第37話 ケンの家庭教師
1月5日の休日の昼下がりの午後の時間、場所は神聖リリアンヌ教国の首都ネオジャンヌ。
マリ=マッケンジーは、交際相手であるヨシト=ウッドヤットとお昼前からデートをしていた。
付き合い始めてからもう3年くらいにはなるが、今でも週に1,2度は会っていて、傍目からは仲の良い恋人にしか見えない。
実際、パートナーも兼ねている2人の関係は良好で、その愛が深まっている事も間違いない。
今2人は、おしゃれな喫茶店で会話を楽しんでいる。
周りから人目を引くほど魅力的な笑顔で話しかけるマリに、ヨシトは落ち着いた大人の雰囲気を漂わせながら応じている。
彼と彼女は、充実した時間を過ごしているようだ。
マリはヨシトの顔を見ながら、並列思考を使って、彼と知り合ってから今までの事を思い返していた。
自信を持って言えるのは、彼を好きな気持ちが、出会った頃から少しも変わっていない事だろう。
ただの文通相手だった長い期間も、魔道具造りの教え子だった期間も、そして付き合い始めてからの3年間も、それはずっと一緒だった。
今はそれに加えて、愛する気持ちが上乗せされただけである。
ただ、その時々に応じて、彼の印象は変わって行った。
知り合ってからしばらくは、彼はまるでビックリ箱のようだった。
その後、すぐに文通が始まって、お金持ちである事や孤児である事やダブルギフト持ちである事や資格の多さを手紙で知らされて、さすがに少し驚いた。
次に師弟関係になると、彼の持つ優れた能力や一日三食だという事に改めて驚かされ、更に有名な作家である事を知らされると唖然となった。
そして祖母のお節介もあって、いよいよ付き合い始めると、すごく幸せだったが辛かった。
自分が何一つ、彼の成長の役に立っていないと感じていたからだ。
マリは恋人に対して誠実でありたかったし、逆に彼を一方的に利用したり、自分を高めずに依存する事を恥だと思っていた。
そんな事を考えない人間族も多いが、彼女は一応ゾンメル教徒なので、厚顔無恥でも自分に甘くも無かった。
マリは、幸せであればあるほど彼に申し訳なくて自分を責めた。
ついに耐えられなくなって、恋人を辞退しようかと真剣に考えた時期があった。
だけど、どうしても別れ難くて言い出せず、思い余って祖母のエマに相談した。
エマの答えは、彼女の予想外だった
『能力に騙されたら駄目だよ。
私が見たところ、男女関係のレベルは、2人に差はないよ。
だから、お前達は恋人として助け合って成長できるのさ。
…何だい、信じられないのかい?
だったら、一度でいいから思いっきりわがままを言ってみな。
どうせ別れる気だったら、それくらい構わないだろう?
それで、どんな態度を取るのかよく見てみればいいのさ。
まあ、そんなに心配しなくていいよ。
いい男はみんな、女には弱いもんなんだよ』
その言葉を信じて、彼が30分ほど待ち合わせに遅刻した時に、思いっきり怒って帰ろうとした事がある。
その後、彼をよく観察して見ると、必死に言い訳する姿が父親のダンにそっくりだった。
そして、何とか許してもらおうと色々と気を遣ってくるがまる分かりで、その行動は、ちっとも論理的でも理知的でも無かった。
彼女は、彼の優れた能力に惑わされ、その本質を見ていなかった事に気付いた。
彼の恋愛観は、ステラ村の獣人族の人達にそっくりで、人間族としては失格だった。
自分はともかく、彼がそうなのは意外だったが、獣人族ばかりの孤児院で育った彼の生い立ちを考えると、仕方ないかもしれないとマリは思った。
結局、同じ悩みを抱えている者同士だと知り、それからは、ある程度は落ち着いて付き合えるようになった。
そうすると、彼の良い所も悪い所も見えるようになってきた。
それからが、人間族マリと人間族ヨシトとの恋愛関係の始まりだといっていいだろう。
マリは、ヨシトに提案する。
『魔道具造りを教わっている時のウッドヤット先生と、恋人として話している時のヨシトさんは違うんです。私達は、人間族の恋愛をもっと理解するべきです』
2人は話し合い、まずは、体と心を分けるように心がけた。
師弟関係とプライベートをきっちり分ける事は出来ているんだから、より感情を制御しようという訳だ。
プレイの時は、感情に流されない様にする努力をした。
デートの時も人目を意識して、常に社会とのつながりを考えるようにした。
そんな関係が一年くらい続くと、だいぶその事にも慣れて来て、2人はようやく恋愛初心者からレベルアップを果たしたのだった。
3年つきあった今では、マリはヨシトの事をよく知っている。
もちろん、良い事や悪い事も含め、彼が完璧な人で無い事も解っている。
彼の秘密、例えば思考念波魔術の使い手である事や、恐らくもう一つギフトがあるという事や、その『防御』ギフトまがいの力を制御する事が魔道具造りをするきっかけの一つだった事や、今はもう完全に制御出来ている事も知っている。
学生時代に、強化人間に間違われた話や、彼の生い立ちに関する悩みも聞き、より深く彼を理解する事が出来た。
そんな話を言い合えるほど、お互いを信頼し合う二人は、恋人としてのレベルを超えようとしていた。
おおげさに例えるなら、ルビコン川の岸辺に立つカエサルの心境だろうか?
それだけが、2人の関係に影を落とす大きな悩みだろう。
もっとも、最近のマリには家族の事で悩みがある。
だから、今日は久しぶりのデートにもかかわらず、彼女の気持ちは今一つ盛り上がっていない。
他人が見たら気付かないわずかな違いだが、そんな様子をもちろんヨシトが見逃すはずもない。
喫茶店の小さなテーブルの向かい側に座っている彼女に、彼は唐突に声をかけてくる。
「ところでマリ、いったい何をそんなに気にしてるんだ? 一週間前に会った時と全然違う風に見える。よかったら話してくれないか?」
(相変わらず、カンだけはいいんだから。それなのに、私が新しい服を着て来たのに気付かないのは何故かしら? わかっていたら、褒めてくれるわよね?)
どうやら、3年経っても彼の朴念仁ぶりは変わっていないようだ。
特に恋愛に関しては、筋金入りなのだろう。
マリも頭では分かってはいるが、あまりのギャップに納得がいかないのだ。
しかし、彼の欠点をいまさら責めても仕方がないし、ばれてしまっては隠す必要もない。
彼女は常に、恋人に対しては誠実でありたいと思っている。
だから、悪い予感をあえて無視して話してみる。
「…弟のケンの事なの。
10歳の誕生日に神託を受けて、良い結果が出たから、今年の8月入学を目指してレベルの高校を受験する予定なの。
でも、うちが貧乏な事もあるけど、変なこだわりを持っていて、家庭教師なんていらないって言うのよ」
「…詳しく聞かせてもらってもいいかな?」
「気が進まないけど、いいわよ」
それからマリは、ここ最近の弟の事情を話す。
家族の事はだいたいは話しているので、進学問題についてだけだ。
話を聞き終わると、ヨシトは腕を組んで考える。
「俺は、シリウス高専の事はよく知らないけど、エリート校なんて大差ないだろうね。
それにしても、まったく腹立たしい。
人体実験まがいのことまでして余分に伸びる能力値は、最大魔力値で100前後だ。
そんなのは、魔黄白金のアクセサリー数個分にしかならない。
それに、他の能力値もせいぜい1割程度の上積みだ。
そんなにまでして、数値にこだわってどうするんだ?
戦闘職になるなら意味があるかもしれないが、ほとんどの卒業生が幹部候補だぞ。
単なる自己満足だとしか思えないな」
彼にとってはそうかもしれないが、自分の能力のことを完全に棚にあげている。
人によっては、ただの嫌味にしか聞こえないだろう。
「私もそう思うけど、弟の夢だから。でも、このままじゃ危ないと思うのよ」
「どういう事だい? 別に命に関わる事じゃないだろうに」
「ケンちゃんの夢は、勇者になる事だったのよ。優れた能力を持ったら、逆に危ないのよ」
それからマリは、弟の性格について詳しく話す。
小さい頃から活動的で、好奇心旺盛である事や、今は優等生を演じているように大人しくしている事が、かえって危険で不気味であるとも説明する。
「前から思っていたけど、ケン君は面白いね。何でそんなに強くなりたいんだい?
普通なら、10歳にもなれば勇者ごっこは卒業するだろう?」
「言ってなかったかしら? ケンは小さい頃に水精族に命を助けられたのよ。
だから、強くなって水精族の村に行くのが夢なのよ」
「…初耳だよ、よかったら詳しく話してくれるかい?」
「私が村にいない時の話だから、詳しくは知らないの」
「そうか、残念だ。やっぱり一度、彼には会ってみたいな」
マリは、別に隠しているつもりは無かったが、ヨシトが孤児と知ってからは、こちらから積極的に家族の話をしていなかった。
その結果、水精族に関する事もほとんど話した事は無かったのだが、これからは、妙な気遣いはやめようと思った。
水精族は、自分とヨシトを繋いでくれた存在だし、何よりケンの命の恩人だ。
つまり、ヨシトとケンにも関係がある。
黙っている方が逆に不誠実だと思ったからだ。
「ところでマリは、本当にケン君をエリート校には行かせたくは無いのかい?
いっそのこと、力が付けた方がいいかもしれないだろ?」
「行ってもそれほど意味が無いって思っているだけなの。
辛い思いをするだけで、人生経験にはそれほど差が無いわ。
少し能力が伸びたからといって、戦闘職に就かないケンちゃんには関係ないもの。
だいたい、ケンちゃんはそんなところに行かなくてもじゅうぶん優秀なのよ。
むしろ心配なのは、まっすぐな性格だから、いきなり都会に一人暮らしする事の方なの。
本当は、成人後が一番心配だけど、それは、もうどうしょうもないから」
彼は、あごに手を当てて考えている。
「なるほどね、可愛い弟の夢はかなえてあげたいけど心配という訳か」
マリはコクリと頷く。
ヨシトは笑って、テーブルの上を人指し指でトントンと叩く。
「つまり、ケン君が大きくなるまで支払いを待ってくれる優秀な家庭教師を探す必要があるという訳か。
しかも、勉強や魔術を教えてもらうのはあくまでも建前で、マリの希望は、弟の将来を真剣に考えてくれる人に預けて、高校入学前に都会での生活を前もって経験させてあげる事なんだな」
ヨシトの指が、彼自身を指し示す。
「そう言うと思ってたから言わなかったのよ。でもまさか本気なの?
色々と問題が出てくるわ。ヨシトさんは解って言っているの?」
「半分以上は本気だ。それが俺達にとって必要な事もね。
うちの家にはゲストルームがあるから、預かったとしても問題はない。
でも、どうするべきかは実際にケン君に会ってから決める。
未成年だから君の両親にも了解を取らないといけないし、いっそのこと、今からステラ村に行こうか?」
「ちょっと、今から? いくらなんでも急すぎない?」
「時間が無いんだろ? それに、この問題を解決しないと、マリとのデートを楽しめない」
冗談っぽく言って、立ち上がろうとするヨシトをマリは必死で引き止める。
「ちょっと待って。私が行って連れてくるから」
「何で? 2人で行った方が早いだろ?
久しぶりに、ルルさんにも会ってみたいし、ステラ村にも行ってみたい」
「母さんはともかく、父さんにはヨシトさんの事は秘密にしてるのよ」
「…なるほど、それはまずいな。きっと気分を悪くされるだろう」
本当は、父が落ち込むから黙っているだけなのだが、ダンの名誉を守るためにも黙っておくことにする。
「とりあえず、2時間程で帰ってこれると思うから、ヨシトさんは自宅で待っていてもらえるかな?」
「了解、もしよかったらマッケンジーさんも連れて来てくれると嬉しい」
「母さんと相談して決めるわよ、じゃあ後でね」
そう言うとマリは喫茶店を急いで後にする。
ちなみに、デート費用はヨシトがすべて出す事になっている。
そう決まるまでには一悶着あったが、結局はマリが折れた。
稼ぎが違うから、当たり前である。
それから40分後に、マリは実家に到着する。
ネオジャンヌからステラ村までは、直線距離で約2000kmはあるが、移送スキルさえあればあっという間である。
店の正面玄関を勢いよく開けて入っていくマリ。
「ただいま」
「あれ、マリちゃん急にどうしたの?」
「母さん、ケンちゃんは?」
「上で勉強してるわよ」
「父さんは?」
「今は出かけているわよ。30分もしたら帰ってくるはずよ」
「よかったわ、ちょっと話があるの。ケンちゃんを呼んでくるわね」
そう言ってマリは、カウンターを抜け、住宅スペースへ繋がるドアを開けてから、階段を駆け上がる。
それから、自室で勉強していたケンを半ば強制的に連れ出すと、一階の居間のいつもの席に座らせる。
ルルも、店に休憩中の札をかけてから居間に入ってくる。
3人がそれぞれ席に座ると、マリは早速話し始める。
「ケンちゃんの家庭教師を探して来たわよ」
「お姉ちゃん、僕、家庭教師は…」
「黙って最後まで聞きなさい!
ケンちゃんの希望通り、支払いを待ってくれる上に、魔術も学科も教えられる超一流の先生よ。
しかも、ケンちゃんさえよければ、自宅に住み込みまでさせてくれるらしいわ」
自分の希望ぴったりなので、ケンは目を輝かす。
ルルは、微妙な表情で話しかける。
「マリちゃん、その人ってまさか…」
「母さん、今はケンちゃんに聞いてるから後にして」
(なるほど、ダンがいないうちに口止めしたい訳ね。まあ、仕方ないか。私もダンの落ち込む姿は見たくないし)
ルルがそう考えている間に、ケンがしゃべりだす。
「お姉ちゃん、僕、一度会ってみたい」
「さすがケンちゃんは話が早いわ。お母さん、今からだけど一緒に来る?」
「そうねぇ、ダンが帰ってきたら、一緒に行こうかしら。
まだ私は、ウッドヤットさんの店を見ていないから楽しみだわ。
それに、ネオジャンヌは久しぶりだから、いっそ一泊しちゃおうかな?」
「言っとくけど、私は明日は仕事なんだから、泊るんだったら送り迎えはしないわよ」
「もう、マリちゃんのケチ。いいわよ、ウッドヤットさんに送ってもらうから」
「それはやめてよ。ただでさえ無理を言ってるんだから」
ケンは、ウッドヤットという名にピクリと反応する。
水精族のノッコから聞いた懐かしい名前だが、同じ名前の人なんていくらでもいるだろう。
でも、まさかとは思うが同一人物かもしれないし、そうでなくても親戚かもしれない。
「ねえ、お姉ちゃん。ウッドヤットさんて、家庭教師の人の名前で、隣の国に住んでるの?
もしかして、フルネームはヨシト=ウッドヤット?」
「あれ? 私、ヨシトさんの名前をケンちゃんに言った事あったかな?」
「ないよ。でも本当にヨシト=ウッドヤットって言う名前なんだね」
「もしかして、ケンちゃんはヨシトさんを知ってるの?」
「知ってるけど、会った事は無い。友達に教えてもらったんだ」
少し納得のいかないマリだが、今はやるべき事をやる事にする。
「ヨシト=ウッドヤットさんは、私の魔道具造りの先生なの。
『錬金』と『複製』のダブルギフト持ちで、すごくお金持ちの商人で博士号もたくさん持っているから、今回の話を逃す手はないわ。
今から会って、詳しい話をしたいそうなの。
もちろん、ケンちゃんやヨシトさんが気に入らなければ、この話は無かった事になるわ」
「もちろん会いたい。会って話がしたい。
でも、先生になってもらうかは会ってから決める」
それを聞いたマリは頷くと、更に話す。
「ケンちゃんには、私に恋人がいるのを父さんには内緒にしてもらっていたわよね」
いきなり関係ない事を聞かれたケンは、
「うん、僕、言ってないよ『武士の情け』だから」と、日本語交じりで答える。
そんな異世界の慣用句を使っても、マリには解らない。
「相変わらず意味不明な事を言ってるわね。
まあいいわ、実は、ヨシト=ウッドヤットさんが私の恋人なの。
だからその事だけは、父さんに黙っていて欲しいのよ」
ケンは、姉をジト目でにらむ。
「…わかったけど、何で早く言ってくれなかったの?」
「だって、一緒に住んでいない家族には、普通は言わないわよ。だから、おばあちゃんは知ってるわよ」
それでもケンは、文句の一つくらいは言いたかったが我慢する事にした。
きっと、姉が彼に無理を言ってくれたに違いないと思ったからだ。
そして、姉の希望通り口裏合わせをする。
「じゃあ、ヨシト=ウッドヤットさんは、恋人では無くて、お姉ちゃんの先生って事でいいよね」
「さすがケンちゃん、物分かりがいいわ」
「でも、いいかげんお父さんに話した方がいいと思う」
「それはそうだけど…、まあ、ケンちゃんも彼に会えばわかるわよ。それから、ケンちゃん。父さんの前で、ヨシトさんの年を聞いちゃダメだからね」
何となく事情は分かった。
ヨシト=ウッドヤットさんは、若くて優秀なんだろう。
しかもさっき、商人だとも聞いた。
そんな人が自分の娘と恋人なんて知ったら、お父さんはショックを受けて、しばらく立ち直れないだろう。
「うん、約束する。そんなにすごい人なんだ、ヨシト=ウッドヤットさんって」
「ええ、私の自慢の彼氏なのよ」
そう言ってマリは、誇らしげに笑った。
そんな話をしていると、店の方から声が聞こえる。
どうやら、父親のダンが帰ってきたようだ。
ケンとマリが立ち上がって出迎えようとすると、ルルが「待って」と手で制してから立ち上がる。
「私が行って、事情を話してくるわ。2人は出かける用意してらっしゃい」
「そうね、ヨシトさんを待たすのは悪いから急がなきゃ」
「うん、僕は勉強道具とかを取ってくるから、お姉ちゃん待っててね」
ケンの声は弾んでいる。
ネオジャンヌに行くのも、ヨシトに会うのももちろん初めてだし、いやでも期待が膨らむ。
そして、水精族のノッコの事や前世の話が出来るかもしれないと思うだけで、楽しみでたまらなかった。




