第三話 過去から来る
日が沈む直前、なんとか集落にたどり着けた。住居の隙間から時折、小さく笑い声が聞こえる。
『じゃあ、また明日!』
『ああ、またな』
陽向は蓮と短く言葉を交わすと、自分の家に戻った。
扉を開けると、薄暗い室内で父が待っていた。
『おかえり』
『ただいま、誠一!』
『おや……何かあったのか?』
遠野誠一は、陽向の瞳の奥にくすぶる興奮の色を、ひと目で見抜いた。
陽向は急いで誠一に歩み寄る。
『聞いてよ、今日、南の廃都で大きな屋敷を見つけたんだ。……そこにね、人形がいたんだ!』
『人形……?』
『うん、人間じゃない、マリアっていう名前の人形。僕たちよりずっと大きくて、すごく綺麗なんだ。100年前の人間が作ったらしいよ』
『……100年前の、人形か』
誠一の相槌は、いつもより少しだけ遅れて返ってきた。陽向は気づかなかったが、その目は一瞬だけ焦点を失い、遠くを見るように暗がりの中へ留まっていた。
『誠一……?』
『……いや、なんでもない。面白い話だ。もう少し聞かせてくれ』
『うん。マリアが出してくれたお茶も保存食も、見たこともないものばかりで——』
陽向は今日体験した出来事を語った。誠一は静かに耳を傾け、時折頷いた。
『それは、確かな歴史の残り香だな』
『みんなにも語ってよ。誠一は語り部でしょ?』
『そうだな……だが、今はまだ私と陽向だけの秘密にしておこう。急にそんな話をしても、集落の者は混乱するだけだ』
『……そっか。うん、わかった』
誠一の静かな声調に押され、陽向はおとなしく引き下がった。
『本当はみんなにも伝えてほしいんだけどな。僕も僕たちの役に立ちたい』
そんな陽向の頭を、誠一は軽く撫でた。
『なんでもかんでも共有すればいい、というものではないよ。私たちの中でもね。いずれ、わかるさ』
誠一の言葉に、陽向はしばらく彼の目を見つめていたが、やがて笑顔で頷くのだった。
◇
翌日、陽向は朝早くに目を覚ました。ポーチを身につけ、記録用の紙をしまっていく。
『また向かうのか』
誠一が静かに尋ねた。
『うん。また行くって約束したから』
『……気を引き締めるんだぞ、陽向。失われた時代の遺物は、時に人が抱えきれない毒にもなる』
誠一の言葉の意味を完全には理解できないまま、陽向は家を出た。集落の入口、石碑の陰にはすでに蓮が立っていた。
『行くんだろ』
『うん。……蓮も来るよね?』
『……あいつが害をなさないか、見張る必要があるからな』
『ほんとにそれだけ?』
『それ以外に何がある』
蓮は顔をしかめて陽向を見た。
『またあの保存食、食べたいとか』
『バッ!?』
顔を赤くした蓮に陽向が追いかけられる形で、二人は出発したのだった。
◇
迷うことなく辿り着いた屋敷。
庭に踏み込むと、静かに玄関の扉が開き、真理亜が姿を現した。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりましタ」
その声は、昨日までの音の羅列ではなく、滑らかな「言葉」として陽向たちの鼓膜を揺らした。
『……マリア? 昨日より流暢だ』
「はい。昨日収集した音声データを元に、言語プロセッサを調整しましタ。不自然なところがあれば、指摘してくださイ」
真理亜の瞳の奥で、静かに光の網目が明滅している。その音調にはわずかに機械的な平坦さが残っていたが、意思疎通には十分すぎる精度だった。
『マジか……たった一晩でここまで解析するなんて』
蓮が息をのむ。真理亜は二人を促すように屋敷の中へ示してみせた。
「さあ、いらっしゃい。今日も来ると思っていたので、昨日とは違うおもてなしを用意させていただきましタ」
昨日と同じように、陽向たちはダイニングに案内され、椅子に座る。今回出されたのは、スコーンだった。
「どうぞ。今日はスコーンを焼いてみましタ」
陽向と蓮は、出された温かいお茶とともにそれを口に含む。ザクッとした歯ごたえのあと、口内の水分と混ざり合って、バターの豊かな香りと甘みがじんわりと広がっていく。
『……固いけど、噛むと解けていく。お茶を飲むと香りが変わるよ』
『ああ……集落の干し肉とはまるで違う。洗練されすぎている』
二人は旧文明が遺した味覚の「異常な質の高さ」に、ただ静かに圧倒されていた。
◇
陽向は集めた記録用紙を開き、自分たちの集落の暮らしや、父から聞いた言葉を真理亜に見せた。真理亜はそれを一つ一つセンサーでスキャンするように見つめ、問いに応じた。
陽向はふと思いついて尋ねた。
『ねえ、マリア。今度、僕たちの集落にもおいでよ』
真理亜の身体が一瞬、完全な静止を見せた。駆動音がわずかに低くなる。
「……申し訳ありません。私は、ここを離れることはできないのでス」
『どうして?』
「私には、この施設を維持し、人間を待つという使命があるからでス」
『待つって……誰を?』
「……該当する個人があるわけではありませン。強いて言うなら……人類が帰ってくるまで待つ……でしょうカ」
真理亜の視線が少しだけ伏せられた。その表情には、プログラムされた感情表現を超えた、悲哀が透けて見えた。
『使命、か……。でも、それって真理亜が「やりたいこと」じゃないでしょ?』
「やりたいこト……?」
『そう、しなくちゃいけないことじゃなくて、やりたいこと!』
真理亜のガラスの瞳が小さく揺れた。
「それは……思いもよりませんでしタ。私はただ、作られた使命をまっとうし、その意味を探していくことが、私の存在意義だと思っていましタ」
真理亜は膝の上で組んだ手をきゅっと握った。ガラスの瞳は揺れ、なにかを思案している。
「そういう意味では、私のしたいことは私の生まれた意味を……探すことでス」
『生まれた、意味……』
陽向は釣られて呟いた。その目は驚きに見開かれていた。
『そんなの、考えたこともなかった。でも……』
陽向は顔を挙げて真理亜を見た。しっかりと彼女の目を見据える。
『僕は、人間のことを知りたい。この地球で暮らしていた、みんなのことを』
陽向はその言葉をかみしめるように呟いた。
『マリアは、文明が滅んだ100年前からここにいるんだよね? 何があったか、覚えてない?』
陽向の言葉を受けて、真理亜は少し思案するような表情を見せた。
「私の記憶にあるのは、人類が未知の化け物によって地球を退くと決めたことでス。双方は戦争をしていました。そして負けたのは……人類でしタ」
静まり返った部屋に、真理亜の平坦な声が響く。
「負けを悟った人類は、地球から逃れる決断をしましタ。その中で私は作られ、ここに残ることになったのです」
『どうして一緒に行かなかったの?』
「わかりません。私はもしかしたら、連れて行ってもらえなかっただけなのかもしれません。私は人間ではありませんかラ」
そう言って真理亜は短く息を吐いた。
「なので私は、自己保存するためにこの屋敷を改造しましタ。電力を自動で生み出し、私に供給するための装置。ここで暮らしていくために必要な様々な用具。人類が残していったものを最大限使って、私は私を保存しましタ」
ぐすり、と陽向が鼻をすすった。目に涙を浮かべている。
「それから100年。私はここで、待ち続けています。誰かを、ずっと……。寂しくないと言えば嘘になりまス。孤独は私にとっても害がありました。100年という時間は短くない。私を機能不全にするには十分な時間でしタ」
『うう、マリア〜』
陽向はとうとう本格的に泣き出した。まるで自分のことのように、真理亜の境遇に共感を示している。蓮は隣で「またか」といった顔をしていた。
『辛かったよね……ごめん、嫌なこと聞いちゃったね』
「いえ、問題ありません。それよりも、お役に立てないことの方が心苦しいでス。私にまともな記憶領域があれば……」
『そんなこといいよ。でも、もう寂しくないよね? だって、僕たちがいるもん』
『おい、それは……俺も含めた意味の「たち」、か?』
『僕たちもう友達でしょ!』
その言葉に、真理亜は一瞬驚いたような顔をした。
「友達……」
『友達!』
「……はい、友達です」
真理亜が見せた笑顔は、昨日の最後の笑顔より柔らかかった。人形が見せているとは思えないほど、嬉しそうな微笑み。
陽向は、その笑顔に見とれたのだった。
◇
蓮が時計を見て、立ち上がった。影がずいぶんと伸びている。
『もう行かないと。日暮れになる』
『……うん。また来るよ、マリア』
「はい。いつでもお待ちしておりまス」
深く頭を下げる真理亜に見送られ、二人は屋敷を後にした。
瓦礫の街を歩く帰り道、二人は無言だった。
だからこそ、異変への気づきが遅れた。
『……陽向』
蓮が急に立ち止まり、鋭い声で陽向の意識を引いた。
『え……?』
前方、崩れたビルの影から、何かが蠢いた。
獣ではない。二本の足で立つ、陽向たちよりも二回りも巨大なシルエット。
硬質な装甲で身を固め、洗練された無駄のない動きで、二人、三人と、瓦礫の合間から姿を現していく。
彼らの口から、低く重い音が発せられた。
聞いたこともない重厚な言語。威圧感に満ちた言葉の連なり。
陽向と蓮の足が、恐怖で地面に縫い付けられる。
武装した侵入者たちの無機質なバイザーが、真っ直ぐに陽向たちを捉えた。




