第55話 キュンメ先輩の提案
7月末のある日、ケン=マッケンジーはウルルス高専の先輩であるリエリス=キュンメと、小さな喫茶店で待ち合わせをしていた。
ここは、彼が初めてキュンメ先輩の本性を知り、勝手に失恋した例の喫茶店である。
家から歩いて30分はかかる上に、あまり良い思い出も無いので、彼としては落ち合う場所を変えたかったが、キュンメ先輩の家から近いという理由で、ケンの意見は無視されてしまっている。
この事からも解るように、当初2人は主人と下僕の関係だった。
下僕という言葉が悪ければ学校以外での遊び仲間、実際はお嬢様のおもちゃの様な感じだろう。
だが、それはすぐに形を変えて、横暴な先輩と生意気な後輩という感じの関係になった。
しかし、2人が学校で話す事は無いから、ウルルス高専生からは知り合いとも思われていない有様だった。
それでも会うたびに徐々に仲が良くなっては来ていて、ケンが無事3年への進級を決めた時には、彼女はこの喫茶店で、ささやかなお祝いをしてくれた。
そのお返しのつもりで、ケンは彼女が志望校である理化学系専門院に合格した後の休みの日に、一切文句を言わず、受験中に溜まったストレスの発散に一日中付き合っていた。
この時2人は、ちょっと変わった先輩後輩の関係になったのかもしれない。
その後、彼女が7月最初の週に卒業したので、正確には2人の関係はウルルス高専の先輩後輩では無くなった。
もう初めて出会ってから半年が経ったが、2人の関係にそれ以上の進展は無い。
恋人になる様子は全く見えないし、主人と下僕だった彼女と彼がパートナーになる可能性も低いだろう。
こんな奇妙な関係は何故か今も続いていて、月に2、3回程度は2人は会っている。
ただ、今まで一度もケンがキュンメを呼びだした事は無い。
今日の待ち合わせも、昨日の夜に突然ウッドヤット家に音話がかかって来て、『明日の朝10時、いつもの場所で』との内容のメモをヨシトに渡されたからだった。
『ケン、明日は修業は無しだ。卒業後もこうして連絡をくれる友人は大切にしないとな』
色々と勘違いして、感激している様子のヨシトを見ると、返す言葉も無い。
本当は、ヨシトとの修業があるからケンは断りの音話を掛けたかったが、師匠であるヨシトに修業無しと言われれば反対出来なかった。
いつもこんな感じで一方的に呼び出される場合が多いが、ここまで強引な事は無いから、何か重要な話があるに違いない。
彼としては、自分の能力を知られたくないから、心にわだかまる複雑な気持ちは別として、なるべく会わない方がいいとは思っている。
今回の呼び出しは、いかにも不自然だったからヨシトに相談すると、
『もう強化は終わっているから、例えキュンメさんにばれても大丈夫だ。体内にある魔道具さえ取り出せば証拠は無いはずだから、知らばっくれればいい。それでも問題になったら、俺が医師免許を返上すれば問題無いはずだ。一級回復師の免許があれば、俺は別に不都合は無いよ』
とあっさり言われた。
さすがにそれには賛成できないが、彼女がウルルス高専を卒業した今なら、学校での問題にはならないだろう。
キュンメ先輩が親や親戚に報告すれば別だが、彼女はあくどい人では無い。
本当にケンが困る事はしないだろう。…多分だが。
そんなキュンメも、ケンに対しては明け透けで横柄でちゃらんぽらんだ。
今も、待ち合わせに20分は遅刻している。
そろそろ帰ろうかと真剣に考え始めた時、彼女が喫茶店の入り口のドアを開けて現れた。
相変わらず麗しいお姿で、少し長めのスカートがいかにもお嬢様風で似合っている。
「ケン君、待たせたわね」
そう言って悪びれもせずに優雅に向かいの席に座る。
もちろんケンの機嫌はよくない。
「キュンメさん、時間にルーズなのはどうにかならないんですか?」
「あら、女性を待つのは楽しいでしょ? それに、卒業したからといっても、今まで通り『キュンメ先輩』って呼んでもいいわよ。可愛らしいから私が許すわ」
「謹んでお断りします。それと、これ以上遅れたら、もう待ちませんからね」
「ケン君、懐の狭い男は女性にもてないわよ。…あら、まだ何も注文してないの? 遠慮せずに頼めばいいのに」
テーブルの上には、飲み物が何も置かれていない。
この喫茶店では、水だって有料なのだ。
ケンは待ち合わせの10分前に来たから、もう30分は待っている計算だ。
その間は、頭の中に詰め込まれた知識を整理していたから、時間は無駄にはしていないが。
「キュンメさん。この喫茶店はコーヒーが一杯800ギルもするんですよ。それだけあれば3食は作れます。せめて待ち合わせ場所を変えませんか?」
「却下。それより1食266ギルって、どんな食生活なのよ?」
「もちろん自炊です。今は下宿先だから違いますけど、ぜいたくは敵です。作ろうと思えば、その半分でだって作れますよ」
「…お金持ちに生まれてよかったわ。お父様やお母様に感謝しなきゃね」
そう言って彼女は、いつものように注文用紙に2人分の注文を書くと、操作魔術を行使してカウンター奥の店主に届ける。
今日は、オレンジジュースを頼んだようで、程なくしてテーブルにトレイごと届けられる。地球人から見ると空飛ぶトレイとは、何とも不思議で、ある意味不気味だ。
オレンジジュースを彼女から受け取ったケンは、呼び出された理由を彼女に質問する。
「それで、一体何の用ですか?」
「せっかちは嫌われるわよ。せめて、もう少し雰囲気を楽しみましょう」
「キュンメさんはそうでしょうけど、僕は十分堪能しました。とっとと用事を終わらせて、3年の勉強の予習をしておかないといけないから早く帰りたいです」
「それは、私も賛成よ。残念だけど今日はゆっくり出来ないの」
それは意外だった。
今日はてっきり何かの悪だくみか、ストレスの発散に付き合う破目になると思っていたからだ。
だが、考えてみれば彼女は成人した一人前の女性である。
学校も違うのだから、これから会う機会は少なくなるだろう。
もしかしたら彼女が呼びだしたのは、今日限りでこの奇妙な関係を解消するためかもしれない。
それは、かなり寂しいとケンは思った。
「お互い忙しいのは分かりました。だったら、もう会うのはやめませんか?」
ケンは、心とは反対の事を言う。
一見論理的な判断だが、実際は違うので、彼女にはケンの言動は意味不明だ。
「普通はそうよね。でも、そう来るとは思わなかった。相変わらずケン君は面白いわ。だから却下よ」
ケンは内心ホッとしたが、表情には出さない様にする。
彼としても、彼女と遊ぶのは嫌じゃない。
だが、認めたくもない。
「仕方ないですね。じゃあ、今度からは前もって言ってください。昨日みたいなのは困りますから」
「善処するわ」
「…まあいいです。それで、忙しい先輩がわざわざ僕を呼びだしたのは何でです?」
キュンメは、オレンジジュースを一口飲むとテーブルの上に置き、少し悪者顔で提案する。
「あなた、3年になったら生徒会の手伝いをしてみない?」
「はあ? なんですいきなり」
ケンが驚いたのを見て、満足気にうんうんとキュンメは頷く。
(何だ、冗談か)とケンが1人納得していると、彼女は続けてその理由を説明してくる。
「あなたは2年間本当によく頑張ったと思う。
くだらないエリート校の慣習にも負けず、3年に進級を果たしたわ。
そんな人は、私の知る限り過去にはいない。
だから、お姉さんとしては協力してあげたいの」
「意味が分かりません。僕が生徒会に入ったら、どんな得があるんですか?」
彼女は、その質問に的確に答える。
「知られていないけど、生徒会メンバーは成績が1割アップされるの。
しかも、卒業するまでずっとよ。
正式なメンバーは3人だけど、それぞれが1人ずつサブメンバーを選べる。
あなたは、選挙で選ばれる正式メンバーは無理だと思うけど、サブに潜り込ませる事は出来る。
今の生徒会は、全員私の知り合いだし、運の良い事に、来期からサブに欠員が1人出るの。
生徒会に入ればクラブの部長達との接点も増えるし、下級生からも尊敬される。
どう? 良い話だと思わない?」
「お断りします」
全く迷いなく答える馬鹿なケン。
これにはさすがにキュンメも驚いたようだ。
思わず身を乗り出して、オレンジジュースがこぼれそうになる。
「何で? だって、あなたの成績は落第ギリギリでしょ?」
「だってそれって、キュンメさんのごり押しですよね。正式なメンバーから本気で頼まれたら考えますけど、そういうのはもっとやる気のある人がする方がいいと思います」
彼女は目の前の馬鹿がゾンメル教徒だという事を思い出した。
しかもこの男は、意外にプライドも高い。
仕方なく、今度は慎重に話し始める。
「…念のために言っておくけど、別にあなたをひいきしてる訳じゃないのよ。
あなたが適任だと思ったからこの話をしているの。
だいたい、ウルルス高専の生徒会は意外に時間を取られるから、成績が1割アップされてもそれほどメリットは無いわよ。
でも、ケン君は基礎は完璧で、応用は苦手でしょ?
その上、努力家で先生受けもいいし活動的だから、雑用係にはピッタリよ。
しかも、くだらない事情で友達がいないから、生徒会の威光をかさにきて知り合いに便宜を図ったりもしない。
そういう人にはサブメンバーは合ってるの。
悪いこと言わないから、お姉さんの言う通りにしておきなさい」
キュンメ先輩の意見は理にかなっている。
だが、ケンにその気は無い。
生徒会に入ったら、ヨシトとの修業の時間が減ってしまう。
人間関係については確かに残念だが、卒業の目途が立っているのに、あえてキュンメ先輩の提案に乗る必要はない。
だから、ケンの返事は変わらない。
「そうかもしれませんけど、キュンメさんのお世話になる訳にはいきません。
実力優先の学校なんだから、僕が生徒会に入ると嫌がるメンバーがいるかもしれませんしね」
キュンメ先輩の表情が変わる。
たまに見せる、研究者として理知的な目が彼を見透かすように観察する。
彼女の優秀な頭脳がフル回転しているようだ。
「…やっぱり、あなたは何か隠しているみたいね」
「なんですいきなり」
(先輩の考察が始まった)と、ケンは直感して心の中で身構える。
彼女はたまに、スイッチが切り替わったように人格が入れ変わる。
こうなると、彼女は漫画の中の探偵以上の切れ者になる。
「これは、ギフトとは関係ない私の推測だけど、少なくてもあなたは体力をセーブしているわ。
ケン君の体はしなやかで強靭なはず。
動きや所作も軍人に近い。
相当、運動能力が高いはずよ。
そうなると、魔術だって怪しいわね。
何だか、能力値と現実があって無い気がするのよ。
つまり、あなたには秘められた力があって、それを抑えている。
何か事情があって、隠す必要があるのかもしれない。
…まあ、頭は大した事ないから別だけど」
ケンは内心で感心しきりだ。
相当気を遣っていたが、やはり、彼女に隠し通すのは難しいみたいだ。
だがこれは、完全に想定の範囲内だ。
ヨシトと相談して、あらかじめ用意していた答えを慎重に話す。
「褒めてるのか貶してるのかどっちですか。
キュンメさんの言ってる事は、珍しく矛盾してますよ。
頭が良くない人なら、力を隠さないですよね。
そもそも、最大魔力値が上がっていない僕が、何で魔術を抑える必要があるんですか?
それと、動きや体力面は、確か以前に言ったでしょ。
僕は、ど田舎出身で、獣人族の傭兵に囲まれて10歳まで過ごしたんですよ。
少しは彼らに体術や剣術を教わりました。
だから、軍人に動きが似ていて当然です。
最近ずっと体調がいいから、キュンメさんがそう感じるのも仕方ないと思いますけど、大げさですよ」
これは、魔術関係以外は事実である。
ケンは、小さい頃から武術や剣術を人一倍練習していた。
勇者になるのをあきらめた後も、戦闘職関連の教本をたくさん読んでいたので知識だけは一流だ。
しかも、ステラ村の傭兵の人に頼んで、簡単な戦闘訓練も受けていた。
無茶なトレーニングをしなくなった後も、息抜きに簡単な型の練習はしていた。
ネオジャンヌに来てからも、そのトレーニングは続けている。
ヨシト先生は、体術や剣術は素人だから教わっていないが、戦闘の知識だけは増えている。
体力的には驚くほど上がっているので、魔術やギフト無しの接近戦でも並の傭兵には負けないだろう。
もっとも、自己流と型通りの技を組み合わせた動きなので、実戦を経験していない彼は、思わぬ不覚を取る可能性は高いだろうが。
キュンメは、ケンのよどみない答えに苦笑する。
「なんだか用意していたような模範解答ね。
でも、私のギフトが働かないから、あなたの言っている事は論理的じゃないか、前提条件が足りないかのどちらかね。
やっぱりあなたは面白いわ。
…まあいいわ、この話は無かった事にしましょう」
キュンメの様子が通常モードに切り替わると、ケンは心の中だけでホッとした。
好奇心を抑えてまで、彼女はケンの気持ちを優先してくれたのだ。
やはりキュンメ先輩は、ちょっと変わっているけどいい人である。
「キュンメさんの考えはともかく、生徒会に入らなくても僕は大丈夫ですよ。
…でも、ありがとうございます。それと、心配かけてごめんなさい」
彼女は少し微笑む。
凛々しい顔が可憐に変わる。
だが、それは直ぐに厳しいものに変化する。
「…ケン君、3年になってもまだ無視されたら私に報告しなさい。
いくらなんでも、もう許せないわ。
私だってあなたの事情は解らない。
でも、あなたの頑張りは誰だって分かるはずよ。
それは、エリート校の伝統よりよっぽど大切です」
彼女の厳しくも優しい表情を見て、ケンは今後も友人で居続けたいと思った。
恋する気持ちは無くたって、彼女はケンにとっては憧れの先輩なのだから。
だから、感謝の気持ちを込めて返事をする。
「きっと大丈夫です。今よりはずっと良くなりますよ。先輩のようなギフトが無くても、僕だってそれくらい予想出来ますから」
彼女は優しく微笑むと、「ケン君が望むなら、きっとそうなるわ」と言った後は、別れるまでの短い時間を彼との雑談に費やした。
それは、ケンにとって心が躍るほどの楽しい時間だった。
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8月に入り、ケンはウルルス高専の3年生になった。
同期入学生は。もう36名までに減っていた。
したがって、彼のクラス、3年8組の生徒数は9名だ。
その中で、彼は下から2番目の成績だった。
新学期の始業式が講堂で始まる。
相変わらず長い、シライシ校長の演説が始まる。
だが、もう血を噴いて倒れる生徒はいない。
その話題を口に出す生徒も1人もいなかった。
滞りなく始業式が終わり、生徒達はそれぞれの教室に帰って行く。
ケンも3年8組の教室に入る。
教室の中には、すでに4人の生徒がいる。
彼らの顔は、一様に明るい。
今まで彼らの体を苦しめていた能力値強化の授業はもう無い。
これからは、いよいよ魔術系高校らしく、魔術の授業が半分以上になる。
ある意味、今が本当のスタートラインなのかもしれない。
ケンはこれから1年間お世話になるはずの、自分の席に腰を下ろす。
「ケン=マッケンジー君」
ケンはその声に振り返る。
そして立ち上がって、その声の主の前に正対する。
「ハイド=ノワール君、話すのは2年ぶりかな?」
「そうだな…、しぶとく生き残っていた君に敬意を表して、2年前の誓約を果たしたい」
「ああ、すごく楽しみだ」
ケンは、顔をくしゃくしゃにして笑う。
「マッケンジー君、僕の友人になってくれないか?」
ハイドは、右手をゆっくり差し出した。
もちろんケンは、その手をがっちりと握りしめる。
「ノワール君、僕からも申し込むよ。友達になってくれ」
「…ああ、2年間待たせて本当にすまなかった」
その光景をクラスメイト全員が見ている。
目をまん丸にして驚く女生徒、奇妙な物を見る風な男子生徒。
それは、学年一の天才と問題児の劣等生が2年越しの友情で結ばれた瞬間だ。
クラスメイト達のそんな視線に囲まれて、ケンのウルルス高専の3年目は始まった。
たった今から、彼の本当の学生生活が始まったのかもしれない。




