第二話 精巧な人形
「いらっしゃいませ。お客様ですか?」
背後から突然、声が降ってきた。蓮が勢いよく振り返る。陽向も蓮の身体越しに彼女を見た。
陽向たちとは違う、巨大な二足歩行の身体。滑らかな肌と、精巧な顔つきは作り物のように整っている。それを彩る淡い色の銀髪は、チリ一つ付いておらず、輝いている。
身にまとったクラシカルなドレスは上品さを引き立て、彼女の人形のような美しさを際立てていた。
彼女はゆっくりとまばたきすると、陽向と蓮の顔を交互に見た。
「あら……」
その声には、不思議なものを見るような色が滲んでいた。
しかし、彼女はすぐに気を取り直してゆっくりとお辞儀をした。
「こんにちは。はじめまして、ですね。私は真理亜と申します」
顔を上げた彼女の表情に次に浮かんていたものは、驚きと――どこか、長く待ち続けていたもの特有の、静かな喜びだった。
その声は柔らかく澄んでいたが、陽向にも蓮にも、その意味はまるで届かない。ただの、聞いたことのない音の連なり。
『……何を言ってるんだ?』
蓮が警戒するように一歩下がり、周囲に微細な粒子――「手」の影を揺らめかせる。陽向は戸惑いながらも、真理亜の表情から敵意がないことだけは感じ取っていた。
声音の柔らかさ、こちらを見る目の穏やかさ――言葉はわからなくても、それだけは伝わってくる。
真理亜は少し首をかしげ、それから何かに気づいたように、家の中を手で示した。どうぞ、というように。
「お客様は、久しぶりですね。……何もない場所ですが、よろしければ」
言葉は通じない。それでも、その仕草の意味は明確だった。陽向は思わず一歩踏み出す。
『入ってみようよ』
『おい、正気か? 未知の罠かもしれないんだぞ』
『危なそうには見えない。それに――』
陽向は真理亜を見つめた。そのガラスのような瞳の奥に、なにか、うまく言葉にできない寂しさのようなものを感じた気がした。
『気になるんだ。この人のこと』
蓮は何かを言いかけたが、陽向の頑なな気配を感じ取り、結局は苦々しく後に続いた。
◇
屋敷の中は、外の荒廃が嘘のように整っていた。
赤の上品なカーペットは柔らかく、歩く音が静かに吸い込まれる。照明器具、置き時計、花瓶、飾り棚などの調度品には埃一つ見当たらず、室内の暖かな光に照らされて輝いている。
『これ、本当に100年前の建物か……?』
蓮が息をひそめて耳打ちする。陽向も同じ息苦しさを覚えていた。廃墟のどこにも見られなかった生活感が、ここだけに高密度で凝縮されている。
「どうぞ、こちらへ」
案内されたのはダイニングルームだった。台所と隣接している構造で、台所の前にテーブルと椅子が置かれている。
真理亜は椅子を引き、座るよう促す仕草をする。陽向は緊張を押し殺しながら腰を下ろした。蓮は少し遅れて、しかし「手」の警戒を完全に解かないまま隣に座った。
『ちょっと落ち着かないかも……』
陽向は椅子の上で身じろぎした。蓮も口には出さなかったが、少し所在なさげにしている。
真理亜は台所へ向かい、迷いのない手つきで湯を沸かし始めた。その所作には無駄な動きが一切ない。まるで何万回と繰り返されてきた精密な作業のように。
「お待たせいたしました」
差し出された陶器の器から、湯気が細く立ち上っている。香ばしく、どこか甘い、嗅いだこともない複雑な香りが鼻腔をくすぐった。
『おい、飲んで平気なのか? へんなものだったり……』
『……でも、害意があるようには見えないよ』
陽向は慎重に器を口に運んだ。温かく、強い苦みと濃厚な香りが舌を刺激する。集落で飲む煮出し汁とは根本から異なる、洗練された複雑な味わいだった。
『……すごいよ、これ。すごく深い味がする』
陽向が目を丸くすると、蓮も恐る恐る口をつけた。苦味に眉をひそめつつも、その奥にある芳醇な香りに息を飲む。
『なんだこれ……薬か? いや、飲み物か……?』
「インド産のダージリンですが、お口に合いましたか?」
真理亜は二人の反応を静かに見つめ、口元に微かな笑みを浮かべた。言葉は通じずとも、二人がその味に圧倒されていることは伝わったらしい。
真理亜は続いて、極めて密閉された硬質ケースから、細長い褐色のかたまりを取り出し、皿に乗せて差し出した。
「昔焼いたものですが、よかったら」
『これ……保存食か?』
蓮が用心深く一つ手に取る。石のように固いが、噛み砕くとザクッという鈍い音とともに、強い甘みと香ばしい油脂の風味が口いっぱいに弾けた。
『固い……けど、噛むとすごい甘さが広がる。集落の乾燥肉とはまるで別物だ』
『うん……お茶と一緒に飲むと、苦みと甘みが混ざってちょうどいいよ』
『ほんとだ……なんだこれ』
二人は未知の食べ物に言葉を失っていた。集落ではついぞ味わったことのない味覚体験に、ただただ圧倒されるばかりだった。
◇
静かなティータイムが過ぎたあと、蓮は改めて身体を硬くした。お茶と菓子の衝撃から立ち直り、本来の目的を思い出したのだ。
『陽向、うやむやにするなよ。言葉が通じないんじゃ、調査にならない』
『わかってる。……えっと、僕、陽向。ひーなーた。ひなた』
陽向は自分の名前を繰り返した。真理亜は瞬きをし、瞳の奥で微かな光の粒子を明滅させた。意図を正確に察したのか、彼女も音を模倣する。
「ひーなーた?」
『そう! 陽向! 君は?』
「真理亜」
『マリア?』
聞き馴染みのない音節だったが、陽向は頷いた。
『マリア! こっちは蓮。れーん』
「蓮?」
『そう!』
「陽向、蓮」
真理亜は陽向たちの名前を繰り返し、それを聞いた陽向は目を輝かせて頷いた。
「名前は判別しやすいですね。未知の言語と声音ですが、解析可能だと思います。……もう少し、話していただけませんか?」
真理亜が陽向たちに向けて、たくさん話すようにゼスチャーで伝える。
理解した陽向は、笑顔のまま、身振り手振りを交えて語りかけた。集落のこと、父親のこと、自分たちがこの遺跡へ来た理由――。
真理亜はその間、胸元に手を当て、陽向の声にじっと耳を澄ませていた。
陽向が話し続ける間、真理亜の瞳の奥では、絶え間なく青い光の文字列が明滅していた。二人の使う言葉の文法、発音の癖、語彙のゆらぎを、彼女の内部処理装置が凄まじい速度で解析し、旧時代の日本語データと照合していく。
「……解析完了。日本語ト似た言語デスネ」
真理亜の発する音が、滑らかな「言葉」へと変化した。カタカナの混じる少し硬い声調ではあるが、明確に意味の通じる発音だ。
『……しゃべった!?』
蓮が弾かれたように立ち上がる。たった半刻ほどの会話から言語を完全解析してみせた真理亜に、息をのむ。
『すごい……! 僕たちの言葉がわかるの!?』
「解析しましタ。これからは会話も可能ダト思いまス」
『それなら気になることが! あなたは何者なの?』
「私は、人間二作られた、人造人形デス」
『人造人形……?』
「人ではない、物ということデス」
『生きてないのか!?』
蓮が驚きの声を上げた。そしてまじまじと真理亜を見る。その顔は陶器のようであり、確かに人間味が薄いとも取れる。
特にガラスの目は、生物ではあり得ない冷たい輝きをたたえている。
『信じられない……昔の人間ってすごいんだね』
陽向は感嘆のため息をついた。同時に、遺跡を探索する時の、胸が締め付けられるような高揚感と怖れを覚えていた。
陽向は身を乗り出す。
『マリアは、いつからここにいるの?』
「およそ100年前カラデス。あの日以来、私ハずっと、ここで人間の帰還ヲ待ッテおります」
『100年前……やっぱり、文明が滅んだとされる時代だ』
語り部である父、誠一から教わった歴史。100年前に世界を襲った災厄。
『なら、マリアは知ってるんだよね!? 昔の人たちのこと……どうして文明が滅んだのかも! 僕たちはそれを知りたくて、ここまで来たんだ!』
「……申し訳ありません。記憶領域の大半が長年の劣化により破損、封印サれております。私にあるのハ、私ヲ作った理由ト、人間を待つという使命ノみ……」
『そっ、か……』
「期待に添えず、申し訳ありませン」
『ううん、謝らないで。でもすごいよ! 100年前の人形がこうして動いてるだけで、集落のみんなが知ったら大ニュースだ!』
『……おい陽向、慎重になれ』
蓮が陽向を低い声で制した。
『いくらマリアに害がないとしても、集落の連中をここに立ち入らせたらどうなる? 外部の危険を引き寄せるかもしれないだろ』
『でも、マリアはずっと一人で待ってたんだよ? 教えたって――』
『警戒心なさすぎなんだよ、お前は』
蓮の指摘に、陽向は言葉を詰まらせた。二人の問答を、真理亜は静かに見つめている。
「私以外に人形は存在しませんガ……」
『大丈夫じゃない?』
『ブラフかもしれんだろ。マリア、害をなすつもりがないなら、俺たちもこれ以上踏み込まない。だが、俺たちを脅かすなら「力」を使う』
蓮が拳を握ると、その周りの空気が歪み、目に見えない「手」の圧力が室内の光を屈折させた。
真理亜は、その異常な現象を一瞬だけ観察するように瞳の光を強めたが、すぐに穏やかな表情に戻った。
「威嚇の必要ハありません。私に誰かを殺傷するような機能ハありませんから」
真理亜の澄んだ声に、蓮は毒気を抜かれたように息を吐き、「手」の圧力を消した。外を見ると、影が大きく伸びている。
蓮はハッとして時計を見た。
『時間だ。今から走らないと、日暮れまでに帰れないぞ』
『そうだね。マリア、今日は本当にありがとう』
玄関先まで見送りに出た真理亜は、深く頭を下げた。それから何かを言いかけて、一度言葉を飲み込むように口を閉ざした。その金属でできたはずの顔に浮かんでいたのは、逃れられない静かな孤独と、寂しさだった。
「……マタ、いらしてください」
『うん、また来るよ!』
陽向が振り返って手を振ると、真理亜は少し驚いたように目を見開き、それから、今日一番柔らかく、人間らしい笑みを浮かべた。
◇
廃墟の街を歩く帰り道。
薄暗くなり始めた空の遠くで、何かが一瞬、強く光った。
鳥でも、落雷でもない。輪郭が鈍く光を反射する、明らかに人工的な巨体が――ゆっくりと、しかし確実に高度を下げながら、地球へと落ちてくる。
『?』
陽向が足を止め、振り向く。
『どうした、陽向?』
『いや……何か、空で光った気がして』
蓮が振り返った時には、その光はすでに落日の朱色の中に溶けて消えていた。
それがなんだったのか、まだ、誰も知らない。




