第44話 エリート高専の実情
朝食後に外出の支度を済ませたケンは、ヨシトを部屋に呼びに行く。
それから2人は、エレベーターを使って屋上に上がる。
ウッドヤット家の屋上には、飛空車の車庫がある。
鍵付きシャッター付きのかなり立派で大きな車庫だ。
車庫の中には2台の自由飛空車が駐車してあるが、あと2台は楽に停められるスペースが空いている。
そのうちの一台は、ウッドヤット商会所有の業務用の大きな物で、その形状は角の取れた地球の業務用大型バンに近く、多くの荷物が積める上に3列シートまで付いている高級品だ。
もう一台はヨシトの個人所有で、形や大きさは丸みをおびた日本の自家用ワゴンタイプにそっくりである。
今日は当然ながら、その自家用ワゴン車を使う予定だ。
シャッターを開けて2人が車庫の中に入ると、ヨシトが急に思い付いたようにケンの肩を叩く。
「ケンにも飛空車免許を取らせないといけないな」
「お金が無いから無理です」
「そんなの何とでもなるだろ?」
「…いま先生は、世界中の貧乏人を敵に回しましたよ」
「俺は商会の経営者だ。貧乏人は客にならんから問題ない」
「これだから支配階級は嫌いだ。共産主義万歳」
「そんな政治思想は、この世界には無いよ」
2人はそんな事を言い合いながら、飛空車に乗り込む。
2列シートの前に並んで座ると、ヨシトは飛空車を発進させる。
飛空車に乗ったまま、操作魔術でシャッターと鍵を閉めると、ヨシトは運転しながら話し出す。
「俺は、君から異世界の情報を買った。はっきり言ってなかったが、その価値はケンを5年間教えてもお釣りがくると判断している。お釣りはだいたい、1000万ギルでどうだ?」
「10歳の子供に、大金をちらつかせないでください。…でも、正直助かります。
僕の自分勝手で決めた事ですから、両親には出来るだけ頼りたくありませんので」
「わかった、君に定期的にお金を渡す。だが、飛空車免許については別だ。
俺の指示で取らすんだから、教育費に含まれると判断する。
まあ、数万ギルで取れる資格だから、気にするな」
ケンは断りたい気持ちをグッと我慢して「はい、お願いします」と答える。
都市に住むには、お金は何かと必要になるはずだし、もしなければ修行の時間を削ってでもアルバイトしなければならない。
出来るだけ節約はしていたが、この2カ月で自分の小遣いは使い切ってしまった。
食費や身の回りの品はヨシトが出してくれてはいるが、家族や親友達への手紙代、予備校で知り合った友人との付き合いにもお金は必要だ。
母親から貰ったお金を使うかどうか迷っていたので、ヨシトの申し出はありがたかった。
ネオジャンヌの街並みを2人の乗った飛空車は走る。
都市内では必要以外は飛行出来ないなので、上空では無く、道の上を走っている。
ヨシトは移動時間を利用して、今から見学に行く高校の説明をしている。
一つはウルルス高専という名のエリート校で、もう一つはムライ高校という魔術系高等学校である。
「先生、前から言おうと思ってたんですが、もう応用魔術系高専に行く必要は無いと思うんですが?」
ケンの当然の疑問にヨシトは答える。
「確かに能力値の底上げをする目的で行く必要は無い。
そんな事をされたら今のケンなら命に関わるから、行く場合でも能力値強化の授業は見学してもらう事になるな。
だが、高専の先生や生徒は優秀だから、それだけでも行く意味はあると思うよ。
だから、実際見学してからケンが決めればいい」
ヨシトにそう言われれば、ケンも頷くしかない。
彼の言うように、優秀な友人と知り合う機会は大事にすべきである。
学友との付き合いを通じて、ケンは能力値以外でももっと成長出来るだろう。
そもそも能力値なんて、あくまでも一つの指標であり、ケンはそれだけで人の価値が決まるなんて考えてないのだから。
2人の乗った飛空車は、まずウルルス高専に着く。
来客用の駐車場に車を停めてから、2人は学校の事務室に向かう。
ヨシトがその場所にいた女性事務員に話をすると、「少しお待ちください、手の空いている教師を呼んできます」と言って、急いで出て行く。
彼女が立ち去った後に、ヨシトは事務室に残っていた他の女性事務員に、気さくに話しかける。
「ウルルス高専は、わざわざ教師の方が見学希望者を案内してくれるんですか?」
「ええ、ご予約いただいた方には、その様にしています。我が校の良さを解ってもらう為には、その方がいいですから」
彼女の言葉には、絶対の自信とプライドが伺える。
それからもヨシトは色々と質問していく。
相手が事務員なので、奨学金や費用面や待遇に関する事だ。
それで解ったのだが、この高専では奨学金を取っている学生はほとんどいないらしい。
つまり、学生のほとんどは良家の子女だという事だろう。
この世界でも優秀な人間族は金持ちが多いので、ある意味当然だろう。
金持ちの家に生まれた子供が優秀なのは、親の経済力の他にも遺伝と生得情報が関係している。
絶対ではないが、親が優秀なら子供にもその資質は遺伝する確率が高い。
更に生得情報は、妊娠中に母親の持つ知識や本能からの転写を胎児が自発的に行うものなので、母親の知識が優れていれば子供も始めから優秀である場合が多い。
その後の教育も、優秀な家庭教師を雇う費用は馬鹿に出来ないので、差は更に開くという訳だ。
ただしこれは若い間だけの事であり、人間族の人生は長いので、個人の努力で挽回が可能なのが救いだろう。
しばらくすると、さっきの事務員が人間族の男を伴って現れる。
彼が、この高専の先生の1人なのだろう。
ヨシトは事務員たちに御礼を言うと、その先生に右手を差し出して、にこやかに挨拶する。
「おはようございます。ヨシト=ウッドヤットと申します。
後ろにいる彼、ケン=マッケンジー君の家庭教師及び保護者です。
今日はご無理を言いますが、よろしくお願いします」
男はヨシトと握手を交わすと、自己紹介を始める。
「いいえ、見学は大歓迎ですよ。私はウルルス応用魔術高等専門学校の校長を勤めております、ピッケル=シライシと言います。どうぞゆっくりと我が校をご覧ください」
その後、ケンも挨拶を済ますと、3人はさっそく事務室を出て校内を歩く。
まず最初に案内されたのは、何と医務室である。
ケンは驚くが、ヨシトとシライシ校長は当然という表情だ。
「我が校には、常に医師が待機しています。
どうしても体調を崩す生徒が多くなりますから。
しかし、私が着任してからは一度たりとも大きな事故は起こしていません。
我が校は、何より生徒の安全を第一に考えております」
ヨシトは頷いて、医務室の設備を確認していく。
シライシ校長の少し自慢げな説明は続いている。
「たまに誤解される人がいるんですが、我が校が行っている能力値強化は、人体強化実験ではありません。
確立された技術を使った授業の一環ですから、法的にも全く問題がありません」
「当然ですよ。命の危険がある実験なんて、まともな人間がする事ではありません」
どの口がそんな事を言うのかとケンは思ったが、ヨシトは嘘をついている訳ではない。
ヨシトは自分の過去の出来事や体質の事もあり、人体強化実験の事は熟知している。
だから、ケンに施している強化薬や訓練は、彼の中では実験にすら値しない確立した技術なのだ。
もちろん他の医師に見つかると、あまりに危険な内容を未成年に施術しているのを見て恐怖して、ヨシトが非難を浴びる結果になってしまいかねないのだが。
ヨシトは、しばらく医務室にいる2人の医師達に能力値強化について質問していくが、彼らは非常勤の医師達のようで、能力値強化授業についてはあまり詳しくは知らない様である。
ただし、彼らも最低限の理解はしているようだし、ヨシトが見てもこの高専の上質の設備や、よく考えられた体制には全く不満は無い。
そんな話をしながらも、同時に彼は思考念波魔術の探索スキルを使って、医師達の能力の概要を確認をしているのだが、当然誰にも気付かれない。
その結果、ギフトは2人とも治癒系であり、能力値もそれほど優秀だとは思えなかった。
これは、彼にとっては都合がよかった。
「考え得る最高の設備と体制ですね。これなら安心してケン君をお預けできます。
ただ残念なのは、マッケンジー君は魔力体が不安定で体調を崩しやすく、とある事情で体質的にも強化薬を受け付けないんです。
恐らく、能力値強化に関する授業はすべて見学になってしまうでしょう」
ヨシトの大嘘に、深刻そうな表情でシライシ校長は尋ねる。
「それならば、我が校のカリキュラムは彼に向いているとは思いませんが、ご両親や本人は納得されているのですか?」
「ええ、能力値は鍛えられませんが、今のままでも十分な程にケン君は優秀なんです。
実は、今日の見学の目的は、能力値強化以外の授業を見せてもらう事です」
シライシ校長は、頷きながらも残念そうにしゃべる。
「それは、実にもったいない事です。
我が校の能力値強化には、かなりの実績がありますから。
…ちなみに、ケン君の最大魔力値はどれくらいです?」
ヨシトはケンの方に向かって「言ってもいいかい?」と尋ねる。
「はい、先生。僕の最大魔力値は1212です」
その数値は、この学校の入学希望者の中でも平均以上は十分ある。
シライシ校長はケンの様子を見て、同情を禁じ得ないようだ。
「実に残念です。普通なら自然増加も含めて2割アップはお約束できるのに」
「こればかりは仕方がありません。ですが、十分にこの学校で学ぶ資格はあるでしょう?」
「確かにそうですな。…さあ、次の場所をご案内します」
3人は医務室を後にすると次の場所に歩いていく。
それからは、主に学校施設の案内だった。
大きな体育館や講堂、圧倒的な蔵書をもつ図書館、特に魔術訓練所は、そのまま魔術大会が開ける程の立派な設備を備えている。
ネオジャンヌ1の応用魔術系高等専門学校というのは、伊達では無いのだろう。
これだけの設備に対して、生徒数は350人以下なのだから、日本なら税金の無駄遣いと言われても仕方が無いほどだ。
「我が校の受験資格を持つ生徒は、全体の3%以下です。
つまり、それだけ少数精鋭という訳です。
選ばれし者の集う場所と言っても大げさではないでしょう」
シライシ校長の自信に満ち溢れた声が響く。
ケンは、その様子を見ながら半分は感心し、半分は呆れる。
彼は、設備面に関しては、それほど興味が無かった。
ステラ学園と比べれば、どこの学校だって負けてはいないだろう。
だからこそ、生徒や教師にどういう人がいるかの方が気になる。
ケンから見て、ステラ学園のボブ=ブレイブ先生は優秀だと思っている。
それに比べたら、シライシ校長は物足りなかったからだ。
「シライシ校長先生、僕は授業の様子が見たいです。なるべくたくさん」
ケンの意見に、ヨシトも同意する。
「設備は文句のつけようがないほど素晴らしい。
きっと先生方も、それ以上に優秀なのでしょう。
ご無理を言いますが、これ以降は授業風景を見たいですね」
シライシ校長は、頷くと「ええ、是非ご覧になってください」と言って校舎に向かって歩き出す。
相変わらず、その言葉には自信があふれている。
期待できそうだとケンは思った。
シライシ校長の後に付いて、校舎内をケンとヨシトは歩く。
今はちょうど休み時間の様で、廊下にはちらほらと生徒の姿が見える。
生徒達は非常に礼儀正しい様子で、シライシ校長に胸に手を当てて挨拶する。
言うまでもなく、全員が人間族である。
獣人族の能力値では、このウルルス高専に受験する事さえ出来ないのだから当たり前だ。
ケンは、生徒を一人一人観察していく。
全ての生徒が、ケンと同等の最大魔力値を持っているように感じる。
ただ、姉のマリほどの人物はいないように思える。
それに、全体的に大人しくて、走りまわったり大きな声で騒いでいる生徒は一人もいないようだ。
その時、授業開始5分前のベルが鳴り、廊下にいた生徒は整然と教室に入って行く。
「今から見ていただくのは、3年生の教室です。
1、2年生は、どうしても能力値強化の授業が多くなりますから」
シライシ校長はそう言うと、3年1組の教室に入って行く。
ケンとヨシトもその後に続く。
教室に入ると、20人は十分座れそうな広さがある中に、机と椅子が8つずつだけある。
このクラスの生徒は8人だけなのだろう。
校長が生徒達に見学の旨を告げると、全員が全く騒ぎもせず、大人しく自分の席に座っている。
しばらくすると、人間族の女性の先生が静かに入って来る。
教壇に立つ先生は、見学者を気にした風も無い。
きっと、よくある光景なのだろう。
この世界には授業開始の挨拶は無く、「それでは、教科書の15ページを開いて」と、いきなり授業が始まる。
だが、次の先生の言葉にケンはひどく驚く。
「今日の授業範囲は、70ページまでです。何か質問はありますか?」
生徒の誰からも、声も手も上がらない。
「それでは、応用問題に移ります。教科書を閉じて問題集を開きなさい」
つまり、これからが本番なのだろう。
教師と生徒の質疑応答が始まる。
ケンはその様子を熱心に見つめる。
この授業内容は、明らかに高校レベルどころでは無い。
最低でも大学のレベル、あるいは大学院レベルである。
内容は数学だが、ケンには理解できない。
正確にいえば、何をやっているかはヨシトに詰め込まれた知識により解るが、どうしてそうなるかが解らないのだ。
10分ほどすると、シライシ校長に促がされ3人は廊下に出る。
シライシ校長の小さな声がケンの耳に届く。
「いかがですか? ウルルス応用魔術高等専門学校では、魔術だけでは無く、学問においても優秀な人材を育成しております。
彼らは卒業後に、総合大学院や専門院に入ります。
全ての分野での底上げが、我が校の理念であります」
(僕、後2年ちょっとでこのレベルまで行かないといけないんだ。…ちょっと無理かも)
ケンは初めて弱気になる。
彼は、応用問題は苦手なのだ。
いきなりの高いハードルに、気落ちしても仕方ないだろう。
それから次々と3人で授業を見学していく。
物理や化学の授業は、魔術を使った実践的な物だし、社会や歴史も単純に記憶するだけの物は一つも無く、現実にある課題の解決方法を試行錯誤していく物だ。
共通語(国語)の授業は、非常に難解な文章を読解した上に、それと正反対の主張を作文していくというレベルの高さだ。
ケンは、どの授業内容にも付いていけなかった。
「さあ、最後は、当校自慢の魔術の授業を見ていただきます。
座学と実技がありますから、まずは座学の授業中の5年3組に行きましょう。
時間割では、応用魔術理論の授業をやっているはずです」
シライシ校長の言葉に、ケンは気を取り直して「はい、楽しみです」と答える。
これだけは、ケンは自信がある。
小さい頃から、魔術の教本は嫌というほど読んでいたし、まだ詳しくは教わっていないが、ヨシトにも基礎理論を教えてもらっているからだ。
5年3組に着くと、否が応でもケンの期待は高まる。
5年生といえば、ウルルス高専の最高学年であり、最も高いレベルの内容が期待できる。
シライシ校長の後に続いて教室の中に入ったケンは、壁時計を見て時間を確認する。
先ほど休み時間をはさんでいるから、まだ40分近くは授業時間が残っているはずだ。
ケンは教室の一番後ろに立つと、授業内容に耳を傾ける。
今の授業内容は、集合魔術に関する物のようである。
しばらく授業を聞いていたケンは、ひどい違和感を覚える。
応用魔術理論というだけあって確かにレベルは高いのだが、内容がしっくりこないというか納得できないのだ。
そして、ようやくその理由に気がついた。
(基本式が古いんだ。
というよりも、ヨシト先生に教えてもらう前に、僕が記憶してた術式をそのまま使っているから、おかしなことになってる。
ああ、その術式のままだと効率が20%も落ちるぞ。何やってんだ?)
思わず声が出そうになるのをケンは必死で耐える。
そして、思わずヨシトの方に顔を向ける。
ヨシトは無表情のままで、授業内容を聴いているようだ。
その顔からは何も解らないが、ケンは気付いてしまう。
(やっぱり、先生はすごいんだ。
そういえば、『今知られている術式は完璧じゃないんだ。ケンの思考力や特性に合わせて基本式を改良するから、今までの魔術知識は参考程度にするように』って言ってたな。
…なるほど、基本式が違うと、ここまで応用に差が出るのか)
基本式だけなら、魔術の効果にそれほど違いは無いので、何でそんな事をするか解らなかったケンは、完全に納得してしまった。
実は、ヨシトがやっているのは、術式の改良というよりは基本式の個人カスタマイズである。
魔術の基本式が、個人により微妙に違ってくるのを知っている人は少ない。
自分用に術式を変える人は、精霊族の中にはそこそこいるが、他人用にカスタマイズするには、ほとんど完璧な魔術知識が不可欠な上に、構築力や想像力に優れていないと出来ない芸当である。
そんな事が出来る人は、世界を見渡しても数えるほどしかいないだろう。
だから、ケンが新しく覚えた基本式は他人が使うと逆に威力が落ちるが、ケンはまだそれには気付いていない。
ケンは、ウルルス高専のレベルを完全に誤解をしてしまった訳だ。
結局、今まで見た内容は、ケンにとっては全くの予想外だった。
大して期待して無かった学問では全く付いていけず、最も期待していた応用魔術では、それほど学ぶべき点が無いという事になってしまうのだから。
(僕、学科以外で高専に入る意味があるのかなぁ?)
それが、ケンの正直な気持ちであった。




