第一話 廃都の客人
僕とは違う身体。僕とは違う顔。
それでも、初めて見た時美しいと、そう思った。
◇
朝の爽やかな冷たい空気の中、小林陽向はスキップしながら苔の生えた道を進む。木々の間から指す柔らかな朝日が、陽向の嬉しそうな顔を照らしている。
腰にはポーチが巻かれており、ボロボロのノートがそこから顔を覗かせていた。
『ごめん、お待たせ!』
集落の出入り口、崩れかけた石碑の傍で、橋本蓮が壁に寄りかかって待っていた。陽向は駆け寄りながら笑う。
『問題ない、3分前に来たとこだ。集合時間まであと5分。遅刻じゃない』
『数字が細かいなあ、蓮。いつものことだけど』
『きっちり計るのが美学だ』
蓮は腰に付けた太陽電池時計を見て鼻を鳴らした。
『で、今日は南の街まで行きたいんだったな』
蓮は南に顔を向けた。
『うん、今日の目的地は旧都市! 大冒険になるぞ〜』
『誠一には、なるべく早く帰ってこいって言われてるんだろ?』
『まあね。でも、初めての旧都市だし、ちょっとくらい……』
『ひーなーたー?』
蓮は半眼で陽向を非難する。
『誠一は今日も語り部の仕事があるんだぞ。お前が遅くなったら、また心配して探しに来るかもしれないじゃないか』
『む〜……わかったよ……日が暮れる前には帰る。いいでしょ?』
『ああ、俺がきっちり時間見とくからな』
蓮は時計をバシッと叩いてから、南の方を向いた。森しか見えないが、蓮はもっと先を見ている。
『しかしお前、いい加減飽きないのか?』
『飽きるわけないでしょ! だって――』
『あー、聞かなくてもわかる。「ここにいた人たちがどんなふうに生きていたか知りたい」、だろ』
陽向は少し照れくさそうに笑った。蓮は何度も聞かされてきたその台詞を、もはや諳んじられるほどだった。
滅んだ文明の跡地を歩くたび、陽向の中には決まって同じ問いが浮かぶ。
——ここに、かつてどんな人たちが生きていたのだろう。何を思い、何を大切にして、どんなふうに笑っていたのだろう。
答えの出ない問いだ。それでも、知りたいという気持ちは尽きなかった。
『さっすが蓮。僕のこと、わかってるぅ』
『幼馴染だしな……だが食料の割り当ての件、今日中に済ませとかなきゃならない。日が暮れる前には戻るぞ』
『わかってるって』
二人は連れ立って、森を南へと走りだした。細い獣道を通り抜け、南を目指す。
『……ねえ、蓮はさ』
『ん?』
『昔のこと、気にならないの? ここにいた人たちのこと』
荒れたあぜ道を進む道すがら、陽向が切り出した。足が止まる。雑草が生え、今は誰も住んでいない木造の家が、視線の先にあった。
『別に。今生きてる奴らのことで手一杯だからな』
あっさりとした答えに、陽向は少し口を尖らせた。
『そういうもんかな』
『そういうもんだよ。お前は昔から変わってる。……まあ、別にそれが悪いとは言わないけどな』
蓮の声には、揶揄よりも呆れに近い、しかしどこか温かいものが滲んでいた。陽向はそれ以上なにも言わず、再び前を向いて走り出した。
◇
足を進めていると、徐々に巨大な建造物が立ち並ぶようになってきた。
田んぼや畑といった緑が薄くなり、灰色の重い空気がそこには広がっていた。
地面から土の柔らかい感触が消え、足が硬いコンクリートに当たり、くぐもった音を出す。
『この先だ……』
陽向たちは歩いて、道路を進む。
時折ビルの間を隙間風が通る。がらんどうのビルの中を通る風は、そこにある空白を悲しんでいるようだった。
『……何度見ても、不思議な景色だよな』
蓮は、瓦礫の間を縫うように進みながら呟いた。
陽向と一緒に遺跡の調査をしているため、この程度ならば見慣れている。だが、集落の人たちは違う。陽向と違って、旧文明にあまり興味がない。
『だからワクワクするんじゃないか』
陽向の声は弾んでいる。蓮は目を細めて、そんな陽向を見た。
はたして今までの景色よりも、より濃いコンクリートの街が、姿を現した。
朽ちた高層建築が、灰色の空に向かって折れた歯のように並んでいて、道路だった場所には亀裂が走り、その隙間から緑が這い出している。時が止まったような、それでいて確かになにかが終わった後だとわかる静けさが、あたりを支配していた。
『すごい……』
陽向はその景色に圧倒され、呆けていた。それは蓮も同様だった。ここまでの規模の高層建築の乱立は見たことがなかった。まるで空を覆うようだ。
その中を歩く。辺りには車が散乱しており、当時の混乱状態が伝わる。
崩れた建物の合間、陽向が錆びついた看板の残骸に目を留め、駆け寄る。
『見てこれ、蓮!』
『なんだ?』
『多分これ、店の看板だったんじゃないかな。ここ、この文字――』
陽向が軽く手をかざすと、目に見えないほど細かななにかが看板の周りに集まり、積もった埃を静かに払い落としていく。まるでそこに見えない手があるかのように、埃が舞い上がり、文字の輪郭が少しずつ露わになっていった。
キラキラとしたそれは、まるで粒子の集まりであり、陽向たちの「手」だ。
『……わかんないな、やっぱり』
『そりゃそうだろ、俺たちの言葉じゃないんだから』
『でも書いとこ』
陽向はノートを取り出し、つたない字で看板の文字を書き留めた。ノートの他のページにも、かつて見付けた文字がびっしりと書かれている。
『よく飽きないよな、こういうの』
蓮が横から覗き込んで言った。
『だって気になるでしょ。ここでどんな人が、なにを売って、誰がそれを買っていったのか。……僕たちも――』
言いかけて、陽向は口を噤んだ。蓮が横目でちらりと見る。
『またそれか。僕たちって……興奮するとそれだ』
『ごめん、つい……』
『まあいいけど』
蓮は軽く流したが、陽向は少しだけ気まずそうに看板から手を離した。
癖だ。わかってはいるのに、いつの間にか口をついて出てしまう。誰かの気持ちを想像すると、それがいつの間にか自分のことのように感じられてしまう。
境界がうまく引けない。
『もっとたくさんあるはずだよ』
陽向は目を輝かせ、先に進もうとする。遠くで朽ちた鉄が折れ曲がり、ひしゃげて地面に落ちる音がした。
蓮は身体をびくりとさせ、そちらを見る。だが、陽向は気にしていない。
『お、おい、危ないぞ』
蓮は少し腰の引けた声を出した。
『少しくらい、平気だよ。僕、もっと知りたい!』
『おい、陽向——いてっ』
陽向の足が止まった。その陽向にぶつかり、蓮は鼻をさすった。
『なんだ急に、どうした?』
『あそこ、見て』
示した先、ガラスの削ぎ落とされた肋骨のようなビル群の隙間に、ぽつんと一角だけ、明らかに手入れの行き届いた場所があった。
緑が整えられ、朽ちていない木造の屋敷が、周囲の荒廃から切り離されたようにそこだけ静かに佇んでいる。
『……なんだあれ?』
蓮の声が低くなった。
『こんな場所に、あんな綺麗な建物があるなんて』
『行ってみよう』
『おい、待て』
陽向はすでに歩き出していた。蓮は少しためらったが、結局その後を追った。
目の前まで来ると、その建物は明らかに綺麗だった。周囲を囲む緑は整えられ、バラが咲いている。庭の芝生も整理されており、泥一つ付いていない白い机と椅子がとんと置かれている。
レンガ作りの黄土色の壁にはツタの一本も巻き付いておらず、窓にあるガラスも太陽の光を反射して輝いている。
『これ……誰か、住んでる……?』
そう思ってしまうのも無理はなかった。明らかに人の手が入っている。自然のままならば、他のビルや道路と同じように、緑に侵食されているはずだ。
『おいおい、本当に誰かいるみたいだ。旧都市に誰か住んでるなんて聞いたことないぞ』
蓮は注意深く屋敷を見渡す。人影はない。
『だよね、大発見だよ!』
『バカ! 味方とは限らないぞ』
蓮は陽向の前に立ちはだかった。
『この中に入るなんて言うなよ。危険すぎる』
『どうしてそんなに怖がるの。大丈夫だって』
『危ないことはするなと、誠一にも言われてるだろ。お前のことは誠一から頼まれてるんだよ。危なっかしいからって。これ以上はヤバいだろ』
父の名前を出され、陽向は一瞬たじろいだ。だが、好奇心が勝る。
『危ないことはするな、か……でも危なかったらすぐ逃げればいいじゃん。それに——』
陽向は目を輝かせて屋敷を見た。
『中にいるの、人間かも! 僕は、人間に会ってみたい!』
『お前……』
陽向は止まりそうにない。好奇心に突き動かされた陽向は、どんなに忠告しても、止まったことはなかった。
『それで痛い目見たこともあるだろ!?』
『それでも、人間に会えるなら僕は——』
「いらっしゃいませ。お客様ですか?」
背後から突然、声が降ってきた。蓮が勢いよく振り返る。陽向も蓮の身体越しに彼女を見た。
——その時、僕は思った。
僕とは違う身体。僕とは違う顔。
それでも、初めて見た時美しいと、そう思った。




