世界崩壊の始まり10
『毒』で追い払い、『嘘』で欺いた。龍音寺は言う。
それは一体どういう事なのだろうか。
「簡単だった。私が私でなくなるのは。私に近づいてきた、ええ、親しくなろうとわざわざ歩みよってきてくれたのでしょうね。だけど、私は、そんな彼女たちを辛辣な言葉で、悪意しか感じれない言葉で、『毒』で追い払ったわ。ある時は、何か相談事があると私に言いよってきた子もいたわ。友達とのもつれだったかしら。いえ、恋愛話だったかもしれない。その信じきった瞳をした子を、私は『嘘』で欺いたわ」
笑いもせず、嘆きもせず、悔みもせず、ただ淡々と喋る。
「時間は、そう必要なかったわ。一週間、それくらい経った頃かしら。クラスの皆は、私の事を見なくなった。私の喋る言葉を聞かなくなった。私は、私で無くなったのよ」
そんな姿を見て次第に、背筋には冷たいものが走っていくのを感じた。
「私が、私でなくなった頃から数か月が経つと、今までの様な悲しい結末は訪れなかったわ。例のごとく、父親は新しい転勤場所に移動すると言って、また転校する事になった時、まるで何事もなかったように、担任の先生すらも朝の挨拶をすました程度の流れで、終わった。それは、そよ風が横を通り過ぎていった事よりも些細な出来事で、勿論、涙を流す生徒おろか、清々した表情をしていたわ」
そう、喋り終え、また沈黙が姿をみせる。
―――つまり、要訳すると。
『クラスの皆に涙を流させない為に』龍音寺は、『私は、私でいる事を止めた』といった。それは、新しい学校、新しいクラスに歓迎され、必死に溶け込もうと順応する為に努力していた今までの自分を捨て、彼女の言う『毒』で追い払い、『嘘』で欺いた。
つまりは、『嫌われ者』を演じた。
もちろん、転入早々そんな狂気にも似た行動を取れば、自然とクラスメイトは離れ、話を聞こうとするものはおろか、彼女をいないものとするようになるだろう。要は転入生『龍音寺麗羅』を空気のように扱うようになり、最終的に無視するようになったんだろう。
だけど、それは、至極自然な成り行きだったのかもしれない。
何の言われる覚えもない、悪意しか感じない言葉で罵られ、心を許して悩みの種を明かせば、嘘で欺かれる。そんな残酷ともいえる、悪行の繰り返しは、一人の人を空気のような存在に変えざるを得なくなるのだろう。
龍音寺の言わんとする事は、なんとなくだけれどわかってきた。
「……だけど、そんなのは悲しすぎる」
思っていた事が、そのまま言葉に出たような気分だった。
「そう。でも、これが一番の別れの方法なのよ。誰も涙を流さない、別れに嘆くものは一人もいない」
「そんなのは身勝手すぎる。どこも……一番の別れなんかじゃない」
僕の発したその言葉を、まるで聞こえなかったかのように視線を外して、また。雨の世界に顔を向けてしまう。
他の道は、いくらでもあったと思える。別に、『毒』や『嘘』なんかで自分を無理矢理武装させて、あたかも自分じゃないように、自分を演じて見せなくとも、他にも、一番の別れかたは、あったはず。
そして、これは僕の勝手な推論になるのだけれど、きっと、龍音寺は、雨の世界を憂いにも思えるその表情で見つめる彼女は、他にもその方法がある事を、いままでやってきた事が、決してベストではない事をわかっていたのだと思う。
だけど、知っていてわざわざ、彼女の言う、罪というものであるものを、『自分だけが被る』ような事をした。
つまり彼女は―――
「優しいんだな」
―――そして、不器用だ。もう神がかり的に。
「え?」
面食らった顔をして、雨の世界からこちらに顔を向ける。どうやら、今の言葉が、想像以上の衝撃だったのか、初めて人間っぽい、人間臭い顔をした龍音寺を見たような気がした。
だが、数秒間そのまま一時停止した後に、すぐに元の無表情に戻ってしまう。
「……別に、そんな事はないわ。私は、ただ私の我儘を通しただけ」
「出来ないと思うけどな。普通の奴はそんな事。あー、えっと普通とかじゃなくて、その、僕には間違いなくね。―――それを罪と呼ぶには、少し間違っているような気がする」
少なくとも、僕にはそんな真似は出来はしない。転入早々、嫌われる為に、自分じゃない『悪者の誰か』を演じるなんて凶行にも似た行為は出来ないだろう。ただ、教室の隅にひっそりと居るだけの空気になるだけなら、出来たかもしれないが、きっと龍音寺に、それは無理な話だったのだろう。
僕の目からだけではなく、誰の目から見ても、美しい、という表現が出てくるだろうその容姿だ。廻りの皆が放っておくはずがない。それは、男子からだけでもなく、女子からも同じ気持ちだろう。龍音寺自身が、そう言うだけあって、ひょっとしたら最初は、自分からは誰にも話しかけずに、そこには何もいないと言わんばかりに、存在感を消そうと努力をしたのかもしれない。無関心であろうと。
だか、それをクラスの皆は許さなかったのだろう。これだけの存在感のある容姿だ。少し昔の、龍音寺がどんな容姿だったのかは知らないけれども。
「何故、そう思うのかしら」
何故。
本当に気付いていないのだろうか。いや、気付いていたが、いつの間にか分からなくなったと言ったほうが正しいのかもしれない。
「その、なんというか、僕はこの街に生まれて、そのまま何の障害も無く育ってきたから、転校なんてもちろんした事なんてないし、正確にはなんとも言えないんだけどさ……なんか違うと思う」
龍音寺に向ける、適当な答えが見つからずに、なんとも微妙な答えになってしまう。そんな僕の回答に対して、龍音寺は「そう」とつぶやいただけだった。
「あのさ、龍音寺」
「なに?」
「次の学校では、ちゃんと『私』でやりなよ」
この言葉が、この会話の中で適当であったのかは、分からない。大体、こんな事に答えなんてものはないと思うし、必要ないとも思える。だから、この言葉は、僕の、ただのそうした方が良いと思うよ。という助言であるだけで、それ以上にも、それ以下にも、他意はない。
そんな僕の言葉に、龍音寺はまたも首を傾げて「何故?」とクエスチョンマークを掲げる。
そして、そんなクエスチョンマークに対して、僕は、僕なりの答えを、応える。
「もし、また龍音寺が転校する事になったとして。もし、そのクラスの皆が泣いてしまったとしても、そんなのは別に、罪でもないし、誰かが不幸になるわけでもない。ただ、少しの間、悲しい気分と寂しい気分がクラスの中で泳いでいるのと、皆の頭から、特に男子の頭から美人の顔が離れないだけだからさ。そんなのは、別に気に病むほどの事じゃないと思うんだ。そう、言うなれば彼らは、もしくは龍音寺も……青春の一ページを飾っただけだね」
「……青春?」
「そう、青春」
口に出して言うのは少し恥ずかしい気持ちもあるが、いや滅茶苦茶恥ずかしくて絶対顔は赤くなっているだろうけど、言ってしまったのはしょうがない。きっとこの異様な状況が僕を変な方向へと誘っているんだ。
でも、たぶんまあ、そういう事なのだと思う。別にそこまで気に病む事などないのだ。どこの学校でも、ってわけでもないが、仲の良かったクラスメイトが転校していってしまうだなんて、見送る側からしては、別段そこまで珍しい話しでもない。
「だから、もう少し、気楽に考えてみても良いと思うよ」
「……気楽、に」
「うん、気楽に。そりゃ、お互い寂しくなるところもあるけれども、それに対して、どちらかが憎まれる必要もないし、責任を問われるなんてこともないからさ」
この目の前にいる怖いくらいに、嘘みたいに美少女な龍音寺が、昔はどんな人柄だなんてそんなのは僕の知る由もないけれど、だけれども、もし、こんななんてことのない小さな事で悩んで、無理矢理人格を変えて嫌われようとしているだなんて、そんな事実は、もったいない。
それに、きっと彼女は、とても優しい人間なのだ。会うなり、中傷的な言葉を流れ出るように言われてしまったが、それは直感がそう告げている。
「そう……中山田くん」
「ん?」
「余計なお世話よ、糞野郎」
「……ん?」
思いがけない言葉で思考が遅れている僕に、毒の弾丸はここぞと言わんばかりに飛んでくる。
「まず、こんな狭い町で今までの一生を過ごしてきた、籠の中に閉じこもった駄鳥のあなたにそんな事を言ってもらう覚えはないわね。今までその眼でどんなもの見て、どんな事を感じてきて、どんな事をしてきたのかは、分からないし、知りたくもないのだけれど、あなたにはそんな事を言われるのには虫唾が走ってしまうわね。謝罪を要求するわ」
「しゃ、謝罪!?」
何故にここまで言われてるのかも分からない上に、まず何に対しての謝罪だかもわからないんですが。
「気持ちはいらないわ。福沢くんが模写されている紙を要求するわ」
「それはただのカツアゲだっ! というか、歴史的人物を馴れ馴れしく君付けで呼ぶなっ!」
心底汚い物を見るかのような目でそう吐き捨てる龍音寺にすかさず切り込む。優しい人間? やっぱり前言撤回だちくしょー。
「あ……でも、その、なんというのかしら」
「今度はなんだよ。犬か、猿か、それともキジか?」
もう言い返す事も馬鹿馬鹿しくなってきたので、相手に乗ってやろうと思っていると、当の毒舌姫は、何か言いたそうに、口をパクパクと開けては締めてを繰り返している。その表情は、困惑しているかのような、なおかつはにかんでいるような、雪のように真っ白だったそのなめらかな肌をした頬は、うっすらと赤み帯びている。
「あ……あり、がとう」
「……ふぁい?」
非常に間抜けな声が出てしまった。
まさか、そんな言葉を聞けるとは思わなかったのである。てっきりまた斜め右上位から来る毒舌ビームが飛んでくると思っていたのだから、思いっきり拍子ぬけてしまう。
それに、つい数分前まで、感じていた血の通ってない精巧な人形のような無機質なイメージはどこか吹き飛んでしまっていた。いま、僕の目の前にいるのは、ただの、恥ずかしそうに顔を赤くしたどこにでもいるような女子高生だ。ただ、少し違う所と言えば、精巧な人形のように欠点のない怖いくらいの美しさをもつ、モデルも真っ青な究極なスタイル、という所だけだ。
「えと、あの、龍音寺さん?」
なぜか分からないが敬語になってしまった。特に何を言われたわけでもないというのに、同級生の女の子に体育館裏に呼び出されて、告白されているような、非常に素敵な緊張感が身体を走る。
つい、呼びかけてしまったがその次の言葉が出てこない。それもそうだ、彼女のもう、何年も言ってなかったと思われる、可笑しくも可愛らしく、たどたどしい『ありがとう』に対して、どんな答えをするのかなんて、何も考えていなかったし、その考えを言うつもりもなかったのだから。
「あら、なんて醜い顔しているのかしら。その顔で一体今までどれだけの人を恐怖のどん底に陥れてきたのかしらね。そんな顔で顔面凶器と呼ばれるのが、関の山田くん」
「僕の顔はそんなスプラッターなのか!? それに関の山田とか語呂良くないからっ!」
どうやら、サービスタイムは一瞬で終わってしまったようだ。
好きな男子と喋るだけで顔が熟れたトマトの如く真っ赤になる様な素敵な女子高生は、もうそこにはいなく、雪女も真っ青な色白美少女の無表情がそこにいるだけだ。
「でも、そうね。確かにそろそろこのキャラクターも飽きてきたところだわ。次は、どんなキャラを演じようかしら」
「楽しんでるのかよっ!?」
今までの話しの根底が、音を立てて崩れていくようだ。まさか、今までの話しは最初から全部うそだったのかもしれない。それか、その話しを誤魔化すようにして、こんな風にふざけて見せているのか? もう僕には女の子という生態系がなんにも理解できませんっ。
だが、さきほどの、龍音寺の表情の移り変わりを見る限り、そんな風には思えない。
「そうね、今までは毒舌ツンデレ娘だったから、今度は萌え萌え妹キャラにでも挑戦してみようかしら」
「だから、楽しんでるのかよっ!?」
毒舌ツンデレ娘とか、自分で意識してやってるとか聞きたくなかった。幻滅だっ!
「もう、お兄ちゃん。そんなことばっかり言ってると、その薄汚い心臓を素手でえぐりだしちゃうぞ」
「萌え萌え妹違うっ!?」
せめて、声色だけでも変えて。
無表情で、淡々とそんなセリフを言われても、ただのスプラッタホラーですから。
「難しいわね、だいたいキャラクターだなんて、そんなもの着飾るつもりはないわ。私は、どんな私でも私だわ」
「そりゃまあ……そうだろうな」
龍音寺の言う『私は、どんな私でも私だわ』という言葉にどんな意味があって、どんな意味を込めて言ってるのか、僕には分からないが。とにかく、そうきっぱりと言う彼女の顔は、何か鬱憤を取り除いたようなすっきりとした印象を感じた。
「そう、そういえば中山田くん、何で私の事が見え……」
「えっ、何……あっ」
龍音寺の会話が途切れた、と同時にその視線の先へと顔を向けてみると、いつの間にかマシンガン音のような雨音は消えていて、ゲリラよろしい事、激しい雨は何事もなかったように止んでいた。
空に漂う雲は、もの凄いスピードで移動している。まだそこまで遠くない位置に見える、恐らく積乱雲であろう大きな雲の塊の下では、先ほどの滝のような大粒の雨が降りしきっているんだろう。
さすがに、昼間ではないので、カンカン照りの太陽は顔を出して来なかったが、その代り申し訳なさそうに顔をだした夕日のオレンジ色の光が、周りの景色を包んでいく。
「それじゃあ」
外の景色から、視線を目の前の美少女にフォーカスを合わす。オレンジ色に染まった透き通るような色白の肌が何ともいえず鮮やかに反射している。黄金比率とも言える完璧な顔を見ると、なんだかもの凄く儚げな存在に思えた。
この場に居る意味も無くなった彼女は、、言葉少なく立ち去ろうとする。それを、反射的に止めようとするが、思いのほか言葉が出てこない。
そう、別に彼女をこの場に留まらせる理由も、材料も何もないのだ。そして、僕と彼女の間柄は、ただの通行人同士。ゲリラ豪雨に襲われ、たまたま同じ雨宿り場所で、ほんの少しの時間、会話をしたというなんて事のない関係だ。まあ、彼女は雨宿りではなかったのだけれど、むしろ正反対の状況だったわけだけど、そこのところは置いとくとして。
それなりに長い時間、この場所にいたような気もするが、実際にはそんな事はなく、きっと30分もこの場にはいなかっただろう。
たったの30分だ。たかが30分だと、彼女もそう思っているだろう。
「一つ言っておくわ」
もう、何事もなかったかのように去って行ってしまうのだろうとばかり思っていた矢先に、龍音寺は、こちらに振り返ると、人差し指を立ててみせる。
「どこぞのギャルゲーよろしく、次の日学校に行ってみたら、昨日出会った謎の美少女が自分の通う学校に転入して、さらに自分と同じクラスに配属してきて、『あ、お前は昨日の』『あ、あんたがどうしてここにいるのよ!?』『それは、こっちのセリフだ』とかなんとか言いあいながら、隣の席同士でなんだかんだといがみ合っていた二人が徐々に恋愛関係に発展し、なんだかんだと超えてはいけない線を超えた二人は大人の階段を……なんていう展開は、決して起こらないから重々期待しない事ね」
「いやいやそこまで考えていないからっ!? なに、その微妙に細かい設定的なものは。それに、そういう展開イコール、ギャルゲーっていうのも偏見じゃないのか?」
「あら、さすがね。ギャルゲーを語らせたら町内一と豪語するだけの事はあるわね」
「誰も豪語した覚えはないっ!?」
また、町内一、という微妙に狭い範囲が、僕の器量を表しているかのようで、実に腹立たしい。
今のが別れの言葉だったのかは分からないが、そう言ってから、軽く手を振って、夕日のオレンジ色に包まれるようにして、ゆっくりと歩いていってしまった。最後の最後まで、どこまでも不器用だったようにも思える。
気がつくと、魔法が解けてしまった様に彼女の姿はもう見えなくなってしまっていた。どれくらいの時間、間抜け面をしたまま突っ立っていたのか、分からない。シャットダウンしていたぼやける頭を左右に振り回して、無理矢理再起動させる。
コンクリートの道路には、小規模な池のような水たまりが発生していて、先ほどの雨がどれほどの威力だったのかを物語っていた。いちいち歩くのもままならなかったが、それでも注意しながら、ゆっくりと足を踏み出し始める。
嘘みたいな勢いで降り始めたゲリラ豪雨は止み、まるで雨なんて降ってませんでした、と言わんばかりにオレンジ色の空は、気持ち良く晴れていた。まだ小さな雲達がせわしなく動いているが、快晴といっても過言ではないだろう。
バス停留所から、家まで歩いてたぶん十分もかからない。小走りで帰れば五分もかからないかもしれない。
だけど、明確な理由はわからない、この奇妙な解放的で清々しい気分の僕は、普段歩いている速度よりも幾分ゆったりと歩を進める。
もし、この得体の知れない気分の理由をどうしてもつけるとしたら、この清々しくも晴れ晴れとした天気のおかげなどではない事は確かだ。
「……あぁ、晴れて良かったな」
別れ際に一瞬だけ見る事が出来た、見知らぬ美少女の微かな笑顔のおかげなんだろう。
今日も、なんだかんだと平凡な一日が始まる。
変わり映えのしない登校路を、朝の眠気さを纏いながら気だるくも歩いて、なんとか二年二組の教室へとたどり着く。
教室の中に入ると、その光景もまた見慣れたもので、もしくは見飽きたもので、特に誰とも朝の挨拶を交わすわけでもなく、いつも通りの動作で、自分の席に着く。
取り立てて目立とうとしない僕の周りには、友達が少ないせいなのか、僕に話しかけてくる奴はおろか、挨拶の声すら聞こえてこない。まあ自分で言うのもなんだか悲しくなるものだが、そんな状況に対してこれといって不便に感じた事もない。
一度大きく欠伸をしてから、机の中に入っている文庫本を取りだして、しおりのはさんであったページを開き、文字に目を走らせる。
なにも起こるわけでもない平凡で、平坦で、平行的な脈絡の無い毎日。そんな毎日が、嫌いでもなければ、好きでもない。
でも、何か面倒に巻き込まれてしまうくらいなら、平凡な毎日の方が喜ばしい。
何が起こるか分からない、ワクワクドキドキの冒険活劇。なんてのは、今まさに手にとっている本やアニメ、映画の世界だけで充分である。そんな事が、僕の日常に現れたら、なんて考えるだけでうんざりしてくる。こういったものは、現実の中で非現実を外から垣間見ているから面白いというわけで、非現実的な世界が現実に起こりようものなら、面倒な事この上ないだろう。
今日も一日、この平凡を守り抜いて行こうと勤しむばかりだ。
「皆、おはようございます! 今日は皆に大ニュースがありますよぉ!」
朝から無駄にテンションの高い二年二組担任の教師。
歳を考えた喋り方をして欲しいといつもながら思うところだけど、今はそこではなく、その言葉に注目する。
―――嫌な予感しかしない。
「――……あっ」
思っていた刹那、心臓が高鳴る。否、まるで止まったようだ。周りの音が何も聞こえない。否、そうじゃない。さっきまで騒がしかったクラスの皆が一斉に音を出す事を止めたのだ。まるで時が止まったかのように。
無論、皆の視線の先に映るのは、黒髪長髪の美少女。その顔は、血の通っていない精巧な人形のようで、空に浮かぶ雲よりも真っ白な肌は、自身の黒髪と、バックにしてる黒板と相まって、より際立って見える。
沈黙の教室。無表情の彼女の顔に、目が離せないでいる。まるで時を止める魔法にかかってしまったのようにクラスの男子、女子は、何も喋る事もなく彼女を凝視する事を止めない。その目は、まるでこの世にあらざるものを見ているかのようで、衝撃とも、驚愕とも、なんともいえない目だ。
心を奪われる瞬間というのはこの事を言うのかもしれない。良い方向でなのか、悪い方向でなのかは、置いとくとしてだ。
昨日の今日であるのにも関わらず、僕も心を奪われかけたので危なかった。全くもって情けない事この上ない。だが、そうなってしまうほどの存在感なのだ。
僕の、いやクラスの視線の先には、『嘘』と『毒』使いの彼女、龍音寺麗羅がそこにいた。
「私の名前は、『龍音寺麗羅』。『龍』の『音』が響く『寺』と書いて、『龍音寺』。『麗』しの『羅』生門と書いて『麗羅』。好きな物はシュークリームよ」
静寂の中、自己紹介を始める。それは昨日となんら変わらない、堂々とした、だけどどこか文章が可笑しい、もう威厳すら感じる程の短い演説だった。
だが、昨日と違う所が一つだけ。
「それと……―――みなさん、どうぞよろしくお願いします」
そういってにこり、と鮮やかな赤、青、緑、黄、紫、と果てしない色どりを見せる花畑のような笑顔をクラスに送った。
驚きの表情を僕が浮かべる暇もなく、教室にはどかん、と大きな花火があがったかのような怒声にも似た歓声が沸き起こる。
祭りなんてもんじゃない。人々を長い間恐怖のどん底に陥れていた凶悪な魔王が、勇者によって退治された瞬間を彷彿させるような歓喜の渦に巻き込まれてしまったみたいだ。国民的なアイドルスターがサプライズでやってきてもここまで歓迎されないだろう。
「ほらほら、静かにー! 気持ちは痛いくらいにわかるけれど静かにしないとダメだよー! もう授業始まってるクラスだってあるんだから……あ、ほらほら君たちもクラスに戻って戻って」
騒ぎを聞きつけた他のクラスの野次馬達が、何事かと覗きに来ていたのを大急ぎで追い返してから、小さなため息を一息ついてから、龍音寺の横に立つ。
「ふう、それじゃあ、龍音寺さんは……あそこの席に座ってもらって良いかな」
と、指差す方向には、教室の窓際で、一番後ろに位置する僕の隣の空き席があった。
こくり、と頷くと、静かに、また音も立てないような悠然とした足取りで、僕の方へ、ではなく、僕の隣の席へと近づいてくる。
時がゆっくりと流れる、いつもよりもゆっくりと、波にゆれるように、ふわふわとした雲の中で泳いでいるように。
呆然とする僕に、いつの間にか僕の隣にいた彼女は椅子に手をやり、僕に一瞥すると一言。
「隣、良いかしら」
良いも悪いも、担任が指定した空き席に座るのだから、わざわざ僕の了承を得る必要なんてないと思うが、なんて考えている僕を無視して、ゆったりとした動作で、椅子に座る。
まだ、興奮冷めやらぬと言ったクラスの皆も、担任の必死な呼びかけによって、というか最終的に泣きながら懇願した結果、なんとか黒板の方へと向き直らせる事に成功し、ホームルームが再開された。
ぐずぐず鼻をすすりながら、まだ涙声の担任の声を聞き流しながら、怪しまれない程度の視線を隣に送る。
美術展に飾ってある、値段をつける事すら恐れ多い絵画の美女がそのまま出てきたような横顔を見ながら、皆には聞こえないような小声で話しかける。
「あの、龍音寺」
「なにかしら」
ひと時の間も開けずに、横顔で無表情なまま淡々と返事をする龍音寺。
「なんで、ここにいるんだ?」
「なんで、ここに居てはいけないのかしら」
きっぱりと、切れ味鋭く切り返してくる。
いや、別にいけないとか、そういう問題ではなくて。
鋭い切り返しに、なんて返事を返そうか迷っていると、相も変わらず横顔無表情で淡々と。
「昨日出会った謎の美少女が、自分の学校に転入してきて、さらには自分と同じクラスに配属される奇跡とも偶然とも言えるこのシチュエーションなんて、ギャルゲーでは定石中の定石じゃないかしら」
なにか可笑しいところでも? とでもいいたそうなその口調に、唖然としてしまう。
「いやだって、昨日、そんな事は起こらないって言ってたじゃないか」
期待するな、と。人差し指を立てて、そう彼女は言ってたはず。
すると、耳をくすぐるような、もしくは、唖然とした表情の僕をあざわらうかのような、小さな笑い声が、隣に位置する僕にだけ聞こえてくる。
「忘れたのかしら、中山田くん」
魔の女、と書いて魔女。
スローモーションのようにゆっくりと、ゆったりとこちらに振り向き、そんな妖艶で、妖美で、妖魔な雰囲気を纏いながら、こちらに向き直る。
「―――私、嘘つきなの」




