10 同居
「ねぇ」
同僚の加奈ちゃんが、ひそひそ声で話しかけてきた。
私はキーボードを叩く手を止めずに「なに?」と返す。
今日も早く帰りたくて、必死に仕事を片付けていた。
「昨日、栞の『彼』見たよ」
「え!?」
驚いてぱっと振り返ると、加奈ちゃんはニヤニヤしながら私を見ていた。
「かっこいいじゃん。最近、よく迎えに来てるよね?」
「うん……まあ、早めに終われそうな時はね」
ロイドが迎えに来てくれるようになって一か月ほどが経ち、定時で上がれる日は一緒に帰ってスーパーに寄るのが日課になっていた。
(なんか――まるで、新婚みたいじゃない)
何となく恥ずかしくなって、自分でも分かるくらい挙動不審になってしまう。
「家、近いの?」
「あー……その、一緒に住んでる」
「はあ!?」
「しーっ!」
突然の大声に、心臓が跳ね上がる。
慌てて周囲を見回しながら、口元に人差し指を立てた。
加奈ちゃんは、まるで珍獣でも見るような目つきで私を見つめている。
その視線から逃げるように、私はパソコンの画面へと目を戻した。
「……ってかさ、付き合ってまだ一、二か月でしょ?」
「うん……二か月くらい、かな」
ロイドを拾ってから、二か月ほど。
けれど、もうロイドのいない生活なんて考えられなくなっている。
自分でも、この関係が何なのかよく分かっていない。
ただの同居人なのか、主従関係なのか、それとも……。
「栞って、自分の生活圏に他人を入れたがらないタイプだったじゃん」
「そうなんだけど……なんていうか、『流れ』で」
「結婚が決まってた延原君とだって、同棲はしなかったのに」
そう言って、加奈ちゃんは私の横顔をじっと覗き込んできた。
刺さるような視線が痛い。
「もしかして、結婚を意識して? まあ急ぎたい気持ちは分かるけどさ。『独身税』、結構きついもんねー」
「……」
独身者に課される『独身税』。
条件を満たせば免除されるとはいえ、結婚や出産を急ぐ人は多い。
けれど――
「まだ……そこまでは考えてないよ」
戸籍のないロイドとは、結婚できない……。
胸の奥が、なぜかチクッと痛んだ。
「本当!? じゃあなんで急に同棲なんてしてんの?」
「んー……彼、行く当てがないみたいだったから」
それを聞いた加奈ちゃんは、ギョッとした顔で私の腕をグッと引っ張り、さらに声をひそめた。
「なにそれ!? 大丈夫なの!? 延原君と別れてやけになってるとか!?」
「まさか! そんなんじゃないってば!」
説得力のない私の返事に、加奈ちゃんは心配と疑念の混ざった視線をしばらく投げかけていた。
◇
それから数日。
年末が近づくにつれ駆け込みの案件が増え、連日のように残業が続いた。
いつ仕事が終わるか分からないのに、会社の近くでロイドをずっと待たせるのは気が引ける。
そのため、ここ最近は「お迎え」を遠慮してもらっていた。
それでも、なるべく早く帰りたい。
少しでも早く、ロイドに会いたい。
午後六時。
今日は予想以上に早く仕事が片付いた。
(早く帰ったら、ロイドびっくりするかな?)
驚く彼の顔を想像して小さく微笑みながら、デスクを片付けて会社を出た。
その直後――
背後から、鋭い声が響いた。
「栞」




