第四十四話 ミネルバの父と元王太子妃
「アルジェは、アルジェだ」
たったそれだけの言葉だったが、ロイスにもフルーレの言いたいことは分かる。彼女が背負う元王太子妃と言う肩書も、ロッシーニ公爵家令嬢と言う身分も、全てを取り去ったアルジェという少女自身に価値がある。
もしも、彼女の昔の身分や実家の威光を借りようと擦り寄る者がいるのであれば、フルーレは一刀両断に切り捨てるだけの覚悟はあった。
――いつもは何を考えられているのか分からない方だが、アルジェさんだけに対しては、違うらしい。
若者らしい熱い思いを感じ、ロイスは子を持つ父として、微笑ましい気持ちになった。緊張を解いて柔らかな微笑みを浮かべると、フルーレの目を見て姿勢を正す。
「分かっております。アルジェさんは、あくまでアルジェさん。それ以外の何者でもありません」
商売人なら、彼女の後ろ盾や人脈は口から手が出るほど欲しいものだ。一回口利きをしてもらえるだけで、そこから枝葉のように販路は伸びていき大金が舞い込むことだろう。真っすぐな彼女は、多分ロイスがお願いすればロッシーニ公爵への面会くらいは取り付けてくれるかもしれない。
しかし、それをしてしまえば、アルジェを含めた三人娘、そして目の前のフルーレとは二度と笑顔で話せないだろう。
「私は商人でもありますが、子を持つ父でもあります。わが子に恥じるような生き方はいたしません」
アルジェを師匠と慕うルイは、この旅の中で将来の夢を得た。旅が終わったことに涙を流しはしたが、今朝から再び剣を振っている。
もし、父親が彼の師匠を商売の道具にしたと知れば、きっと許してはくれないだろう。
「それならいい。これからも、気を付けてくれ」
「承知いたしました」
フルーレも、ロイスと言う男の為人は知っているつもりだ。騎士団長であり、ギヤマンテ公爵家の当主でもある父ガルドは、武骨で愛想のない男ではあるが、人を見る目は一級だ。そんな彼が御用達として選んだ商会の主なのだから、人柄は格別なものなのだろう。
話が終わると、フルーレは糸のように細い目を半月のように弛ませた。納得がいくと後腐れがないのが、彼の良い所だ。
「では、また」
「はい。ご用命がありましたら、いつでも駆け付けさせていただきます」
「あぁ。その時は頼む」
背を向けたフルーレを、ロイスは清々しい気持ちで見送る。
――貴方は、唯一を見つけられたのですね。
他人に興味を示さない少年が、いつの間にか誰かの為に剣を振る男になっていた。
「遠い国の言葉に、男子三日会わざれば刮目して見よという言葉があるらしいが、正にその通りだったな」
ロイスは、フルーレだけでなく、アルジェ、ミネルバ、サシャが、今後どのような人生を歩むのか楽しみになってきた。
「もっと共に旅をしたかった。また、いつか」
建物の角を曲がっていくフルーレは、既に走り出している。一秒でも早く仲間の元へ行きたいのだろう。
「さぁ、私は帰って仕事だな」
商品の引き渡しは、明日だ。やっと長旅が終わったというのに、それまでにやらなければならない事が山積みだった。
■
「いや~~、君がミネルバの友達か! 会えるのと楽しみにしていた!」
ガハハハハと大きく口を開けて笑うのは、ミネルバの父ルゼリオだ。怪我人とは思えない元気な様子だが、確かに右腕に添え木がされ包帯でグルグル巻きだ。しかも、左足も折れているらしく松葉づえが壁に立て掛けてあった。
女性としては大柄なミネルバだが、その血筋の源である彼もまた、ベッドからはみ出そうな程大きい。体を動かすたびにギシギシとなっており、いつ壊れてもおかしくない状態となっていた。
アルジェは彼の前に立つと、ピンと背筋を伸ばしてから頭を下げた。
「はじめまして、アルジェと申します」
「堅苦しいのはやめてくれ。俺は、そういうのが苦手なんだ」
ベッドの上で枕に背中を支えてもらっている所を見ると、怪我は多分かなり酷いものだったのだろう。
しかし、持ち前の精神力と体力で、娘と友人達に心配させまいと気を張っているのだ。
「コイツ、手が早い上に話を聞かないだろ?あんなお上品な学校でやっていけるか、心配だったんだよ」
「なんだよ! オヤジが入れたんだろ!」
妻を亡くし、冒険者家業をしながら幼い子供を守り切れないと感じたルゼリオが、元冒険者パーティーの仲間だったトレバー・ダルタニアンに娘を託した話は有名だ。ただ、貴族の多いダルタニアン騎士学校では、存在が浮いてしまうことは簡単に予想できた。
トレバーの養女であるサシャが同室だということが救いだったのだが、まさか、そこに隣国の元王太子妃が入ってくるとは思ってもいなかった。
「うちの娘も変わり者だが、あんたも相当だな」
「お恥ずかしい限りです」
「何が恥ずかしいってんだ。俺は、あんたみたいな剣士が、これからどうなっていくのか楽しみでしかたねぇ」
ルゼリオは、アルジェの佇まいを見ただけで、その腕前の凄さを感じた。たった十四歳の少女が出す覇気ではない。流石は、元王太子妃と言ったところだろうが、それだけではない、日々の研鑽が見て取れた。
「それで、親父、いつ治るんだよ」
「そんなの、医者でも分かんねーよ。骨がくっつきゃ直るだろ?」
「じゃぁ、それまでアタイは、ここに居るからね!」
「バカヤロー。学校はどうすんだ」
「休学届を出してきた」
「ったく、トレバーのヤロー、なんで許可出すんだよ!」
左手で顔を覆ったルゼリオだが、それは涙を隠すためだ。洞窟の崩落に巻き込まれ、一度は命を諦めるほどの状態だったのだ。
一緒に居た仲間が掘り起こし、ボロボロのルゼリオを担いで町まで戻っていなければ、きっと死んでいただろう。意識が戻った時には、既に、冒険者ギルドを通して娘に連絡が行ってしまっていた。心配させたくはなかったが、こうして会えると、やはり嬉しさで胸が一杯になる。
「なんだよ。なに泣いてんだよ!」
突っ込むミネルバも、ポロポロと涙をこぼしていた。
横で見ているサシャも、もらい泣きをしている。彼女は、家族を戦火で失っている。もしかしたら同じように生き延びている者がいるかもしれないが、今のところ絶望的と言っていい。
「良かった、良かったね、ミネルバ。お父さん、生きてて」
病室は、一気に湿っぽい空気に包まれた。ただ、アルジェとフルーレだけが、乗り遅れた。
「フルーレ、これって、泣いた方が良いのかしら」
「アルジェ、蛇口じゃないんだから、そう簡単に涙は出したり引っ込めたり出来る物じゃないよ」
「そうよね……残念だけど」
嘘泣きが出来るほど器用な二人でもない。仕方なく、三人が泣き止むまで呆然と壁の一部と化しかなかった。
この時アルジェは、泣けない自分は薄情なのかもしれないと一瞬気に病んだ。
しかし、隣であくびをかみ殺している男を見て、誰しも感情的に生きる必要はないのだと知って安心する。
「ねぇ、フルーレ。貴方、泣いたことある?」
「ん~。木から飛び降りて足を折った時は、泣いたような気がする。多分」
感情の線が一本切れたような彼は、ずっと不思議君と呼ばれていた。そんな彼が、アルジェに対してだけは熱い感情を向けてくる。それが、自分より強い女が好きという変わった性癖だとしても、特別なことに変わりはない。
「そう……。いくらなんでも、貴方だって痛いと泣くわよね」
「ん~、訓練でも怪我をさせることはあっても、怪我をさせられることはあまりないからなぁ。痛みとも疎遠になってるから、良く思い出せないんだけど。一回、殴ってみてくれる?そしたら、泣けるかも」
「遠慮するわ」
やはり、フルーレは、ぶれることなくフルーレだった。そのスタンスが、時に人を不快にさせることもあったが、アルジェにとってはありがたい存在だった。




