23 バレンタイン
「ねぇねぇ、栞ー」
「ん? 加奈ちゃん、何?」
金曜日の午後2時過ぎ。
以前なら猛烈な眠気と戦っていた時間帯だ。
けど今は、定時後のプログラミングの勉強時間を少しでも多く確保したい。
だから、眠気に負けている暇なんてない。
部長がくれた資料は、市販の教材と大きく違い理解しにくい。
最近は調べても分からない……自分の文系脳が恨めしい。
あまり頼るのは申し訳ないけど、そろそろ延原君にも見てもらって解説してもらわないと……
そんなことを考え、加奈ちゃんの話を適当に受け流しながら仕事を片付けていた。
「―――――今年もやっぱりデパ地下?」
「え? ごめん、何が?」
振り返ると、加奈ちゃんが少し拗ねた顔で私を睨んでいた。
「今年の栞なら、もしかしたら盛り上がるかなーって思ってたのにっ!」
「え? だから何が?」
「バレンタイン!!」
「……え!? いつ!? 今日何日!?」
私が急に覚醒したように尋ねると、加奈ちゃんは嬉しそうにニヤリと笑った。
そしてワクワクとした様子で早口にまくしたててきた。
「今日は11日の金曜日だよー。14日は月曜日だから、土日のうちに準備しないと! で!? どうするの!? やっぱデパ地下?」
そっか……バレンタイン―――
プログラミングの事で頭がいっぱいで、抜けてしまっていた。
毎年、本命も友チョコもすべてデパ地下の高級チョコで済ませていたけれど……
土日があるなら、人生初の手作りに挑戦してみるのもいいのかもしれない。
ロイドにいつも料理してもらってるし。
この前の恵方巻も美味しかった……
いつの間にか仕事の手が止まり、ロイドの顔を思い浮かべる。
すると、じんわりと頬に熱がのぼり、勝手に顔がゆるんでしまうのが分かった。
そんな私の表情の変化を、加奈ちゃんがニヤニヤしながら覗き込んでくる。
「えーっと……今年は作ってみようかな」
「おぉぉぉ!! 頑張りますか!?」
「……うん。簡単なやつだけど、作ってみようかな?」
「それでこそ恋する乙女だよ、栞! こちらの世界へようこそー、いらっしゃいませー!」
「何それー?」
加奈ちゃんにはやし立てられ、顔が真っ赤になってしまった。
あまりの恥ずかしさに両手で顔を覆い、しばらく顔を上げられなくなった。
それから加奈ちゃんと一緒に、お互い何を作るか楽しく話し合った。
◇
土曜日―――
朝から台所でアンが何やら忙しなく立ち働いている。
時折、「あ!」とか「やばっ!」といった焦ったような声が聞こえてくる。
「あー……アン? 何か手伝おうか?」
「だめ!」
振り返りもせずに制止された。
たぶん……バレンタインのためにチョコ菓子を作ってくれているのだろう。
俺のために真剣な表情で頑張っているアンの横顔を見つめていると、嬉しさが込み上げて自然と頬がゆるむ。
ケガをしないか少し心配だけど、手を出すと怒られそうなのでしばらく見守ることにする。
アンが台所を占領している間に掃除でもしようかと、お風呂場へ向かった。
ガシャン!
突然大きな音が響き、慌てて視線を向ける。
見ると溶けたチョコの入ったボウルが床に盛大に落ちていた。
呆然と立ち尽くし、半泣きになっているアンへ急いで駆け寄る。
「大丈夫? 火傷してない?」
「……」
「アン?」
アンの瞳には、今にもこぼれ落ちそうなほど涙が溜まっていた。
「……なんか私、情けないね」
「どうしたの?」
「最近、ロイドに助けてもらってばっかりだもん。なのに私、何もできない……。プログラミングの勉強だって、やってみても全然分からないし……」
ビクッ―――
『プログラミング』の単語に思わず体が強張った。
(プログラミングの勉強――してたんだ)
「あ……」
アンは俯いたまま、黙り込んでしまった。
動揺を見せないように俺は小さく震えるアンをそっと抱きしめた。
そしてぽろぽろとこぼれ落ちる涙を拭う。
俺はアンに、そんな心の負担を背負わせてしまっていたのか。
アンのために俺にできることは―――
「アン―――俺は、アンがアンドロイドの俺とこうして一緒に居てくれるだけで、本当に幸せだよ」
「……うん。知ってる」
アンの柔らかい髪を撫で、小さな頬にそっと手を添えた。
そして、そのまま静かに唇を重ねる――。
「―――甘い。つまみ食いしたな?」
「ふふふっ。バレちゃった」
涙を浮かべたまま笑うアンと目を合わせ、二人で柔らかく笑い合った。




