第三十三話 サシャの父と元王太子妃
「ですから、あのような粗暴な人間と、ロッシーニ先輩が関わりを持たれるなど、貴族として許されることではないとお思いになられないのでしょうか?」
アルジェは、昼休み時間に廊下を歩いているところを、十数人の下級生に取り囲まれて身動きが取れなくなっていた。
先程から、雀のようにチュンチュンと訳の分からないことをさえずり続ける少女達に、アルジェは、眉一つ動かさず棒立ちになっている。
一度、無理に逃げようとして、ぶつかった少女が転倒して怪我をしたことがあった。
体幹の出来ていない新入生に鍛錬が足りないと憤りたいところだが、その後、少女の両親から学校側に再三苦情が届いたこともあり、同じような状況になったときは無理をしないことにしている。
ひとしきり文句を言えば、最後には、アルジェの機嫌を取るように誉めそやして去っていくのだ。
しかし、この日は既に十分以上経っており、昼食がまだのアルジェの苛立ちはMAXに近い。
どうやって逃げようかと上を見上げると、ちょうど良いところに生い茂る木の枝が見えた。
アルジェは、屈伸をすると軽やかに上に飛び上がり、枝を掴む。
そのまま腕の力で体を持ち上げると、木の枝に飛び乗った。
「あ!ロッシーニ先輩!」
木の下に群がる少女達は見上げながら口々に何かを騒いでいるが、すでに興味をなくしているアルジェは、枝伝いに校舎の二階にある窓まで行くと、そこから中へと体を滑り込ませた。
「おやおや、こんな所から入ってくるのは校則違反だよ?」
突然窓から現れたアルジェに、部屋の中に居た人物は驚くこともなく、優しく微笑んでいる。
「ダルタニアン先生、申し訳ございません」
アルジェが頭を下げたのは、この学校の総長であるトレバー・ダルタニアン。
サシャの養父であり、幾度か食事を一緒に摂らせてもらっていた。
もと冒険者でもある彼は、生真面目だが度量が深く、アルジェが養女のサシャと仲が良いことを、ことのほか喜んでくれていた。
「また、新入生に追いかけられたのですか?」
「はい」
「まったく、人のことより、自分の事を顧みてもらいたいものですね」
アルジェへの的外れな羨望は、まるで歌劇俳優を追いかけるファンの心理と似ている。
想像と違うことを受け入れられず、それを批判し、自分達の理想通りになって欲しくて苦言を呈してくるのだろう。
しかし、そういった生徒は、大概成績がよろしくない。
名門と唄われるダルタニアン騎士学校にあっても、一定数このような生徒は存在し、その救済措置にダルタニアンは常日頃頭を痛めていた。
こちらは良かれと思って厳しく指導しても、大体が親に泣きつき、学校側に非があるとして文句を言ってくる。
この負の連鎖を断ち切りたいのだが、なかなか教育とは難しいものらしい。
「しかし、アルジェ君、一つだけ言ってもよいかな?」
「はい、ダルタニアン先生」
「その衣装の時は、木に登るのは止めたほうが良いと思う」
ダルタニアンに指摘され、アルジェは、自分の服装を改めて見た。
それは、いつもの黒い作業着ではなく、ダルタニアン騎士学校の正式な制服。
勿論、アルジェの穿くのは、スカートだ。
「あぁ、忘れていました」
「うん、それは、忘れないようにしないといけないね」
ダルタニアンは、この常識からかなりズレている元王太子妃を好ましく思っていた。
サシャが、彼女の話をするときは、本当に嬉しそうな顔をするからだ。
孤児だった頃の娘は、飢える獣のような鋭い目をしていた。
他者に奪われないよう体に捕った獲物巻きつけ、血と獣の臭いを放ち、人間とも思えぬ動きで木の上を渡り歩く姿に、ダルタニアンは、この世の不条理を感じたのだ。
生まれが貴族だったからというだけで、なに不自由ない生活を送っている人間もいれば、その日口にするものを得る為に、命を張って狩りをする子供がいる。
わが子として迎え入れてからも、サシャは、どこかトレバーに遠慮がちだった。
彼が四男といえども伯爵家の出身だということを気にしていたのだろう。
家族からも養子に取ることを大反対された経緯もあり、未だに実家とは疎遠になっている。
元々冒険者をしていた頃から音信不通だったのだから気にすることはないのだが、家族をことのほか大事にするサシャにとっては、己のせいで家族中が悪くなったと思っているようだった。
しかし、アルジェと出会ってから二年。トレバーとサシャの関係も、少しずつ変わってきており、時々だが三人娘を自宅に招いて食事を共にすることも出来るようになっていた。
他に知られれば特別扱いだと糾弾を受ける可能性があるため外で食事が出来ないのは残念だが、トレバーは、その食事会を心待ちにするほど楽しみにしていた。
「今から、サシャと昼食かい?」
「はい、中庭で集合の予定でした」
「じゃあ、これを持っていきなさい」
トレバーは、こんな時の為に買っておいたクッキーの箱をアルジェに手渡した。
「お昼からも、授業を頑張りなさい」
「はい。ありがとうございます」
そう言うと、アルジェは、再び窓から出て行こうとした。
「アルジェ君、そういうところだよ。サシャが、怒るのは」
先程注意いたばかりなのに、近道だからと、アルジェは再びスカート姿で木を渡って中庭へ行こうとする。
話を聞いているようで全く聞いていない彼女のことを、サシャはいつも、
「あの子、全然話を聞いてないの。どう思います?酷いでしょ?」
と愚痴っていた。
トレバーは、娘の友人が、根っからの変人だと分かり、楽しげに腹の底から笑った。




