第一話王太子ロイド・プロミテウス ~遅すぎた愛~
「ロイドさまぁ~、こんな所で、いけません~」
「煩い。俺の好きなようにさせろ」
ロイドは、王宮の庭園に配された東屋で、最近のお気に入りである元平民の男爵令嬢サリーナの豊満な胸を揉んでいた。
その横には、王太子妃であるはずのアルジェが、一人召使のように立たされている。
苦言を呈した近衛兵達は遠くに配され、アルジェを助けてくれる者など、誰一人いない。
ロイドは、常に人形のように無表情なアルジェの顔が、屈辱と羞恥で歪むところが見たいのだ。
しかし、王妃による王太子妃教育の賜物か、彼女の表情は無を保ったままピクリとも動かなかった。
「ふん、可愛げのない奴め」
吐き捨てるように言うと、ロイドは、サリーナを突き放し、近くにあったグラスをアルジェに投げつけた。
中に入っていた赤ワインが、アルジェの白いスカートを紅く染め、地面に落ちたグラスは粉々に砕け散った。
しかし、それすら何事も無かったように、アルジェは立ち続ける。
生まれ持った気品が、ジワジワとロイドを後退りさせた。
地面に転がる小石に足を取られたのか、2歩、3歩と、後によろめく。
その無様な様子を、仮にロイドが自分で見ることができたなら、ここまで馬鹿な男にはならなかったであろう。
「ニコリとも出来ないのか?薄気味悪いやつめ」
吐き捨てるように言うと、ロイドは、再びサリーナの腰に腕をわした。
サリーナは、機嫌をとるように、ロイドにしなだれかかると、
「ロイドさま、私、早く勇者の剣が見たいのです」
と甘えた声でおねだりをした。
この剣は、元は、ロッシーニ家の家宝の一つだった。
見た目は地味だが、切れ味は、製作されて何百年立った今も変わらず鋭い。
アルジェ輿入れの際、嫁入り道具の一つとして持参したものを、現王が気に入り、取り上げてしまったのだ。
無論、ロイドも、元平民の女に見せてやるつもりなどなかった。
しかし、宝剣の話が出た途端、アルジェの顔色が変わり、
「ロイド様、お考え直し下さいませ!」
と叫んだことでロイドの嗜虐心に火が点く。
「よし、見せてやろう」
サリーナの手を引き、ロイドは、宝物殿のほうに向かって歩き出した。
その後ろを、必死にアルジェが追う。
「触れてはなりません。これは、ロッシーニ家の宝なのです!ロイド様、どうか、お止め下さい!」
普段は、自分が何をしても一言も発さないアルジェが、必死になる姿に笑いが止まらない。
「煩い!俺に逆らうのか!」
ロイドは、自ら剣を握ると鞘を抜き、男爵令嬢の手に持たせた。
「まぁ、なんと素晴らしい剣なのでしょう」
今、研ぎあがったばかりのような美しい波紋が浮き上がる刀身が、窓から差し込む太陽の光で輝いて見える。
この時、ロイドは、刀身に映る自分を見て微笑むサリーナの目が、笑っていないことに気付いていなかった。
いや、剣術の練習を疎かにするロイドには、一生分からなかっただろう。
サリーナの構えは、それなりに訓練を受けた者でなければ辿り着けない境地にいた。
足音もさせず、ロイドの首を一刀両断出来る位置へと徐々に移動する。
しかし、流石に、高々と振り上げた剣を自分に向けられ、馬鹿なロイドでも身の危険を感じた。
「おい、危ないだろう」
ロイドは、アルジェの手を取ると、自分と男爵令嬢の間に立たせた。
しかし、その瞬間、
ビュン
剣が振り下ろされた。
「ひいっ」
ロイドは、アルジェを剣のほうに突き出し、自分は後方へと飛び退いた。
その行動は、この2年の結婚生活で培われたとも言える。
全ての煩わしい事は、全て、アルジェに回せばいい。
今回も、これで災難は防げたと思っていた。
しかし、
ズサッ
鈍い音か聞こえたのと、
ブシャーーー
目の前で、真っ赤な何かが吹き上げたのは、同時だった。
「え?…………ァ、アルジェ?」
自分より頭1つ分小さな、細身の少女が、スローモーションのように倒れていく。
飛び散る血が己の頬に掛かって、流石のロイドも、初めてこれが現実のものなのだと実感が湧いた。
「アルジェ!」
突き飛ばしたのは自分なのに、崩れ落ちるアルジェを抱きとめ叫んだ。
まるで、最愛を殺された人のような嘆き様で、何も知らなければ、お涙頂戴の名場面だっただろう。
そんな彼を嘲笑うように、
「ははは、今更縋るなよ、」
とサリーナは、嘲笑う。
今まで聴いたことが無いような、粗野な喋り方だった。
愕然とした表情で、ロイドは、先程まで自分にしなだれかかっていた女を見上げた。
豊満な胸と色気の漂う涙ボクロが印象的な美女だったが、返り血を浴びてニヤリと笑う顔は、悪魔のようだった。
「一緒に、あの世に送ってやるよ。この娘が、許すかどうかは、知らないけどなぁ!」
アルジェの血で汚れた剣を、再び女が振り上げた。
腰が抜けたロイドは、地を這って少しでも遠ざかろうとしたが、手足に力が入らない。
慌ててこちらに向かってくる近衛兵の姿が見えたが、サリーナの剣が振り下ろされるまでに辿り着くことは無いだろう。
「ぎゃーーーーー」
ロイドは、頭を抱えて丸まった。
それしか出来なかった。
しかし、痛みも苦しみもやって来なかった。
恐る恐る目を開けると、アルジェが、女を取り押さえていた。
一瞬の間の出来事で、ロイドは、何が起こったのか理解できない。
ただ、地面に腹ばいに転がされ、銀色の細長い何かを首元に突き付けられた男爵令嬢は、身動きすらとれず、獣じみた鋭い視線でロイドを睨みつけていた。
「王太子妃殿下、後は、我らに!」
近衛兵が辿り着き、女を引き渡した時点で、アルジェは、微かに口元を緩め、そのまま気を失った。
ドクドクと流れ出る真っ赤な血に、ロイドの頭が真っ白になる。
気付けば、アルジェの胸元を押さえ叫んでいた。
「誰か!誰か、アルジェを助けてくれ!誰か!」
名目だけの妻。
一度として、笑いかけたこともなければ、会話を交わしたこともない。
ただ一方的に蔑みの言葉を投げかけただけだ。
それなのに、彼女は、最後の力を振り絞って自分を助けてくれた。
ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん。
お願いだから、帰ってきてくれ。
今度こそ、大切にするから。
身勝手な思いを喚くロイドを、近衛兵達は、アルジェから引き離した。
「誰か、軍医を至急連れてきてくれ。今から、止血処理を行う!清潔な布と包帯を早く!」
一斉にあたりが騒がしくなった。
ロイドは、邪魔とばかりに自室へ閉じ込められた。
そして、この日を境に、アルジェは、王宮から居なくなった。
王妃とロイドは、意味も理解できないまま離宮へと追いやられる。
王が、初めてロイドを殴った。
王妃は、狂ったように、扇で愛息子を殴打した。
もし、最初から、彼女を大事にしていたら、何か変わったのだろうか?
いや、無理矢理王宮につれてきた時点で、何も変わらなかっただろう。
今となっては、何もかも遅かった。




