第33話 閑話 ケンの5年間
ケン=マッケンジーは9歳になっていた。
もう、体は大人と変わらなくなり、身長は170cm程になっている。
容姿は、そこそこ美男子風だが、その表情に愛嬌があるので子供っぽさは抜けてなく、ステラ村のおばちゃん達に人気があった。
ただ、以前の腕白はなりを潜め、少し落ち着いた感じに育っていた。
前世の記憶は、もう再生される事は無い。
結局ケンは、前世の人格や記憶にほとんど影響を受けなかった。
ケンと比留間健一は、記憶を共有する部分はあっても、あくまでも別人格である。
その共有部分は、だいたい6歳から22歳までの、健一が起きている間の4分の1程度の記憶である。
つまり、ケン=マッケンジーは、前世の記憶を持つだけの9歳児であり、完全にこの世界の住人である。
それが運が良い事なのか、そうでないのかは彼の生き方次第である。
頭の中身をいうなら、元々記憶力が良かったケンは、最近はすっかり優等生に変わってしまっていた。
もう激しいトレーニングをする事も、意味の無い修業もしていない。
あれから色々あって、自分の毎日のトレーニングが、体を鍛えるどころか弱くしてしまう危険性がある事に気付いたからである。
それは、ささいな事がきっかけだった。
今から約3年前のこと、彼の早朝トレーニングの様子をステラ村唯一の医師、チョルス=ズブラに知られてしまい、驚いたズブラ医師から両親にそれが伝わり、喧々諤々の話し合いの結果、激しい運動が禁止されてしまったのだ。
その後、自らの努力を否定されたようで、どうしても納得のいかなかったケンは、母親と共にズブラ医師の元を訪ねて相談する事にした。
ケンは、ズブラ医師に直談判する。
『先生、僕はもう3年近く走ってるんだよ。もう慣れちゃったし、体も辛くないから続けたいんだ』
『…それは、もう手遅れかもしれんが、医師として許可できない』
『僕は早く強くなりたいんです。誰にも負けないくらいに!』
『それならば、頭を鍛えなさい。有効なトレーニング方法を学ばないと、無茶をやっても決して優れた力は手に入らないよ』
『勉強もしてるし、本なら1日2冊は読んでるよ』
『世の中には、君より勉強している人などたくさんいるんだよ。ケン君はもっと自分を知るべきだと思うね。だが、納得できないなら妥協案を出そうじゃないか』
ケンの必死の訴えにズブラ医師は、トレーニング禁止期間を8歳までにするように母親に提案してくれたが、同時に専門書や研究レポートを彼に渡して、感想文を書くようにも指示した。
更に、その場で幼児期の過度のトレーニングの危険性を丁寧に説明してくれた。
ケンは熱血馬鹿だったが、道理はわきまえていたので、ズブラ医師やボブ=ブレイブ先生の話をよく聞き、半分以上はちんぷんかんぷんの専門書の内容を必死に調べて、ようやく自分のやってきた事の危険性や効果の無さを理解した。
同時に、自分が取り返しのつかないミスを犯したかもしれないと思い体が震えた。
人の話をよく聞かず、勝手な思い込みから失敗した上に、両親に心配をかけたとも思った。
とりあえず、がむしゃらにやっていれば、悪いようにはならないと信じていた彼の価値観は完全に崩れた。
親友のレクサ=ヘリスやレオ=デュランが頑張っているのを見て、自分がひどく焦っていた事も自覚して、自分の無知や知識の大切さを知り、心から反省した。
普通の子供なら、やる気を無くすか消極的になる所だが、彼は完全に開き直った。
自分が馬鹿で分からなくても、賢い人の助言を良く聞き、10歳までの間は、がむしゃらに勉強すれば良いだけだと考えたのだ。
それから彼は、本の虫になり、空いた時間をほぼ費やして読書や勉強をするようになった。
今まで、魔術の訓練に当てていた時間は、いかにして効率的に勉強するかを試す時間になった。
それでも、勉強の合間の息抜き程度に、体術や戦闘訓練は行なっているが。
そうしているうちに、思考の並列処理を使って、同時に4冊の本を読むという特技を手に入れた。
彼の頭脳は悲鳴を上げたが、小さい頃から前世の記憶に悩まされていた経験が有利に働き、それにも対応出来てしまった。
何をやるかが絞られた分、集中力が長続きするようになったとも言えるが、普通はこんな事をしても記憶力が低下するので、速読する方が一般的ではある。
だが、ケンにとっては並列処理の方が性に合っていたようで、1冊読むのも4冊読むのも、本に対する記憶力や理解力が変わらなかったから、この技の効果は大きかった。
つまり、彼の読書量は4倍になった。
それは、彼にとっては恐ろしく疲れるが、非常に楽しい事でもあった。
興味が無い事も同時に覚えれば、まるでゲームの様で面白い。
苦手な事も、ダンスを覚えるように頭にたたき込めばいい。
これにより、わずか2年でケンの成績はかなり上がったが、それでも、姉のマリの成績にはかなわなかった。
だが、単純な知識の量では負けていない自身もある。
今の目標は、ステラ学園の図書室にある本を全て読破する事である。
ケンの周りの環境も変わった。
ステラ村には、もうレクサ=ヘリスもレオ=デュランもいない。
ケンの姉のマリ=マッケンジーもいない。
レクサは、プロリア共和国の士官学校で頑張っていて、成績も主席だそうだ。
レオは、成人後にアビス市のデザイン系の専門学校に働きながら通っている。
マリは、リンク商会で働いており、ケンは、会った事もなければ名前さえ知らないが、2年前に出来た恋人との関係も順調な様子である。
その3人は、彼のライバルであり、大切な人達である。
特にレクサとは、今も月に一度は手紙のやり取りを続けており、『決闘』の最中である。
決着がつくまで、残りはたった80年程しかないが、焦るとろくな事が無いのを学習した彼は、分からない事はまず考えて、それでも分からない時は積極的に動くか、信頼している人に相談してから行動するようにしている。
そうしなければ、決して姉やレクサには追いつけないと思うからだ。
ステラ学園での人間関係は順調である。
相変わらず、学園の人間族は彼一人だけだったが、社交的な性格だったので元々友人は多かった。
更に、この3年でメキメキと成績が上がった事により、生徒はもちろん、先生達からも一目置かれるようになっていた。
ただし、彼の同級生は、後1年以内には成人を迎えるので、休日に遊ぶような友人はいなかった。
だが、最善の努力をしていた彼にとっても、時間が無いのは同じ事だったので、むしろ都合が良かった。
ケンは、自分のギフトや能力がどうであれ、村を離れて魔術系の高校に行く事を決めていたからだ。
しかも、出来ればだが、最難関である応用魔術系高等専門学校を志望していた。
魔術系の高校での授業は、半分以上が魔術に関係するものだ。
魔術実技に力を入れて、基礎をみっちりとやる高校がほとんどだが、高等専門学校(高専)は違う。
一番の特徴は、魔術に関係する能力値の底上げを目指す、過酷な授業が存在する事だろう。
しかも、全ての教科に対してレベルの高さが求められるエリート校だ。
更に、魔術は5年をかけて応用まで持っていくので、総じて学生のレベルが高い。
ただしそれは、一般教養に関する事は既に習得済みという前提で行われているので、高校で覚える内容まで受験に含まれてしまい、一般的な教育を受けているケンには時間が無いのだ。
高専の受験生の場合は、かなり前から家庭教師を付けて、受験対策や入学後に困らないように準備するのだが、こんな田舎の村では優秀な先生を呼ぶ事は難しいし、マッケンジー家はそれほど裕福では無い。
ケンの志望を知った、母のルルとボブ先生が代わりに教えてくれてはいるが、このままでは、例えケンの能力値が高かった場合でも合格は厳しい。
だから、必死に先生の意見を参考にして勉強を続けていた。
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あっという間に時は過ぎ、ケンは後1カ月で10歳の誕生日を迎える。
今は11月下旬、冬の初めの季節である。
マッケンジー家2階のケンの部屋では、ルルが息子に勉強を教えていた。
2人は机の前に並んで座り、時々ケンがしてくる質問にルルが答える勉強スタイルを取っている。
ルルは、右手と左手で同時に2つの問題を解く息子の器用さに感心しつつも、心の中で溜息をつく。
どうやらケンは、一度に2つの問題を解くならば、1日中でも続けられるらしい。
普通はそんな事が出来るなら、思考を一つに絞ればもっと理解力が上がるはずだが、ケンにはそれはない。
つまり、並列思考と単独思考の差がないという奇妙な頭脳を持っているにも拘らず、知能は凡人の域を出ないのだ。
マリみたいに、1を聞いて10を知るような天才までは望まないが、せめてもう少し頭が良ければと、ついつい思ってしまう。
そもそも、記憶力が良いのに、ひっかけ問題や応用問題が苦手な息子には、ただでさえ受験は不利である。
何故なら、彼の志望する高専の受験の出題傾向は、ひっかけ問題や応用問題がほとんどだからだ。
(マリちゃんとケンちゃんの志望先が逆だったらよかったのに。だいたい、ケンちゃんは大器晩成型なんだから、エリート校なんて合わないのよ)
思わず愚痴が出そうになるのを何とか心の中だけに止める。
(でも、この集中力が長く続くのは、我が息子ながらすごいわ。いっそのこと、一年間は魔術系の高校に行かせてから、あらためて高専を受験させようかしら? もっとも、能力値が低ければ受験資格さえないから、考えるだけ無駄かもしれないわね)
「お母さん出来たよ」
「どれどれ……、うん、基礎問題は完璧ね。でも、ひっかけ問題を間違っているわよ」
「うそ! どれがひっかけ問題だったの? 4回も見直したのに」
「これよ、魔術の基本式が少し変えてあるの。始めから疑ってかからないと解らないけど、受験問題にはこんなのが多いのよ。慣れるしかないわね」
「でも、同じ問題は出ないよ。みんなどうしてこんな事に気付くのかな?」
「間違い探しだと思って見てみなさい。ケンちゃんはダンスが得意でしょ。ちょっと見れば踊りの違いには気付くんだから、きっと出来るわよ」
「うん、ありがとうお母さん」
息子の笑顔を見ながらルルは考える。
(これは、性格だから仕方ないかもしれないわね。こんな所ばっかり、ダンに似なくってもいいのに。いっそ、母さんに頼んで優秀な家庭教師を付けようかしら?)
だが、それは時期尚早だとルルは思う。
今のままでも、普通の魔術系の高校なら楽勝で合格できるのだから、神託後の能力値を見てから判断すべきだとは思う。
能力値は必ずしも遺伝する物ではないが、やはり、親が良ければ子供も良い確率が高い。
ルルの能力値は相当高いし、ダンも平均を少し下回る程度なので、ケンもそれほど酷くはならないだろうが、エリート校の受験資格には高い基準があるので、そもそも受験自体が認められない場合がほとんどなのだから。
更に、息子の場合は下手な博打を売っているので、最悪の場合は最大魔力値が少し下がっている可能性があるとの診断をズブラ医師から受けているのだ。
もっとも、魔蔵や魔力体に異常は見られないので、深刻な影響は無く、もしかしたら良い結果につながるかもしれないとも言われているが。
ルルとしては、ケンの寿命が縮む事態では無いので、悪くさえならなければ構わないと思っている。
母親にとっては、子供が健康で普通でいてくれれば、それだけでいいのだから。
そのような感じで、もう3時間近くぶっ続けで勉強は続いている。
すると、ケンの部屋の扉をノックする音が聞こえる。
この家には後一人しかいないので、当然、父親のダンである。
「はーい、ダン、ノックなんてしなくていいわよ」
ルルの声に扉が空き、ジュースを持ったダンが入ってくる。
「2人ともお疲れ。少し休憩を取った方が良いよ」
「僕、まだ大丈夫だよ」
「ダメよケンちゃん。もう夜の10時だから、少し休憩しましょう」
「そうだぞ、ケン。ケンの場合は2月入学は無理だから、まだ受験までは半年近くはあるんだ。体を壊したら、元も子もないぞ」
ケンは仕方なく頷き、休憩に入る。
ダンは2人の横に立って話しかける。
「どうだい愛しのルル。ケンの勉強の具合は?」
「ええ、とっても優秀よ。記憶力は、マリちゃんと同じくらいね。でも、ひっかけ問題が苦手みたい」
「そうか、僕は記憶力もそれほど良くないし、ひっかけどころか、勉強は全部ダメだから良いアドバイスは出来ないな。…なあ、ルル。ケンに家庭教師を付けたらどうだい? 受験にはテクニックが必要だって話を聞いたんだ。だったらプロに頼んだ方がいいだろ?」
それを聞いて、ケンは飲んでいたジュースを机の上に置く。
「お父さん、僕はそんなのいらない。だって、お金がもったいないし、嘘をつく問題に負けたくないから自分で何とかするよ」
ルルは、少し複雑そうな表情で頷く。
「そうね、もう少し様子を見ましょう。ケンちゃんの志望校がはっきりしてからでも遅くないわ」
そう言いつつも、ルルはこれからかかる費用について、頭の中で計算していた。
いずれにしても、後一カ月、神託を終えてからである。
出来得るならば、息子の志望通りの道に進ませてあげたいと、ダンとルルは考えていた。
解説
成人後、就職したマリは、実家には年に1,2度しか帰って来ません。
これは、この世界では当たり前です。
もちろん、移送スキル持ちだから、帰ろうと思えば帰れますが、今は家族と過ごすよりは、恋人との時間の方が大切なのでしょう。




