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第一話 廃都の客人

 僕とは違う身体。僕とは違う顔。

 それでも、初めて見た時美しいと、そう思った。



 朝の爽やかな冷たい空気の中、小林陽向(こばやし ひなた)はスキップしながら苔の生えた道を進む。木々の間から指す柔らかな朝日が、陽向の嬉しそうな顔を照らしている。

 腰にはポーチが巻かれており、ボロボロのノートがそこから顔を覗かせていた。


『ごめん、お待たせ!』


 集落の出入り口、崩れかけた石碑の傍で、橋本蓮(はしもと れん)が壁に寄りかかって待っていた。陽向は駆け寄りながら笑う。


『問題ない、3分前に来たとこだ。集合時間まであと5分。遅刻じゃない』


『数字が細かいなあ、蓮。いつものことだけど』


『きっちり計るのが美学だ』


 蓮は腰に付けた太陽電池時計を見て鼻を鳴らした。


『で、今日は南の街まで行きたいんだったな』


 蓮は南に顔を向けた。


『うん、今日の目的地は旧都市! 大冒険になるぞ〜』


『誠一には、なるべく早く帰ってこいって言われてるんだろ?』


『まあね。でも、初めての旧都市だし、ちょっとくらい……』


『ひーなーたー?』


 蓮は半眼で陽向を非難する。


『誠一は今日も語り部の仕事があるんだぞ。お前が遅くなったら、また心配して探しに来るかもしれないじゃないか』


『む〜……わかったよ……日が暮れる前には帰る。いいでしょ?』


『ああ、俺がきっちり時間見とくからな』


 蓮は時計をバシッと叩いてから、南の方を向いた。森しか見えないが、蓮はもっと先を見ている。


『しかしお前、いい加減飽きないのか?』


『飽きるわけないでしょ! だって――』


『あー、聞かなくてもわかる。「ここにいた人たちがどんなふうに生きていたか知りたい」、だろ』


 陽向は少し照れくさそうに笑った。蓮は何度も聞かされてきたその台詞を、もはや(そら)んじられるほどだった。


 滅んだ文明の跡地を歩くたび、陽向の中には決まって同じ問いが浮かぶ。

 ——ここに、かつてどんな人たちが生きていたのだろう。何を思い、何を大切にして、どんなふうに笑っていたのだろう。


 答えの出ない問いだ。それでも、知りたいという気持ちは尽きなかった。


『さっすが蓮。僕のこと、わかってるぅ』


『幼馴染だしな……だが食料の割り当ての件、今日中に済ませとかなきゃならない。日が暮れる前には戻るぞ』


『わかってるって』


 二人は連れ立って、森を南へと走りだした。細い獣道を通り抜け、南を目指す。


『……ねえ、蓮はさ』


『ん?』


『昔のこと、気にならないの? ここにいた人たちのこと』


 荒れたあぜ道を進む道すがら、陽向が切り出した。足が止まる。雑草が生え、今は誰も住んでいない木造の家が、視線の先にあった。


『別に。今生きてる奴らのことで手一杯だからな』


 あっさりとした答えに、陽向は少し口を尖らせた。


『そういうもんかな』


『そういうもんだよ。お前は昔から変わってる。……まあ、別にそれが悪いとは言わないけどな』


 蓮の声には、揶揄よりも呆れに近い、しかしどこか温かいものが滲んでいた。陽向はそれ以上なにも言わず、再び前を向いて走り出した。



 足を進めていると、徐々に巨大な建造物が立ち並ぶようになってきた。

 田んぼや畑といった緑が薄くなり、灰色の重い空気がそこには広がっていた。

 地面から土の柔らかい感触が消え、足が硬いコンクリートに当たり、くぐもった音を出す。


『この先だ……』


 陽向たちは歩いて、道路を進む。


 時折ビルの間を隙間風が通る。がらんどうのビルの中を通る風は、そこにある空白を悲しんでいるようだった。


『……何度見ても、不思議な景色だよな』


 蓮は、瓦礫の間を縫うように進みながら呟いた。

 陽向と一緒に遺跡の調査をしているため、この程度ならば見慣れている。だが、集落の人たちは違う。陽向と違って、旧文明にあまり興味がない。


『だからワクワクするんじゃないか』


 陽向の声は弾んでいる。蓮は目を細めて、そんな陽向を見た。


 はたして今までの景色よりも、より濃いコンクリートの街が、姿を現した。

 朽ちた高層建築が、灰色の空に向かって折れた歯のように並んでいて、道路だった場所には亀裂が走り、その隙間から緑が這い出している。時が止まったような、それでいて確かになにかが終わった後だとわかる静けさが、あたりを支配していた。


『すごい……』


 陽向はその景色に圧倒され、呆けていた。それは蓮も同様だった。ここまでの規模の高層建築の乱立は見たことがなかった。まるで空を覆うようだ。


 その中を歩く。辺りには車が散乱しており、当時の混乱状態が伝わる。


 崩れた建物の合間、陽向が錆びついた看板の残骸に目を留め、駆け寄る。


『見てこれ、蓮!』


『なんだ?』


『多分これ、店の看板だったんじゃないかな。ここ、この文字――』


 陽向が軽く手をかざすと、目に見えないほど細かななにかが看板の周りに集まり、積もった埃を静かに払い落としていく。まるでそこに見えない手があるかのように、埃が舞い上がり、文字の輪郭が少しずつ露わになっていった。


 キラキラとしたそれは、まるで粒子の集まりであり、陽向たちの「手」だ。


『……わかんないな、やっぱり』


『そりゃそうだろ、俺たちの言葉じゃないんだから』


『でも書いとこ』


 陽向はノートを取り出し、つたない字で看板の文字を書き留めた。ノートの他のページにも、かつて見付けた文字がびっしりと書かれている。


『よく飽きないよな、こういうの』


 蓮が横から覗き込んで言った。


『だって気になるでしょ。ここでどんな人が、なにを売って、誰がそれを買っていったのか。……僕たち(、、、)も――』


 言いかけて、陽向は口を噤んだ。蓮が横目でちらりと見る。


『またそれか。僕たちって……興奮するとそれだ』


『ごめん、つい……』


『まあいいけど』


 蓮は軽く流したが、陽向は少しだけ気まずそうに看板から手を離した。

 癖だ。わかってはいるのに、いつの間にか口をついて出てしまう。誰かの気持ちを想像すると、それがいつの間にか自分のことのように感じられてしまう。


 境界がうまく引けない。


『もっとたくさんあるはずだよ』


 陽向は目を輝かせ、先に進もうとする。遠くで朽ちた鉄が折れ曲がり、ひしゃげて地面に落ちる音がした。


 蓮は身体をびくりとさせ、そちらを見る。だが、陽向は気にしていない。


『お、おい、危ないぞ』


 蓮は少し腰の引けた声を出した。


『少しくらい、平気だよ。僕、もっと知りたい!』


『おい、陽向——いてっ』


 陽向の足が止まった。その陽向にぶつかり、蓮は鼻をさすった。


『なんだ急に、どうした?』


『あそこ、見て』


 示した先、ガラスの削ぎ落とされた肋骨のようなビル群の隙間に、ぽつんと一角だけ、明らかに手入れの行き届いた場所があった。

 緑が整えられ、朽ちていない木造の屋敷が、周囲の荒廃から切り離されたようにそこだけ静かに佇んでいる。


『……なんだあれ?』


 蓮の声が低くなった。


『こんな場所に、あんな綺麗な建物があるなんて』


『行ってみよう』


『おい、待て』


 陽向はすでに歩き出していた。蓮は少しためらったが、結局その後を追った。


 目の前まで来ると、その建物は明らかに綺麗だった。周囲を囲む緑は整えられ、バラが咲いている。庭の芝生も整理されており、泥一つ付いていない白い机と椅子がとんと置かれている。


 レンガ作りの黄土色の壁にはツタの一本も巻き付いておらず、窓にあるガラスも太陽の光を反射して輝いている。


『これ……誰か、住んでる……?』


 そう思ってしまうのも無理はなかった。明らかに人の手が入っている。自然のままならば、他のビルや道路と同じように、緑に侵食されているはずだ。


『おいおい、本当に誰かいるみたいだ。旧都市に誰か住んでるなんて聞いたことないぞ』


 蓮は注意深く屋敷を見渡す。人影はない。


『だよね、大発見だよ!』


『バカ! 味方とは限らないぞ』


 蓮は陽向の前に立ちはだかった。


『この中に入るなんて言うなよ。危険すぎる』


『どうしてそんなに怖がるの。大丈夫だって』


『危ないことはするなと、誠一にも言われてるだろ。お前のことは誠一から頼まれてるんだよ。危なっかしいからって。これ以上はヤバいだろ』


 父の名前を出され、陽向は一瞬たじろいだ。だが、好奇心が勝る。


『危ないことはするな、か……でも危なかったらすぐ逃げればいいじゃん。それに——』


 陽向は目を輝かせて屋敷を見た。


『中にいるの、人間かも! 僕は、人間に会ってみたい!』


『お前……』


 陽向は止まりそうにない。好奇心に突き動かされた陽向は、どんなに忠告しても、止まったことはなかった。


『それで痛い目見たこともあるだろ!?』


『それでも、人間に会えるなら僕は——』


「いらっしゃいませ。お客様ですか?」


 背後から突然、声が降ってきた。蓮が勢いよく振り返る。陽向も蓮の身体越しに彼女(、、)を見た。


 ——その時、僕は思った。

 僕とは違う身体。僕とは違う顔。

 それでも、初めて見た時美しいと、そう思った。

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