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『嘘』と『毒』使いの彼女は僕の世界を崩壊させる!?  作者: 濱田健太郎
第一章 世界崩壊の始まり
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世界崩壊の始まり16

「―――え?」


 頭を金槌で思いっきり叩かれたような衝撃を感じた。

 あの傍若無人な龍音寺が、僕の事をそんな風に思っていたなんて。

 友人、僕なんてただの毒の吐きどころ位にしか思われていないと思っていた。でも確かに、龍音寺が誰かと喋っているところをあまり見たことがない。

 それはもうすでに習慣とも言えるほど癖になってしまった、毒々しい言葉を吐き散らかさないように、白々しくも嘘で欺いたりしないように、無口でいる為なのかもしれない。

 そんな態度の龍音寺であるから、クラスメイトですらなかなか喋りかけることすら出来ないでいるような状態であると思っていた。

 それじゃあ、龍音寺は一体いつ誰と喋る。ひょっとしたら、僕だけなのか?


「だから、全ての記憶を消すことに躊躇ってしまったのです。というのはあくまでお嬢様の感情の一部分を汲み取った上での推測になるのですが」


「……でも、どうして僕なんかを」


「これは私の憶測になりまして、あくまでも真実とは言い難いので、その程度に聞き流していだければと思います。お嬢様とリンクしている上で、漏れてきた感情から察するに、ただ嬉しかったのだと思います。お嬢様が嘘をつき、毒を吐き、悪者を演じる事を決めた日から、対等に喋れる同年代の人などどこにもいなかったのですから。これまた何の因果なのかも分かりませんが、お嬢様はあなたと出会い、あなたと話し、ひた隠していた自分をさらけ出せたのです。もちろん、お嬢様なりのさらけ出し方であり、それが全てではないのですが、ほんのわずかでも自分の気持ちを誰かに伝える事ができた」


「自分をさらけ出せたって……そんなの僕じゃなくても今までも他に誰かいたんじゃないか?」


「いえ、いませんでした」


「……なんで?」


「それは、分かりません。ただ、中山田さん。あなたは自分の事を平凡と仰るのかもしれませんが、私から見ればどこも平凡な人間ではありませんよ。お嬢様と対等に喋ることの出来る一般人なんて、今までどこにもいなかったのですから。『嘘』で人を欺き、『毒』で人を追い払う、そんな無自覚に人格を作り上げてからというものの、中山田さん以上にお嬢様と接触できた人間はいません。勿論、接触しようと試みた人間はいました。特にお嬢様は人類史上最も美しい生物と言っても過言ではない方なので、今まで愚かにも下心丸出しで近づいてきた人間は少なからずもいましたが、数分と経たずお嬢様のもとを離れていくばかりでした……あなたには何か不思議な力があるのでしょう」

 

 不思議な力、いや、僕にそんな力は全く持っていない。ただのどこにでもいる平凡な男子高校生だ。

 その愚かな男子達が哀れでしょうがない。きっと不用意にもあの色香に惑わされて近づいてしまったのだろう。もしくは純情な気持ちが溢れ出し、いてもたってもいられなくて飛び出してしまったのかもしれない。健全たる男子として本能的にしょうがないことだ。

 そして、きっと二言、三言と猛毒に侵されたわけだ。その場にいなくてもイメージできる。

 僕ほど接触する事が出来た人間はいないというのは本当なのだろうか。確かに、龍音寺の毒や嘘は強烈だが、慣れてしまえば……いや、慣れてないし慣れたくもないんだけどな。

 毒々しい言葉に、白々しい嘘。

 確かに人が人と関わっていく上で、最低なコンビネーションだ。


「また、それにお嬢様は、これもまた無自覚にも常に『人払いの魔法』を使い続けてしまっているのです。どんなに輝かしい存在でいようとも、どこか敬遠されてしまう、そんな魔法です」


 だから、というのもあります。と言う爺やに、何故わざわざそんな事を、と言いかけて気づく。どこまでも不器用な龍音寺が、ここまでくると不憫にさえ思えてきた。

 自分なんかの為に流す涙は『罪』だと言う龍音寺。それは仲良くなってしまうから。もしくは好きになってしまうから。それなら、その逆な存在になれば良いと考えたのだろうか。全くもって馬鹿馬鹿しさすら感じる。

 不自然なくらいにあいつの周りに人が寄り付かない理由がこれで納得がいく。過激派の信者を作り上げてしまう程、校内一の人気はあるのかもしれない。

 だがそれでもあいつに話しかけようとする生徒は、僕が認識する上でほとんどいない。良いところ、先生が事務的な用事で喋っている位なものだ。

 ただ喋りかけ辛いから、なんていう理由だけではなかったのだ。そりゃそうだ、あれだけ馬鹿みたいに人気があるのくせに誰も喋りかけないでいるのはあまりにもおかしい。クラスの女子ですら、自然と遠巻きにしてしまっているのがわかる。別に嫌われているわけでもないのに、むしろ神格化するくらいに憧れの眼差しを持っているのに。


「中山田さんは、こんな状況に陥ってしまい驚いてはいるのでしょうが、あなたは自分が思っているよりも予想外にこの不可思議な世界を受け入れようとしている。平凡だと自分に言い聞かせるようにして、どこかあなたはこんな世界を望んでいたのではないでしょうか。現実的ではなく、非現実な世界を。だから非現実なお嬢様の存在を受け入れることができたのでは。そしてそんな中山田さんをお嬢様は何かしらの安堵感を感じあなたに自分をさらけ出すことができたのでは。何度も申しますが、これは私の推測であります。きっとお嬢様自身は意図的には、そんなことを考えてはいらっしゃらないでしょう」


 そのダンディな低音の声は耳に通りりやすく、体の中心まであっという間に侵入してくる。まるで心を裏返しにされた様な不思議な感覚に陥る。


「……いや、そんな事はない。僕は、平凡で安定した人生を歩んで行きたいんだ」


 普通、平凡、安定、現実的。僕が望んでいる世界は、僕が選んだ世界はそこらじゅうに転がっている、それだ。


「そうですか。確かに、今の人間達がそう望むのは、極自然で一般的な考えなのかもしれません」


 爺やはそれ以上、何も言わない。

 一瞬、沈黙が訪れたかと思えば、間に割って入るように鐘の音が鳴り始める。


「……そろそろ戻らないとやばいな」


 なんとなく気不味い雰囲気になってしまった僕は沈黙を抜け出す為、わざと聞こえるくらいの大きさの声で、つぶやく。

 背を向けようとすると、爺やも僕にぎりぎり届くくらいの声でつぶやく。



「この姿は勿論、仮の姿になりますが、見た目の通り長く生きている悪魔になります。世界中の様々な国々に赴いた事もありますが、やはりどこの国も、どの年代も文化が違えども、同年代の友というのは何にも代え難い大切な存在ですから」


「……はっ、本当にあんた、悪魔なのかよ?」


「ほっほっほっ、先ほども言いましたが、私は無駄に長々と生き永らえていましてね、様々な人間を見てきたからでしょうか、考え方、物の見方などが人間に寄って来ているのかもしれません。そんな風に思われてもしょうがないのでしょうな」


 長く生きているというが、一体、幾つになるのだろうか、と思いはしたが、そんな事を聞いても驚かされるだけで、それ以上は何も無いだろう。


「ふぅ、まだわからない事だらけだけど、というか難解な事件がさらに迷宮化したように思えなくもないけど、まああらかた話しが聞けて良かったよ。色々と世界観が変わった気もするけど、改めて僕の住む世界とはかけ離れた世界であることだけはしっかり理解した。これからは、無闇に龍音寺に近づいたりしないから安心してくれよ。それに、そう何度も記憶を消されても困るしな」


 そう、元々近づくつもりもなかったけど、こちらから不用意に近づかなければ良いんだ。まあ、別にそこまであからさまに避けるとかじゃなくて、不用意に接触するわけではなく、あくまで普通のクラスメイトとして、できる限りだ。

 別に僕もあいつの事が嫌いとか、そんな風に思ったりはしない。そりゃ、あの嘘と毒はどうにかならないだろうか、とは本気で思うけれども。

 今回、爺やから聞けた話で、龍音寺の中を少し覗き込んでしまった気分になったが、その結果、謎は謎を呼ぶだけで、全く解決には至らなかった。でも解決しなくて良かったのかもしれない。平凡を望む僕にパンドラの箱を開けるつもりなんてさらさら無いのだから。

 でも、この質疑のおかげで龍音寺は、芯から嫌な奴ではないという事が改めて分かったのでよかった。まあ、最初からそんな事はわかっていたけどね。


「―――いえ、その必要はありませんよ、中山田さん」


「うん、そうだな……ってなにが?」


 できる限り関わらないようにするという僕の言葉に、その必要はありませんよ、それは一体どういう意味だろうか。

 にっこりと、今日一番のさわやかスマイルでもあり、今日一番の邪悪なスマイルにも見えてしまい嫌な予感しかしないんですけど。


「今回、襲撃してきたあの少年、土や木などの自然物からから物体を創り出す事のできる『クリエーター』と呼ばれる者の事ですが。お嬢様が魔法を使い、消し飛ばしたように見えたかもしれません、ですがあれはお嬢様の魔法で消えたわけではありません。逃げられたのです」


 おいおい、アンゴラ辺りに飛ばしたんじゃなかったのだろうか。いや、だから、どこだよアンゴラ。


「あの男が創りだしたゴーレムに緊急時発生用の術式が施されてあったのでしょう。こちらが魔法を発動する前に姿を消していましたから。そう遠くまでいけないでしょうから、追うことが出来たのですが、いやはやお嬢様は優しいお方でありますので、追い討ちをかける様な真似はしなかったのです」


 ただ単に、追いかけるのが面倒だったからだと僕は思うけどな。爺やは龍音寺の事をやたらと誇張する部分がある。親バカというのか、悪魔バカというのか。


「で、それが僕になんの関係があるんだ?」


 龍音寺の毒によって怒り狂った心のか弱い少年に哀れみはするが、別に行方なんてどうでもいい。アンゴラでも、アフリカでも、アンドロメダ星雲でも、どこに行ってくれても僕は一行に構わない。ただ、僕の周りではああいった輩はあんまりうろちょろしてほしくない。


「恐らくですが、今回の事を彼らの組織の上層部に報告する形になるかと思います。その際に麗羅お嬢様の事はもちろん、中山田さん。あなたもその報告の中に、重要人物として挙げられるかと思います」


 ―――は? 組織? 上層部? 重要人物? 何それ?


「どういった理由でお嬢様を狙っているのか、今のところはっきりした確証は得られていませんが、恐らく何らかの組織が動いているのでしょう。確かに、麗羅お嬢様は大変多才で、美しい容姿をお持ちの方の為、狙われる事もしばしばあり、その度に何度か応戦してきたのです。今回、その組織の一味であるだろうクリエーターの少年もお嬢様の事を狙ってやってきたのですが、そこに丁度良く、中山田さんもいらっしゃったので、仲間か何かと勘違いしていると思われます」


 え、なにそれ? 全然意味がわからないし。そんなさらっととんでもない事を笑顔で言われても理解できないし理解したくもないんだけど。要するになんですか、龍音寺は日頃、常に謎の組織とか集団に狙われていて、その中にさっきの変態人形遣いがいて、その変態人形遣いが龍音寺を襲う所に丁度良くが僕がいて、あの変態は僕の事を龍音寺の仲間か何かと勘違いしていると?


「はい、左様でございますね」


「だから、心を読むなっ……ってそうじゃないっ! えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」


 いやいや、何を言っているんだいこのダンディマスク男爵は。

 この平凡中の平凡スキルしか持たない僕が、チートスペック以上の能力を持つ龍音寺の仲間なわけないじゃないか。RPGのゲームで言うところの由緒正しい血筋の聖なる勇者と、そこら辺をぐるぐる歩き廻っている村人Cくらいの違いだよ? 何度喋りかけても同じことしか喋れないよ村人C。

 

「なので、これからは中山田さん。できる限りの形ではありますが、私たちがあなたの事をお守りします」


「へ? 守るって……どういう事だよ? 何から僕は狙われるんだよ」


「何からと言われますと、そうですね……色々とです」


「そんな言葉では表現出来ないようなものから狙われるのっ!?」


 聞かなければよかった。少しだけ覗き込むつもりだけだったのにパンドラの箱はすでに全力で開いていたようだ。


「よしっ! たのむ爺や、サクッと記憶を消してくれ」


 もう、何もかもサクッと消して。こんな悪夢から僕を抜け出させてくれ。


「申し訳ありませんが記憶を消すことができるのは、プリモの魔法の管轄でして、私では消すことはできません。大丈夫ですよ。私たちが出来る限りはサポートさせて頂きます。それにこれは、この気持ちはお嬢様から伝わってきた明確な意思でもありますから。私は、お嬢様に従わせて頂くのみです」


「そ、そんな事言われたって……」


「こんな事を申し上げますと、お嬢様はやはりお怒りになるかと思うのですが、お嬢様に中山田さんの存在は必要なのかもしれません。今のお嬢様にとって唯一、あなただけがお嬢様の『心の拠り所』なのですよ」


「龍音寺の心の拠り所? ははは……そんな、それは幾ら何でも言い過ぎじゃないか」


「はい、言い過ぎてしまいました、申し訳ありません」


 言い過ぎなのかよ。芸人のごとくすっ転びてしまいたくなった。


「ですが、そんな存在になりかけているのでしょう。お嬢様から微かに感じる想いから私はそう思うのです中山田さん。お嬢様の為にも、そしてご自身の為にも、これからどうぞよろしくお願い致します」


 そんな、よろしくお願いされても一体僕に何が出来るというのか、いや、別に何をしろとは言われてはいないけども。とにかくあんな訳のわからない集団相手に何も出来るワケないって。 まず僕の心の拠り所を今すぐに用意してもらえないだろうか。

 龍音寺が謎の組織から僕の事を守る、という意思があると爺やは言っている。女の子に守られるとはどれだけ情けない男なんだろうか。確かに龍音寺が仲間でいることは何よりも心強い気もするけどさ。絶対に龍音寺だけは敵にまわしたくない。

 それにしても、龍音寺が狙われる理由って何なんだ?

 今日襲ってきたあいつは龍音寺の事を殺す気満々だったけれど、命を狙われるような何かを龍音寺はしたっていうことか?


「……なあ爺やっ、龍音寺はどうして」


 と、質問を投げようにも投げかける相手はいつのまにか姿を消していた。あの邪悪なスマイルが残像として目に映るだけだった。

 これから一体何が自分の身に起こるのか、不安で堪らない気持ちでなんとか出口に向かおうと歩きだす。すると何か足の裏に違和感を感じた。

 ガムでも踏んだのかと、足をどかしてみると、そこには乾いた土が人型を成して、潰れていた。


「……なんだこれ?」


 見たところ、先ほどの首なしマッチョの小人版に見えなくもないが、まあ潰してしまったので、特に問題もないだろう。さほど気にもとめずに、教室へと足を急がせた。


 

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 教室に入る何歩か手前で、立ち止まる。がやがやと喋り声が聞こえてくるということは、まだ授業は始まっているわけではないのだろう。

 正直な話、まだ教室には入りたくない。先ほど、龍音寺の狂信者とのやり取りがあった為あっという間に僕はクラス内の悪者も良いところだ。どれだけ人気があるんだよあいつ。人払いの魔法と同時に、強力な魅惑の魔法でも発動させているんじゃないだろうか。爺やの話があった後だからそんな風にも思えてしまう。人払いの魔法が使えるんだったらその逆も使えてとしてもなんらおかしい話じゃないだろう。

 さて、ここで立ち止まっていてもそのうち教師が来ておかしな顔をされるだけだからな。それなら、今何事もなかったように席に座った方がまだマシだろう。そうだ僕は空気だ。空気になるんだ。

 意を決して教室に入り込む。すると予想通りにみんなの視線が一気に集まる。やっぱり大勢の人間に注目されるのはしんどいものがある。黒板の前で自己紹介をする様な感覚に近い。

 一瞬、時間が止まってしまったかのようにも感じたが、それはまたもや一瞬で元通りの世界に戻る。あれ、なんかもっと質問攻めにあったり、罵倒されたりするんじゃないだろうか。


「ああ、そこにいるのは中山田くん、中山田くんじゃないか!」


 先ほどつっかかってきたこと、生徒会副会長兼、龍音寺教幹部の『清木正志』が無駄にさわやかな笑顔で喋りかけてくる。


「いやーさきほどは、とんでもない誤解をしてしまい申し訳なかったよ」


 へ、どういうこと。

 大げさというほど、両手のひらを顔の前であわせて申し訳なさそうなポーズをとっている。


「いや、本当に恥ずかしい限りだよ。でも、君も黙っているだなんてひどいじゃないか」


 なんだこの展開。ぜんぜん話が読めない、むしろお前が黙れば良いと思います。


「まあ、ある意味言えなかったのかもしれないがね。この清木正志ともあろう男が情報収集に穴があったとは全くもって痛恨の不覚だよ。いやあ、全くもって知らなかったよ。君、龍音寺さんの『いとこ』なんだろ?」


「……はい?」


 いつの間にか。休んでいた事実など無かったかのように自分の席に戻っていた龍音寺を目端に捕らえる。その口元はうっすらと笑っており、何かをつぶやいている。

 何を言っているのか、無駄にテンションが高くなっている龍音寺信者により、聞こえないが、たぶんこういってるのだと僕は推測する。


『私、嘘つきなの』


 全くもってとんでもない嘘をつきやがった。そんな展開を僕は望んでいなかったのに。


「さっき龍音寺さんに聞いたんだよ。君は、龍音寺さんのいとこだって。昨日一緒に帰ったのは、まだここら辺に引越してきて間もないから道案内をしてもらうためにお願いしたんだってね。いやぁ、変な風に疑ってしまって悪かったね。まさか君が従兄弟だとは思わなかったからさ。そりゃそうだよね、あの龍音寺さんと仲良さげに帰るだなんてね……」


「あーそうだ。ばれたかー」


 一応そう言っておく。その後にもぺらぺらと喋っていたような気がしたが、適当に聞き流して龍音寺の隣にある自分の席に座る。それと同時に教師が教室に到着し、いつも通りの日常が始まる。何が違うかというと、龍音寺の『いとこ』という称号を獲得してしまったことだけか。何だか今までとは違うみんなからの視線を感じる。善意でも悪意でもない、何か新種の動物を見るような好奇な視線なのか、どうにもむず痒い。大体、いとこってどういうスタンスで龍音寺と接すれば良いんだ?

 と、あれやこれやと暗雲立ち込めるこれからの学生生活の事を考え頭を抱える俺の隣で、いつも通りの涼しげな表情で窓の外を見つめる龍音寺。美術館に展示してある絵画の一枚が、そこに現れたかと見間違えてしまうくらいに美しい存在感である。そんな絵画な龍音寺さんが見てる空は、もちろん俺の気持ちが反映しているわけもなく、暗雲どころか雲ひとつない青空で、清々しい空がこんなにも憎らしく感じたのは生まれて初めての心境かもしれない。

 とまあ、なんにしてもだ。

 龍音寺との騒動は、龍音寺自らによる、好プレーとも珍プレーとも言えない、一言によって、幕を閉じた。



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「そういえば龍音寺、ひとつ聞きたいことがあるんだけどさ」


 授業を何事もなく無事に終え、成り行き上というか、特にお互い約束をしたわけでもないが、クラスの雰囲気にのまれ僕は龍音寺と半ば強制的に一緒に下校してしていた。どうして逆にそんな雰囲気になってしまったのか未だに分からないが、まあ聞きたいこともあったのでよしとするか。

 家がそこまで近いわけでもないが帰り道が途中まで一緒な事もあり急ぐでも悠長にでもなく、自然な歩幅で並んで歩く。傍から見れば高校生男女のカップルに見えているところだろう。

 否。

 事実は、校内1の人気を誇るマドンナと、そのマドンナのいとこが歩いている、と見られているだけだ。

 何故かわからないが、龍音寺がいらぬ嘘をクラスの皆に吐いた後、瞬く間にその情報が校内中に広まってしまったのだ。実際僕たちが並んで歩いている姿を生徒が目撃しても、何事もなかったように過ぎ去っていく。僕のことなんかまるで目に映ってないんじゃないんだろうか、と少し虚しい気持ちになるが、まあ、これで龍音寺絡みの学校での厄介事は減るはずだから良いとするか。


「なにかしら、私のスリーサイズが知りたいのなら、片手の小指で逆立ちをしながら3回まわってワンと言いなさい」


「それはもう犬でも人間でもないだろっ!」


「あら、人間だったの?」


 今まで気付かなかったと言わんばかりに驚いてみせるが、無表情という基本的なスタイルは変わらないのでまるで人形が人間の真似事しているようにも見える。頼むから人を馬鹿にするにしても、もう少し演技のクオリティを上げて欲しいものだ。それとこいつは自分のスリーサイズをそんなに聞いて欲しいのだろうか?

 とりあえず、そんな龍音寺の無理難題を無視して質問を続ける。


「昨日、どうして僕は龍音寺と一緒に帰る事になったんだ?」


 そう、何故かこの部分だけ思い出せないのだ。

 僕自身が龍音寺を誘うようなことは決して無いだろうけれど、龍音寺から誘ったというのならば、それは一体どんな理由からなのだろうか。まさか本当に街を案内して欲しいと言ってきたわけでもないだろうし、というか案内するほど特に何もないぞこの街。


「別に思い出せないのなら、思い出さなければいいんじゃないかしら。思い出せないということは、そこまで重要な事ではないのでしょう? また重要なことだったとしても、それを中山田君は重要だとは思わなかった。だから忘れてしまった。別に忘れてしまっても問題ないような些細な事だったから、ということでしょう?」


 忘れてしまったって、いやいやあんたが記憶を消したんでしょうが。

 無表情なのは相も変わらずなのだが、珍しくも怒気を含んでいるようなトゲトゲしさを感じるのは何故か。

 記憶を消されるが、なんとか思い出すというわけの分からない体験をした僕の頭の中は、まだ少し霧が張っているようなもやもやとした感覚が未だに残っていて、思い出そうにも思い出せない。龍音寺の言うようにそんな大したことではないのだろうか。


「まあ、じゃあ思い出せなくても別にいいかな」


「……そう」


 なんだかやはり腑に落ちない様子の龍音寺。なら、さくっと教えてくれれば良いものを。


「あ、そうだ。龍音寺、今日って何曜日だっけか」


「ん、火曜日よ」


「あーそか、じゃあいいや」


「……火曜日が一体どうかしたのかしら」


「いや、火曜日というか、月曜日だったらの話なんだけど別に大した事じゃないからさ」


「じゃあ、月曜日だったら、どうかしたのかしら」


 何故かやたら問い詰めてくる。普段は僕が何をしようが、ミジンコの欠片ほど何も思っていないくせに。しまいには龍音寺は歩くのを止めて、立ち止まり始めた。なんだろうか、別に表情も、声のトーンも変わっているわけではないのにこの鬼気迫るように感じるのは何故だ? いやちょっと、怖いですよ龍音寺さん?


「いや、だからその、別に大したことはないんだけど……」


「大したことがあるのか、小したことがあるのかを決めるのは私の感じ方次第であって、あなたの主観的なものはどうだっていいのよ。一体、月曜日がどうかしたのかしら」


 小したこと、ってどんな日本語だよ。全く僕の言い分なんて聞こうともしない。


「わかった、わかった話すから、だから近いってぇ」


 実際無表情のまま、近づけられるのは奇妙で怖いけれども、龍音寺のような美人の顔が近くにあるのは心臓に悪い。今は周りに学生の姿は見えないけれど、流石に従兄弟の関係であるという噂があっても顔が十センチくらいの距離にあったら、いとこであるなんていう噂を覆す、ろくでもない噂が流れてしまうに違いないのだから。

 

「本当にそんな大した事じゃないからな。僕の叔母さん。つまりは、母親の姉だけど。その叔母さんが近くの商店街でケーキ屋をやっているんだよ。立派なケーキ屋というよりもこじんまりした町のケーキ屋っていう感じの店だけどな。で、そこそこ人気があるみたいなんだけど、中でもそこの一番人気なのがパイ生地で作ったシュークリームでさ、それが美味しいんだけど……え、なに、うわっ!?」


「シュークリームっ!」


 眼を輝かせるように、龍音寺が迫ってくる。いやだから近いって。

 感情が欠落してしまったかのように、常に無表情な龍音寺が誰にでも分かる表情の変化を見せた。それは欲しいものを目の前に出された好奇心の塊である子供の表情のごとく。僕は、人形に命が吹き込まれた瞬間に立ち会った感覚に陥る。


「あぁ、そういえば龍音寺はシュークリームが好きなんだっけ……か?」


 なんだこの感覚。いつも氷のごとく冷たい無表情な龍音寺。シュークリームが大の好物であり、まるで少年少女の様な表情をして僕に迫ってくるこの光景。デジャブというのだろうか。こんな場面を僕はどこかで見たことがあるような……。


「あっ……思い出したっ!」


 パズルの最後のピースが組み込まれてきたかのように、頭の中がスッキリしていき、それと同時に記憶が流れ込む。

 昨日、僕は下校しようと下駄箱から靴を取り出した時、偶然にも龍音寺と出くわしたんだ。


 『中山田くん、どこか美味しいケーキ屋さんを知らないかしら?』

 あまりにも無表情なくせに可愛らしい質問をしてくるから、少し背筋に冷たいものを感じながらも、僕は叔母のケーキ屋を紹介した。そこそこ近所では有名なケーキ屋だと思っていたが、転校してから間もない龍音寺はあまりここら辺の地理に詳しくないのだから知らないのもしょうがない。

 宣伝の為に親戚の店を紹介するのもあったが、その日が月曜だったので丁度よかった。店の1番人気であるパイシュークリームは、大体いつも閉店までには売り切れてしまうのだが、月曜日だけいつも仕込む量の2倍の数を仕込んである特別な日であり、その日は僕のおやつの日でもある。それが何故かというと、いつもより2倍の数を仕込むと、そりゃいつもより多くの量が売れるが残る日も少なくはない。なので、月曜日の学校帰りは決まって店に立ち寄り、シュークリームを特別にタダでご馳走してもらえるのだ。


 という話をした途端に小動物の様に食いついてきた龍音寺の珍しい姿を見て、「じゃあ一緒に行く?」と誘ってしまったわけだ。

 

「そうか……シュークリームだったか」


 昨日、どうして僕たちは二人で下校をしていたのかやっとはっきり分かった。龍音寺から僕のことを誘ったわけではなかった。きっかけは龍音寺なのかもしれないけれど、最終的に誘ったのは、まさかの僕の方からだった。


「あら、思い出したのね中山田くん……べ、別に忘れてしまっているのではしょうがないと思ったけれど、せっかく思い出したのだから、その……」


 珍しくも、何か言いづらそうにしている龍音寺。明日は隕石が雨の様に降ってくるのではないだろうか。地球の終わりがこんな形で訪れるとは思わなかった。

 あまりの変貌ぶりに何故かこちらが動揺してしまう。シュークリームの力は恐るべし。


「えっと、そうだな。昨日、誘ったのは僕の方からだったわけだし、改めて今日シュークリームを買いにいこうか?」


「ほんとっ!?」


 黒い二つの大きな瞳が、急に輝き出したように嬉しそうな表情を浮かべる。そんな眼でじっと見つめてくるのは非常に困る。それにいつもの龍音寺を知ってる僕からすればこれはもう反則だ。レッドカード退場だ。ギャップというものがいかに恐ろしいものか初めて心底思い知った。


「いや、そそ、そのあれだよ。約束したのは僕のほうでもあるし、今まで忘れてた事もあるから、なんならシュークリームくらいだったら奢るよ」


 あれ、ちょっと待ってくれ、何かおかしい。勝手に記憶を消されたのは僕なのになんで奢らなきゃいけないんだ? むしろ僕は被害者でしかないのに。これは絶対おかしい。ここまで言っておいて情けないかもしれないけれど、こんなものは前言撤回だ。

 と矛盾点に気づき物申そうとするが、そんな感情は全て、急な突風が吹いた様に吹っ飛ばされる。

 ―――笑うしかなかった。

 じんわりと夏を感じさせる陽の光を浴びながら満面の笑顔を見せる人形よりも人形らしく、人形よりも美しい造りをした美少女の龍音寺麗羅。普段の雪女真っ青なイメージからは考えられれない暖かな笑顔。そんな彼女の姿を見ればきっと誰だってそんな些細な出来事全てがどうでもよくなってしまうに違いない。


「ありがとう、中山田くん……中山田くん?」


「あ、あ悪い、ななんでもない」


 どこまでも飛ばされてしまいそうになるのを必死に堪えて歩き始める僕に、その横を歩く龍音寺。

 別に愛の告白をされたわけでもないのに、心臓はバクバクと鳴り続ける。落ち着くんだ中山田。えっと、手のひらに人って書いて飲み込めば落ち着くんだっけか。


「サクサクとした香ばしいパイ生地……中にはとろけるカスタードクリーム……」


 そんな僕の気持ちも知らずに、龍音寺はなんだかどこか別の世界に行ってしまっているようだ。いつもの絶対零度を思わせる無表情は、あとかたもなく溶けて、今はどこにでもいる女子高生の表情をしている。

 ―――いや、僕は勘違いをしていたのかもしれない。龍音寺は『ただの女子高生』なんだ。

 ちょっと毒舌で嘘つきで、魔法が使えて、クラスのマドンナ的なほどの美人で、悪魔二体を身体に宿しているけれども、根本的な中身はどこにでもいる女子高生と変わらない。お菓子や、お洒落、流行の何かに心躍らせて、同じクラスの友達と、どうでもいいことでお腹を抱えて笑ってしまうような、そんな女子高生なんだ。

 ただ、その表現の仕方がいつもわからないだけで、神がかり的に酷く不器用で、その上人を遠ざけて、笑い方も忘れようとしまっているだけで、どこにでもいる女子高生という部分は何も変わらない。

 彼女がどうして、こんな人格となってしまったのか、こんな状況となってしまったのか、詳しいことは僕にはわからない。僕みたいな平凡な人間が、何よりも平凡を望む僕が、彼女の抱える過去や、闇を全て理解することはできないのかもしれない。そんな事を思う事すらおこがましいと感じてしまう僕に一体何ができるというのか。

 何もできない、きっと何もしようとしない。そんな事はわかりきっている。……でも、だけれども。


「なあ……龍音寺」


「なにかしら、馬鹿山田くん」


「馬鹿かどうかは別として、僕の名前は中山田だ」


「じゃあ、なにかしら墓山田くん」


「非常に縁起が悪そうだなその名前」


「縁起が良いも悪いも何も、毎年、おみくじで大凶しか引けない中山田くんには、それこそ縁の無い話でしょう」


「いつ僕が、大凶しか引けないなんて言ったんだよ」


 確かに、中学生になってから三年間。大凶のハットトリックを決めてしまってからおみくじや、くじ引きの類は一切やっていない。

 先ほどの光り輝く宝石のような笑顔は無くなってしまったが、どこかいつもより上機嫌な無表情に感じるのはなぜだろうか。相も変わらない毒を撒き散らかす彼女に、僕は言う。


「そうじゃなくて、だ」


「なにかしら」


「その、僕はもちろん、平凡であるし、平凡でありたいし、そこは一切変えるつもりもないんだけど。もちろんそんな平凡中の平凡な僕が、何から何まで非凡なお前に、こんな事を言うのも果てしないくらいおこがましい話なのかもしれないけどさ」


 『今のお嬢様にとって唯一、あなただけがお嬢様の心の拠り所なのですよ』と、爺やは言っていた。

 どうして僕みたいな平凡な人間を心の拠り所としているなど思ったのか、爺やの言葉の意味が未だに分からない。ひょっとしたら龍音寺は、『ただの女子高生』としてありたくて、その為に無意識にも平凡な僕に接することでそれを感じようとしていたのかもしれない。あくまで推測だけど、きっとそんな感じだろう。

 目が合うだけで、心臓の鐘が鳴るくらいに美しい彼女に対して、僕にできることなんて限られれている。下手をすればこれっぽっちもできることなんて存在しないのかもしれない。でも、そんな情けない僕と接することで、龍音寺が『ただの女子高生』でいられることが出来るというなら、ひとつだけ僕にもやれることはある。


「―――話を聞くことぐらいだったら、きっと僕にでも出来るから」


 話を聞くこと。ただ、それだけ。なんて情けない男なのか。自分ではっきりと言っておいてそんな事を思う。

 でも、僕にはきっとそれくらいしかできない。

 何か力になれればとは思うけど、それぐらいしか思いつかない。

 漫画やアニメの主人公であれば、こういう場面で気の利いたカッコイイセリフが吐けるものなのだろうけど、漫画やアニメの主人公ではない、良い所エキストラ役の村人Cの僕には無理だ。


「中山田くん」


 少し、何かを考える素振りを見せてから、龍音時は口を開く。


「なんだ?」


 きっと、『結構よ』とか一蹴されてしまうのだろうな。そんな風に苦笑いを浮かべて、反応を待っていると、何も返事は聞こえてこない。

 いつの間にか急に立ち止まっていた龍音時の様子が可笑しいことに気付く。

 

「……おい、大丈夫か!?」


 息苦しそうな表情、大粒の汗を流して今にも倒れそうな雰囲気。

 たまらず龍音時の肩に手をかけると、雨に打たれたのではないかと思えるほどその華奢な肩は濡れていた。尋常じゃない汗の量を確認するのと同時に、力なく倒れてしまった。

 すかさず支えるも、どうすれば良いのか分からず、その場で動揺していると、嘲笑うかのようなやかましい声が聞こえてくる。


「はーはっはっはぁ! ここであったが百年目、覚悟するが良い龍音寺麗羅とその他一人」


 その声のする方向には、相変わらず目がチカチカする蛍光色の服を着た金髪の少年が勝ち誇った顔をして立っていた。その他一人ってのは僕のことだろうか。なんだか釈然としないけれども、まあ名前を覚えられても良い事はないか。

 少年は、にやりと悪戯を思い浮かべている小学生の顔をする。


「苦しいだろう龍音寺麗羅、俺様のゴーレムを舐め腐るからそんな事になるんだ」


「おい、龍音寺が辛そうなのはお前の仕業だっていうのか!?」


 色白の肌が心なしか青く見え、呼吸を荒くしている所をみると息をするのも辛そうだ。



「ああ、そうさ! この俺様が何もしないで逃げ帰るわけないだろうが、密かに放っていた超極小サイズの『インビジブルマン五世』の活躍によって龍音寺麗羅の足元には、強力な呪術を施している。その呪術は魔法を封じ込め、その上時間が経てば経つほど身体は衰弱していく、そいつの命も時間の問題だ」


 そのインビジブルマンとやらが何世までいるのか全く気にもならないが、超極小サイズの……あの屋上にいた小さな土の塊。あれが、龍音寺に呪術をかけたゴーレムだったに違いないだろう。

 完全無欠かと思われた龍音寺や、爺や達が何故気付けなかったのか。流石に、あれだけの騒ぎを起こしている中でどさくさに紛れていた事もあり、気付けなかったというのだろうか。

 とにかく、奴の言う通り、見る限り龍音寺の状態はみるみる衰弱している気がする。ひょっとすれば本当に命に関わる状況なのかもしれない。

 

「おい、お前等の組織は一体何が目的なんだ? こんな女子校生一人捕まえて一体どうしようっていうんだ」


「ふん、君は何も知らないから、そんな事がほざける。こんな女子校生一人? こいつはそんな生易しいものじゃないんだよ! 言うなれば『最強最悪の人間兵器』さ」


 最強最悪の人間兵器?


「正確に言えば、龍音寺麗羅、こいつ自身じゃない……こいつの中で飼っている『赤の悪魔』の事だ」


 赤の悪魔。深紅の瞳。燃え盛るような赤髪。きっと『プリモ』と呼ばれたあの鬼畜幼女の事だろう。

 

「君は知っているか? 今もどこかで国と国同士の戦争が水面下で誰にも知られずにひっそりと行われている、『悪魔と人間達の魔法戦争』だ。もちろん誰にでも強力な悪魔を従える事はできない。低級から上級様々な能力をもった悪魔と人間がその命を削り合いながら殺し合いしているんだ」


 悪魔と人間達の魔法戦争。

 あまりにも現実離れしたその言葉に、思考が逃避しかけたが、腕の中で呻く龍音寺の声で、はっと我にかえる。


「悪魔は科学の力よりも、強く、裏の世界で暗躍している。そして、音寺麗羅が自身で召喚した『赤の悪魔』、あれは飛び抜けて強力な力を持っている。俺様達の組織はその力が欲しい! だから、別に龍音寺麗羅、そいつの命なんて本当はどうでも良いんだよ! ただ、利用する為に狙っているに過ぎないんだ!」


 僕は何も知らなかった。僕の生きてきたこの世界は、どこもかしこも平凡じゃなかった。

 龍音寺の言うとおりだった、『この世界は何が起こるかわからない』。

 『魔法戦争』だって? なんだよ、それ。まるで本やアニメのファンタジーの世界の話じゃないか。僕の知らない世界のどこかの国同士が戦争している、そんな壮大な状況だったなんて理解できるわけないじゃないか。

 こんなの、おかしい。

 望んでいたのは、こんな世界じゃない。


「なあ、お前、実際は別に龍音寺と何か深い関係があるわけじゃあないんだろ? 信じられない話だが『悪魔を二体も宿している』なんて、普通の人間ができるとは思えない。どこかネジのぶっ飛んだイカれ女に決まってるんだよ。そんな奴とどう見ても一般人のお前が組織に敵対する者には見えない。ただ、何かの拍子で巻き込まれてしまっただけなんだろう?」


 その通りだ。

 僕は一般人だ。

 悪魔とか魔法とか、そんな得体のしれないものには関わりようがない、ただの男子高校生だ。


「そろそろこっちの世界から、自分の世界に戻るんだな。少し足を踏み込み過ぎたかもしれないが、なあに、赤の悪魔さえ手に入ればどうでも良い。仮にお前が世間に触れ回っても、気が狂った男子高校生の妄言としか認識されないだろうからな、寛大な心を持つ俺様がボスに進言しよう。今まで通りの生活に戻れるようにしてやろうじゃないか」


 今まで通りの生活。

 平凡で平坦で平行的な、脈絡のない、平凡な人生に戻る事ができる。

 戻りたい、でも、龍音寺は……龍音寺は、どうなる?

 

「ん、龍音寺麗羅の事が気になるのか? そいつの処分は俺様達に任せてくれれば良い。まあ、赤の悪魔を剥がした後、この馬鹿な女は楽には死なせないけどな、散々俺様に言いたい放題言ってくれやがって………さあ、普通の生活に戻りたくはないのか」


 普通の生活。

 なあ、『普通』って一体なんだっけか。

 朝、馬鹿うるさい時計のアラームに一度起こされて、まどろむ頭のまま二度寝をしようとすると、妹のアクロバティックな起こされ方で、強制的に覚醒するいつも通りの普通。

 学校では、将来役に立つのかわからない、数式やら科学式を右から左に流していき、おざなりに体育祭やら文化祭の行事を済まし、出席日数だけは確保して、危なげなく卒業していく普通。

 三流、四流大学に入学して、高校生の頃と同じように卒業までの必要最低限の勉強をして、そのまま、どこかの工場に就職が決まって、何の機械の、どの部分のパーツを作らされているのかわからないまま、ただ惰性で出来る仕事に就いて、タイミングがあれば、家族を作り、子供を育む。そうでなければ、ゆっくりと老衰まで、一人きりの人生を謳歌する普通。

 ――――でもこれって、本当に『普通』なんだっけか。

 世界のどこかで、魔法や悪魔なんていうものが存在して、いやそれ以上の常識では考えられない出来事が起きているかもしれない、そんな世界に住んでいる事を知ってしまった上で、今まで通りに過ごそうとするその人生は、果たして『普通』と呼べるのか。

 わからない。それじゃあ僕は、一体どこに戻るんだ。その戻る先は本当に『普通』なのだろうか。

  

「―――あぁっ畜生、わからねぇよ!」


「はあ?」


「世界のどこかで悪魔と人間達が、魔法の戦争をしている……? そんなファンタジー真っ盛りな世界は、小説やアニメ、ゲームや映画の世界だけで充分こちとら満足しているんだよ? それなのに、どこからどこまでも一般人であるとこの僕に、一切関係がないんだよ!」


「はは……だから言っているじゃないか、俺様がボスに進言して、一般人のお前には、いつも通りの毎日を……」


「――でも、それなら龍音寺だって、関係ない……関係ないじゃないか!」


 そう、龍音寺だって、笑えるんじゃないかよ。

 『シュークリーム!』――って自分の好きなものに対してあんな無邪気に嬉しそうな顔もできるんじゃないか。

 本当は同年代の友達と楽しく、ああでもなく、こうでもなくお喋りしたいんだ。運動部に所属すれば後輩から慕われるんだろう、先輩からも信頼される人気者になれただろう。

 でも、きっと出来なかったんだ。本人の意思なんてものは、誰にも分からない心の奥底にしまいこんでしまって。

 どんな理由からなのかは知らないけれど、悪魔を二体も体に宿して、こんな訳のわからない組織の連中に追い回されている龍音寺は、僕の想像のできない人生を歩まざるを得なかったんだ。

 人払いの魔法や、嘘や毒だって、本当は本人の望むものではないんだ。


「龍音寺だって、ただの女子高生なんだ。口が人よりも数倍悪くて、陰湿極まりない嘘を吐くっていう最低で最悪な癖があるけれども、どこにでもいる女子高生となんら変わらないんだよ!」


 この世界は僕の感情や、思いなんてものとは関係なく、無常にも通り過ぎて、ただ回っていくものだと気づいてしまってから、努力とか希望とか夢とか、煌びやかであればあるほど、そんな輝かしい言葉達が、もうどうでも良くなった。

 何かに対して、頑張るのも、だからといって頑張らないのも、嫌になった。

 それならただ普通であろうと。平凡にこの生を全うしようと、そんな風に考えるようになった。そう自分に言い聞かせるようにして生きようとしていた。

 でも、平凡とはかけ離れた非凡な龍音寺こそ、本当は誰よりも、僕なんかよりも『普通の女子高生』でありたかったのかもしれない。  

 だから、だからさ。


「それをお前らの訳わからない戦争の道具になんか、誰がさせるかよ!」


「……っはは、こりゃ笑っちゃうな……お前みたいな一般人が知ったような言葉を吐くなんて、それじゃあ聞くけど、その女の何様なんだよお前」


「何様でもない、お前の言う通り、この日本を見渡す限りどこにでもいる一般人中の一般人だよ。ただ僕は、龍音寺に約束したんだ」


「約束?」


 龍音寺にとってそれは、どれだけの意味を持つのかわからない。ひょっとすれば龍音寺にとっては何も感じることのない、僕の独りよがりなのかもしれない。全く、柄にもなく、ある意味僕らしいセリフと共に、勝手に約束をしたんだ。


「平凡な僕には何もできない―――……だけど『話を聞くことぐらいだったらできる』って約束したんだ」


 僕は約束をしたら確実に守るタイプなんだ、それがもし一方的なものであってもね。


「はぁ、話を聞く……なにそれ? ……っくっくっくあっはっはっはぁ! とんだお笑い種じゃないか、確かに平凡なお前にはお似合いの立ち位置だよ。ただ、残念だなぁ、そんなしょうもない約束すらお前には守る事ができないんだからな……―――それじゃあ死ねっ!」


 存在を消していたのか、どこからともなく銀色の首なしゴーレムが現れて、その巨躯ではありえない、まさに人外な速度で、逃げる間もなく僕との間合いを詰めた。

 丸太のように太い腕を頭上に振り上げる。

 今更だけど、昨日から今にかけて。平凡で、平坦で、平行的な脈絡の無い、僕の知っているいつも通りの日常ではなかった。そりゃ勿論嫌な予感はしていた、回避しようがなかったとも思うけれど、ひょっとすればこの現状は回避できていたのかもしれない。

 爺やが言っていた様に、心のどこかで僕は『こんな非現実な状況』を望んでいたのかもしれない。だとすれば、望みは叶った、身の丈に合わない非現実を求めた結果が、このざまだ。

 でも、僕の人生は、きっとこの先も、誰かの人生を左右するようなものではなく、あってもなくても変わらない小さな歯車のように、ただ終わっていくものだったはずだ。

 だったら良いさ、そんなどうでもいい人生、今この瞬間に終わってしまっても。

 ただ最後くらい良いだろう? どこかにいるのかどうかもわからない、名のある奴からその他大勢の神様さんよ。別にあんたの全知全能な力なんていらないし、むしろそんなものはこちらから願い下げだ。

 少しでいいんだ、平凡な男として生まれてきた僕に格好付けられる、最初で最後のチャンスをくれたって、罰も当たらないし、誰も見てませんって。

 なあ、そうだろう。この嘘つきで、毒舌な、ただの女子高生を助ける力を僕にくれたって良いじゃないか。


「うあぁぁぁぁぁ――――――――っ!」


 無駄な抵抗。そう分かっていても身体が自然と動いた。

 非力な僕は、僕なりの全身全霊の力を込めて右こぶしを握る。

 糸の切れた操り人形の様な龍音寺を支えたまま、頭の中はからっぽに、思い切り殴りつけた。

 

「―――え?」


 ギラギラと主張する鎧の様な銀色の肌に拳が触れた瞬間、頑強そうなその身体は、風船がはちきれたような破裂音と共に、原型を止めない土くれと形を変えた。

 

「は……な、な、なななんだよそれぇぇっ!?」


 金髪の少年は、僕が驚きの声をあげるよりも早く、驚愕な叫びと共に頭を抱えていた。目の前で起きている事が信じられないといった表情で、土の塊となった物を呆然と見つめている。

 一体何が起きたのだろうか。殴りつけた拳を確認してみるも何の変化もない。

 ふと、何かの存在を感じて、視線を金髪少年に戻してみると、首なしマッチョ数体が現れていた。


「なんだよそれ、おかしいおかしいおかしいじゃないか………まあ、良い。インビジブルマンよりか性能は数段落ちるが、お前程度の奴ならこの量産型ゴーレムでも構わないだろう、いけ……いけ、いけえ、とにかくやってしまえぇ!」


 先ほどの大人顔負けの迫力はどこにいってしまったのか、テレビゲームに勝てずにやけくそになった子供が急かし立てるように声を張り上げる。

 一斉に動き出す、首なしマッチョ達を見て改めてもうだめかと覚悟を決めると、銀色の奴と同じく、僕の身体に触れようとしたものから、破裂音を鳴らし、土の塊へと姿を変えていく。


「……どうして、どうして、壊れちゃうんだよぉぉぉぉぉぉ」


 お気に入りのおもちゃが無残に壊された子供のように、しまいには泣きべそをかきそうな顔になっているかと思えば、幼さの見えるその顔が引きつりはじめる。


「ま、まさかお前……いや、そんなはずはない。ボスは言っていたんだ『あの一族は滅んだ』って……」


 あの一族?

 世にも奇妙な恐ろしい物を見る眼で、こちら見ている。

 ついつい後ろを振り返ってみたけど、やはり誰もいない。

 それじゃあ、龍音寺の事を言っているんだろうか。

 そうか。きっと奴らが次々と破裂していったのは、きっと龍音寺の魔法で、もしくは素敵なダンディスマイルを浮かべた爺やが、こっそりと守ってくれたに違いない。

 颯爽と、爽やかな笑顔と共に現れるのを期待するも、一向に現れようとしない。全く、粋な演出にも程があるじゃないか。


「お前、一体何者なんだ?」


 視線が、確かに僕のものと重なった。

 え、ちょっとまって、それ僕に言ってるの? 

 何かの間違いだと、返答する前に少年はおろおろと、座りこんでしまった。


「もし、あいつがあの一族なら、これは赤の悪魔だけの話じゃなくなる……お、俺じゃ判断ができない。ボスに、『龍童寺』様に一刻でも早く報告しなくては……」


「―――やっぱり、あいつだったのね」


「うわぁっ!?」


 突然、喋りだした龍音寺を驚きのあまり放り投げそうになるのを、なんとか必死に堪える。

 すると、つい先ほどまでの辛そうな表情が嘘みたいに、ケロッとしたいつも通りの無表情に変わり、何事もなかったように立ち上がる、ん……嘘、みたいに?


「あら、どうしたのかしらそんな驚いた顔をして、どこかで死体が急に蘇りでもしたのかしら」


 まさか、そんなまさかとは思うけど。

 何事もなかったかの様に立ち上がった龍音寺は、胸を張り、こう答える。


「私、嘘つきなの」


 言われるだろうと思っていても、実際に言われてみれば言葉も出ない。あの今にも崩れてしまいそうな表情は一体なんだったのだろうか、最近の女子高生は、大量の汗すらかけるほど演技に長けているんだろうか。

 あまりにもいつも通り過ぎる龍音寺の悪魔的な美しさに、ただただ呆然としていると、金髪少年は、驚愕の声をあげる。


「なんで、なんで動けるんだよ!? 確かにお前は身動き一つすら取れない状況だった筈なのに、そんな馬鹿なぁ!?」


 さも、死体が蘇った時のリアクションかのように。

 そんな素晴らしいリアクションに賛辞を寄せるでもなく、あっさりと龍音寺は冷たい声で返す。


「ああ、そんな些細な事はどうでもいいのよ。ええ、どうでもいいのよ。それよりも、あなた『龍童寺灰鬼』の居場所を知っているのでしょう、なら……―――教えなさい」


 刹那、全身の毛が逆立つ感覚に襲われる。

 龍音寺の事を少なからず知っている僕じゃなくてもきっと即座に分かる。この溢れ出てくる感情は『怒り』以外の何者でもない。それも火山の噴火する瞬間の如く、正に一触即発とはこの事だろう。

 今にも飛びかからんばかりの迫力で、ゆっくりと金髪少年に近づいていく。


「知っているのでしょう、さあ、早く答えなさい!」


「ひぃい!? ……知らない、知らないんだよぉ。お、俺はボスに直接は会ったことはないんだ……ただいつも指示を受けて、それで……」


「はあ、指示を受けていただけ? じゃあ、それは一体誰なのかしら」


 あっという間に、追い詰められた金髪少年は、首なしマッチョのゴーレム達を召喚するでもなく、ただ呆然と龍音寺から逃れられないでいた。ビリビリと離れた距離でも伝わってくる、あれだけの怒りの眼差しを一身に受け止めれば、見たところ僕よりも年齢の若い少年では、戦意も喪失するだろう。

 ただ、その雰囲気にはいつも通りの冷静な龍音寺はいなかった。冷静に静かな怒りを秘めるタイプだと思っていたのは、僕の勝手なはやとちりだったのかもしれないけれど、何故か少しだけ焦っている様な、あまり余裕を感じられない。大げさに言えば取り乱している、そんな風にも感じる。

 『龍童寺灰鬼』と言っていた。

 龍音寺と苗字が似ている様だけれども、何か近しい人間なのだろうか。もし、そうであれば、何故そこまで鬼気迫るのか。まるで、憎しみを込めるかのように。


「だ、誰って……その、それは」


「――そこまでにしときなさい、坊や」


 どこからともなく、艶かしい声が聞こえた瞬間。

 龍音寺の周りを囲むように、鋭く尖った大きな棘がいくつも浮かぶ。

 夕日に照らされた透明感のあるそれは、一つ一つが三十センチはある氷柱の様にも見えた。

 そして、今から、何が起ころうとしているのは、少し感の鋭い物であれば、明白だった。 

 周りを囲んだ氷柱は、中心にいる龍音寺に向けて打ち放たれた矢の如く襲いかかる。声をあげる間もなく、あわや串刺しになるかと思ったその時、聞き覚えのある電気音と共に、薄緑色の膜状のバリアは龍音寺を包み、見事串刺しになるのを防いでいた。


「遅かったじゃない」


「大変申し訳ありません、麗羅お嬢様。そちらのご婦人に少し足止めをくらってしまいまして」


 氷柱が消え去ったと同時に、龍音寺の隣に現れる爺やは完璧な角度で謝っていた。

 そして、金髪少年の隣には、インドの映画に出てくるアラビアンなダンサーの様な衣装を着た、艶やかな雰囲気を纏った女性がいつの間にか立っていた。

 

「うふふ、少し足止め、ね。こちらは結構本気で仕留めるつもりでいたのですけれども、さすがに、そうもいかない様ですわね」


 龍音寺とは種類の違う妖艶な雰囲気を醸し出す女性は、口を抑えて笑っているけども、その眼は冷たく、怪しく光り、ぞっとする寒気を感じた。

 金髪少年は涙眼になりながらも、その女性の足元にしがみつく。

 

「レヴィア様! 俺、レヴィア様に言われた通りに頑張ったんですけど、う、うまくいかなくて、でも……」


「坊や、可愛い可愛い人形使いの坊や。元々あなたに、赤の悪魔を有する龍音寺麗羅をどうにかできるとは思ってはいないのよ。今回の状況で、どう切り抜けてくるのか試してみたかっただけなの。忠実なる『守護悪魔』を抜きにして、また呪術により魔法を使えない状況で、どうするかをね。でも、結構イイ線いってたじゃないの少しだけ褒めてあげるわ」


 その言葉に、金髪少年は嬉しそうな笑顔をみせる。母親にテストの結果を初めて褒められた少年の様にも見える―――が、母親の方は違う。レヴィアと呼ばれた女性の、あの笑みは我が子に向けるものとは少し違って見えた。似てるようで、非なる。全く別物の愛。同じ同等の人間に見せるものではない、それ以外の動物に見せる、蔑みの混じる歪んだ愛情。


「ただ、べらべらと喋るそのお口は頂けなかったわねぇ。一体、何を喋ろうとしていたのかしら?」


 また嬉しそうな顔から、今にも泣き出しそうな顔をしながら弁解しようとするも、しどろもどろに口が回らないようだ。

 そんな表情を見て、まるで楽しむように笑みを浮かべると、ゆっくりと僕達に顔を向ける。


「まあ、混乱するのも無理ないわ、まさかこの世にまだ『あの一族』の者が存在して、よもやこのタイミングで現れてくるとは、この私もさすがに予測できなかったのですからねぇ」


 冷たい視線が僕に向けられると、それを庇うかのように、龍音寺と爺やが目の前に立ちふさがる。


「あらあらあら、まあまあまあ、なんとも羨ましいのでしょう。龍音寺麗羅さん、私はあなたを本当に羨ましく思うのですわ。戦場に若々しくも咲き誇る一輪の花の様なその美貌。まだ成熟していないにも関わらず絶大な威力を持つ赤の悪魔。どんな窮地に陥ろうとも主の身を守りぬくでしょう優秀な守護悪魔。そして、その少年。ああ、羨ましい。本当に羨ましくて、羨ましくて、羨ましくていっそのこと……―――殺してしまいたい」


 また強烈な寒気を感じたと思えば、次の瞬間には僕たちの周り以外は氷に包まれていた。

 コンクリートの地面、電柱や電線、見渡す限り氷漬けにされてしまっている、まるで氷河期の世界に、誤って投げ込まれたみたいに。

 吐く息が白くなる、寒気どころか普通に寒い。


「うふふ、やはりこの程度では殺せないのですね。分かってはいたのですが、安心しました」


 氷漬けの状況と寒さに気を取られていると、いつの間にか、現れていた首なしゴーレムの肩に二人は乗っている。

 僕よりも早く気づいた龍音寺は、凍えるような寒さも関係なく、二人に向かって猛然と走りだす。


「焦らなくてもいずれ会うことになるでしょう、ではごきげんよう。二体の悪魔を宿す可哀想な龍音寺麗羅、そして『破魔の力を持つ少年』」


 その言葉を残し、音もなく消え去った。また緊急時発生用の術式が施されているゴーレムだったのだろうか。

 二人が消えたと同時に、氷漬けになった世界は、溶けるでもなく嘘の様に消えてしまった。その代わりにむせ返るような気温が急激に戻ってくる。どれくらいの気温差があったのか検討もつかないが、激しい気温の入れ替わりに少しだけめまいがした。

 龍音寺の様子を伺ってみるも、無言で何かを考えている風で、声をかけることが出来なかった。ひょっとすれば、何かレーダー的な索敵能力で、奴らの事を追いかけている最中なのかもしれない。そんな近未来のロボットみたいな真似ができるのかどうかなんて僕にはわからない、逆に言えば何ができないのか、それすらもわからない。

 どこか近くもなく、遠くもない場所で、夏を知らせるセミの鳴き声が聞こえてくる。先ほどまで吐く息が白くなるまで、気温が下がっていたのが改めて信じられない。解けて水に変わるでもなく、跡形もなく消えてしまったのは、魔法による氷のせいなのかもしれない。

 ああ、魔法。そんなワードが当たり前に頭の中で出てくる事が、まるで嘘のようだ。

 そう、これもあれもそれも、全部まとめて、いつも通りにお決まりなあのセリフを今だけは言って片付けてくれないだろうか。

 そんな事を切に願っていると、龍音寺から小さなため息がこぼれた。


「……帰りましょうか」

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