 今日は付き合いだけで、元々予約するだけのつもりだったんだ』
『…ねえ、カシオス君。そろそろ正式なパートナーにならない?』
『ごめんね、ミレイさん。もうちょっと、いろんな人達と経験したいんだ』
『ねえ、ミレイさん。僕なら大丈夫だってば』
『その気は無いわ。じゃあね、バイバイ』
(うぉ! あっさりふられた。ミレイさん容赦ないな。カシオス君にふられて気が立ってたのかな? 名前も知らない彼、へこたれるなよ!)
そんな事を思っているケンも他人事では無い。
彼はウルルス高専生だと名乗るつもりは無いので、所属不明の新人扱いになってしまうからだ。
その後もしばらくの間、ケンとハイドはロビー奥の会員達の会話を聞いていたが、その間にも新しい会員達が次々とロビーに入って来て、そろそろ赤いソファー席は一杯になりそうな勢いだった。
すると、何人かのカップルがケン達の横を通り抜けて、事務室の方へ歩いて行く。
手を繋いではいないが、個室の鍵を借りに行く事は間違いないだろう。
そろそろ頃合いだと思った2人は、無言のまま近付いて横に並んで座り、小声で相談し始める。
「なあ、ハイド。何だか女の子の数が多いよな。多分7割近くがそうだし、パッと見だけど紹介ファイルで見た顔も多い気がする」
「…この近くに、保育科のある高校と美術系の専門学校があるからだな。この2校は、生徒の大半が女性だ。今は丁度、彼女達が集う時間らしい」
言われてみれば、新規の入場者は女性グループが多かった。
ハイドの『分析』ギフトに頼るまでも無く、奥のロビーにいる70人近くの女性の大部分は高校生や専門学校生なのだろう。
「…困ったな、出来れば年上が良かったんだけど。こっちは初心者だから色々教えてもらわなきゃいけないし…」
「何言ってる。彼女達は、俺達よりかなりレベルが高いはずだ。特に専門学校生は、神託後1年以内に魔力体が安定している場合が多い。同い年なら2年以上の経験があると考えるべきだろう。教えを請うのは賛成だが、年齢は考える必要は無い」
ケンの心配は当然だし、ハイドの指摘も正しい。
いくら頭がいいとはいえ、彼らは性教育を受けているだけのチェリーボーイ達だ。
無理にカッコつけても、プレイ初心者だから恥をかくだけだろう。
「…そうだよな、うっかりしてた。ところで、ハイドも学校名や最大魔力値は知らせないつもりなのか?」
「当然だな、せっかくのチャンスなんだから、名前と年以外は一切知らせるつもりはない」
そんな事をして意味があるのかどうかは解らないが、好奇心の強いケンとプライドが高くて面白いもの好きなハイドは、少し笑って頷き合う。
「それなら、例の紹介ファイルに載ってなかった人限定にしようよ。だいたい覚えてるだろ?」
「それも当然だな、もし気に入った人がいれば、後で事務室に行って斡旋してもらえば済む話だからな」
まるで戦いの条件を決めるかのようにして、2人の会話は進んで行く。
ケンもハイドも気分が盛り上がってきたようで、例えるなら獲物を狩りに行くハンターの様な心境になっている。
この場合の勝利条件は、早い者勝ちではなく自分自身との勝負だと言えるだろう。
要は、いかに満足が出来るお相手を見つけられるかどうが重要なのだ。
「…じゃあ、そろそろ行くか。ハイドはどうする? 単独で行くか、2人で共同戦線を張るか?」
「…単独で行こう。駄目なら協力すればいい」
「…僕だけ一人取り残されるような気がする」
「その逆もある。ともかく、お互い変な気遣いは無しだ。駄目でも明日は何とかなる。その場合は、あきらめて次の日に備えればいいだけだ」
2人は真剣な表情で頷き合うと、座ったまま少し距離を空けて、まずはハイドが奥のロビーに向かう為に立ちあがる。
友人だとばれないように、ケンはハイドが行った30秒ほど後に、低い衝立の脇を抜け、奥のロビーに入って行く。
そこは、穏やかな会話が飛び交う激戦地だった。
(やっぱり、前世の記憶にある六本木のクラブみたいだよな。ライティングやVIPルームが無いけど、狭いなりにダンススペースやセルフサービスのバーカウンターとかもあるしな。
…公共施設なのに、ちょっといかがわしい雰囲気がする。拡声魔道具から流れている音楽は静かな物だし、未成年だからお酒じゃ無くてジュースだし、誰も踊っていないのに何でだ?)
それは、この場所が欲望が渦巻く空間だからだろう。
人間族はTPOをはっきりとわきまえるが、逆に言えば許された時間や場所での行いは、地球人と大差はない。
ここに集まっている人達は、発情して好みの相手を奪い合っているので、間違いなくこの場所は戦場なのだ。
ケンは辺りをざっと見回す。
女性は5人程度のグループで固まっていて、2,3人のグループは少ない。
一方、男性は25名ほどいるが、結構バラバラに座っていて、女性たちに取り囲まれる形になっている。
全体の内の12名がカウンターに座っていて、どうやらこの人達は交渉成立間近の様だ。
つまり、ソファー席で相手を見つくろって、お互い気が合えばカウンター席に移って話し合い、合意すれば事務室に鍵を取りに行く流れになっているのだろう。
事前の情報収集の甲斐もあって、大よその仕組みを理解したケンは、気を引き締めてソファー席に近付いて行くが、そこで迷ってしまう。
楽しそうに話している中に割り込むのは、初心者としては問題があるかもしれないと思ったからだ。
パートナー選びは初めてとはいえ、今までの経験からいって積極的に行く方がいいはずだが、女性ばかりの独特の場の雰囲気に呑まれたのかもしれない。
ケンは横目でチラリと、誰も踊っていないダンススペースを見る。
今は丁度すぐ横にいるので、(踊って注目を集めるか?)とも思ったが、とりあえず自重する。
自分の踊りが流れている音楽と場の雰囲気に合っていない感じがしたし、学校名を明かせない立場では、目立たない方がいいと思ったからだが、もしこの時に得意のダンスを披露していたら、あっさりと相手は見つかっただろう。
ケンは初心者だから知るはずもないが、人間族の女性はプレイの相手には、体力がある男を好む傾向がある。
その為のダンススペースなので、ケンの発想は正しかったし、遠慮する必要は無かったといえる。
誰も踊っていなかったのは、この場に集まっている男達の中にダンスが得意な人がいなかっただけで、男女がペアで踊ったり、男が自己アピールの為に踊るのはよくある事なのだ。
どうやらケンは、この3年間のウルルス高専の生活で、すっかり自重する癖がついてしまっているようだ。
仕方なく彼は、奥の隅のソファー席に1人で座っている女性に近付いて声をかける。
群から外れた獲物を狙うのは、ハンターとしては常識だろう。
その彼女は、顔は十人並で、膝上のタイトスカートを履いていて、体の線がはっきりと出る服を着たスタイルの良い女性だ。
文庫本を読んでいて周りと会話をしておらず、落ち着いた感じのする雰囲気を見ると、彼より年上かもしれない。
「こんにちは、ちょっと話していいかな?」
「…ええ、どうぞ。…座って」
彼女は本から目を離し、ガラステーブルの上に置くと、手振りで席に座るように勧めた。
ケンが彼女の横に腰をかけると、一瞬周りの人達からの注目が集まった感じがした。
不思議には思ったが、気にしないで話し始める。
「僕、ケンって言います。素敵な服ですね。とても似合ってますよ」
「…ありがとう、私、ロベルタっていうのよ。よろしくね」
2人は握手を交わす。
ケンは確かな手ごたえを感じたので、思い切って本題を切りだす。
ここに集まっている人達の目的は一つだから、とりあえず押してみる事にしたこの判断は正しい。
「僕、初めてここを利用するんですけど、もしよかったらお相手してくれませんか? 今日この後、2時間は大丈夫なんですけど」
「…そう、残念ね。私の事を知ってって声をかけてくれた訳じゃないのね?」
「どういう事ですか?」
彼女は悲しそうな顔をして、「私、普通のプレイには興味がないの」
ケンは驚きつつも、「普通じゃないのって、例えばどんな物なんですか?」
少し脈ありだと思った彼女は表情を緩めて、彼の目を見つめながら話す。
「ケン君は、縛りプレイに興味がある?」
「…すいません、意味が分かりません」
「お互いが魔力体を拘束しながらするプレイなの。相性が合えば強い快感を得られるわ」
「…すいません、いきなりそんな上級者のプレイは無理です」
「…そうよね。興味があったらまた声をかけてね。あなたなら大歓迎よ」
「考えておきます。それじゃあまた今度」
「楽しみにしているわ」
期待されても困るが、好奇心が強いケンはちょっとは興味があったのでそう答えた。
プレイに慣れてくれば、一度くらいは経験してみてもいいかもしれない。
ケンは次の相手を探す為に、席を立ちあがって彼女のそばから離れる。
その様子を見ていた何人かの女性が、クスクスと忍び笑いを漏らしている。
男達は、同情した表情を浮かべているようだ。
(何だか感じが悪いな。人の性癖を笑うなんて良くないぞ。…もしかしたら、彼女の事を知らないで声をかけた僕を笑ってるかもしれないな。まあ、それならしょうがないか)
ケンは気持ちを切り替えて、今度は女性3人のグループに声をかける。
「ちょっといいですか? 話がしたいんですけど」
彼女達は、ケンの姿を上から下までジロジロと眺める。
「いいわよ、座って」
恐らくリーダー格の女性がそう言ってくれたので、ケンは彼女達の間に割り込む形で腰をかける。
「いきなりごめんね。ケン=マッケンジーっていうんだ。今日ここに入会したばかりで、勝手が分からなくて困ってたんだ」
「そうみたいね、一番奥の角のエリアは、変わったプレイを希望する人が座わる場所よ。今度からは気をつけた方がいいわ」
彼女がそう言うと、残り2人がたまらず吹き出す。
(…やっぱり僕が笑われていたのか。でも何か感じが悪いな。からかわれているというより、明らかに馬鹿にされている感じがする。でも、後の2人はともかく、この人からはあまりそんな感じを受けない。というより、相手にされていない感じがする)
ケンはウルルス高専の3年間で、自分に対する悪感情に対しては経験豊富だ。
無関心、軽蔑、嫌悪、伝統を守らない人に対する怒り、病気に対する偏見、生徒会入会への嫉妬、からかいや侮蔑など、何でもありだった。
その彼から見るに、目の前の彼女は、軽蔑3割、無関心半分、残りはもの珍しさだろう。
可能性は低そうだが、あきらめずに更に話してみる。
「教えてくれてありがとう。それと、君の名前を教えてもらえると嬉しいんだけど」
「マリアンヌよ、ベリエ高の3年。あなたは?」
「ベリエ高って有名な進学校だったよね? 3人ともそうなの?」
「ええ、そうよ。…まだ質問に答えてもらってないわよ」
誤魔化すのに失敗したケンは、内心で苦笑する。
こんな安っぽい手は、賢い女性には通用しないみたいだ。
「学校は言いたくないんだ。でも年は13だから、マリアンヌさんと同じくらいだと思う」
「…どの学校かを言えないの? 不誠実じゃないかしら?」
「そう言われると困っちゃうけど、出来れば僕自身を見てくれると嬉しいかなって思っているんだ」
「そういうのは、鏡を見てから言った方がいいわよ。学校の友人からそう言われた事は無いのかしら?」
彼女のケンに対する感情が明らかに変わる。
今は軽蔑100%に間違いないだろう。
ある程度予想していたので、ケンは仕方ないと思いつつも、もう少しだけ頑張ってみる。
「そこまではっきり言われた事は無いけど、鏡は見てるよ。気分を悪くさせたのなら謝るけど、せっかくの機会だしもうちょっと話さない?」
「冗談はその恰好だけで十分よ。あなたのレベルと合う人に相手してもらいなさい」
残りの2人も、ケンを冷めた目でにらんでいる。
こうなってはどうしようもないので、すごすごと退散する。
(やっぱり、初対面の人相手に学校名さえ言えないのは不利だよな。ハイドも苦労してるだろうな)
ケンは友人の姿を探そうとして、辺りを何げなく見渡す。
(あそこにいるな。…おいおい、周りを女の子達に取り囲まれているじゃないか! まさか、ウルルス高専生だってしゃべったのか?
…いや、ハイドの性格からいってそれはあり得ない。そもそもハイドはモテるし、あれが実力なんだ。これは、僕もうかうかしていられないぞ)
少し焦ったケンは、片っ端から声をかけていく作戦に切り替える。
下手な狙撃魔術は、行使回数を増やすしかない。
密かに気合を入れ直して、ケンは女性達の群れへ突撃を開始する。
30分後、ケンは戦い敗れて1人でロビーの奥のソファーに腰掛けていた。
もうハイドは、パートナーを決めてこの場を後にしている。
ケンは、もう周りを見る事さえ出来ずに、がっくりとうなだれている。
(…甘かった。友達を作る感覚で行けば大丈夫だと思っていた。
…知らなかった。僕って全然モテなかったんだ。
紹介ファイルに載っていなかった45人に声をかけて、まさか全員に断られるなんて普通は無いよな? だって、女性の方が圧倒的に多いんだぞ。
…いっそ、ロベルタさんと拘束プレイをやってみようか?
いや、いくらなんでも失礼すぎるだろ。
…もうあきらめて帰ろうかな?)
こうなったのには、当然理由がある。
それは、ケンがロベルタに声をかけた時に、彼女と穏やかに会話する様子を見て、女性達に警戒心を抱かせた事が原因である。
事情を知らない初心者なら、あわてて逃げるように立ち去るか、気分を悪くするのが普通だからだ。
その後、その事実を確かめようとして、他の女性メンバーはロベルタをからかうような話をあえてケンにしていた。
同じように返せばよかったのだが、彼が決して彼女の悪口を言わなかったので、ちょっと特殊な性癖を持つ人物だと勘違いされたのだ。
更に、学校名や最大魔力値を言わない事が、その疑いに拍車をかけた。
普通そんな事をする必要はないし、ケンの身なりから推測するに、裕福な家庭の子供には見えなかったから貧乏人の問題児と思われたのだ。
ケンの服装は、着古した安物の既製品の上下とよくあるスニーカー、装飾品は見た目は安っぽい『水のお守り』のネックレスだけなので、ファッションに厳しい彼女達から見れば、ダサい男に見えた事もある。
つまり、どこかの底辺校で問題を起こしてパートナーを選べなくなったダサい男が、13歳になって初めて会員登録したと誤解された訳である。
彼女達の中には『治癒』系ギフト持ちも多くいて、普通ならケンの持つ優れた魔力量を何となく感じ取れるはずだが、彼の体の中には最大魔力値を低く見せる魔道具が埋め込まれている。
ヨシト=ウッドヤットの造ったその魔道具は、彼女達のギフトの派生能力まで抑える性能を持っているので、ケンは一般人にしか見えなかったのだ。
それに、ハイドの存在もケンにはマイナスに働いた。
目ざとい女性は、2人がここに来る前に手前のロビーで話をする姿を見ている。
明らかに高級品の服を着て、お坊ちゃま風の仕草や受け答え、人の上に立つ雰囲気や体からあふれ出す魔力、しかも独特の人を引き付ける魅力まで持っているハイドは、ケンと友人だとは普通は思われない。
つまり、赤の他人の問題児が、お坊ちゃんにアドバイスを受けて、愚かにも優れた男の真似をして、素性を明かさないでいると勘違いされたのだ。
ここは女達のプライドがぶつかる場所で、女と女の戦場でもある。
お互いの会話は仲間同士で情報共有されいる上、並列思考を使って他人の情報には常に聞き耳を立てている。
悪い噂もいい噂も、あっという間に伝わってしまう空間なのだ。
そんな場所で、素性を明かさない悪い噂がある男を堂々とパートナーに選ぶなんて、友人達から馬鹿にされかねない。
実は、ケンと話をしていて楽しいと思う女性は結構いたのだが、そんなリスクを背負ってまで彼とプレイを希望する女勇者は1人もいなかった。
次の日に、ロビーにケンとハイドのプロフィールが貼り出されて、そんな子たちは残念がるのだが、それはまた別の話。
ともかく、今のケンが孤立している事だけは間違いようのない事実だった。
彼に声をかけてくる女性は1人もいないし、噂話は広がっているので今後も見込めないだろう。
もちろん、その話はケンの耳にもちらほらと聞こえてくる。
変人の節操なしだとか、あの子だけはやめておけとか酷い言われ様だ。
(…やっぱり帰ろう。僕なんてウルルス高専生じゃ無ければ、誰からも相手されないんだ。
性癖はともかく、変人と言われても否定できない部分もあるし、いまさら否定しても見苦しいだけだな。
…帰って修業しよう。…そうだよ、モテない男は鍛えるしかないよな?
こうなったら、肩書だけの男で上等だ!
…しまった! 冒険者になったらもうおしまいだ!
プロの女性に相手してもらうしかない。どうしよう? お金が持つかな?)
珍しくネガティブな考えにとらわれていると、そんな彼の目の前に人の立つ気配がする。
思わず顔を上げると、見た事のない女性が彼を見下ろしていた。
印象的な艶やかな黒髪と、アイスブルーの瞳なのに理知的な印象を受けない清楚な感じの人で、薄茶色の上品な半袖のスーツと膝まであるタイトスカートが良く似合っている。
「向こうのロビーで話せないかしら? ここに居たって仕方ないでしょ?」
いきなりそう声を掛けられて、ケンは困惑する。
一体彼女は、自分に何の用があるというのだろうか?
普通に考えれば、体よく追い出されそうになっているとしか思えない。
だが、このクラブの職員というならともかく、彼女からはそんな印象は受けない。
その2人の様子を見て、辺りが一気にざわついている。
周りの反応を見るに、どうやら彼女はかなりの有名人の様だ。
これ以上、悪目立ちしたくなかったケンは、「…いいですよ」とだけ答える。
どうせ帰るつもりだったし、もし彼女に文句を言われたら、大人しく謝って帰ればいいだけだ。
彼女は無表情のまま、それ以上は何も言わず、入り口近くのロビーに向かう。
ケンは憂鬱な気分を抱えながら立ち上がると、少し背の低い彼女の後ろに付いて行った。
ケンの身長が175cmなので、彼女は165cm前後だろうか?
低い衝立の脇を抜け、入り口から一番近い青いソファーに彼女が座ると、彼も向かい側に腰を下ろす。
ケンが無言のまま座っていると、彼女は真面目な表情でケンに話しかけてくる。
「あなたは気付いてなかったかもしれないけど、あのまま奥のロビーに居続けたら、しばらくはパートナー選びなんて出来なくなるわよ。…今日はもう帰ったら?」
予想通りの酷い内容に、ケンは(やっぱりか!)と内心で突っ込んだ。
名前も知らない彼女の親切心が、今は逆に身にしみた。




