第6章・マイペース
小説家・唖倉浪才(本名・朝浦義朗)の代表作『神の唄う街』。その本文から一部を抜粋してみよう。
――主人公・萩野 太一は小学生の頃から”いじめられっこ”だった。いじめられる原因は、太一の母親が伝染しやすい病気にかかっているということである。
「あいつの家には病原菌がうじゃうじゃいるぞ」
「あいつ自身も病気まみれだ」
根も葉もない、ただの先入観と噂だけで始まった”いじめ”。太一が中学生になってもそれは続いた。むしろ、より酷くなった。
「どうして僕がいじめられるの? 僕がなにか悪いことをしたの?」
その問いには誰も答えてくれない。いつしか太一は、生きることに絶望するようになった。それでも大学にまでは進学した。しかし、太一の心はいじけたままで、母の死をきっかけに”死”を選んだ。
「ここから落ちれば、楽に……」
歩道橋の上で、途切れることなく行きかう車たちを見ながらそうつぶやいたとき、ふと思い出したのは、まだ健康だったころの母の歌。
――白く広がるキャンバスに 好きな色や形を描こう
私が祈って あなたが望めば どこまでもどこにでも飛んでいける――
気がつくと、太一は泣きながらその歌を歌っていた。
「お母さん……僕を産んでくれてありがとう。でも、僕はあなたのせいでいじめられました。友達の作り方もわからない、孤独な人間になってしまいました……」
歌い終えた太一が歩道橋の手すりによじ登ろうとした時、後ろから声をかけた女性がいた。
「ありがとうって言葉が出て安心したわ。まだ少ーしはマトモな思考があるなって」
年のころは太一と同じぐらい。その少女は続けて言った。
「今の歌詞、あなたの自作? あたし、バンドやってるんだけどさ、もう一度聴かせてくれない?」
そして、太一の人生は変わった――
「続きは、自分で読んでよね」
「面倒くせぇな……」
夜季はこの小説を読んだことがないため、雛子にあらすじを説明してもらっているところだった。
「とりあえず、配役を決めるとしますか。ヒロインはミオちゃんで決定として……」
ノートを取り出してメモする。
「ちぃーっとイメージが違うような気がするがのぅ」
”じぃ”の言うとおり、この小説のヒロインは普段は明るく、ノリの軽い人物であった。冷静で硬いイメージの壬織では合わないのではないか?
「大丈夫ですよ。壬織は舞台に立つと人が変わりますから」
凛が笑って壬織の肩に手を置く。
「ま、他にやれる女もおらんからの」
「でしょー!? ……って、じぃ、じぃ? あたしもいるんだけど……?」
雛子が一応訴えるが、片や昼間からTシャツとジャージ姿で色気ゼロの白髪娘。片や、大人びた服をキチっと着こなした大和撫子。……結果は日を見るよりも明らかだ。
「……どーせ、あたしは自分でヒロインやるつもりは最初からなかったけどね」
「じゃあ、なにをやるつもりなんだ?」
夜季が聞くと、雛子は腕を組んで答える。
「あたしは、監督に決まってるでしょ〜! ちょっとした脇役ならやってもいいけど」
雛子の言う、「映画をやりたい」とは、自分が映画の画面にでることではないらしい。
「んで、主人公は……”いじめられっこ”かぁ…………ヨキ」
「絶対に断る!」
強い口調で否定すると、”じぃ”がまたもニヤニヤと笑う。
「お前さん、どっちかっちゅうといじめる方が合うとるなぁ」
「……てめーからいじめてやろうか?ジジィ」
実際には、夜季の方が”じぃ”にいじめられているのだが……。
「んー……リンがやったら、女の子たちからすごいクレームが来そう……。姉妹で主人公とヒロインってのもアレだしね」
「姉妹って……僕は男なんだけど……」
凛は抗議するが、雛子は無視する。
「残るは……ユーシ……」
一応、全員が夕紫の方を見るが、仲間内ですらロクにしゃべらない夕紫が引き受けるわけもなく……。
「どっちみち、僕たちだけじゃ全然人数が足りないしね。他の生徒たちにも協力してもらわないと」
「うーん、そうだよねぇ。でも3年生は受験やら就職活動やらがあるし、1、2年生も部活の大会とか多いし……」
早くも手詰まりを起こしてしまった。気まずい空気が室内を覆う。
「さてさて、こっからどんげすっとかのぅ?」
”じぃ”だけが笑っていた。
「ヨキ、なんか名案はないんか?」
ここでわざわざ非協力的な夜季に聞くのだから意地が悪い。しかし、今回はそれが功を奏した。
「なあ、これってうちの生徒じゃないとダメか?」
何かを思いついたようだ。
「別にいいけど……なんか心当たりあんの?」
「俺の知り合いに大学生がいるんだが、その人が年中ヒマだ、ヒマだって言ってるからよ。主人公やらせてみねえかなって……」
雛子は少し考え込み、答えた。
「いンじゃない? この小説って大学の話だし」
「ちなみに、どんな人?」
凛が尋ねる。
「けっこうイイ加減でマイペースで……けど、少しは演劇の経験があるっつってたな」
「イイ加減でマイペース、か。少々扱いにくい人間だのぉ」
……そう言う本人もイイ加減でマイペースなのだが。
「んじゃ、今度連れてきてよ、その人。いつ来れるかわかる?」
「別に……あとは卒論だけ書けばいいって言ってたから、いつでも来れると思う」
「それじゃあ明日ね。この時間に」
そう言って、雛子はパタンとノートを閉じる。
「今日の打ち合わせはここまで! 終了〜!」
「えっ? まだほとんど何も進んでないけど……」
「人数が足りなきゃ話し合いしても意味ないでしょ。今からの時間は親睦を深めるために外で遊ぶとしますか」
決定、という風にVサインをつくる。
「おいおい、こんな調子で本当に映画なんてつくれんのかよ……」
いつの間にやら、本気で心配している夜季であった……。




