世界崩壊の始まり11
―――――こうしてあの日を思い返してみても、改めて謎ばかりの美少女だ。
あの日から一ヶ月程度経つけど、特にあれから僕たち二人は、接触する事なく過ごしてきた。
ゲリラ豪雨に打たれる停留所の30分間にも満たない衝撃的な時間が、嘘の様に思えるほど何事も起こらなかった。
転校してきてから日が変わる毎に、龍音時の人気は爆発的に右肩上がりだった為、何の接触も無かった事に関しては、平凡を愛する僕にとって間違いなく前向きな出来事ではあった。確かに彼女の存在が気にならないわけではなかったけど、特にどうこうしたいわけでもなかった。
それに、龍音時は僕の知っている限り、誰かと喋っている所を見かけた事がない。自分から喋りかけにくい雰囲気を醸し出して、皆もなかなか近づけないだけなのしれない。
それはひょっとすれば、彼女なりの『自分らしく』なのかもしれない。無口でいること。いや、真意はわからないけど、僕の知る限りでは、『嘘』や『毒』で誰かを陥れる事はしていないようだった。
けど、そんな孤高な雰囲気も何故かプラス方向に修正されて。今では『深窓の麗人』や『学校に舞い降りた女神』など下手をすれば神格化しているのだから恐ろしい。
そう、そんな神にも等しい人物となってしまった奴に、下手に僕なんかが喋りかけている所が見つかってしまえば、どんな恐ろしい状況となるのか考えたくもない……と思ってみれば、今まさにその最悪な状況の真っ最中じゃないか。
どうすれば良いのか解決の糸口が見当たらない。
唯一の小さな光として、龍音時に真相を確かめる事だが、お休みしているのだからしょうがない。
教室に戻れば、龍音時教の過激派信徒に避難の嵐を浴びせられるに違いない。
「あぁ、面倒臭い面倒臭い面倒臭い………よっしゃ、今日は授業をサボろう!」
そんな戦場にわざわざ戻る程、命知らずではない。
無断で授業をサボれば後々、面倒な事に成りかねないが、現状と明日を秤にかけてみれば、どちらが楽なのか一目瞭然だ。何より、答えの出ない問題で悩んでいる今をとにかく脱したい。
さて、母親には適当に嘘をつくとして、明日、担任の教師にはなんて誤魔化すかな。
「あら、もう帰ってしまうの中山田くん?」
身体が飛び跳ねるように反応し、聞き覚えのある声の方向へと勢いよく身体を向ける。
「りゅ、龍音寺!?」
目の前には、相も変わらずの美少女が、暑い日差しに照らされながらも、涼しい顔で、いやもう、冷たそうな無表情でこちらを見つめている。
「どうしたのかしら、中山田くん。そんなハゲタカに狙われている死体のような顔をして。体調が悪いのかしら? それとも頭が悪いのかしら? いえ、ごめんさい。それはもう周知の事実だったわね。いまさらそんな事を言ってしまっては、中山田くんに失礼だったわ」
「失礼の基準が違う!?」
こちらを見つめている? いやいや見下しているの間違いだ。
急に現れたかと思えば、礼儀正しく律儀にも、いちいち毒を浴びせてくる。全くもって不愉快だ。
一ヶ月ぶりの相手に喋りかける言葉ではない……―――ん、ちょっと待て、僕はもっと最近、龍音寺とこんな不毛なやり取りをしたような気がする。
「本当にどうかしたのかしら、中山田くん」
「……ああ、いや、別になんでもない。そういえば龍音寺、今日は学校を休んだんじゃないのか」
そんな事を龍音寺教の幹部であるいけ好かない眼鏡野郎が言っていたはずだ。
「ええ。お休みしたわよ」
「じゃあ、なんで学校にいるんだよ?」
「居てはいけないのかしら?」
いや、そりゃ良くないだろう。
お休みしたんだから当然だ。しかも、体調が悪いとかそんな理由だったはず。目の前の龍音寺は少しも体調が悪いようには見えない。というか表情が読めないので基本的に分からない。
「そうね。この場所に来ると昔を思いだすの。まだ、私が小さな頃。近所の女の子グループにいじめられて、生きている意味がわからなくて彷徨っていた時、ふとこの場所に立ち寄った私は、あろうことか自殺を試みたの。まだ小さいながらも人生というものに絶望を感じて、この先、生きていてもしょうがないのではないのかと、そんな風に自分自身に問いかけながら、私はこの緑色のフェンスを乗り越えようとしてた。だけど一番上に乗りあがろうとしたその瞬間、大きくて、強い風が吹いたの。私は、バランスを崩して落ちてしまいそうで、なんとかフェンスにしがみついたわ。落ちる事はなかった。だけど、それから何度もこのフェンスを乗り越えようとするたびに風が吹いて、その度にフェンスにしがみついてその先に行く事が出来なかった。そして、いつしか私は泣いていた。どこかにいる神様が、私にまだ、必死に生きろと言っているようで。それから私は辛い事がある時は、ここに来るようにしているの」
「ふむ、そんな深い理由があったとは思わなかったな。それじゃあ、ここは思い出の場所になるわけだ。これはこれは邪魔しちゃって申し訳ない……って嘘だろ!」
「ええ、嘘よ」
常識でしょ。と言わんばかりに間髪入れず、そんな返答が返ってくる。いつも通りのお決まりのパターンだ。
だいたい、最近この辺りに引っ越してきたばかりの奴が言う言葉ではない。
「そんな事よりも中山田くん。何か私に用でもあるのかしら」
いきなり話題を変えたかと思えば。鋭い視線がこちらに刺さる。
「用? 別に用なんて……あ、そういえば」
あまりにも急に出会った為、一番聞かなければいけない事を、忘れてしまっていた。
「昨日、僕と龍音寺が二人きりで下校した、って今学校中の噂になってるんだけど、龍音寺知ってるか?」
「知ってるか? というのはどういう事かしら」
「ああ、ごめん。質問の仕方が可笑しいよな。実はというと、なんでかわからないけど僕、昨日の記憶が曖昧であんまり覚えていないんだ」
靄がかかった様に、思い出すことができない。
クラスの皆が、下手すれば学校中が噂している、下校中のシーンから。
「そう……それだけかしら?」
「それだけ?」
「質問はそれだけかしら?」
「は? ええっと、そうだけど……」
「そう」
そう言うと龍音寺は一瞬だけ、何故だか少しホッとした表情をしたような気がするのは気のせいか。もちろん、人形よりも淡々とした無表情の龍音寺だから、特にこれといった変化があるわけでもなく、あくまで感覚での判断だけど。
「えー、あの、で、実際どうなんだ?」
「何が?」
「いやだから、昨日僕は、龍音寺と二人きりで下校するなんて、そんな事を僕はしでかしたのかって」
「ええ、したわ。もう思いっきりしたわよ」
衝撃の事実。……とまあ、ここまで皆が噂している中、記憶が無いにしてもそうなのかもしれないとはさすがに思いはしたけども、いまいち信じられない。
「……ちなみに、どうしてそんな状況になったんだ?」
僕から誘う理由はさすがに思いつかない。なら龍音寺からだとは思うけど、よくよく考えてみれば、別に異性的な意味合いでの誘いではなくて、他に何か理由があったのかもしれない。男子一人を誘わなければどうにもならないような力仕事とか、まああんまり考えつかないんだけども、ひょっとしたらそんな理由が。
「ないわ。もう思いっきりないわ」
「だから思いっきりってなんだ!?」
「とにかく、理由は特にないわ」
「町内の案内をさせる為に連れ出した、とかそんな感じじゃないのか?」
「ええ、そうよ、その通りだわ」
そうきっぱりと強引に言いきる龍音寺。
明らかに不自然な返答。特にこれといって変わった様子は無く無表情なままなんだけども、何かを隠してる風にも見えなくない。でも、このまま追及しても教えてくれなさそうなので話題を変える。
「ああ、いやもう別に理由とかどうでも良いんだけどさ。でも、そのどうでも良い感じに誘ってくれたおかげで、こっちはだいぶ迷惑してるんだよ」
「そんなのは知らないわ。だいたい私にひょいひょい付いて来てしまった中山田君が悪いのではないかしら?」
ぬぬ。それを言われてしまったら何も言い返せない。そうだよ、僕はなんでそんな後々面倒な事になるのが丸見えな事を了承して、付いて行ってしまったのだろうか。
この面倒事が大嫌いな僕が、そんな事を許すはずもないんだけど、一体何があってそんな愚かな過ちを犯してしまったんだ。
「それにしても、中山田くん。そろそろ教室に戻った方が良いんじゃないかしら」
「え、ああ。もうこんな時間か」
右腕に付けていた時計に目をやると、昼食休みも後半に差し掛かる頃だった。
「お前は来ないのか?」
「ええ、だって私はお休みしてるもの」
お休みしてるもの、ってなんだか矛盾してるような気がしないでもないけど、まあ、良いか。
それよりも、あの教室に戻ると思うとなんとも気が進まないな。また、あの異様な空間に飛び込むのは実に肌に合わない。うーん、やっぱりサボってしまおうか。でも、今日サボったところで、明日また同じ内容で追及されるだけだろうし、むしろ今日の内になんとか解決しておかないともっと噂が過激化するかもしれない。
「あー……どうしてこんな事になっちまったんだ」
龍音寺に会えば、昨日の事もなんとか思いだせるかもしれないと思ったりはしたけど、どうしてもモヤモヤとした膜のようなものが邪魔して思いだせない。でも当の龍音寺が二人で帰った、と言うんだから、釈然としないものはあるけどこの問題は解決なはずだ。
でも、解決なはずなのに、なんでこんな気分が晴れないんだ。
僕が思いだしたいのは、一体なんだ? 昨日の記憶? 昨日の何時だ? 昨日のどこだ? 一体何が起きたんだ?
「ちが、う……僕が……思いだしたいのは―――」
もう一度だけ深く記憶を探ろうとした途端に頭が重くなり、脈動するように痛みが鼓動を始める。まるで触れてはいけないものに触れてしまったかのように。
「―――くん?」
近くで声がする。全てを溶かしてしまいそうな甘い声が、頭の中をかき混ぜる。
思考はぐるぐると渦を巻いて、辺りの景色がごちゃ混ぜになる。
何もかもが溶け合って、混ざり合って、本来の形、色、存在を変えていく。
まるで、平凡で平坦で平行的な脈絡の無い、『僕の世界が崩壊していく』ように。
「―――中山田くん」
「……うわっ!?」
朦朧とする意識の中、自分の名前を呼ぶ声に誘われるようにして、ふと気がついてみると、龍音寺が目の前で首を傾げて僕の顔を凝視していた。ほんの数センチもないような間近な距離で。
とっさに距離を取ろうとして、足を踏み外し、尻もちをついてしまう。
「あら、どうかしたのかしら中山田くん。そんな目をオセロの様に白黒させちゃって。世にも美しい美女でも見つけてしまったのかしら」
「べ、別に、なんでもない」
そうじゃない、と即答できないところが少し腹立たしくなる。確かに、世にも美しい美女だと思うのだから。何度も見てきた顔だっていうのに、いまだに間近の距離で見てしまうと、心臓の鼓動が速鐘のごとく鳴りやまない。基本的に女性にそれほど免疫があるわけでもない僕なのだからなのかもしれないけど。龍音寺のパーソナルスペースが未だに測れない。
ああ、顔が熱い。何故かわからないけれど、とにかくこの場を脱出しないと気まずくてしょうがない。
「そ、それじゃあ、僕は行くよ」
そう言って、目を合わせないようにしながら、校舎の中に入ろうとドアノブに手をかけて、ふと足を止める。
そういえば、龍音寺が学校に来ているんだったら、みんなに説明、いや良い方向に誤魔化してもらえばそれで一件落着なんじゃないか? 龍音寺だって僕とそんな噂になっている事は知らなかった様だし、ありもしない噂が流れていれば良い気分でもないだろう。
暗雲の気持ちに一縷の光が差し込んだ僕は、勢いよく振り返る。
「あのさ龍音寺、ちょっと一緒に……」
その瞬間、季節の移り変わりのせいなのか、それともそれが運命だったのか、そこは定かでわないのだけれど。
神の悪戯とも思える強い突風が吹いた。
「―――あ」
目の前に、スラリとモデルさながら、姿勢よく立っていた龍音寺。
何の前ぶれもなく吹いた神風によって薄い布が自由にひらひらと舞いあがる。
目の前の神々しくも艶やかな美しい黒が、僕の視界に写り込む。
そして、僕は―――。
「―――思い、出したあぁぁ!」
両方の鼻の穴から、真っ赤な滝を流した。




