第二話近衛隊隊長 アーク・ラドクリフ ~戦乙女の美しき舞い~
近衛隊で長く隊長を続けるアークは、目の前で起きた出来事が、一瞬信じられなかった。
血まみれで横たわっていたはずの小柄で、華奢な少女が、地面に横たわったままの状態で、王太子に向かって剣を振り下ろすサリーナの膝裏を蹴飛ばしたのだ。
ガクン
突然の衝撃に受け身すら取れず後ろ向きに倒れていくサリーナ。
待ち構えていたアルジェは、後頭部を地面に打ち付けたサリーナの耳に向かって、更に広げた手の平を突き出す。
パン
小さな音が鳴った。
素早い動きで繰り出された突きによって、鼓膜を破られたサリーナは、立ち上がることが出来ない。
その瞬間を見逃さず、アルジェは、彼女の手から剣を奪うと、遠くに投げた。
そして、頭に挿していた銀製の細長い髪飾りを手に取り、敵の首に突きつける。
時間にすると、十秒と掛かっていない。
一連の動きは、まるで即興の舞を踊る舞姫のようだった。
数多の名将を生んだロッシーニ家。
その血を十二歳の少女も、確かに受け継いでいた。
アークが駆け寄ると、アルジェは、安心したように気を失った。
「誰か、軍医を至急連れてきてくれ。今から、止血処理を行う!清潔な布と包帯を早く!」
止血しても流れ続ける血に、この少女を死なせてしまうのではないかと恐ろしくなる。
アークは、この時ほど、王家に対して怒りを感じたことは無かった。
まだ、十二歳のアルジェ。
もし、自分の娘が同じ状況ならば、今すぐにでもロイドの首を切って捨てただろう。
そのロイドは、アルジェから引き離されて、
「誰か!誰か、アルジェを助けてくれ!誰か!」
気が狂ったように叫び続けていた。
その姿は、正に、
『愛する妻を刺された夫』
のようだった。
先程までの旁若無人ぶりは、一欠片もない。
哀れで、惨めで、見窄らしい。
だからといって、今までロイドがアルジェにしてきたことが許されるわけじゃない。
そして、許すと言っていいのは、アルジェだけなのだ。
「ロイド殿下、失礼いたします」
アークは、部下に、
「まだ、刺客が隠れているかもしれない。殿下を、お部屋へお連れしろ」
と命令を下した。
それらしい理由だが、ロイドをアルジェの傍に置いておきたくない。
この状況で、泣くことしか出来ない者は、退場してもらおう。
「王妃様のご命令である!そこを退け!」
横柄な物言いの男は、王妃の生家から差し向けられた偵察隊だ。
ロッシーニ家を己の派閥に組み込めているのが、アルジェを王太子妃と言う名の人質に取っているお陰だと分かっているのだ。
この恩恵を享受し続ける為に、王妃は、アルジェを手元に置き続けた。
『いつでも、殺すことが出来るのだぞ』
そのアピールの為に、アルジェに大事にならない程度の怪我を負わせるのは、日常茶飯だった。
しかし、今、アルジェは、王妃の手の内から逃れている。
一刻も早く取り戻さねば、ロッシーニ家が、いつ反撃してくるかわからない。
その焦りから、アルジェの体のことなどお構い無しに連れ去ろうとしている。
息子と婚姻を結ばせる為に、十歳になったばかりのアルジェを領地から勝手に連れ去ったように。
その事を知るアークは、厳戒態勢を敷いた。
手術室を近衛隊で取り囲み、蟻一匹通らせない。
『これ以上、この少女を王家の食い物になどさせられるか』
アークは、苦い思いを胸に、いち早くロッシーニ家に状況を伝える早馬を出させた。
この状況をうまく使い、アルジェを王室から引き離せるのは、家族である彼らしかいないのだ。
その時間を稼ぐ為なら、近衛隊隊長という身分など、ドブに捨ててやろうと思った。
侯爵家に生まれたが、三男の彼に継ぐ爵位はなかった。
ただ、彼には、大好きな剣があった。
妻も娶らず、来る日も来る日も鍛錬を続け、負ける相手が居なくなった時、何故か今の地位にいた。
高位貴族という生まれと、華やかな見た目と、目を見張る腕前が、王家のお飾りにちょうど良かったのだ。
望んだわけではない。
欲しかったのは、純粋に剣を振れる場所。
ならば、荒野の下で、冒険者になった方が、ずっと楽しそうではないか。
迷いのなくなったアークからは、今までと違った覇気が感じられた。
王妃の使者は、この屈強な大男に立ち向かえる腕など持ち合わせているはずもなく、
「覚えていろよ」
と三流の破落戸のような言葉を残して、去っていった。
きっと、王妃に言いつけ、アークの実家であるラドクリフ侯爵家に圧力をかけるのだろう。
既に、父には、何かあれば侯爵家から自分の名前を抜いてくれと手紙を出している。
のらりくらりと時間を長引かせ、あちらに注意を引きつけてくれることだろう。
心の中で、清々しい思いに耽っていた彼の目に、今から戦争にでも行きそうな甲冑を纏った男が映った。
「ラドクリフ殿!この度は、なんとお礼を申し上げれば良いか」
それは、若かりし頃、共に剣の道を歩んだ同級生でもあり、アルジェの父でもあるラクロア・ロッシーニ公爵。
「ロッシーニ公爵、礼は、いりません。それよりも、まず!ご令嬢の元へ!」
「すまない。ありがとう」
アークの横を通り抜けるラクロアの顔は、真っ青だった。
娘の命が、今消えかけているのだ。
アーク自身、血の気が引いている。
「あぁ…神よ、どうか、彼女の命を救い給え」
首にかけたクロスを握りしめ、アークは祈った。




