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メタル色の瞳  作者: 空蝉
20/42

20 仕事始め


 等身大の鏡の前で、身支度の最後の確認をする。

 化粧、髪型、スーツのシワ……よし、完璧。

 最後にパンパンと自分の両頬を叩いて気合を入れた。


「よし!!」


 今日から仕事始めだ。


「ロイド、行ってくるね」

「うん。いってらっしゃい」


 玄関先で見送ってくれたロイドが、そっと私の頬に手を添え、唇にやさしくキスをしてきた。

 触れ合った温もりに、一瞬で顔が真っ赤になり、目元までじんわりと熱くなってしまう。


「あはっ。かわいい」

「ちょっと! 不意打ちはやめてってば!」


 緩みそうになる頬を引き締め、私は玄関のドアを開けた。

 

「いってきます!」


 駅から会社へと向かって歩く。

 いつもより少し早い時間帯のため、行き交う人はまばらだった。


 ビル街のガラスに映る自分の姿を、思わず確認する。

 見た目はこれまでと何も変わっていない。

 それなのに十日間の正月休みを終えた体は、どこかまだフワフワとしていて、まるで夢の中にいるようだった。


 もう一度気を引き締め直し、歩き出そうとしたその時、後ろから声をかけられた。


「栞! なーにしてるの!」

「ひゃあっ!?……びっくりさせないでよー!」

「あはは、ごめんごめん。あけましておめでとう!」

「おめでとう」

「で? ガラスに向かって何してたの?」

「んー……別に」


 そう言葉を濁すと、加奈ちゃんは私の顔を覗き込み、納得したような笑みを浮かべた。


「ふむふむ。幸せなお正月を過ごしたんだー? プラチナのペアリングなんてつけちゃってさー」

「っ!」


 加奈ちゃんの鋭い視線から逃れるように思わず目を逸らし、私は抗議の声をあげた。


「ちょっと! 朝からからかわないで! せっかく気合入れたのに台無しじゃん!」

「あはは! 栞の照れ顔って本当新鮮!」


 そんな他愛もない話をしながら、二人で一緒に出社した。

 十日間の休暇を経たオフィスには、年末までの忙しさが嘘のように、どこかぼんやりとした空気が漂っていた。


 一通り年始の挨拶を済ませたあと、私は鞄から書類――『独身税免除申請書』を取り出し、宮本部長のデスクへと向かった。


「部長、あけましておめでとうございます」

「おめでとう。って、小川さんとはお正月にも会ったね」


 部長は「わはは」と軽快に笑ったあと、私が手に持っている書類へ視線を落とした。


「で? どうしたの?」

「あの……実は、これを申請したくて」


 書類を受け取った部長は内容にサッと目を通すと、自分の後頭部をポリポリと掻き、「少し別室で話そうか」と席を立った。


 会議室に入り、ドアを閉めると部長は穏やかな声で切り出した。


「んー、そっか……言いにくかったら言わなくてもいいんだけどさ。延原君とは、これが原因かな?」

「原因っていうか……ただのきっかけだっただけです」


 答える私を、部長はニコニコとした笑みを絶やさずに見つめている。


(前から思ってたけど、本当に理想の『お父さん』みたいな人だな)


「そっか。今は大切な『彼』がいるから、大丈夫なんだね?」

「……はい」

「そっか。……その指輪は?」

「えっと……彼が『一緒に着けたい』って言ってくれたので」

「彼の『意志』で?」

「はい」

「……情熱的だねぇ」


 話しているうちにロイドの顔が浮かび、だんだんと顔が熱くなってくるのが分かった。

 部長はニコニコと頷きながらも、眼鏡の奥にある瞳で、私を探るようにじっと見つめて言った。


「分かった。これは私から総務の方に提出しておくよ」

「ありがとうございます」


 頭を下げる私に、部長は少し心配そうなトーンを混ぜて声をかけた。


「何か困ったことがあったら、いつでも相談するんだよ?」

「はい」


 部屋を出ようと立ち上がると、部長が私を引き留めた。

 そして、テーブルの上に一冊の分厚い冊子を置いた。


「これ、読んでおいて」

「――これは?」

「アンドロイドのプログラムだよ」

「プログラム……」


 プログラムの専門知識については、ロイドの理解のためにも自分自身学びたいと思っていたところだった。


「うちの法務部は直接関わるわけじゃないけど、多少なり知識があった方が仕事もしやすいと思ってね」


 願ってもない配慮に胸が躍る。


「ありがとうございます!」


 冊子を抱え、扉に手をかけようとした時、部長がもう一度声をかけてきた。


「どんな小さなことでもいいからね。困ったことがあれば、いつでも言うんだよ?」

「……はい。ありがとうございます、失礼します」


 深く一礼して、私は会議室をあとにした。


◇


 静まり返った会議室に、一人取り残された部長は、ゆっくりと眼鏡を外し片手で目元を押さえた。


「……よりにもよって、あの個体にだけ『意志』が芽生えたか」


 ひとり、深いため息をついた。

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