第六話 語られないこと
集落に戻ると、いつもと違う空気が漂っていた。
見張りに立つ個体の姿が、普段よりも明らかに増えている。すれ違う顔ぶれも、どこか強張っていた。陽向は、その変化を肌で感じながら、家へと急いだ。
『……ただいま〜』
陽向はおっかなびっくり扉を開けた。いたずらがバレた子供のような、居心地の悪さを感じている。
誠一は資料のようなものを広げて、何かを書き記していた。陽向に気づくと、手を止めて顔を上げる。
『……戻ったか。マリアは無事だったか?』
『え? う、うん。何もされなかったって』
『そうか』
誠一は短くそう言うと、資料を閉じて年季の入った厳かな箱にしまった。あれは誠一が触ってはダメだと言っていた箱だ。
なぜそんなものを取り出していたのか疑問だったが、それよりも、それ以上何も言わない誠一の態度が予想外だった。
『……怒らないの?』
『心配だったが、無事に帰って来てくれたわけだから、問題ない』
『そっか……ごめん、勝手なことして』
『反省しているならいい。蓮を巻き込まなかったことは、褒めてやれるな』
誠一の態度は厳格だった。ただ事実を確認するかのような、声色。考えてみれば誠一は、いつも事実を事実として処理していた。感情と事実を分けて考えられるその態度を、陽向は大人として見ていた。
誠一は既に切り替えている。反省するのは大事だが、今は緊急事態でもあるのだ。誠一のように切り替えようと、陽向は思った。
そうなると気になってくるのは、昨日の誠一のことだ。何かを知っている態度だった。陽向はしばらく黙って誠一が箱をしまう様子を眺めていたが、やがて意を決したように口を開いた。
『……誠一』
『なんだ?』
『昨日の会議の時さ……誠一、何か知ってるんじゃないの?』
誠一の動きが、一瞬止まった。
『……なんのことだ?』
『あの巨人たちのこと。話を聞いた時、誠一……すごく顔色が変わってた。他のみんなが驚いてたのとは、なんか違う感じがした』
誠一は、しばらく何も言わなかった。窓の外に目をやり、何かを考えるように沈黙する。陽向は、その横顔をじっと見つめた。
『……陽向』
ようやく、誠一が口を開いた。
『今は、まだ話せない』
『……やっぱり、何か知ってるんだ』
『すまない』
誠一は静かに首を振った。
『……いずれ、話さなければならない時が来る。だが、今ではない』
『どうして?』
『……お前を、守りたいからだ』
その言葉には、いつもとは違う重みがあった。陽向は、それ以上何も聞けなくなってしまった。誠一の目の奥に、隠しきれない苦しさのようなものが見えた気がしたからだ。
『……わかった』
陽向は小さく頷いた。納得したわけではない。それでも、今はこれ以上踏み込んではいけない気がした。踏み込めない気がした。
誠一は、それきりなにも言わず、別の資料を取り出して記録を始めた。陽向は、その背中を見つめながら、静かに部屋を出た。
◇
外に出ると、集落の様子は、朝よりもさらに慌ただしくなっていた。旧都市へ続く道の入り口に、見張りが二人、立哨している。
『陽向!』
声をかけてきたのは蓮だった。息を切らせて駆け寄ってくる。
『蓮、連絡係の方は?』
『一通り回ってきた。……どこの集落も、似たような話でざわついてる。まだ直接遭遇したのはうちだけみたいだけどな』
『そっか……』
『それより、お前の方はどうだったんだ。マリアは?』
『無事だったよ。何もされなかったって』
『そうか……ん、妙だな』
蓮は眉をひそめて思案する。
『俺たちには攻撃してきたのに、マリアには何もしなかったのか』
『僕も同じこと考えたよ。たぶん、マリアが巨人だからなのかなって』
『仲間だと思ったからってことか? ふむ……』
蓮は考えながら、時計に目を向ける。彼の癖だ。
『マリアは人間が作ったんだよな。人間がわざわざやつらに似せて作ったってことになるのか?』
『……そういえば、僕らは昔の人がどういうものか、全然知らないね』
『知る意味もないからな。お前くらいだよ、そんなに旧文明に興味を持ってるやつは』
陽向はいつも言われていた。物好き、と。陽向としては、昔の人がどんな風に暮らしていたのかは重要だった。他の仲間については、どうやらそうではないらしいことも、知っていた。
『僕は……知りたい』
『マリアのことか?』
『マリアだけじゃない。あの、巨人たちについても』
『おいおい、バカ言うなよ。マリアはよかったが、やつらは明確な敵だろ!』
蓮はぴしゃりと言い放つ。そして必死の形相で、陽向に詰め寄った。
『見ただろ? なんのためらいもなく攻撃してきたんだ。あれには近付くことも無理だ。言葉だって通じてなかっただろ!』
『そうだけど、でも……』
蓮の形相に一瞬躊躇いを見せるが、陽向は蓮の瞳を見つめ返した。
『僕の知りたいって気持ちが、止まらないんだ』
その言葉を受けて、蓮はあきれ顔をした。
『……ったく、とんだ物好きだ』
蓮は諦めたようにため息をついた。それから、周囲を見回しながら声を落とす。
『……見ての通り、集落中がピリピリしてる。旧都市への立ち入りも、しばらく禁止になった』
『えっ?』
『そりゃそうだろ。危ないんだから』
蓮は続ける。
『マリアも、やつらを知ることも、一旦諦めろ。今は俺たちが生きるか死ぬかの時なんだぞ。俺たちの輪を乱すな。俺たちは共同体だろ』
共同体だと言われ、陽向は辛そうに俯いた。自分が仲間の一人だということはわかっている。それを言われると反論できない。
『僕たちが、生きるか死ぬか……』
『ああ。今は力を合わせて、生き残ることを考えるべきだ』
陽向は口をつぐんだまま俯き続けた。真理亜に会いに行けなくなる――その事実が、じわりと胸に重くのしかかった。
そして巨人のことを知る機会もない。陽向の好奇心が、世界の流れに押し潰されていく。
『……誠一、何も教えてくれなかった』
ポツリと、陽向は呟いた。
『え?』
『何か知ってそうだったから、聞いてみたんだ。でも、今は話せないって』
陽向は目を伏せたまま続ける。
『僕のためだって言ってて……なんでなのかわかんなくて……でも、それ以上聞けなくて』
『……そうか』
『僕たちのこの気持ち、蓋をしないといけないのかな』
蓮は陽向を見た。陽向の目は悲しみに濡れていた。
『真実を知りたいと思うのは、そんなに悪いことなのかな。僕は……諦めるべき?』
『陽向……』
『蓮、僕は……自分の気持ちに嘘はつきたくないよ』
『お前……』
陽向の瞳の色が、徐々に変わっていく。悲しみの色から、決意の色に。
『誰がなんと言おうと、僕は僕の気持ちを諦めない。いつか絶対——真実を知る』
『俺たちを危険にさらしても、か?』
陽向は蓮を見た。少し揺れたが、決意の色は変わらなかった。
『……うん。それに、それがみんなのためにもなると思う。敵を知れば、きっと、何かが変わる』
しばらく、二人は見つめ合った。先に目をそらしたのは蓮の方だった。大きく息を吐いて、空を見上げた。
『まあ、一人くらい、そんな姿勢のやつがいてもいいのかもな』
『蓮……!』
『でも、他のやつには言うなよ、それ。正気じゃないと思われるだけだろうからな』
『うん。こんなこと話せるの、蓮だけだよ』
『ったく』
蓮はぶっきらぼうに呟いたが、少し顔を赤くしていた。
『しかし、誠一が隠してるなら、なにか理由があるんだろ。今はおとなしくしてるしかない』
陽向は、小さくため息をついた。知りたいと決めたばかりなのに、知る手段がどこにも見当たらない。そのもどかしさが、胸の奥でくすぶり続けていた。
◇
それから、数日が過ぎた。
旧都市への立ち入りは、依然として禁じられたままだった。集落には見張りが常駐するようになり、誰もが、どこかで息を潜めるようにして日々を送っていた。
陽向は、毎日のように南の空を眺めた。真理亜は、今日も無事だろうか。誠一は、なにを隠しているのだろうか。
答えの出ない問いだけが、静かに積み重なっていっている。
『それでも……』
それでも、諦めないことが、今の自分にできることだった。他人とは違う道を探す。これが、陽向のできる、第一歩なのだ。
『陽向、交代だ』
哨戒から帰ってきた仲間が、陽向に声をかけた。
『わかった』
陽向はホイッスルを受け取り、首にかけて集落の外れに向かう。なにかあれば、このホイッスルを鳴らす手はずになっている。このホイッスルを聞いた他の人も、連鎖的に鳴らして集落に危険を知らせる算段だ。
集落を離れ、森の中に入る。見慣れた森だが、いつもより薄暗く、不気味に見えた。
陽向は慎重に、森の中を歩く。鳥のさえすり、獣の足音、それぞれに神経を割いて、危険に耳をそばだてる。ここ何日か続けてきたことだが、敵がいるのかいないのかわからない状況が続くのは、神経をすり減らす。
『こんなのいつまで続ければ……』
そう呟いた瞬間、パキッと、体重の重い生き物が、枝を踏む音がした。
すぐにそちらに目をやると、そこにいたのは——巨人。目が合った。二人いる。
『ホイッスル——』
ホイッスルを吹こうとしたが、それよりも先に攻撃が来た。腰にある刀を引き抜き、斬りつけてきた。間一髪かわしたが、ホイッスルは斬り裂かれてしまう。
『く……』
陽向は咄嗟に、集落とは反対方向に駆け出した。集落に逃げれば、仲間を危険にさらす。
(やるしかない……!)
陽向は、囮になることを決めた。




