第五話 知ろうとする
朝、太陽が昇る前だった。いつものポーチとノートを携帯し、そっと家を出ようとする。誠一はまだ眠っている。昨夜は集落のみんなを気丈にまとめてくれていた。
今はまだ様子見……そして、誠一は、何か知っているようだった。結局聞けてはいないが。
それよりも今、関心は真理亜のことだった。彼女がどうなったのか、心が焦っている。
まだ集落の多くが寝静まっている。暗い集落の道を歩く。
南に出る道、石碑の側に、誰かがいた。
『……本当に行くのか』
蓮だ。陽向は少し驚いた顔をする。
『蓮、どうして?』
『お前ならそうすると思った。だが、俺は他の集落への連絡係だ。一緒には行けないぞ』
『うん。蓮は蓮のやるべきことを、みんなのためにして。僕は僕のしたいことをする』
陽向の決意を聞いて、蓮は大きく息を吐いた。
『お前自身が一番危険なんだってことは、わかってるよな?』
『もちろん。でも、友達のため』
『やつらと出会っても戦うな。絶対に逃げろよ』
陽向は大きく頷いた。覚悟はできている。
『まあ……俺も一応友達になったからな。無事、だといいな』
『行ってくる』
陽向は蓮に背を向けて歩き出した。
『無事さ……マリアなら大丈夫』
不安が胸を締め付ける。だが、それを振り払うように、駆け出した。
日は、段々と昇り始めていた。
◇
廃都に入ると、昨日の戦闘の痕跡がそこかしこに残っていた。
黒く焦げた瓦礫、抉れた地面。陽向は息を詰めながら、その間を縫うように進んでいった。
屋敷が近づくにつれ、鼓動が速くなる。もし、あの場所にも――そう考えるだけで、足が竦みそうになった。
庭が見えた瞬間、陽向は思わず駆け出した。
バラは咲いたまま、芝生も変わらず整えられている。何一つ、壊された様子はなかった。
『……マリア!』
声を上げると、すぐに扉が開き、真理亜が姿を現した。
「陽向さん」
いつもと変わらない、冷静な表情。その変わらない姿を見て、陽向の目から涙がにじむ。
『よかった、無事だったんだ……!』
陽向は駆け寄り、真理亜の身体を確認する。
『怪我はない? やつらになにもされなかった?』
「やつら……と言いますと、昨日夕刻に訪れたお客様でしょうか」
『来たの!?』
「ええ。私のことを見て大変驚いていましたが、屋敷の中を少し確認したあと、すぐに出て行かれました」
真理亜は、特にハプニングが起こったわけではないといった風に言った。
『お、落ち着いてるね』
「なにか取り乱すことでも?」
『えっと……』
陽向は、巨人がいきなり攻撃を仕掛けてきたことを告げるべきか迷った。だが、一つ引っかかったことがある。陽向たちには攻撃してきたが、真理亜には害を及ぼさなかったことだ。
(マリアのこと、仲間……だと思ったのか?)
巨人たちと、真理亜は似ている。彼らが真理亜を同族だと判断したとしたならば、この対応は納得がいく。
仲間意識が、巨人たちにもあるのだ。
『……なんでもない。マリアが無事ならよかった』
「はい」
真理亜は柔らかく微笑んで返した。
「今日は蓮さんはいないのですね」
『うん。今日は僕一人』
「今日もお話していきますか?」
『いや、今日は……』
真理亜の安否は確認できた。そうなると、次に心配なのは仲間たち集落のことだ。巨人と鉢合わせることがないだろうか、途端に心配が大きくなる。
『僕たち……用事があるから。また来るよ』
「そうですか。お待ちしております」
真理亜はうやうやしく頭を下げた。やはりいつもと変わったところはない。安心してよさそうだ。
陽向は踵を返した。
「待ってください」
と、真理亜が陽向を呼び止めた。初めてのことだ。
『え? どうしたの?』
陽向は不思議そうに真理亜を見た。しばらくの沈黙の後、真理亜がふと口を開いた。
「陽向さんは……大丈夫でしたか? 怖い思いをさせてしまったようなので」
『え?』
真理亜の口から出たのは、気遣いの言葉だった。
「どうやら怖い思いをしたようなので。それなのに私に会いに来てくれた……言葉にできませんが、その……」
真理亜は言葉を選んでいる。というより、なんと言っていいのかわからないのだろう。
『うん、僕は大丈夫。マリアが無事だったから』
「……ありがとうございます」
真理亜は、少し目を伏せて微笑んだ。その表情に、陽向は昨日感じた不安とはまた違う、静かな温かさを覚えた。
窓の外、朝の光が徐々に強くなっていく。なにも変わらないように見えるこの屋敷の中だけが、まだ、あの日から続く静けさを保っていた。
『……マリア、これからもここにいるんだよね』
「はい。……それが私の役目ですから」
その答えに、陽向は少しだけ複雑な気持ちになった。安心と、それでも拭いきれない不安が、胸の中で入り混じっていた。
それでも今は、目の前にいる真理亜が無事であること。それだけで、十分だった。
『なら、また来る』
陽向は微笑んで、それから集落に向けて走った。昨日からあったモヤモヤは消えていた。その代わりにあるのは、消えかけていた好奇心だった。
あの巨人はなにか? どうして攻撃してきたのか? なぜ真理亜には手を出さなかったのか? そもそも本当に敵なのか?
真理亜と会話したことで、陽向の中にあった疑問が顔を出し始めていた。
(マリアには、何もしなかった)
走りながら、陽向は昨日の光景を思い返していた。唸りを上げる刃、迫る炎。あれほど容赦なく自分たちを狙ってきた者たちが、真理亜の屋敷に足を踏み入れた時だけは、何もせずに去っていった。
(似てるから、なのかな。マリアと、あいつら)
仲間だと、思ったのだろうか。だとしたら――巨人たちにも、守りたいと思う何かがあるということだ。得体の知れない、ただ恐ろしいだけの存在ではないのかもしれない。
その考えに至った瞬間、昨日から胸の奥に居座っていた重たいものの正体が、少しだけ見えた気がした。
蓮に「集落を優先しろ」と言われた時、陽向は頷いた。仲間だから、当然だと思った。それでも、どこかで納得しきれていなかったのは――知ろうとすることを、そこでやめてしまう自分が、嫌だったからだ。
敵かもしれない。怖い。命だって、危うかった。それでも……
陽向は足を止め、振り返った。廃都の向こう、真理亜の屋敷は今日も静かに佇んでいる。その先――まだ見えない、あの巨人たちがいるはずの方角を、陽向はじっと見つめた。
『……知ろう』
小さく、そう呟いた。
『敵かもしれない。怖い。それでも、知ろうとすることだけは、やめない』
それは、蓮への答えでもあった。集落の仲間だ。それは変わらない。だからこそ、目を逸らさずに、ちゃんと知りたい。何と戦うことになるのか、その正体を。
陽向は決意を固め、もう一度前を向いた。今度は迷いなく、集落へ向かって走り出す。
風が頬を撫でる。日はすっかり高く昇っていた。
◇
一日前。地球上空。成層圏を出た地球の外周。宇宙空間。そこに一隻の宇宙船があった。それは、鈍い銀色に光りながら、地球の周りを回っていた。自然ではあり得ない人工物。それがぽつんと、地球上に一つあった。
青く輝く星、地球。その美しさを、窓から眺める人影が一つ。彼は、窓から地球を眺めながら、首から下げたロケットを手に、目を細めていた。
「父さん、母さん、ポチ。いよいよだ」
彼は強くロケットを握りしめる。
「降下準備、はじめるぞ!」
船内に号令が響く。彼はロケットを服の中にしまい、ヘルメットをかぶる。
そして席に着き、シートベルトを締めた。窓から見える地球を睨む。
「取り返すぞ……地球を!」
そして船は、地球に降り立ち、彼らはそこで発見し、遭遇した。ファーストコンタクト。お互いにとっての第一歩。
これは、始まりだ。




