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警察に疑われているのが、だから彼女には悔しくてならなかった。出世頭を二人も殺し、なおかつ十条教授の腹にナイフを埋め込むような狂気の沙汰を、どうしてプロデューサーたる自分が演じねばならないのか。
酷な言い方をするなら、たとえ己が手で三人殺したとしても、心に描いていた理想が現実に実を結ぶとは到底思えない。あまりにリスクが大きすぎる。そうまでしてスリリングな話題を提供したところで、当の手駒たちが使えないのだから、次回からの収録に活かすのは不可能だ。元も子もない。
いや、それだけではない。最近の飛駆と空の態度もそうだ。平等主義というわけでもないが、プロデューサーの募る苛立ちは、残る生者たちにも向けられる。
一般公募者ではなくチーフディレクターの推挙という異例の抜擢により、まだ十代の初々しい二人、大賀飛駆と春霧空を同コーナーのレギュラーに選出した。しかし、プロデューサーの眼は決して芸能人としての資質を二人に見出していなかった。
あの二人は我を主張せず、むしろ従順に近い性質を持っている。そこで起用当初から極めて打算的な観点に立ち、両者の特性を冷静に見据えることにした。強力な手駒ではないにせよ、扱いやすいという点で利用価値はあるだろうと。
最近になって、その二人が反抗的な態度を取るようになった。特番収録のときも、飛駆はディレクターに手渡された台本を見ようとしなかった。自分と渕崎、塞の神の三人だけが知っていた〈突然の企画変更という企画〉も、そんな様子の飛駆にはどうしても伝えることができなかった。
塞の神と筧を失った今、新たな〈ガダマダ〉の顔となるに相応しい人物といえば、同じ異能者である飛駆と空以外にない。二人の双肩に番組の未来がかかっているのだ。それなのに。
期待に反し、飛駆も空もなかなかテレビ受けするキャラクターを演じようとしなかった。自分の姿がテレビに映ることさえ、厭わしく思っているようだった。生来の引っ込み思案な性格が、番組の収録現場では完全にマイナス方向に働いた。地上波でのCM出演オファーも何度かあったが、両親らを含めての相談の末、全部断ったそうだ。たかが十五秒のコマーシャルといえど、皮相的にも潜在的にも幅広い視聴者層に自己の存在をアピールできる、絶好のチャンスなのだ。まだ若く、世間擦れしていない二人は、CMの重要性を全く理解していない。筧が殺されてからというもの、元々感情を表に出すことの少なかった二人は、プロデューサーに対し益々心を閉ざすようになった。塞の神、十条の死により、二人の態度の硬化、反発心の表面化は決定的なものとなった。
二部に関する打ち合わせの後、二人だけを別の場所に連れ出したのも、そこでテレビ出演者としての心構えを教え諭すためだった。熱弁虚しく、二人とも彼女の言い分に納得したようには思えず、占い師たちの乱入もあり、目的は充分には果たせなかった。飛駆が人前で、率先してスプーンを折ってみせたのには驚いたが、いつどこで何度見ても、相変わらず素晴らしい手並みだった。何らかのトリックを用いたとしても幻滅はしないが、せっかくの力をもう少し番組に活用してはどうかと、常々言い聞かせていたものだ。
今の状態で飛駆と空のコンビを前面に押し出しても、一時間枠を完壁に使いこなすことは困難だ。かといって、そう簡単に代役など見つからない。考えれば考えるほど、尽きせぬ悩みは無際限の空間に膨らみ拡がっていく。
椅子の動きを止め、彼女は乾いた眼球に張りつく瞼を無理にしばたたいた。ロッキングチェアに凭れてから、早くも三十分が経過していた。
このままだと、悩んでいるだけで本当に日が暮れそうだ。思いきり背を後ろに反らし、それから反動をつけて椅子から離れた。両脚を締めつける気怠い感覚も、半時間の休息で九割方解きほぐれた。
ベストのボタンを片手だけで外し、肘かけに乗せておいたストッキングを取ろうと椅子に手を伸ばす。
左の踵に違和感。何か平たい物を踏みつけたような。
はっと足を戻し、床に眼を落とす。
黒い縁枠に金色の鈴。定期入れだ。
ついさっきまで、そこに定期入れなんて落ちていなかったのに。
「まさか、ね」
愚かな考えと思いながらも、ついつい視線は天井へ。
リビングのシーリングライトは、頭の真上からだいぶ離れた箇所に取りつけられていた。頭上にはのっぺりした木質調湿天井材以外何もない。定期入れが落ちてくる道理もない。第一フローリングの床に落ちれば鈴の音が嫌でも耳に入ってくる。
何これ。どこから湧いて出てきたの。
不可思議な事象の連続に思い悩む暇もなく、彼女は玄関扉の先に人の気配を感じた。あの女占い師が、もう到着したのだろうか。まだ着替えも済ませていないのに。玄関先で少し待たせておこう。
……後ろに何かいる。
突如、夥しい戦慄が五感を駆け巡った。何かがいる。すぐ後ろに。
玄関先のとは明らかに異なる気配を、自身の後方に感じ取った。それも、手を伸ばせば容易に触れられそうな、ごく近い場所に。
振り返らなくては。確かめなくては。
だが、彼女は動けなかった。思考だけが慌しく脳内を駆け巡った。
リビングから廊下に出る戸口は、ロッキングチェアの真正面。考え事の最中、彼女はずっと戸口向こうの寝室を眺めていた。室内に人が出入りしようものなら、視界にその姿が映るのは必然だ。リビングに通じる通行口は、その一箇所しかないのだから。先立って盗品や侵入者を調べたとき、リビングの中には人っ子一人存在しなかった。彼女の背後を取るような侵入経路など存在しないのだ。
相手の息遣いが聞こえてきそうだった。間近に人の気配を感じつつ、彼女はまたしても恐ろしい事実に気づいた。
どの部屋にも侵入者の姿は見当たらなかった。するとその人物は、どうやってここから逃げ出したのか。帰宅した際、玄関ドアには確かに鍵がかかっていた。
窓から飛び降りたのか。いや、それも考えにくい。ここは四階で、寝室奥のベランダも脱出に不向きな孤立した造りだ。
彼女の帰宅後、侵入者がベランダ空間に身を潜めていたと仮定する。開け放たれたベランダのガラス戸は、彼女の手で完全に閉ざされたのだから、締め出された侵入者が再び室内へ忍び込むには、無理矢理戸を壊すより他にない。であれば、廊下を挟んで寝室の真向かいにいる彼女に、その物音が聞こえないはずがないのだ。むろん、そんな音は一切耳にしなかった。
冷や汗が止まらない。もう限界だ。
首が動いた。四肢は未だ動かせない。
首だけが動いた。己の自由意志とは関係なく。そろそろと首が、後方に。
背後の人物と初めて眼が合った。直後、室内に響いたインターホンのチャイム音を掻き消さんばかりの勢いで、彼女はけたたましい絶叫を放った。
侵入者の容姿でも相貌でもなく、何より彼女が驚いたのは、その人物が頭上高く振り翳していた、禍々しい凶器の閃きだった。
巨大な鑿のような、手斧。
いかに目利きのプロデューサーだろうと、空を裂いて打ち下ろされる手斧の刃をかわすほどの卓越した反射神経は持ち合わせていなかった。
裸の定期券を固く握り締めたまま、彼女は頭を打ち砕かれるその瞬間まで、あらん限りの力で叫び続けた。
やがて訪れた沈黙の重い帳が、〈ガダラ・マダラ〉の発起人にして首謀者、南枳実の絶命の証となった。




