第三十六話 幌馬車に乗る元王太子妃
ミネルバを父ルゼリオの元まで送り届ける旅は、突然始まった。アルジェの分の休学届まで任されてしまったフルーレは、今頃何故アルジェが既に出立してしまっているのか事情説明するのに必死になっていることだろう。
なにせ、毎回騒動を起こす面々に担任のサライヤは胃に穴があきそうなくらい大変な思いをさせられているのだ。
ちょっとやそっとのことでは、フルーレの首根っこを離さないことだろう。
面倒くさい彼だけ放置し、さっさとダルタニアン騎士学校を飛び出したサシャが用意してきたのは、冒険者ギルドから貸してもらった幌馬車だった。
元々ルゼリオが怪我をしたと最初に知らせてくれたのは、ギルド長のガンドルフだ。直ぐにでも出立できるよう準備を整えてくれていたらしい。
「お前たちのことだから心配いらないとは思うが、念のため食い物と武器は多めに載せてある。代金は、出世払いだ」
そう言いつつも、最初から餞別のつもりなのだろう。特に念書を交わすこともなく、追い立てるように馬車を出発させた。
「アイツに、よろしくな!」
どんどん小さくなっているガンドルフは、見えなくなるまで手を振ってくれていた。
「気のいいオッサンだね」
サシャの言葉にも、落ち込むミネルバは返事もせずに、モジモジと手を動かしている。
「えぇ、本当に、気の良いオッサンだわ」
代わりにアルジェが、使い慣れない言葉を使って返事をした。
「アルジェ、無理に汚い言葉を使う必要はないよ」
「でも、サシャは、使っているでしょ?」
「私はいいのよ。いつものことだから」
「私だって、使っているうちに、いつものことになると思うの」
やる気満々で汚い言葉を使おうと頑張るアルジェは、どこから見ても品が良すぎる。
「違和感の塊」
「そうかしら?」
「そうでございますわよ、お嬢様。おほほほほ」
サシャは、アルジェを茶化しながら、右腕一本で器用に手綱を握った。左手には、リンゴが握られており、シャクシャクと良い音をさせながら頬張っている。
急ぐ旅ではあるが、馬を使いつぶしては目的地に辿り着くことすら出来ない。日数は、少なくとも片道十日以上は掛かるのだから。
早すぎず、遅すぎず、後からくるフルーレが明日くらいには追い付けそうな絶妙な速度で馬車は進む。何せ、安全な旅には、多少問題ありな奴だとしても男手はあった方がいい。
アルジェは、御者台に座るサシャの横へ移動して隣に座った。前を見ると、何物にも遮られない大空が見えた。
ダルタニアン騎士学校は、難攻不落の要塞並みに警備が整っており、周りを高い塀に囲まれている。その為、いつもその壁の一部が視界の一部に入り、こんな風に気持ちの良い景色を見るのは久しぶりだった。
「あ、鳥だわ」
一匹の鳥が大きく羽を広げて空を横切っていくのを見て、アルジェが嬉しそうに声を上げた。 普段なら、それだけで終わっただろう。
しかし、馬車を止めたサシャは、荷台から弓矢を取り出し、一発で射落とした。落下してくる物体は急所を貫かれて即死だったらしく、ダラリと体を弛緩させている。
「折角、気持ちよさそうに飛んでいたのに」
「今晩のおかずにする」
「そう。それなら、仕方ないわね」
あっさりと納得したアルジェは、御者台から飛び降りると地面に横たわる鳥の足を掴んだ。そして、首を切り落とし、手早く羽を抜くと血抜きをするため馬車の後方に吊るした。その手際の良さには、狩猟を糧として生きてきたサシャすら驚く。
「お貴族様とは思えないよね」
「そのお貴族様って、ちょっと馬鹿にしてる感じなのかしら?」
「普通はね。でも、アルジェは、ちょっと違うかなぁ」
気の抜けた話をする二人は、御者台の上で再びリンゴをかじり出した。ポタポタと落ちる血が、ガタゴト動き出した馬車の轍に落ちていく。これで、野営する頃には完全に血は抜けていることだろう。
「丁度、フルーレが後を追ってくるときの目印になるかもね」
「そんなに都合よくいくかしら?」
「アイツなら、アルジェの匂いで追いかけてきそうだけどね」
「犬じゃないんだから、無理だと思うわ」
あながちそうとも言い切れない。フルーレのアルジェに対する勘は鋭いのだ。それに行先は、最初から決まっているのだ。最短ルートを通れば、いつかは会えるだろう。
日が少しずつ傾き始めたのを確認したサシャとアルジェは、地図から川の位置を特定してその付近にテントを立てることにした。そこは森の入り口も近く、水源の確保も簡単そうだ。その事はフルーレも知っているから、探すときの助けにもなるだろう。
「ほら、ミネルバ。いつまでも顔を下に向けてたら、運気も下がるよ」
サシャに一喝され、ミネルバは、やっと顔を上げた。その目は潤み、今にも泣きそうな顔をしている。母に先立たれ、唯一の肉親である父が怪我をした。それは、まだ十四歳の子供には、かなり重い出来事だろう。
「オヤジ、死んじゃわないかな」
「殺しても死なないってギルド長が言ってたから、大丈夫でしょ?」
あえて明るく答えるサシャだが、命の儚さは、戦争で家族を失った彼女が一番知っている。そして、不安なミネルバの気持ちも手に取る様に分かった。
「しかたないわね。今日だけ真ん中で寝かせてあげる」
いつもはアルジェを真ん中にミネルバとサシャで挟み込むようにして眠るのだ。
しかし、この夜は、大きなミネルバに小柄なサシャと細身のアルジェが寄り添うように眠った。
「大丈夫。大丈夫だからね」
いつも大声で騒ぐミネルバが赤子の様に体を丸め眠りにつくと、アルジェが体を起こした。そして、サシャと目配せをして、テントの外に出ていく。
いつもなら三人が眠る間は、フルーレが夜の見張りをする。そして、次の日は、三人が起きて、フルーレが眠るのだ。
しかし、今日は彼が居ないため、誰かが見張りをしなければならない。獣や盗賊などは、待てと言っても待ってくれないのだから。
――これなら、最初からアイツを連れてくればよかったな。
サシャは、ちょっとした嫌がらせをフルーレにするために、三人で眠れなくなってしまったことを反省した。入学以来、ずっと三人で川の字になって眠ってきたのだ。気配が傍にないだけで、少し心寂しい思いを抱いてしまう。
一方、外に出たアルジェは、火を絶えず燃やし続けつつ、耳をそばだって周辺の気配を探る。
折角夜空に浮かぶ月の美しさや星の煌めきなどは、気にも留めない。それが野営であり、仲間を守るということなのだ。
――静かすぎるわね。
フクロウなどの夜行性の動物の鳴き声がしないことに気づいたアルジェは、警戒を強める。こういう場合、何かを恐れて野生動物が逃げた後か、既に殲滅されてしまったかのどちらかを疑わなければならない。
聞き洩らしがないよう、焚火に背を向けて目を閉じ、更に耳をそばだてる。かすかに聞こえるのは、人の足音。何かから逃げているのか、足早にこちらに向かって近づいてきている。
アルジェは、そっと目を開けた。一度目を閉じたことで、暗がりの様子が良く見えた。
藪の奥の方に、小さな頭が二つ見えた。それが子供のものだと分かった瞬間、アルジェは剣を掴んで走り始めた。
いよいよ大空の下編開始です。現在、この話を含めて五話まで書きあがっています。続きを書けるよう頑張りますので、応援のほどよろしくお願いいたします。




