世界崩壊の始まり17
「本当に助かりました、中山田さん」
丁寧に、且つ完璧な角度のお辞儀をして、深々と謝罪を述べてくる爺や。
「いや、だからもう良いって。さっきから何度も言ってるけれど、自分でも助けた実感が全くないんだからさ」
「いえ、私の計算ミスでございました。中山田さんがそばにいなければ、今頃、麗羅お嬢様がどうなっていたのか、考えたくもありません。不甲斐ない私めをお許しくださいませ」
先ほどの金髪少年が、屋上での一件でゴーレムと共に姿を消す前、龍音寺に何か呪術を施していることは、爺やもとい、龍音寺も気づいていたらしい。だけど、あの金髪少年の組織について探る為に、わざとそのままにして泳がしていたということだ。でも、予想に反して、強力な呪術であったらしく、龍音寺は魔法も使えずに身動きが取れなくなってしまった。その頃、龍音寺の外にいた(外にいれば自由に行動する事ができるらしい)爺やは、あのレヴィアという妖艶ないかにも魔女めいた氷の魔法使いに、急に襲われて龍音寺の加勢に向かう事がなかなか出来なかったという。
そんな絶体絶命の瞬間を切り抜けたのは、魔法や悪魔に縁遠い一般人である僕の身に覚えのない力のおかげだと、爺やは説明する。
「私も、久方ぶりに拝見致しました。いえ、あくまで麗羅お嬢様の視認した情報から伝わってきたまでなのですが……ゴーレム共を元ある形にしてしまったのは『破魔の力』。それは呼んで字の如く、魔を滅する力の事です」
土や木などを媒介にして、物体を創りだす事ができる『クリエーター』は、通常の魔力とは違う、特殊な力を持っている一族の者であり、悪魔と契約をする事なく首なしマッチョたちの様なゴーレム、あるいは人間に似せた操り人形などを、自然界の微弱な魔力を使って、創り出すことができるらしい。
その為、金髪少年が繰り出した屈強そうなゴーレム達が、膨らみすぎて破裂した風船みたいな音を立てて、土くれに変わっていったのは、魔力を消したから。動力源となる魔力を『破魔の力』で消した為であるとのこと。
魔を滅する、何でそんな力が僕に。
何度も何度も、これは何かの間違いだ。きっと気のせいだ。何重という偶然という偶然が折り重なっただけで、僕は全く関係ない。そんな不思議パワーをこの僕が持っているわけがない、と否定するも爺やは申し訳なさそうな顔をしながら、何度も説明し直してくる。
「何故、記憶を戻す事が出来たのか。何故、中山田さんには人払いの魔法が効かないのか、やっと納得することができました。元々、魔法に強い耐性をお持ちであったのでしょう。それをさっきの状況で、今まで以上の破魔の力を覚醒させたのでしょうな」
ぺらぺらと流暢に解説してくれているが、誰か知らない人の話をされている気分であんまり頭の中に入ってくる気がしない。そう言われてみれば、そうなるんだろうな、と思えるくらいで、納得という思いには至らない。
そういえば、呪術によって辛そうな表情をしていて昏倒していた時、お決まりのセリフで何事もなく立ち上がって見せた龍音寺だったけども、実際は本気できつかったらしいという事を爺やからこっそり聞かされた。
強がりなのか、それとも照れ隠しなのかはわからないけど、爺やが言う、破魔の力が覚醒したと同時に、僕に抱き抱えれていた龍音寺の呪術も消滅したとのこと。
破魔の力というのは、魔を滅する力。つまりは悪魔の魔法や、それに通ずるものに対抗する力の事であり『破魔の一族』という血筋の者から先祖代々受け継いでいくものの為、自然と急にこの力を目覚める事は考えられないという。
その話を信じるならば両親のどちらかが、もしくはどちらもその破魔の一族とやらに当たると考えるのが妥当な所なのだけども、どうにも信じられない。
一介のサラリーマンの父と、生活のやりくりが苦手な主婦の母。
僕の知っている二人は、そんな感じでさすがは僕の両親だ、と思える位に平凡な両親であり、そんな破魔の一族などという厳かなようで胡散臭い血を先祖代々受け継いできているとは到底思えない。
「確かに中山田さんが信じれないという気持ちはわかります。先ほどのクリエーターの少年が言っていた通りに、破魔の一族とは百年以上前に……滅んでしまっているはずなのですから」
いや、信じられないというのは、どこにでも生息していそうな一般家庭である自分の両親が、人知れずそんな特殊能力を持っているようには思えないからで、滅んでしまったとかそんな深い理由からではないのだけど。
まあ、何故滅んでしまったのか気にならなくもないけども、今のところこれ以上は頭の容量を埋めたくないので聞かない。でも、もしその一族が滅んでいて存在しないのであれば、やはり中山田家の血筋は何も関係がないのではないだろうか。
そんな重苦しい理由よりも、日頃の行いにより、運が良かった、と思った方がまだしっくりとはまる気がする。まあ、日頃の行いが良いかは悪いかどうかは知らないけど。
「……私も、破魔の一族に関して詳しくは存じ上げて無い為、少し調べて見ないとなんとも言えない状況ではありますが、何にせよ、中山田さんがお嬢様を助けて下さったのは間違いありません。私の失態から中山田さんにもご迷惑をおかけし大変申し訳ありませんでした」
「爺や、何度も謝るのは止しなさい。……今回は私も同意の上で敵を泳がせたところもあるのだから、貴方だけのせいではないわ」
龍音寺は少し強い口調で爺やを制する。それは自分を戒める言葉にも聞こえた。
その言葉を聞いて爺やは、小さく返事をしてから黙る。
しばし沈黙の中を歩き、分かれ道に着く。いくら一緒に帰っているからといって、家が隣同士なわけでもないので、龍音寺に聞くところによると、丁度この分かれ道がお互いの帰り道の岐路に当たる。
あれだけの出来事があった為、なんて言って別れれば良いのか検討もつかないでいると、右手首を少しだけひんやりとした手に掴まれる。
「ねえ……少しだけあそこに寄っていかないかしら」
手を掴む、というただ少し意外なそれだけの行動で心臓が爆発的に高鳴る。咄嗟の言葉が出ずになんとか頷くと、ひんやりとした手は離れて、僕の先を歩く。ふう、全くもってチキンハートも大概にしてほしいもんだ。
気づくと、また辺りの監視の為離れたのか、爺やの姿はそこに無く、改めて二人きりの状況となった今、一体どこに連れて行かれるのか検討もつかないでいると、周りの風景から行き先を段々と予想する事ができた。
無造作に立ち並ぶ廃ビルには人気はなく、心霊スポットとして同い年くらいの連中が遊び半分で近づきそうなものだけれども、今のところそんな人影も見えない。カラスや猫の鳴き声も聞こえずに、風が吹く音が微かに聞こえてくる。
そんな、何の為に建てられたのかもわからない廃ビルに囲まれた小さな空き地には、人に見捨てられた遊具だったものがいくつかある。寒々しい風景を更に無機質なものに見せるオブジェの他に、唯一、本来の形を残しているのは、古びたベンチがひとつあるだけ。
墓場公園。誰がそう呼び始めたのかわからない。近所の人間であれば大体知っている、ある意味有名な場所になるかもしれないけど、この通りベンチが一つ佇んでいるだけで、後は不気味な雰囲気を味わえるだけの寂れた場所の為、基本的に誰も近づこうとはしない。
もちろん僕も、こんな所に立ち寄る理由なんて全くないので、今まで来たことがあるのも、まだ無邪気な心を持ち合わせていた小学生の頃に、肝試しか何かで、何度か来たことがあるくらいだった。
それが、昨日に続けて二日連続で訪れることになるとは思わなかった。流石に首なしのマッチョは出てこないが、相変わらずの不気味な雰囲気に加えて、少しずつ日が落ちてきたので怖さが増している様に感じる。
こんな何もない所に連れてきて一体何をするのだろう、と考えていれば、龍音寺は唯一存在しているベンチに腰掛けた。少しの間、何も言わないでいれば、視線で「いいから座りなさい」と感じたので、隣に座る。
「私、母親を殺されたの」
ベンチに腰掛けて息をする間もなく、あまりにも唐突すぎるその言葉に、耳を疑った。
まさか、そんなのはお得意の嘘なんだろう。そう茶化そうとも思ってみたが、龍音寺の表情は真剣そのもので、そんな軽口はとても吐けなかった。
「小学生の頃、いつも通りの道を、いつも通りの歩幅で家に帰ると、そこにはいつも通りの居場所はどこにもなかった。真っ赤な血が家中に広がっていたわ。錆びた鉄の様な嗅ぎ慣れない匂いが充満していて、吐きそうになるのを堪えるのに必死だった。本当に怖くて、恐ろしくて、すぐにでもその場を離れて逃げ出したかった。でも、お母さんにどうしても会いたかった。こんなどす黒い血溜りも全部、あなたを驚かせる為の嘘だから安心しなさいと、優しい声で言って欲しかった。優しく抱きしめて欲しかった」
思い出したくない記憶を呼び起こそうとしている為か、次第に表情は険しくなっていき、辛そうなものに変わっていく。
「リビングにね、お母さんはいたわ」
顔を向ける龍音寺。だけどその眼は、僕の知ることのできない何かを見据えていて、目の前にいる僕を見ていない。
「―――でも、お母さんは喋ってはくれなかった。体中を真っ赤に染めて、足も腕も引き裂かれていて、壊れた人形みたいにバラバラで……喋ってくれなかったの」
強く、固く結んでいた紐が解けていく様に、ゆっくりと頬に涙が伝う。
真珠のように転がっていく涙が何粒か流れたら、今度は身体を震わせて、傍目から見ても分かる位に強く唇を噛み締める。
「だから、許せない……私の大好きなお母さんを殺した奴を、殺してやりたい。復讐したい、絶対に許さない」
止まった涙の代わりに、唇の端からは赤い雫が顎に垂れていく。
唇を噛み切るほどの抑えきれない衝動が龍音寺の中で渦巻いているのだろうか。それは、一体どれだけの憎しみと、悲しみの感情なのか。衝撃の過去に、ただただ言葉を失う。
「……中山田くん?」
「その、別に気にしなくて良いから、前にも言ったかもしれないけれどそのタオル、まだ腐る程家にあるから別にそのまま持ち帰っても構わないし、捨ててくれても良いからさ、拭きなよ」
目の前にスポーツタオルを差し出す。夏も近づいてきている今の季節、体育の授業がある日は念のため二枚持ってきている。もちろん差し出しているのは未使用の方だ。
少しの間、急に差し出されたタオルを呆然と見ているだけで受け取ろうとしなかったけど、警戒している動物が少し心を開いたように、静かに受け取った。
一度、タオルで顔を隠してから小さな声で「ありがとう」と言っていたのを、聞き流すようにしてそのままにした。
しばらくそのまま時間が過ぎて、辺りはあっという間に暗くなっていった。夕日が隠れて、暗闇がじわりじわりと僕等を飲み込もうとするのを、どこから電力供給しているのかわからない、一本だけ立っている電灯がなんとか防いでくれていた。
タオルを渡して顔を拭ってから、龍音寺は一言も喋ろうとしない。だからといって、自分から喋りかけようにもこれといって何も思い浮かばない。陳腐な話題を口にしたりすれば、地雷を踏むのが目に見えている。
かといって、無言で立ち去るのも、それは男として流石に酷いと思わないでもない。それに、この状況でそんな真似ができる程、僕の心臓には毛が生えていない。
それじゃあ、僕は一体どうすれば良いのか。ここで少し歯の浮くような、優しい言葉でもかけた方が良いのか。
いや、柄でもないし、彼女に対する適切な言葉が全く僕には思い浮かばない。
母親を殺された。それも、足や腕が引き裂かれ変わり果てた姿になった母親。そんな凄惨な現場を目の当たりにした龍音寺に、なんて言葉をかければ良いのかなんて、語彙の少ない僕に分かるわけがない。
遠くから聞こえてくるセミの鳴き声が、沈黙を破る唯一の救いだった。
セミの鳴き声に身を任せながらも、一向に喋りだす気配もなければ、動き出そうとする気配もない。まるで時間が止まってしまったのではないかと勘違いする位に。もう、それくらいの出来事が起こってもそこまで不思議ではない。そりゃ驚きはするだろうし、信じたくもないけれど、もう僕の創りあげていた拙い世界は崩壊し、パンドラの箱は全開に開いているのだからしょうがない。
墓場公園に着いてから、もう一時間は経ったのかもしれない。どうすれば良いのか相変わらずわからないままだけど、ずっとこのまま何もしないでいれば、いずれ朝を迎えてしまいそうだ。それにひょっとすれば、僕がこんな風に考えるのと同じように、憂鬱げに俯く龍音寺もどう切り出して良いのかわからないでいるのかもしれない。少し飛躍し過ぎな気もするけど、そう前向きに考えなければ出る声も出なくなる。
よし、とりあえず喋ろう。内容は何も考えていないけど、とにかく喋るんだ。
「ねえ、中山田くん」
「あひゃいっ!?」
急に口を開いたことに、なんとも間の抜けた甲高い声が出る。
「ごめんなさい、少しだけ寝てたみたい」
嘘をつけ。そう、声を大きくして言いたかったが、場面が場面なだけに非常に言いづらい。いや、俯いてはいたけれど眼開けてたし、本当に寝てたとかそんなわけないよな。
「その……まあ、それは置いといて」
自分から言っておいて、一体どこに置くというのか。
いつもの決め台詞は無く、いつもの龍音寺らしからぬ、なんとも歯切れが悪い。
ひょっとすれば、本当に彼女も言葉を探していたのかもしれない。いつもの悪気のかけらもなく堂々とした雰囲気はなく、むしろ申し訳なさ気にしている顔を見て、そんな風に思う。
少しだけ間をあけてから、仕切り直す様にして、龍音寺は改めて口を開く。
「ごめんなさい、中山田くん。あなたには一切関係の無い話なのに、私の身勝手に喋り込んでしまって気分を悪くさせてしまったわ。でも、おかしいの。どうして話してしまったのか、自分でもわからない。大雨に打たれ彷徨っていたあの日も、どうして初対面である中山田くんに話してしまったのか、わからないの……これも、あなたの力なのかしら」
いや、そんな事はない、と思う。
確かに、何でこんな重大な話を喋ってくれるのかは、僕自身も不思議には思うけど。
「でも、こんな事を私から言うのも可笑しな話でしょうけど……あなたはこれ以上、私には関わらない方が良い。このままでいれば、今以上に危険な目に合うかもしれない。最初は、私たちでどうにかそれをカバーしようとも思っていたけれど、それも少し甘い考えだったのかもしれない。だから改めて……記憶を、消しましょうか」
それからもう一度「ごめんさい」と添えるように言った。
記憶を消す。それは先ほど起こった出来事なのか、もしくは関わろうとしてきた今までの奴ら全員にしてきたように、龍音寺に関する全ての記憶を消すことだろうか。
それは龍音寺なりに僕の事を気遣ったものであるのかもしれない、それか、余計な荷物を荷馬車から捨てるのと同じく邪魔な物を片付けたかっただけなのかもしれない。ただ、どちらにせよ全てを終わりにしようとするその言葉は―――無性に腹が立った。
「……っは、そうかよ。急に喋ってくれたかと思えば、つまりはなんだ、記憶を消してどうでも良い事にしようとしてるだけじゃないか」
「いえ、そんな事はないわ。あなたはこれ以上、私と関わらない方がきっと良い。私は、復讐と血に塗れた暗闇に近い世界で生きている。それはたぶん、あなたが生きている世界とは正反対の場所で、これからも私はその道を歩み続ける事になる。それは、中山田くんの望んでいることではないでしょう? さっきの連中もどれくらいの規模の組織かまだ検討もつかないわ。このままでいれば必ず更に危険な状況に陥る。私の記憶を、奴らと関わった記憶もすべて何もかも消したと知れば、きっと見逃してくれるはず。だから……」
「――いや、断る。今まで過ごしてきた世界とはまるっきりかけ離れた世界で龍音寺が生きているって……そんな事は最初からわかりきっているんだよ! でも、もう知ってしまったんだよ。現実には存在しないだろうと思っていた空想や想像の世界が、僕が生きている世界にも存在するって。それを知っていながら今まで通りに暮らしていくなんて……そんなの、馬鹿みたいじゃないか。それに、この貧相な身体も、さほどシワのないこの脳も、これといって輝かしい思い出もないこの記憶も、全部全部まとめて僕のものだ。何度も、あの鬼畜幼女に記憶を掻き回されるなんてまっぴらごめんだ!」
面食らった顔をするのを見て、自分も驚く。
何故、むしゃくしゃした気分になっているのか不思議で堪らないまま、無意識に口が動いていた。
わざわざ龍音寺から、一般人の僕に対して安全を考えての、記憶を消す、と言ってくれているのに。この非現実な世界から、いままで通りの生活に戻れる様にしてくれるというのに、何が不満なんだろうか。
記憶を消せば、完全に元通りの生活に戻れる。どこか知らない国、もしくは目と鼻の先にある隣町では、人と悪魔がタッグを組み、魔法を使って戦争をしているのかもしれないけど、そんな事は関係ない。だって、記憶が無いのだから。空想は空想のままで、現実には介入してこない。そんなの最高じゃないか。
そしたら、記憶が消えれば、龍音寺はどのように映るのだろうか。
季節外れな電撃的に転校してきた黒髪長髪の美少女。ただ、そんな風に映り、あの盲信者の生徒会副会長と同じく、龍音寺教に入信してしまうのだろうか。いや、きっと面倒だから、良いところ影でこそこそとモデルさながらの後ろ姿を眼で追うだけが関の山だろう。ああ、今日も綺麗だな。一言でも良いから喋ってみたいな、なんて月並みな事を思い浮かべながら眺めているんだろう。
だけど、そんな中で龍音寺は誰とも関わらず、いや、関わろうとはせずに、一人でこれからも戦い続ける。もちろん、爺やとプリモ、二人の悪魔とは一緒であるかもしれないけれど。同世代の友人は一人もいない。人払いの魔法を使い、嘘で欺き、毒で追い払い続け、いつまでも孤独に、復讐を目的にひたすら歩き続ける。
ああそうか。ひょっとすれば、龍音寺に対してなんの力にもなれない事に悔しさを感じてしまっているのかもしれない。今更、何を考えているんだ。そんなの当たり前の話なのに。自分でもわかりきっている筈なのに。
でも、それでも僕は、彼女の力になりたいと平凡なりに思うんだ。
「……それじゃあ、良いのね?」
「別に良くはないけどさ……まあ、しょうがないじゃないか」
知ってしまったのだからしょうがない。波には逆らわず、そのまま波に乗って流されてやる、そう思うことにした。
今までの世界は崩壊したと思うと、見慣れた場所や風景、周りにいる近しい人間も、きっと違って見えてくるだろう。それなら、見つけだすしかないじゃないか。これからの新しい世界で、それなりの新しい『平凡』を。
「……そう、それじゃあ帰りましょうか」
そう言うと、すくっと立ち上がり歩きはじめる。え、いや、ちょっとあっさりし過ぎてやしませんか。
急いで立ち上がり、小走りで隣まで追いつく。街灯に照らされて輝く程に色白なその横顔をよく見れば、微笑んでいるという表情とは少し違う、どこか怪しげな笑みを浮かべている様に見えた。
何故、そんな上機嫌でいるのだろう、とその表情を見て、急に一つ疑問が浮かびあがった。
記憶を消す、という事は、つまりプリモと呼ばれるあのいかにも悪魔的な思想を持つ鬼畜幼女が、恐らく何かしらの魔法を使ってあれよこれよと消すのだろう。でも、破魔の力とやらで僕は『魔法が効かない体質』ではなかったっけか。
勿論、墓場公園に入る直前まで爺やを交えてそんな話をしていたのだから、それはこの妖艶な笑みを浮かべる龍音寺も知っているはずだ。むしろその業界にはとことん素人の僕なんかよりは確実に知り尽くしているはずだ。じゃあ、何故――って、聞くまでもないか。
怪しげに笑みを浮かべる横顔を再度確認して、嵌められたのだと確信する。いや、確かに自分から言い出した事だし、文句を言う筋合いは無いのかもしれないけれど、何か言ってやらないと腹の虫が収まらない。
すると、少し前を歩く龍音寺はこちらに向き直り、またも上機嫌に聞いてくる。
「ああ、そういえばさっき、中山田くん私に何か言ってなかったかしら」
「え、何かって……何の事だよ?」
「ええっと確か、決め台詞みたいに『話を聞くことはできる』とか、なんとか、かんとか、びんとか」
恥ずかしさで顔が一気に熱くなるのを感じる。何故、今更このタイミングでそれを掘り返すのか。ああちくしょう、この悪魔め。絶対に覚えているはずなのに、その無機質なクエスチョンマークを掲げるのはお願いだから止めてくれ。
「い、いや、それは、あのなんというか、別に深い意味合いの話ではなくて、例えて言えば……そう、ボランティア程度の感覚でだな」
「結構よ」
言葉にならない僕の情けない声を遮るのは、凛とした声で一言のみ。
まあ、別に言われるような気もしていたので、そこまで驚きはしないが、何にそんな緊張する事があったのかと、ため息が出る。
「はぁ……へいへい、そうですか。なんだよ、人が善意で言ってるのにさ」
こんなことを言えば、いつも通りの毒の嵐に巻き込まれてしまうんだろう。身構えていると、龍音寺は覗き込むようにして僕に顔を近づける。吸い込まれそうなどこまでも深い黒の瞳に、特にこれといって秀でた箇所のない顔が映る。ああ近い、近い、近すぎやしないですか龍音寺さん?
「やっぱり中山田くんの学習能力は猿以下ね。いえ、哺乳類のカテゴリに分類されている事自体認められないわ。そうねミジンコと良い勝負なのかもしれない」
毒々しい言葉。だけどその口調はやけに嬉しそうに感じるのは気のせいなのか。
「だってあれだけ何度も言ってあげているのに、まだ私の事を理解していないのだから……――」
季節は気が滅入る梅雨の時期を明け、少しずつ殺人的な気温になりつつ夏の近づきを感じて、気づけば辺りはセミの大合唱がそこらじゅうで鳴り響いている。短い人生の中どれだけ精一杯に生きるのか、セミの人生は大いに大変である。でも咲いては散る美しい花の様に、その一週間という短くも激動の一生は、人間の人生よりも色濃く、そして色とりどりに鮮やかなものに、セミの眼には映っているのかもしれない。
そんな事を思う僕の人生は、小説や漫画、アニメや映画などの世界から程遠く、どこまでも平凡で、セミの人生とは比べ物にならない位にモノクロで、薄っぺらい人生になると思っていた。起承転結なんてそんな形の良い物語にはならず、起こって、ただ終わるだけの『起結』が良いところだろう。
でも、そんな揺るぎない平凡を、あまりにも異色で異彩な『龍音寺麗羅』が一瞬にして跡形もなく吹き飛ばしてしまった。彼女との出会いが僕の人生のレールをどこまで捻じ曲げてしまうのかはわからない。捻じ曲がるどころか、捻じ切れてしまうかもしれない。今まで何となく見えていた僕の平凡的な人生計画は、星も見えない今日の夜みたいに、一寸先は闇のごとく、何も見えなくなってしまった。
悪魔、魔法、戦争、組織、破魔の力?
そんな事を考えれば考えるほど不安は募り、頭は痛くなるばかり。
でも、自分の姿すら見えないかと思える暗闇の中、全く光が見えないわけでもない。それを光と称するのもなんだか不思議な話だけれども、それだけは単純明快で分かることがある。
「――私、嘘つきなのよ」
街灯に照らされた不器用な彼女の笑顔は、暗闇を照らす光の様に、ただ美しかった。
これで『嘘と毒使いの彼女は僕の世界を崩壊させる』
第一章 『僕の世界崩壊の日は』は完結となります。
ここまで、稚拙な文章にお付き合い頂きましてありがとうございます。
第二章は夏休みに入ったところから物語が始まっていくのですが、新キャラや、悪魔と魔法、それと中山田の『破魔の力』などに触れていきたいとおもいます。
では、第二章『ノーサマーデイズ』もよろしくお願いします。
また、感想、批評、誤字脱字の指摘を頂ければ、創作の糧となります。というか、なんでも良いから言葉を残していってくれれば嬉しいっすw
ぜひぜひ、よろしくお願いします。




