表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
英星王座戦 リアライメント・アーク  作者: 明丸 丹一
第5章 終末星域オムニアーク
PR
57/59

第6話 黒龍海賊《ナギ・カラン》

 白かった。


 何もかも、白かった。


 ハルト・ノアは、裁定鎖秤アストライアの封鎖光の中にいた。


 床は見えない。


 星環王座ゾディアック・スローンも見えない。


 透明な白い石の下を流れていた壊れかけの宇宙も、十二の環も、シオンの白い長衣も、ダイナが消えた銀色の歯車扉も、何も見えなかった。


 ただ、鎖だけがあった。


 銀の鎖が、ハルトの両腕に巻かれている。


 足首にも、胸にも、首のすぐ下にも。


 鎖は痛くなかった。


 締めつけているのに、肉体を傷つけない。熱を抜き、感情を冷やし、王座接続をほどいていく。ハルトの右目に灯った赤い冠星紋クラウンも、左目に灯った青い冠星紋クラウンも、銀の鎖に覆われ、少しずつ光を削られている。


 星冠英星アステリズムは、開かない。


 封じられている。


 それも当然だった。


 ハルトは、目を閉じた。


 白い光の奥に、三つの影が浮かぶ。


 零刃ゼロブレイド


 アウレリア。


 ケーニギン。


 星冠に引きずられて現れた英星記録の影。


 ハルトの問いに巻き込まれ、英雄配役盤ヴァロール・ステージを壊そうとして、裁定鎖秤アストライアに能力の根幹を封じられて消えた影。


 零刃は、線を見る力を奪われて消えた。


 アウレリアは、守るべき未来を選べずに消えた。


 ケーニギンは、天上には蜜を必要とする飢えたものがいないと量られて消えた。


 あれは本物ではない。


 影だった。


 そう分かっている。


 それでも、痛かった。


 英星を解放したいと言いながら、英星の影を使った。


 王座だけに使命を決めさせたくないと言いながら、自分の問いのために、彼らを呼び出した。


 ハルトは、白い光の中で拳を握ろうとした。


 鎖が、わずかに鳴った。


 抵抗してはいけない。


 今の自分は、封じられるべきだ。


 シオンは正しい。


 ハルトは、そう思った。


 その時、白い光の向こうから声がした。


「ハルト・ノア」


 シオンの声だった。


 姿は見えない。


 けれど、声は近かった。


 封鎖光の外側から、管理者の声だけが届いている。


「あなたの天上管理補助員権限は、凍結されました。星冠英星アステリズムは、裁定鎖秤アストライアにより解体封鎖中です」


「はい」


 ハルトは答えた。


 声は、自分でも驚くほど小さかった。


「今後、あなたには千周期の観測猶予を命じます」


「千周期……」


「その間、あなたは王座戦の配備判断、英星記録群への直接接続、星環王座の基幹操作から外れます」


 淡々とした声だった。


 処罰の宣告ではない。


 管理上の措置。


 危険な補助員を、基幹から離すための正しい処置。


「見学、ということですか」


「はい」


 シオンは即答した。


「まずは、見てください。あなたは見足りていない。王座戦で救われた宇宙も、王座戦に至れず消えた宇宙も、過熱スーパーヒートが巻き取られなければ次の宇宙へ力を送れなかった事例も、まだ十分に見ていません」


「……はい」


「あなたの問いは、完全な誤りではありません」


 ハルトは顔を上げた。


 白い光しか見えない。


 シオンの姿はない。


「ですが、問いが正しいことと、今それを扱う資格があることは違います」


 ハルトは何も言えなかった。


 その通りだった。


「あなたは英星の影を使いました。旧い配役盤を壊すために、また別の配役を押しつけかけた。あなたに星冠英星アステリズムを扱わせることはできません」


「はい」


 反論できない。


 する資格がなかった。


 ハルトは、英星の影を燃やした。


 その事実は消えない。


 シオンの声が、少しだけ低くなった。


熱的死ヒートエンドについても、誤解しないでください」


「ヒートエンド……」


「明日来る危機ではありません。あなたの時間感覚なら、想像も届かないほど遠い終端です。三百三十三億周期後でも、不自然ではありません」


 ハルトは、ゆっくりと息を吸った。


 三百三十三億周期。


 あまりにも遠い。


 遠すぎて、危機という言葉が薄くなるほどだった。


「では」


「余裕がある、と言いたいのですね」


 シオンは、ハルトの言葉を先に取った。


「はい」


「だからこそ、軽率な改変は許されません」


 その声は冷たくなかった。


 むしろ、疲れていた。


「明日滅びるなら、すべてを賭けた賭博も選択肢になるでしょう。ですが、星環王座は三百三十三億周期の遠い終端まで、多宇宙支援系を維持しなければならない。長く保つものほど、基幹を軽く壊してはならないのです」


 正しい。


 やはり正しい。


 ハルトは、白い光の中でうつむいた。


 シオンは、いつも正しい。


 ダイナの英雄配役盤ヴァロール・ステージを壊した時も、彼女は正しかった。覇王を悪役として配役し続ける仕組みは、歪んでいた。だから裁定鎖秤アストライアで、王座戦を使命同士の対立へ組み替えた。


 そして今も、シオンは正しい。


 未熟なハルトを封じることは、王座戦を守るために必要だった。


 ハルトは目を閉じた。


 もう一度、零刃の影が消えた瞬間を思い出す。


 アウレリアの弓が放てずに崩れた瞬間を思い出す。


 ケーニギンの蜜が、誰にも届かずほどけた瞬間を思い出す。


 胸が痛い。


 それでも、誰も呼ばない。


 そう決めたはずだった。


 だが。


 右目の奥で、赤い冠星紋クラウンが鳴った。


 左目の奥で、青い冠星紋クラウンも鳴った。


 銀の鎖に封じられているはずの二つの星が、ほんのわずかに光を返す。


 シオンの声が鋭くなる。


「ハルト。何をしています」


「何も」


 ハルトは答えた。


 本当に何もしていない。


 呼んでいない。


 命じていない。


 助けを求めていない。


 それなのに、冠星紋クラウンが鳴っている。


 今度は、ハルトの言葉に反応しているのではなかった。


 もっと深い場所。


 ハルトが呼ぶより前。


 問いになるより前。


 使命になるより前の、何かが動いていた。


 白い光の中に、黒銀の点が落ちた。


 それは最初、小さな火花に見えた。


 やがて、火花は人型になる。


 黒銀の装甲。


 背中に畳まれた薄い翼。


 右腕から伸びるはずの蒼い光刃。


 零刃ゼロブレイド


 だが、前とは違った。


 影ではない。


 星環王座の記録から引き出された輪郭ではない。


 彼は、そこにいた。


 星海の奥に刻まれた原型そのものが、白い封鎖光の中へ足を踏み入れていた。


「零刃……」


 ハルトは、思わず名を呼んだ。


 零刃は答えない。


 裁定鎖秤アストライアの銀鎖が即座に反応した。


 上空の見えない鎖秤から、一本の鎖が零刃へ走る。


 それは彼の右腕へ巻きついた。


 蒼い光刃が伸びかける。


 だが、刃は途中で止まった。


 線が消える。


 落ちる線。


 支える線。


 斬る線。


 零刃の根幹である、線を見る力が封じられる。


 前と同じだった。


 だが、零刃は消えなかった。


 刃は出ない。


 線も見えない。


 それでも、彼は動いた。


 ハルトの足元に、封鎖光の亀裂が走っていた。


 銀鎖がハルトを解体封鎖するために、足場そのものを裁定領域から切り離そうとしている。


 ハルトの身体が、わずかに傾いた。


 落ちる。


 そう思った瞬間、零刃がハルトの腕を掴んだ。


 斬らない。


 支える。


 線など見えなくても、転ぶ者がいるなら支える。


 それは技ではなかった。


 能力でもなかった。


 零刃が使命を果たすための、もっと前にある初期衝動だった。


 シオンが息を呑む。


「消えない……?」


 次に、金色の光が落ちた。


 白い封鎖光の中で、さらにまぶしい金。


 巨大な光輪。


 白金の腕。


 都市を焼くほどの矢を放つはずの女神。


 アウレリア。


 裁定鎖秤アストライアの鎖が、即座に彼女を量る。


 未来視。


 天弓。


 守護対象選定。


 すべてが、銀の鎖に絡め取られる。


 アウレリアの光輪が、ひとつずつ沈黙する。


 弓は組めない。


 未来は見えない。


 守るべき枝分かれは、すべて裁定鎖秤アストライアに押さえ込まれる。


 それでも、アウレリアは消えなかった。


 白金の巨大な手が、封鎖光の中から伸びる。


 それは矢ではない。


 剣でもない。


 ただの手だった。


 けれど、その手はハルトの背を支えた。


 落ちそうな身体を、巨大な掌で受け止める。


 未来が見えなくても。


 都市の存続率を計算できなくても。


 目の前に倒れそうな者がいるなら、手を伸ばす。


 それが、守護女神の初期衝動だった。


 ハルトは声が出なかった。


 零刃が腕を支えている。


 アウレリアの手が背を支えている。


 それでも、鎖はまだ切れない。


 裁定鎖秤アストライアは、二人を消せない。


 だが、縛っている。


 零刃の刃は封じられたまま。


 アウレリアの弓も封じられたまま。


 彼らはただ、ハルトを落とさないためにそこにいる。


 そして、黒金の羽音がした。


 天上には似合わない音だった。


 白い封鎖光の中で、小さな羽音が幾重にも重なっていく。


 ケーニギン。


 黒金の蜂姫が現れた。


 ただし、蜂の群れはすぐに銀鎖へ絡め取られる。


 裁定鎖秤アストライアは、彼女の蜜を量る。


 女王。


 蜜。


 毒。


 救済。


 支配。


 飢え。


 従属。


 そして、封鎖空間の中に答えが下る。


 天上には、あなたの蜜を必要とする飢えたものはいない。


 救済対象、なし。


 供給先、なし。


 蜜の機能、停止。


 ケーニギンの手のひらに浮かんだ琥珀色の蜜が、光を失った。


 眷属蜂も、薬蜜も、巣の広がりも封じられる。


 それでも、ケーニギンは消えなかった。


 彼女はハルトの前に立った。


 黒金の甲殻が、銀鎖を受ける。


 裁定鎖秤アストライアの鎖が彼女の肩に食い込む。


 蜜を配れない。


 蜂を動かせない。


 飢えた者もいない。


 それでも、女王蜂の肉体は強かった。


 冬を越す巣を支えるための身体。


 群れの前に立つための脚。


 針を抜かれても、蜜を奪われても、倒れないための甲殻。


 ケーニギンは、その強靭な身体で鎖を受け止めた。


 ハルトへ向かう銀鎖の一部が、彼女の肩で止まる。


 シオンの声が震えた。


「影ではない……」


 ハルトは、ようやく理解した。


 前の三人は、影だった。


 ハルトの問いに巻き込まれた、英星記録の影。


 だが、今ここにいる三人は違う。


 彼らは、ハルトの正しさを証明するために来たのではない。


 呼ばれて来たのでもない。


 落ちる者がいた。


 支えるべき者がいた。


 壊れかけた巣があった。


 だから来た。


 それだけだった。


 けれど、鎖は切れない。


 零刃は支えている。


 アウレリアは受け止めている。


 ケーニギンは押さえている。


 それでも、裁定鎖秤アストライアの銀鎖は、まだ彼らの身体とハルトの星冠へつながっていた。


 正しい鎖。


 公平な鎖。


 救うための鎖。


 その鎖が、三人の原型を縛っている。


 ハルトは、歯を食いしばった。


「やめてください」


 シオンへ言った。


 だが、声は弱かった。


 シオンは答える。


「できません」


「彼らは、本物です」


「だからこそ、止めなければなりません」


 シオンの声には、痛みがあった。


「今の彼らは、あなたの星冠に引かれている。本人の完全な選択ではない。初期衝動だけで動いています。このまま基幹へ接続すれば、原型そのものが損傷する可能性があります」


 また正しい。


 シオンは、また正しい。


 ハルトは何も言えない。


 その時。


 水の音がした。


 白い封鎖光の底から、黒い水がにじんだ。


 ぽたり、と一滴。


 それだけで、天上の空気が変わった。


 甘い蜜の匂いでも、金色の光でも、黒銀の冷たい装甲の匂いでもない。


 もっと生々しい匂い。


 汗。


 小便。


 血。


 潮。


 船底の匂いだった。


 ハルトは、息を止めた。


 黒い水が、白い封鎖空間に広がっていく。


 銀の鎖が濡れる。


 裁定鎖秤アストライアの光が、その水を弾こうとする。


 だが、黒い水は消えない。


 水の中から、少年が現れた。


 黒衣をまとっていた。


 濡れた布が、痩せた身体に貼りついている。


 足首には鎖の跡。


 首には番号札が吊られていた痕。


 乱れた黒髪。


 そして、手には小さな斧。


 巨大な戦斧ではない。


 船で使う道具にも、海賊の武器にも見える、短い柄の斧だった。


 だが、その刃だけが黒く光っていた。


 ナギ・カラン。


 黒龍海賊。


 いや。


「黒龍海賊……」


 ハルトが言った瞬間、少年は顔をしかめた。


「黒龍海賊じゃない」


 声は低かった。


 荒れていた。


 だが、はっきりしていた。


「おれはナギ・カランだ」


 ハルトは息を呑んだ。


 名。


 番号でも、伝承名でも、英星原型化候補でもない。


 彼自身の名。


 ナギは、ハルトを見なかった。


 まず、零刃を見た。


 刃を封じられ、それでもハルトの腕を支えている黒銀の剣士。


 次に、アウレリアを見た。


 未来視を封じられ、それでも巨大な手でハルトを受け止めている女神。


 次に、ケーニギンを見た。


 蜜を封じられ、それでも肉体で鎖を押さえている蜂姫。


 最後に、裁定鎖秤アストライアの銀鎖を見た。


 ナギは、少しだけ笑った。


 笑いというより、吐き捨てる前の息に近かった。


「覇王っていうのは、こういうことか」


 シオンが言う。


「ナギ・カラン。あなたは正式英星ではありません。王座陥落リアライメントにも失敗し、玉座解放アーク・リスタートにも至っていない。原型候補のまま、裁定領域へ干渉すれば、記録そのものが」


「うるせえ」


 ナギは、シオンを見た。


 天上管理者を、まっすぐに見た。


「お前たちの分類は、聞き飽きた」


 シオンの声が止まる。


 ナギは、銀鎖へ近づいた。


 素足が黒い水を踏む。


 水が跳ねる。


 白い封鎖空間に、潮と血の匂いが濃くなる。


「昇龍も、誰かにつながれてたのか」


 ナギはつぶやいた。


「俺が呼んだと思ってた。俺がつかんだと思ってた。けど、あいつも王座戦ってやつに、どっかで繋がれてたんだな」


 黒い水が、静かに揺れた。


 ハルトは何も言えなかった。


 ナギは、銀鎖の前に立つ。


「それなら」


 少年の右目に、赤い冠星紋クラウンの残照が灯る。


 王座陥落に失敗した覇王。


 玉座解放に届かなかった少年。


 それでも、鎖を鎖と呼んだ者。


「その鎖を、切る」


 裁定鎖秤アストライアが反応した。


 銀鎖が、ナギへ向かって走る。


 だが、ナギは逃げなかった。


 黒い水の中に足を踏み込む。


 足首の鎖跡が、赤黒く光る。


英星エクススターが、自らの原型を最大展開する決着技があるらしいな」


 ナギは、誰にともなく言った。


「俺は打たなかったが」


 彼の背後で、黒い龍影が立ち上がる。


 昇龍ではない。


 昇龍の力を借りているようで、そうではない。


 ナギ・カランという少年の中に残った、鎖を切るためだけの黒い爆発。


「まあ、俺流に行こう」


 黒い水が沸騰した。


 白い封鎖空間の底に、星のような黒点が生まれる。


 それは小さかった。


 だが、次の瞬間、ありえない密度で膨れ上がる。


 黒い星。


 船底に生まれた宇宙の爆心。


 ナギが叫ぶ。


大爆発ビッグバーン


 黒点が弾けた。


 爆風はなかった。


 熱もない。


 代わりに、銀鎖の構造が内側から膨張した。


 鎖の輪。


 輪をつなぐ錠。


 錠の奥にある裁定式。


 裁定式を支える古い配線。


 そのすべてが、内側から広がっていく。


 シオンが目を見開く。


「アストライアの鎖を、内側から……!」


 ナギは、さらに踏み込んだ。


 黒い龍影が、銀鎖へ噛みつく。


 外から斬るのではない。


 鎖を鎖として成立させている、結合そのものへ食らいつく。


鎖錠崩壊アトミック・ディケイ!」


 銀鎖が砕けた。


 同時に、ナギが走った。


 黒衣の裾が跳ねる。


 小さな斧を両手で握り、ハルトの胸元へつながる鎖へ飛び込む。


 ハルトは動けなかった。


 ナギの斧が、黒い水をまとって振り下ろされる。


 刃は大きくない。


 だが、その一撃は、船底の錆びた鉄を、番号札の紐を、登録労働民という柔らかい言葉を、まとめて断ち割るものだった。


 斧が、ハルトの鎖をぶち斬った。


 銀の鎖が、声もなく砕ける。


 一本の鎖が、突然、鎖であることをやめたようにほどけた。


 輪が輪でなくなる。


 錠が錠でなくなる。


 裁定の線が、銀の粒になって崩れていく。


 零刃を縛っていた鎖が切れる。


 アウレリアの巨大な手を縛っていた鎖がほどける。


 ケーニギンの肩に食い込んでいた鎖が砕ける。


 ハルトの胸を締めていた鎖も、黒い水に触れた瞬間、細かな銀の粒となって崩れ落ちた。


 白い封鎖光が割れる。


 ハルトの身体が落ちた。


 何もない白い空間から、星環王座の大広間へ。


 足場を失い、肩から落ちかける。


 だが、零刃が支えた。


 黒銀の腕が、ハルトの腕を引き上げる。


 線を見る力はまだ戻っていない。


 蒼い刃も出ない。


 それでも、零刃はハルトを転ばせなかった。


 ハルトは、かろうじて足をついた。


 目の前に、星環王座の中枢があった。


 十二の環が回っている。


 その中心に、白い核のような光が浮かんでいる。


 王座戦の記録。


 英星の配備。


 君主と覇王の接続。


 過熱スーパーヒートの巻取。


 すべての経路が、そこへつながっている。


 ハルトは、一歩、歩いた。


 すぐに、裁定鎖秤アストライアの残った鎖が迫る。


 銀の鎖が、空から降る。


 それを、アウレリアの巨大な手のひらが包んだ。


 白金の手が、鎖を握り込む。


 未来視も、天弓も、まだ封じられている。


 それでも、その手はハルトへ届く鎖を包んでいた。


 さらに、別の鎖が横から走る。


 ケーニギンの蜂が弾いた。


 眷属蜂の全権能は戻っていない。


 蜜も封じられている。


 それでも、黒金の小さな羽音が銀鎖にぶつかり、軌道をずらした。


 ケーニギン自身も、肩で鎖を受け止める。


 ハルトは歩く。


 一歩。


 また一歩。


 身体は重い。


 足は震えている。


 けれど、もう落ちていない。


「ハルト!」


 シオンの声が響いた。


 その声は、怒りではなかった。


 警告だった。


 そして、どこか祈りにも似ていた。


「あなたには、まだ早い」


 ハルトは立ち止まりそうになった。


 その通りだった。


 早い。


 あまりにも早い。


 自分は英星の影を使った。


 旧い配役盤を壊すために、また英星を道具にした。


 シオンが止めるのは当然だ。


 それでも、ハルトは王座へ歩いた。


「分かっています」


 声が震えた。


「でも、早いまま、行きます」


 星環王座の中枢が近づく。


 白い核の光が、ハルトの右目と左目に映る。


 赤と青の冠星紋クラウンが、再び回り始める。


 守る者。


 奪う者。


 二つの星が、同じ軌道へ戻る。


 ハルトは、中枢へ手をかざした。


 星環王座が反応する。


 赤い表示が開く。


 簒奪要求ユーサープ・リクエスト


 シオンが叫んだ。


「いけません!」


 ハルトの指が止まる。


 王座を奪う。


 それは、覇王の手続きだ。


 王座へ不正な更新要求を叩きつけ、既存秩序を奪い、世界を書き換える。


 カイがそうした。


 ガイ・レンがそうした。


 ナギ・カランが、届かなかったもの。


 今、ハルトはそれを出せる。


 出せてしまう。


 だから、ハルトは手を止めた。


「すみません」


 シオンを見る。


「簒奪要求は出しません」


 赤い表示が、止まる。


 完全には消えない。


 ハルトの指先で、赤い文字が揺れている。


「でも」


 ハルトは、中枢へ手をかざしたまま言った。


「やっぱり、英星をこのままにはしておけない」


 シオンが、言葉を失う。


 ハルトは続けた。


「王座を奪いたいわけじゃない。壊したいわけでもない。あなたの裁定鎖秤アストライアを否定したいわけでもない」


 零刃が、背後で支えている。


 アウレリアの手が、鎖を包んでいる。


 ケーニギンの蜂が、銀鎖を弾いている。


 黒い水の匂いが、まだ消えずに残っている。


「王座戦を作りなおす」


 ハルトは言った。


星冠英星アステリズムで」


 星環王座が震えた。


 赤い簒奪要求の表示が、青い防衛権限の表示と重なる。


 だが、どちらにも確定しない。


 奪うのではない。


 守るだけでもない。


 王座戦の配列そのものを、組み直す。


 シオンは、絶句していた。


 やがて、ゆっくりと息を吐く。


「やはり、こうなってしまいましたか」


 その声は、不思議と静かだった。


 ハルトは、シオンを見る。


「シオンさん」


「私の裁定鎖秤アストライアも、そうでした」


 シオンは、星環王座の中枢を見上げた。


英雄配役盤ヴァロール・ステージの機能を知って、すぐに発現しました。あの時の私は、ダイナの作った仕組みを許せなかった。君主をヒーローに、覇王をヴィランに寄せる配役を、どうしてもそのままにできなかった」


 シオンの衣の裾で、古い星座が静かに光る。


「だから私は、王座戦を公平に量る鎖秤を作った」


「なら」


「はい」


 シオンは、ハルトを見た。


 疲れた瞳だった。


 けれど、その奥に、ほんの少しだけかつての反逆が残っていた。


「あなたは、私の次へ行こうとしている」


 ハルトは、首を振った。


「ひとりでは無理です」


 シオンは黙る。


「俺は未熟です。英星の影を使いました。配役盤を壊すことと、英星を解放することを取り違えました」


「はい」


「だから、手伝ってください」


 ハルトは、中枢へ手をかざしたまま言った。


「管理者としてじゃなくてもいい。裁定者としてじゃなくてもいい」


 少し迷ってから、言葉を選ぶ。


「先輩として」


 シオンの表情が、わずかに変わった。


「先輩」


「あなたは、一度、王座戦を作りなおした人です。ダイナの英雄配役盤ヴァロール・ステージを見て、裁定鎖秤アストライアを発現させた。なら、俺よりずっと先に、ここを壊す怖さも、作りなおす責任も知っている」


 ハルトは、頭を下げた。


「手伝ってください。シオンさん」


 星環王座の中枢が、静かに回る。


 簒奪要求ユーサープ・リクエストは、まだ確定していない。


 防衛権限も、発動していない。


 裁定鎖秤アストライアの残った鎖が、空中で止まっている。


 シオンは、長い間、何も言わなかった。


 やがて、彼女は手を下ろした。


 裁定鎖秤アストライアの鎖が、わずかに緩む。


「簒奪要求は、出さないのですね」


「はい」


「王座を壊さないのですね」


「はい」


「英星を、あなたの理想のための兵にしないのですね」


 ハルトは、少しだけ息を詰めた。


 それが一番重い。


 けれど、逃げなかった。


「しません」


 シオンは、静かにうなずいた。


「なら、試験領域を開きます」


 白い盤面が開いた。


 星環王座の中枢の外側に、小さな空白が生まれる。


 まだ名のない領域。


 配備ではなく、応答を待つための領域。


星冠英星アステリズムを、星環王座の基幹外縁へ仮接続します。裁定鎖秤アストライアは、自動迎撃権限を一時制限。英星原型からの応答を、即時不正接続として処理しません」


 ハルトは、ゆっくり息を吸った。


「ありがとうございます」


「感謝はまだ早いです」


 シオンの声は、また管理者のものに戻っていた。


 だが、完全に冷たくはなかった。


「これは許可ではありません。試験です。失敗すれば、今度こそ封鎖します」


「はい」


「そして、ハルト」


「はい」


「あなたは、もう一度間違えます」


 ハルトは、言葉を失った。


 シオンは、静かに続ける。


「おそらく、何度も間違える。星冠英星アステリズムは、正しい答えではなく、難しい問いです」


 ハルトは、星環王座の中枢を見る。


 そこには、まだ何もない。


 ただ、空白だけがある。


 英星が応えるかもしれない場所。


 沈黙するかもしれない場所。


 遠ざかるかもしれない場所。


 未確定のまま、閉じずに待つための場所。


「それでも」


 ハルトは言った。


 今度は、その言葉を軽く使わなかった。


「それでも、始めます」


 シオンはうなずいた。


 星環王座の中枢が、静かに開いた。


 赤と青の冠星紋クラウンが、ハルトの両目で回る。


 簒奪要求ではない。


 防衛権限でもない。


 星冠英星アステリズムが、王座戦の外縁へ接続された。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ここまで読んでくださってありがとうございます。

『英星王座戦 リアライメント・アーク』は、守る者と奪う者が、滅びかけた世界の次の秩序を賭けて戦うSFヒーロー連作です。

続きが気になった方は、ブックマーク・評価・感想で応援してもらえると励みになります。
好きな英星、気になった王座戦、読みづらかった箇所など、ひと言でも歓迎です。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ