第三十七話 兄と妹と走り抜ける元王太子妃
「にいに、もう、むり」
「あっちに明かりが見える。もう少しだ」
兄と小さな妹は、手を繋いで暗闇を必死に走っていた。二人は、商会を営む夫婦の子供だ。今回は特別な荷物を運ぶ為、商会の従業員に加えて護衛も雇って目的地エテルを目指していた。そして、森の中にある湖の近くで野営準備をしている時に盗賊に襲われた。
護衛が直ぐに反応したが、多勢に無勢、次々と倒されていく。戦いなどしたことのない従業員達が逃げ惑う中、自分の身を犠牲にしてまで逃がしてくれたのは子供たちの母だった。
「早く、逃げなさい!」
敵の腰にしがみ付き、なりふり構わず叫ぶ母の顔は、恐怖でこわばっていた。それを見た九歳の兄は、三歳の妹の手を握ると一目散に森の中へと逃げ込んだ。あてがあるわけじゃないが、このままでは殺されるのは火を見るよりも明らかだった。
二人の父は武器を持ち、三人の盗賊と対峙していた。助けたいが、そんな力は今の少年にはなかった。
――まずは、ここから、離れなきゃ。
兄は、足手まといにしかならない自分達は、この場に居るべきではないと判断した。獣が徘徊する森を抜けるのは、子供二人では不可能に思える。
しかし、勝ちを悟った盗賊が松明に火をつけ始めたことで、逆に、一縷の望みが生まれた。野生動物は火を怖がる。兄は、あえて煙が流れていく風下に向かって走り始めた。後から数名の男が追ってくる気配がするが、まだ距離はある。限界まで走って息も苦しくなってきたところで、森の出口が見えた。その先には、焚火が見える。人がいる証拠だ。
もしかしたら、盗賊の仲間かもしれない。そんな恐怖を感じながらも必死に走っていると、向こうから猛然とした勢いで誰かが走ってきた。
「そのまま走りなさい。後は、任せて」
剣を抜いた美しい人は、二人の横を駆け抜けていく。振り返りたいけど、足を止めたら、もう二度と動けそうにない。崩れ落ちそうになる妹を引っ張り兄が森を抜けると、そこに別の女が二人いた。
「あんた達、木の上に逃げるわよ」
小さい方が、軽業師の様に木の上に上った。そして、大きい方が、兄を抱き上げ上へと持ち上げてくれる。
「ほら、手を伸ばして!」
兄が手を必死に伸ばすと、上からグイッと引き上げられ、気づけば枝の上に居た。続いて妹も同じように枝の上へと移動させられる。
「サシャ、援護を頼む」
「了解。ミネルバ、相手は人間だから、潰しちゃだめだよ」
「そんなの、加減なんて出来るわけねーだろ」
ミネルバと呼ばれた大女は、軽々とハンマーを振り回しながら森の中へと入っていった。
「お兄ちゃん、偉かったね。妹を守ったことは、一生誇っていい」
眉間に赤い飾りをつけた少女は、涙と鼻水で顔面がべちょべちょになっている兄の顔を布で拭ってくれた。そして、背中に括り付けていた弓矢を手に取ると、矢を番えて闇夜に向かって射った。
グハッ
男が苦しむ声が聞こえた。どうやら、敵の一人に矢が届いたようだ。その後聞こえてきたのは、ミネルバと呼ばれた女の咆哮と助けを求める男達の悲鳴。
「にいに、あのひと、もうじゅうみたい。がおぉ~」
「こら、サーヤ、失礼なことを言うな」
つい本音を漏らしてしまった妹は舌を出し、困った兄は妹の頭を軽くポンと叩いた。その横でサシャは、腹を抱えて笑っていた。
■
「なんだ、お前!」
突然現れたアルジェに、盗賊達は剣を振り上げた。その隙だらけの構えには、相手が女ということへの侮りが見えた。
しかし、そんなことはアルジェには関係ない。月夜に鳴くと言われた彼女の愛刀は、流れるような軌跡を描き敵の腕や足の腱を切り裂いていく。その時、盗賊達は、女がすすり泣くような声が聞こえた気がした。それは、薄刃の剣が神速にも近い速度で振りぬかれた際に、空気を切る音だった。
本来剣をどのように振ったとしても、音は鳴るべきものではない。抜刀する時も、納刀する時も、ただ静かにあるべきなのだ。逆を言えば、下手なものほど無駄に音が鳴る。そして相手に気取られ、先に切り倒されることになるだろう。
しかし、アルジェの剣筋は、その速さが尋常ではないことから、音を聞いた時には切られた後となる。
「へ?」
盗賊達は、痛みすら感じないのに自分の体から血しぶきが上がったことに驚いた。しかし、全身に力が入らず、倒木の様に倒れるしかない。地面に転がったままで、駆け抜けていく女の後ろ姿を見送った。その美しさに、女神の天罰が下ったのかと恐怖を感じた。
「構うな! 子供を追え!」
頭らしき男が叫ぶと、前方から駆けてきていた数名の男がアルジェを大きく避けて子供達が逃げた方へと走っていった。彼らの目的は、子供を人質に取って親に言うことを聞かせることなのだろう。追いたいが、目の前の敵も倒さなければならない。
「ちっ」
令嬢らしからぬ舌打ちをしたアルジェだが、後方からミネルバの咆哮が聞こえたことで口元を緩める。父親のことで落ち込んでいた彼女だが、一旦戦いが始まれば、頼れる戦力になる事は間違いない。
それに、ミネルバが森に解き放たれたということは、子供達はサシャが守っているのだろう。これ以上安全な布陣はなく、後は目に見える敵を殲滅するのみ。
松明の火に視覚を頼りっぱなしの敵は、影から飛ぶようにして現れる剣筋を避けることは出来ない。面白いように腱を切られて、次々と地面に転がった。
だが、彼らは幸運だったのかもしれない。手術で再び歩けるようになるかは分からないが、後方で骨ごと足を粉砕されている仲間に比べれば、まだ見た目はましな方だろう。
商団を守っていた護衛達も、突然現れた助太刀のおかげで息を吹き返していた。アルジェ達のせいで動けなくなった賊は、全員が縛り上げられ一か所へ集められる。
そうしている間に、夜が明け始めた。東の空が明るくなると、朝を告げる鳥たちの鳴き声が遠くから聞こえてきた。野生動物も、あたりの危険が無くなったことを察したのだろう。
こうして、全ての敵が捕らえられ、怪我を負った商団のメンバーも、手当てを終えて全員が生き延びることに成功した。頼まれたわけではないが、アルジェとミネルバも率先して倒れた馬車を起こす手伝いに加わる。
そこに、兄妹を連れたサシャが現れた。子供の無事な姿に、両親が走り寄る。
「ルイ、サーヤ」
「パパ! ママ!」
一度は永遠の別れを覚悟した四人は、固く抱きしめあって涙を流す。その後、命の恩人であるアルジェ達の元へ礼を言いに来た。
「私は、ロイス。この商会の長をしています。そして、こちらは、妻のマリッサ。この度は、本当に助かりました。」
「いえ、困ったときは、お互い様なので」
子供たちの両親は、かなり大きな商会を経営する商人だった。今回は、結婚が近い第二王女のウエディングドレスに使う上質な絹織物や宝飾品を運ぶ途中だったらしい。
その情報がどこから漏れたのか分からないが、それを狙って襲ってきたということは、目的地に着くまではまだまだ気が抜けないということだ。
「エストという町まで行けば私達の仕事は終わりなのですが、あと何日かかるか。なにせ、けが人も多いので、一度次の町で休まざるを得ません」
「エストでしたら、私たちの目的地でもあるのですが」
アルジェの言葉にロイスの目が輝いた。ここから東に位置するエストは、ミネルバの父がいる冒険者ギルドの拠点なのだ。
「もしよろしければ、御同行願えませんか?もちろん、料金は支払います」
思わぬ出会いをした三人娘と商人ロイスだが、その後も深い信頼で結ばれ互いに助け助けられの関係となっていく。
しかし、この時の彼らは、そこまで深い関係になるとは思ってもいなかった。
今週末の金曜日。31日、夜7時に、三話完結の短編「ですから、噓ではありません」を投稿します。
以前別サイトで書いていた物を加筆修正しております。訂正前の分は既に引き上げていますので、読めるのはここだけになります。
感想へのお返事などが書けず、申し訳ございません。楽しんでいただけると嬉しいです。




