第四十三話 烏の魔剣と元王太子妃
「この剣を持っていたのは、烏様と呼ばれていた御仁でな。残念ながら、本名は誰も知らない。真っ黒な髪を無造作に伸ばしておったからついた渾名だったが、向かうところ敵なしと言われた名うての冒険者だった」
当時リペアは、冒険者としては見込みがないと言われ、武具の修理を専門とする工房へ身を移したばかりの頃だった。諦めきれない気持ちと、どうにもならない体格の小ささに鬱々とした日々を送っていた。
そんな時に店を訪れたのが烏だった。工房の親方であるラパラティオンとは旧知の仲らしく、入ってくるなり親方の方が両手を広げて歓迎していた。
「無口な人で近づきがたかったんじゃが、丁度手が空いているのがワシしかおらず、茶を入れてお持ちしたところ声を掛けて下さってな」
当時を思い出しているのだろう。懐かしそうに目を細めるリペアの横顔は、まるで胸躍らせる少年のように見えた。
「体格は、そりゃもう見上げるほど大きくてな。ワシの倍はあったぞ。そんな人が、ワシを見下ろしておっしゃるんだ。良い手をしてるってな」
必死に剣を振って出来た剣だこは、潰れても潰れても振り続けたことで固く岩のようになっていた。分厚い掌には、リペアの冒険者への憧れと熱意が詰まっていたのだ。それを認められて、まだ若かったリペアは大泣きしたらしい。
「その後烏様が修理の終わった剣を振るところを見せて下さった。細身の薄刃が空を切ると女がすすり泣くような声が聞こえて背筋がゾッとしたわ。あれだけ長い剣を目も止まらぬ速さで振りぬかれたら、分かっていても避けられるもんじゃない。しかも、それが一太刀で終わらない。舞うように右へ左へ上へ下へと」
太刀筋を真似るように、リペアは腕を振るった。振り下ろすことが中心の剣の動きでは考えられない自由な動きに、アルジェの瞳が輝き始める。
――私が目指す剣は、正にそれだ。
時に槍のように突き刺し、時に鞭のようにしなり、手と剣が一緒になったような一体感は血を沸騰させるような興奮を生み出す。アルジェはリペアの動きを目で盗み、同じように手を動かして思いを形に変えていく。
元冒険者とあって、彼の動きはただの老人とは違っていた。きっと何度も思い出しては、動きを真似してきたのだろう。夢は諦めても、憧れを思う気持ちは忘れられなかったらしい。
「はぁはぁはぁ……とまぁ、凄い剣捌きを見せて頂いたわけなんじゃが、その後烏様が不治の病でお亡くなりになったと聞いてな」
スンッと鼻を鳴らして涙をこらえるリペアの鼻の頭は、赤くなっている。もう一度会える日を楽しみにしていた彼にとって、烏の死は耐え難いものだった。
「いつか、この剣を研がせて貰いたいと、一生懸命修行したんだがなぁ」
肩を落としたリペアは、小柄な体が更に小さく見えた。その背中に、アルジェが声を掛ける。
「リペアさん。その、烏様のご病気はどのようなものだったのですか?」
「詳しくは知らんが、手が震えて剣が握れなくなったらしい。その後、全身に麻痺が広がったと聞いた。しかも、この魔剣の所在が分からなくなったと一時冒険者の中でも話題になったもんじゃ」
「え?我が家では引き取り手がなくて、祖父の元へ送られたと」
「それはおかしい。ワシは、烏様の弟子という男が、その剣を探し回っていると聞いている」
アルジェは、剣の柄を握った。自分の身の一部になった物を、おいそれと人に渡したくはない。
しかし、烏と言う男を師と仰いだ者の腕前も気になる。もし、未だに見たことのない世界を見せてくれるのだとしたら、会わぬという選択肢はないだろう。
「いやはや、変な奴の手に渡っていたとしたら、金を積んでもワシが一旦受け継いで見どころのある奴に引き継げたらと思っておったんじゃが……」
リペアは、アルジェを見上げると歯を見せて笑った。
「全くもって、要らぬ心配じゃったな。お前さんのような者が受け継いでくれたと知ったら、きっと烏様も喜ぶだろう」
刃が薄くとも、他の剣と比べても長さのある剣は、鍛錬を積まねば振ることも難しい。なにせ、貧弱な握力では遠心力で刀が飛んで行ってしまい、腕だけで振ればスピードが出ない。腕がなければ、ただの鈍ら刀に成り下がってしまう一品だった。
「あの……その弟子と言う方のお名前は」
「それが、師匠の変なところばかり真似おってな。本名を明かさぬまま去っていったわ。確か、他の冒険者からは霧と呼ばれていたかな。何せ、いつの間にか現れて、いつの間にか消えている。捕まえようと思っても、行った先にいるかどうか」
「いえ。貴重な情報をありがとうございます」
アルジェは、いつの日か、その男と会いたいと思った。そして、自分の剣が、烏の剣にどれだけ近づくことが出来たのかを見てもらおうと心に決めた。
しかし、今はまだその時ではない。納得のいく戦いは、未だに出来ていない。まだまだ剣は重く感じられ、体の緊張も解けていない。他人から見れば分からぬことでも、アルジェには我慢ならない不出来な点だ。
「先ずは、もう一度基本からやり直さないと」
剣を握り直し、素振りを再開しようとするアルジェに、サシャの顔がクシャッと顰められた。
「ねぇ、アルジェ、まだやるの?」
「サシャ、とても不服そうね。何か問題でも?」
「いや、そろそろ出発の時間」
ミネルバの眉間には深い縦皴が刻まれ、目つきも相当悪くなっている。放って置けば暴れ出しそうな雰囲気に、慌ててアルジェは剣を鞘にしまった。
「ごめんなさい、ミネルバ」
「何に対して謝ってんだよ」
「いえ、貴女のお父様の一大事だというのに剣の話に花を咲かせてしまって……」
「なんだ、分かってんだ? なら、今、アタイがなんて言いたいか分かる?」
「今すぐ、出発しましょう」
あたふたと幌馬車へ戻っていくアルジェの後姿を、一人の男が悲しそうに見つめている。
「僕の存在、完全に忘れているよね?」
フルーレの質問に、答える者は誰もいなかった。
その後、特に襲撃をされることもなく順調に進み、やっと目的地エストへ辿り着いた。
「それじゃ、アタイは、行くから。皆さん、ありがとうございました」
「ちょっと、ミネルバ! もぉ、仕方ないなぁ。じゃ、私があっちには付いていくから、報酬の受け取りはお願いね」
挨拶もそこそこに父親の元へ走って行ってしまったミネルバは、サシャが面倒を見てくれるらしい。代わりに、アルジェとフルーレは、ロイスから護衛の報酬を貰う為に、一旦冒険者ギルドへ行くこととなった。
「すみませんね。他の冒険者の方の支払いもありますし、アルジェさん達も、そちらを通した方が都合がよいかと思いまして」
確かに、いきなり大金を渡されても、ずっと持ち歩くわけにはいかない。一旦ギルドの銀行へ預ける方が安全だろう。
「ご配慮、重ね重ねありがとうございます」
頭を下げるアルジェを見て、慌ててフルーレも頭を下げた。普段なら、公爵家子息としてロイスに対応している彼も、今は一冒険者と雇い主という関係だ。
「ははは、まさかフルーレ様に頭を下げられる日が来るとは思いもよりませんでした。しかし、どうも慣れません。今日で雇用関係も終わりですので、どうぞいつも通りに戻っていただけるとありがたいです」
フルーレは、決して横柄なわけではない。
しかし、貴族が平民に頭を下げるなどと言うことは、ほぼないと言っていい。しかも、フルーレは大切な出資者でもある。ロイスとしては、あまり関係を拗らせたくない相手だ。
「では、ロイス。一つ聞きたいことがある」
「何でございましょうか、フルーレ様」
「お前、知っていて、仕事を頼んだのか?」
ただでさえ切れ長の瞳を細められると、フルーレの底知れぬ凄味のようなものが増す。ゴクリと唾を飲んだロイスは、唇を噛んで頭を下げた。
「何のことかしら、フルーレ」
「アルジェには、関係ない事だから。先に、ミネルバの所へ行ってくれるかな?」
フルーレとロイスの雰囲気に、自分が入り込む余地がないと思ったアルジェは、それ以上何も言わずに踵を返した。




