第23話 目の前の戦いと心の戦い
レクサ=ヘリスは、もう限界だった。
始めから気力だけで、戦いの場所に立っているだけだった。
魔獣の襲撃が始まってから30分は経過していて、否応なしに多数の魔獣を倒してはいる。
彼のギフトの一日使用制限には、まだまだ余裕がある。
しかし、戦場に出てからずっと彼の心には余裕がなく、怖くて膝が笑い、虚しくて悲しくて頭の芯がしびれ、戦っている実感など無かった。
自らの意志ではなく父親の言葉に従い、姿もはっきりしない空飛ぶ魔獣にマーキングして、手に持った魔弾を放り上げて『狙撃』ギフトを発動する。
その後は、ベルトに付けた革袋から魔弾を取り出して、両手に4発ずつ握り込む。
それを30分間、機械的に繰り返しているだけだった。
後ろにいるルルからの指示も、何も考えずにロボットの様に実行するだけだ。
そこに、彼の心は無かった。
在ってはいけなかったのだ。
少しでも気を抜くと失神しそうな、弱い心は邪魔である。
将来のちっぽけな夢は、機械の様になるには邪魔である。
今までの自分の過去の記憶が邪魔である。
自分の感情が、心そのものが邪魔である。
彼は、次第に壊れて行く。
この場にいる、かしこい大人達は気付かない。
こうなるの事が解っていたのは、馬鹿な子供だけ。
ケンとレオとレクサ、この世にたった3人だけだ。
だからケンは、彼の心が壊れない様に大切に守ろうとした。
レオは、どうせ壊れるなら早い方が良いと思った。
レクサは、壊れてもそれほど惜しい物だとは思わなかった。
3人の気持ちはすれ違い、お互いの気持ちが解るからこそ、身動きが取れなかった。
そして、最悪のタイミングで事態は更に深刻化する。
ステラ川の川底で、空気の膜を作ってその中に潜んでいた、全ての魔獣が一斉に動き始める。
たった一人の敵に狙いを定めて、暗い川底から地上へと。
「正面、いや全面に敵、…数は確認できない、まだ増える」
レクサの父親の声が悲痛さを帯びる。
彼の魔術で強化した優れた視力を持ってしても、はっきり確認できない距離に集まったその数は、300匹を超える。
辺りに散らばっていた魔獣が、川底から新たに現れた群れと集結し、編隊を組んで最高速でこっちに飛んでくる。
まるで、何かの意志に操られているかのように。
一度に100匹近い魔獣が一気にレクサを襲う。
狙撃が間に合わず、魔物の群れが一斉に上空から突撃してくる。
ルルは、背後からレクサに近付き、彼の背中にほとんど密着して、3重の防御結界を発動する。
2人の周りに直径3m程の球状の結界が展開され、魔獣の攻撃を防ぐ。
結界が大きくたわみ、壊れそうになるが、何とか持ちこたえる。
ガラスの様な透明の結界表面に魔獣が取りつき、レクサの視界が完全に埋め尽くされる。
彼の目に映った物は、魔獣の空虚な瞳だけだった。
「ヒィ!」っと、レクサの口から初めて小さな悲鳴が漏れる。
ほとんど壊れかけの心の壁が、耐えがたい恐怖により、ついに決壊する。
目から涙がこぼれ出し、頭の中が真っ白になる。
立っていられず、膝をついて頭を抱える。
すべてを突きぬけ、彼の心はガラスの様に砕け散った。
夢も希望も自らの意志も感情も未来も、何もかもが闇に飛び散る。
最後には、生きる事さえあきらめてしまった。
そして、後には彼の存在自体が残らなかった。
「レクサ君、しっかりなさい! 一匹ずつ倒せば大丈夫。私達が守ってあげるから!」
ルルの言葉が小さく聞こえる。
だが、それは耳から直ぐに抜け、彼の心には入ってこない。
当たり前である。
今の彼に、心など無いのだから。
レクサの父親は、結界に貼りついた魔獣に攻撃する。
一匹に致命傷を与えるが、残りは瞬時に飛び去る。
魔獣の風魔術の影響で、辺りには風が吹き荒れ、彼の視界が閉ざされる。
一瞬だけ見えたものは、力無く膝を付く息子の姿だった。
「レクサ、立て!」
大声で叫んでも、返事は返ってこない。
次々と襲いかかる魔獣に対して、相変わらず息子のギフトは行使されない。
彼は、唇が切れるほど強く噛みしめる。
(駄目か、…いや、上出来だ。後は私達で何とかするしかない)
こちらに向かってくる無数の怪物に対し、彼は不退転の決意を固めた。
ルルも同時に覚悟を決める。
彼女に出来る事は少ない。
何より優先するのは、自分とレクサの身を守る事だけ。
あくまでも冷静に効率的に、2重の防御結界を維持しつつ、拡声の魔術の構成を組む。
「皆さん、集まって! こちらを助けて!」
魔術で声を増幅して思いっきり叫ぶ。
近くにいた、20人ほどの味方がそれに反応し、レクサを中心に円陣形を組んで肉の壁を作る。
ようやく少し落ちついたルルは、レクサの父に話しかける。
「ヘリスさん、息子さんを何とか村の中に非難させましょう」
「駄目だ、この状態では逆に危険だ。それに、村に近づける訳にはいかない」
彼は、襲いかかる魔獣を何とか剣でいなして攻撃を加えている。
ルルは、3重防御結界を張り直してから、その維持に手いっぱいで、彼に顔さえ向けられず声だけ張り上げる。
「しかし、レクサ君は完全に的にされています。何とか正門近くの警備詰め所にまで引っ張っていけば、空からの攻撃は防げます」
「その場合は、魔獣が村を一気に襲う可能性がある。息子の為に、非戦闘民を危険にさらせない」
「レクサ君も今は戦えません! 非難させましょう」
「戦えなくても、おとりにはなる。これはレクサが選んだ道だ。私達が出来るのは、一刻も早く魔獣を殲滅する事だけだ!」
顔を見なくても、彼の悲壮な決意が伝わって来て、ルルは黙るしかなかった。
もちろん周りの村人達にも、その会話は届いた。
その覚悟は全員を奮い立たせ、否応なく士気が上がる。
魔獣との戦いは、最後の攻防を迎えようとしていた。
ムササビの様な空飛ぶ亜種の魔獣は、前足と後足との間にある飛膜に魔術による風を受けて、上空から集団で襲いかかる。
狙いは完全に唯一人、今は力無くうずくまる円陣の中心にいる5歳の子供、レクサ=ヘリスである。
ギフトや魔術で武器で迎撃するが、それを逃れた数匹が体の周りにつむじ風を展開して、上から特攻してくる。
数人の獣人の傭兵がジャンプして、身をていしてその攻撃を受ける。
ゴツンという鈍い音がして、双方が地面に落下する。
肉の壁をすり抜けた魔獣に対する最後の砦は、ルルの防御魔術だ。
3匹が防御結界に激しくぶつかり、軋んだ音が響く。
ルルは歯を食いしばり、懸命に結界を維持する。
次々と襲いかかる魔獣に、立ちはだかる村人達。
辺りには血しぶきが舞い、レクサの上にも降りかかる。
彼はその様子を何の感情も無く見ていた。
恐怖も後悔も悲しみも無い、もちろん喜びや怒りも何もかも無かった。
空虚な中に、ただ2つだけ残っていた物は、親友達の心だけであった。
レクサの心の中で、親友達の会話が始まる。
『伝説の傭兵は、正義の味方じゃないぞ、プロフェッショナルなんだ』
『何が違うんだよ、弱い人を助けてるじゃないか』
レオとケンの声が聞こえる。
これは過去の会話の記憶だろうか?
『傭兵だから、お金を貰わないと戦わないんだ。タダ働きはしないんだぞ』
『それは解るよ。お母さんもタダ働きはよくないって言ってたから。でも、お金がない人は助けないの?』
『バカだな、お金の多い少ないじゃないんだ。お金だけでも戦わないんだぞ。悪い貴族からは仕事を受けないんだ。でも、いい子なら子供の小遣いだって助けてくれるんだぞ、カッコいいよな』
『それって正義の味方じゃないか! 勇者と何が違うか解らないぞ。レオの方がバカだ。それならやっぱり僕は勇者の方がいい』
『だから違うんだって。お金持ちからはいっぱい取るけど、貧乏人からは少ししか貰わないの! 依頼人の稼ぎに合わせて貰うんだよ。相手は獣人も人間も関係ない。勇者って、世界の敵と戦うんだろ。そっちの方が訳が分からん。なあ、レクサはどう思う?』
『そうだ、レクサはどっちの方がカッコいいと思うんだ?』
(僕は、両方ともカッコいいと思う。でも、ケンとレオはすごいな。僕はそんなすごい夢なんて持てないよ)
2人の心に触発されて、レクサの中に新たな心が生まれる。
生まれた心は、憧れと悲しみ。
まだそれは、ほんのちっぽけな物である。
『レクサ、戦闘系ダブルギフトを貰ったら、戦闘職になるしかないだろ。嫌でも戦わなきゃダメだと思うぞ』
『レクサ、戦いたくないのに戦っちゃダメだろ。そんなの幸せになれないぞ』
(ああ、2人の言う通りだよ。戦わなきゃダメだし、戦いたくないのに戦っちゃダメなんだ。だけど、仕方なしに戦っちゃったんだ。…でも、やっぱりダメだった。怖かったけど、もう怖くも無くなっちゃった。僕はどうしたらいいんだ?)
次に生れたのは、後悔と恐怖と迷い。
同時に過去の事実を思い出す。
『レクサは戦ってないだろ? 戦ってから文句を言え』
(何言ってんだよレオ、戦ったじゃないか。必死で怖いのを我慢して戦ったんだ)
怒りと戸惑いも生まれた。
『戦ったのは女神様でレクサじゃない。ギフトが戦っただけで、レクサは戦ってない。ギフトで魔物を倒した時に、少しでも僕達やパパやママの事を考えたのか?』
(確かにそうかもしれない。僕は戦ってなかったのかもしれない。嫌な事はギフトのせいにして、覚悟も無くギフトを使っただけだった。それに、何でみんなの事を忘れてたんだ? ちゃんと大事な気持ちはあるのに、思い出せなかったなんて)
そのレオの意見に、人を思いやる心や自身に対する疑問が生じ、客観的な思考力が生まれ、大切な人への愛情や友情を思い出した。
『当たり前だよレクサ。ゾンメル教の教えでも、戦いたくないのに戦ったら良くないって言ってただろ。戦うなら、自分の心に嘘をついちゃダメだ』
(ケンの言うとおりかもしれない。僕は嘘つきで弱虫だった)
宗教観や自分のついた嘘に対する認識が生まれ、以前の自分の弱さに呆れ果てた。
『レクサ、夢をあきらめちゃダメだと思う。僕は戦闘系ダブルギフトなんかより、レクサの夢や希望の方が大事だよ。でも力になれなくてごめんな、レクサはあきらめちゃったもんな。でも、あきらめたから終わりじゃないと思う。また夢を見つければいいんじゃないの? ところで、レクサは何がしたいんだ?』
ケンの言葉に、夢や希望や安らぎが生まれる。
だが、あきらめだけは生まれなかった。
『あきらめちゃダメだ!』
それは、ケンが何度も何度も言っていた言葉だから。
(僕がしたい事? そんなの決まってる。父さんや母さんや大事な人達を守りたい。レオやケンに負けたくないし、ずっと親友でバカな話をしていたい。もっと強くなりたいし、勉強もしたい。…僕は、幸せになりたいんだ! 死にたくない!)
競争心やプライドや社会性を得て、幸せになりたいという欲望が生まれ、何より死への恐怖と生への渇望を強く感じた。
『戦ってもか?』
レオが不確かな人格に質問する。
(ああ、戦ってもだ!)
決断力が生まれた。
『二度と、あきらめないか?』
ケンも彼の心に問いかける。
(わからない、でも、もうこれ以上後悔もしたくないし、ケンを裏切りたくない!)
誠実さや負の感情を克服する力も生まれた。
『『だったらもう大丈夫、戦えレクサ!』』
親友の言葉が心に響く。
今までの事実や過去の気持ち、親友達との会話から得た感情を全て取り込み、新しい人格が形成される。
(負けたくない、死にたくない、幸せになりたい!)
レクサ=ヘリスの精神は生まれ変わった。
そして、彼の心に、新たな闘志が宿る。
強く大きな炎が、瞳の奥に灯る。
体中の血が熱くたぎり、全身で武者震いする。
(そうだ、戦おう。親友の為に、両親の為に、何より僕の未来の為に!)
そして、彼は覚醒した。
魔獣の集中攻撃が始まってから15分で、レクサを守る村人の中から多数の重傷者が出ていた。
空を飛ぶ魔獣はなかなかその数が減らず、100匹近くを倒しても、まだ200匹程度は残っていた。
厄介なのは風魔術で、何度も陣形を崩されては吹き飛ばされ、一撃を加えても、止めを刺す前に上空に逃げられる。
80人以上がこの場に集まって、空飛ぶ敵に銃器を使って攻撃するが、速くて自在に動く相手に翻弄されて苦戦を強いられている。
そんな時に、輪の中心にいたレクサが突然立ち上がる。
ルルは、周囲を警戒しつつも、目の端にその姿を捉える。
「レクサ君、座っていて! 魔物はあなたを集中的に狙っているわ。その場にじっとしていて!」
彼はその言葉を無視して、革袋の中に手を突っ込む。
しかし、敵が近すぎるので爆発弾を使うのをあきらめて、『魔弾』ギフトを発動する。
空気中の天然魔素から作ったのは氷弾、同時に3発作り出すと魔獣を次々とマーキングしていく。
狙いは魔獣の持つ、ムササビの様な飛膜部分、すかさず『狙撃』する。
空気の弾丸はもちろん必中して、魔獣3匹は音を立てて地面へ落下する。
更に2秒で氷弾3発を作り、即座に『狙撃』する。
一分間に90発のペースで魔弾を作る彼を、周囲の大人は呆気にとられて見ている。
「落ちた魔獣に止めを刺せ!」
あちこち傷つきながらも、まだ健在であるレクサの父親が号令する。
円陣に加わっていない周辺の傭兵が、地面の上をもがき暴れる魔獣に近付き、その首をはねる。
一気に形勢は逆転し、魔獣の群れは混乱していく。
わずか1分ちょっとで、魔獣は100匹程度までに数を減らし、ついに怪物たちはみっともなくも逃げ出し始めた。
レクサは残り100匹ほどの魔獣すべてにマーキングを施し、今度こそ革袋から魔弾を取り出すと、逃げる敵を『狙撃』する。
彼の手から離れ、宙に舞った12発の魔弾は、音速の2倍の速さで魔獣を仕留める。
更に2秒後、また12発、続けて2秒後に12発、わずか20秒ほどで、100匹いた魔獣はあっけなく全滅した。
あまりの出来事に信じられずにいた周囲の大人達だが、徐々に我に帰り、歓声を上げ始める。
それを確認したレクサは、急に気が抜けてその場に崩れ落ちる。
そのままピクリとも動かない彼を見て、ルルは驚き近寄ってかがみ込む。
彼の上半身を抱き起して見たその顔は、安らかな寝顔だった。
七日前に発令された第2種2級警戒態勢に端を発する、ステラ村を襲った数十年ぶりの災悪は、このようにして何とか終結した。
結果的に空飛ぶ魔獣の襲撃は、わずか1時間ほどで終わった訳だが、被害はそこそこ大きかった。
村の建物にはほとんど被害は無かったが、戦闘に参加した村人の中での重傷者が19人、軽傷は100名以上、死者がいない事だけが不幸中の幸いであった。
ただしこれは、ほぼ同数の魔獣に襲われたアスカ町に比べれば、非常に軽微だったと言える。
特筆すべきは、ステラ村を襲った魔獣990匹のうち、レクサが倒したのは602匹、何と全体の6割以上を1人で仕留めた計算になり、客観的に見ればまさに英雄であった。
この事実は、3時間近く遅れて到着した軍にも知れ渡り、その後のレクサの人生に大きな影響をもたらすが、今はぐっすりと眠る彼には知る由も無かった。




