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記憶を失った僕は、聖駆者の王になる  作者: 燭
運命の出会い

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1.物語の始まり

バタフライ・エフェクトという言葉は聞いたことある。


ほんの些細な出来事が、やがて思いもよらない大きな変化を引き起こす現象だそうだ。


でも、その言葉を身をもって経験したのは、一か月後だった。


なぜなら、俺が乗る終電は、トンネルを抜けた直後に爆発したからだ。


炎に視界を覆われる、その寸前……


俺は、鬼火のような青い目を燃やす影を目にする。


まるで悪魔のような影を。


けれど、その未来につながる最初の出来事が、まさに今日、この場所で起きた一つの出会いだったなんて、そのときの俺は知る由もなかった。


聖暦二〇一七年四月三日、月曜日。


京都府、夜明市中央駅。


午後十時五十分。


アルバイトを終えた俺は、夜明市の外れにある若水町へ向かう終電を待っていた。


――もし人の一生が一冊の本だとしたら、その本は何色を基調にしているんだろう?


そんな取り留めもないことを考えながら、暇つぶしにスマホで掲示板を眺める。


ちょうど話題になっていたのは、「イシャ」というハンドルネームのユーザーが投稿したスレッドだった。


【夜明市限定! 都市伝説を目撃!】


【昨夜、郊外で野生の美少女を発見! 頭には猫耳、さらに尻尾まで生えていた!】


コメント欄には、さっそくツッコミが入っている。


【ただのコスプレだろ!】


【証拠画像もなしに何言ってんだ】


スレ主は負けじと反論した。


【猫耳も尻尾も動いてたんだぞ! 本物の猫娘だ! 俺はこの目で見たんだ。信じるかどうかは勝手にしろ!】


……


特に興味を引かれる内容でもない。無表情のまま、コメントを淡々と読み流した。


午後十一時ちょうど。


ようやく電車がホームに滑り込んでくる。


スマホをしまい、車内へと乗り込んだ。


一時間にも及ぶ長い乗車を終え、終電を降りた頃には、アルバイトの疲れが全身に重くのしかかっていた。


俺の住む若水町は、田舎の小さな町といった風情の郊外だ。京都府と兵庫県の境に位置していて、どちらの都市へ出るにも、電車で長い時間をかけなければならない。


夜の若水町は、恐ろしいほど暗かった。


街のように街灯が密集しているわけでもなければ、高層ビルの明かりが夜空を照らしているわけでもない。あるのは必要最低限の街灯だけ。光の届かない場所は、深い闇に沈んでいた。


町の道路沿いを歩いていくと、一軒の神社がある。


若水神社。


町と同じ名を持つその神社は、山の上に本殿が建てられていた。山の麓からは、さほど急ではない石段が山頂まで続き、途中にはいくつもの朱色の鳥居が並んでいる。


それだけではない。山の麓の入り口には、巨大な灰色の石造りの鳥居までそびえ立っていた。


かつては相当な格式を誇っていたのだろう。


もっとも、それも昔の話らしい。


今の若水神社は、若水町と同じく人影もまばらで、あちこちが荒れ果てている。かつての威容は見る影もなく、参拝に訪れる者もほとんどいない。


遠くに巨大な鳥居が見えてきた。


軽く目を向けただけで、そのままいつものように通り過ぎようとする。


――だが、今日という日は、いつもとは違う一日になる運命かもしれない。


鳥居のそばを通りかかった、その瞬間。


突風が吹き抜け、砂埃が舞い上がった。


「うわっ……!」


思わず目をつぶり、手でこする。


ようやく目を開けると、鳥居の下に人が倒れているのが見えた。


意識を失っているらしい。


黒くぼろぼろになったマントをまとった、誰かだった。


薄暗い街灯の光を頼りに、どうにかその姿を確認する。


倒れていたのは、少女だった。


髪は淡いピンクがかった水色。澄み切った海が空の色を映したかのように、透き通るような美しさを湛えている。


整った顔立ちは、名工が生涯をかけて彫り上げた彫刻のようだった。ただ、額には傷があり、そこから流れ出た血が、せっかくの美貌を汚している。


胸がかすかに上下していなければ、死んでいると思ったかもしれない。


少女は意識を失っていた。もし目を覚ましていれば、きっとその美しい瞳も目にできただろう。


思わず見入ってしまった。


……いや、見とれた理由は、顔立ちの美しさだけじゃない。


少女の頭には、ふさふさとした猫耳が生えていたのだ。


「……本当かよ」


それだけではなかった。ぼろぼろの黒いマントの下からは、形の整った脚が覗いている。そして、その傍らには、ふさふさとした尻尾が伸びていた。


猫耳も尻尾も髪と同じピンクがかった水色で、先端だけが雪のように真っ白だった。


まるで童話の世界から抜け出し、間違って人間界へ迷い込んでしまった妖精のようだった。


そこで、ふと思い出す。


鳥居というものは、神域と人間界を隔てる門なのだという話だ。


今、俺はその外側に立ち、少女は内側に倒れている。


まるで、神域の一端を垣間見てしまったかのようだった。


そして、脳裏に蘇るのは、一時間ほど前にスマホの掲示板で目にした都市伝説。


――猫娘って、本当に存在したのか?


しかも、こんな都合よく、自分が出くわすなんて。


そのときだった。


背後から、鎖の擦れる音が聞こえた。


一瞬、体が硬直した。


錆びついた機械のように全身がこわばる。それでも、無理やり首を回して後ろを振り向いた。


目の前に迫っていたのは、拳だった。


「っ!」


驚いて、とっさに体を引く。


だが、拳のほうがわずかに速かった。


腹部に、強烈な一撃がめり込む。


胃の中の空気がすべて押し出されそうな衝撃だった。


吐き気に襲われ、反射的に体を折り曲げる。


相手の力は凄まじかった。


一撃で両足が地面から浮き上がる。さらに、着地する間もなく、今度は鉄鎖が鞭のように振るわれた。


いや、鉄鎖というより、まるで一本の鉄棒だった。


容赦なく叩きつけられた俺の体は、地面へと垂直に落ちる。


その直後、追い打ちの蹴りが飛んできた。


まるでボールのように蹴り飛ばされ、巨大な鳥居の内側へと吹き飛ぶ。


少女の横を通り過ぎ、かなりの距離を飛ばされた末に、ようやく地面に叩きつけられた。


立て続けの攻撃に、痛みの海へと沈んでいく。


苦しげに口を開き、どうにか息を吸い込んだ。


やがて、喉の奥にこびりついていた血の味が口の中に広がり、粘ついた生温かい血が唇の端から流れ落ちた。


痛みで意識が朦朧とする。


だが、幸いにも、今の傷は致命傷には至っていなかった。


――俺が普通の人間ではなかったからだ。


もし一般人が同じ攻撃を受けていたら、重傷を負うどころか、その場で命を落としていてもおかしくない。


だが、俺は聖駆者だった。


聖駆者の持つ聖器は、起動することで使用者の肉体を強化し、超人的な身体能力を与えることができる。


これを「聖体強化」という。


先ほど、何が原因なのかはわからないが、俺の持つ【起源の指輪】が勝手に起動し、肉体を強化していたのだ。


それでも、先ほどの攻撃は凄まじかった。


胸の奥が重く、息をするのも苦しい。


ぼやけていた視界が、少しずつ鮮明になっていく。


ようやく、襲撃者の姿が見えた。


頭を丸めた、禿頭の男だった。


「この女を捕まえるのには、ずいぶん手間がかかったな」


男はそう言いながら、意識を失った少女へとゆっくり近づいていく。


「何か月も探し回ったんだ。ネットでこいつの都市伝説を偶然見つけなきゃ、いつまでかかってたことか」


男が着ているのは、聖職者の法衣を思わせる黒い服だった。


その胸元には血のように赤い骸骨の紋様が描かれており、ひどく不気味な印象を与えていた。


その場にいるのは、男一人ではなかった。


もう一人、同じ服装の男が口を開く。


「まったくだ。おまけに、命知らずのガキまで出てきやがった。こいつの死体を片づける手間まで増えちまったな」


最初は頭がぼんやりしていて、二人の会話をうまく理解できなかった。


だが、今になってようやくわかった。


この二人は、俺を始末するつもりなのだ。


彼らにとって、俺は先ほどの一撃ですでに死んでいるはずだった。


もし偶然にも聖器で肉体を強化していなければ、本当に何が起きたのかもわからないまま命を落としていたかもしれない。


顔を動かさず、視線だけを少女へと向けた。


二人の話から察するに、彼女は追われていたのだろう。


そして、俺もまた彼女と同じ立場に置かれている。


途方に暮れた。


不思議なことに、真っ先に浮かんだのは恐怖ではなかった。


――この二人を、どうやって片づければいい?


そんな考えだった。


だが、頭はまだ真っ白で、何を考えようとしても思考がまとまらない。


そのとき。


脳裏に、男の声が響いた。


『生き延びろ、羽天』


聞き覚えのある声だった。


俺はよく、ある夢を見る。


夢の中で、顔の見えない謎の男と会話をするのだ。


男はいつも黒ずくめの服を着ていて、時折、まるで自分の影と話しているような気分になる。


その男の声だった。


『生き延びろ、羽天』


夢の中で、何度も聞かされた言葉。


いったい、これまで何人の人間が、俺に同じ言葉を告げてきたのだろう。


謎の男の声が響いたのをきっかけに、さらに奇妙な現象に気づいた。


聞こえてくるのは、その男の声だけではなかった。


次々と、別の声が重なっていく。


澄んだ女の声もあれば、しゃがれた男の声もある。


誰の声なのか、どこで聞いたのか、まるで思い出せない。


それなのに、確かに聞こえるのだ。


中にはひどく曖昧な声もあり、聞き慣れない言語を話しているものさえあった。


それでも、俺にはすべての意味がわかった。


なぜなら、無数の声が重なり合い、最後には一つの言葉へと収束していったからだ。


『生き延びろ、羽天』


それは命令のようでもあり、懇願のようでもあった。


「……そうだな」


小さく呟き、胸元に手を当てる。


起源の指輪は、服の内ポケットにしまってある。


「俺は生き延びる。何があっても、生き延びてやる!」


痛む体を無理やり動かし、指輪を取り出した。


氷河のように白い指輪が、かすかな光を放っている。


心を占めていたのは、ただ一つの思いだった。


――こいつらを殺して、生き延びる!

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