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英星王座戦 リアライメント・アーク  作者: 明丸 丹一
第5章 終末星域オムニアーク
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第4話 英雄配役盤《ヴァロール・ステージ》

 白い大広間の奥で、銀色の歯車が噛み合っていた。


 この場所に歯車があること自体、奇妙だった。


 星環王座ゾディアック・スローンは、玉座でも機械でもない。宇宙の王座を観測し、配備し、記録する上位管制中枢。白い石の床の下には無数の宇宙が流れ、頭上には十二の環が静かに回っている。


 そこに、油の匂いがした。


 古い機械油。


 熱を持った金属。


 長く回り続けた軸受けの匂い。


 神の世界には似合わない。


 だが、ハルトはその匂いを嫌いにはなれなかった。


 どこか、人の手で作られたものの匂いがしたからだ。


 扉の奥から、男が出てきた。


 年齢は分からない。


 若くも見える。年寄りにも見える。


 短く刈った灰色の髪。薄い金色の目。袖をまくった長衣。腰には工具のようなものがいくつも下がっていた。天上の管理者というより、古い発電所の整備士に見える。


 男は、こちらを見る前に星環王座を見上げた。


「軸が鳴ってるな」


 最初の言葉がそれだった。


 ハルトは、思わずシオンを見る。


 シオンは表情を変えなかった。


 ただ、いつもの静けさの奥に、わずかな緊張があった。


「予定より早いですね」


「呼ばれた気がした」


 男は肩をすくめる。


「それに、千周期ぶりの定期保守だ。多少の前後は誤差だろう」


「誤差で片づけられる範囲ではありません」


「そう言うな。お前は相変わらず、秤に乗せる前から重さを決めたがる」


 シオンの薄青の瞳が、少しだけ細くなった。


 男は、それを見て笑った。


 敵意はない。


 だが、遠慮もない。


 長い時間を共にした者だけが持つ、面倒な近さだった。


「あなたが、ダイナ……」


 ハルトは、口にしてから姿勢を正した。


「天上管理補助員、ハルト・ノアです」


「知っている」


 ダイナはハルトを見た。


 薄い金色の目が、少しだけ楽しそうに揺れた。


「新人だろう。床下を見て、息を止めた顔をしている」


「見ていたんですか」


「星環王座の癖を見に来たら、大抵のものは見える」


 ダイナはハルトの横を通り過ぎ、王座の前に立った。


 手袋もつけずに、巨大な環の一部へ指を伸ばす。


 触れた瞬間、白い光の環がわずかに震えた。


 環の内側に刻まれていた天秤、麦穂、海図、蜂巣、円卓の記録が、淡く明滅する。


 ハルトは息を呑んだ。


 シオンは止めなかった。


 ダイナは、星環王座の基幹部に触れられる。


 それが何を意味するのか、ハルトにも分かった。


 この人は、まだここに権限を持っている。


「第三記録を開いたな」


 ダイナは、王座を見上げたまま言った。


 ハルトの肩がわずかに強張る。


「はい」


「黒龍の候補に触れかけた」


「……はい」


「拒まれたか」


 ハルトは答えられなかった。


 ダイナは振り返る。


 叱るつもりはなさそうだった。


 むしろ、実験結果を聞く研究者に近い。


「いいことだ」


「いいこと、ですか」


「拒むだけの輪郭が残っている。なら、完全な燃えかすではない」


 その言い方に、ハルトの胸が少しだけざらついた。


 燃えかす。


 ナギ・カランの叫びが、そう呼ばれたように聞こえた。


 ダイナは気づいたのか、気づいていないのか、星環王座から手を離した。


「シオン。説明はしたのか」


「必要な範囲は」


「お前の必要な範囲は、たいてい少ない」


「あなたの説明は、多すぎます」


「技術者は説明したがるものだ」


 ダイナは笑った。


 それからハルトへ向き直る。


「ハルト・ノア。お前は、王座戦を何だと思った」


 いきなりだった。


 ハルトは答えを探した。


 第一記録。


 灰色の空。


 ミラを背負うカイ。


 第二記録。


 薄い粥。


 ケーニギンの蜜。


 第三記録。


 船底の鎖。


 ナギの声。


 第四記録。


 青い絵の具。


 泣いていた子ども。


 どれも、まだ胸の中で混ざっている。


「壊れかけた宇宙へ、選択肢を届ける仕組みだと」


「きれいな答えだ」


 ダイナは言った。


「シオンが言いそうな答えだな」


 シオンは何も言わない。


「では、俺の答えも言っておこう」


 ダイナは腰の工具を一つ抜いた。


 柄の短い、鍵のような道具だった。先端には、小さな星の形をした歯がついている。


 彼がそれを星環王座へかざすと、白い大広間の空気が変わった。


 ハルトの足元で、床下を流れる宇宙の光が少しだけ強くなる。


「王座戦は、発電機だ」


 ダイナは言った。


 あまりにも簡単に。


 ハルトは、すぐには意味を取れなかった。


「発電機……」


「そうだ。壊れかけた宇宙には、熱がある。秩序が限界を迎える。捨てられた者が怒る。守る者が祈る。王が迷い、反逆者が立つ。そこには、放っておけば宇宙を焼くほどの過剰な熱が生まれる」


 星環王座の環に、古い記録が映った。


 ハルトが見た四つの宇宙ではない。


 もっと古い記録だ。


 炎に包まれた神殿。


 崩れた城壁。


 灰色の平野で膝をつく兵士。


 巨大な獣の前に立つ、名も知らない戦士。


「俺はそれを巻き取る仕組みを作った。壊れかけた宇宙に王座を配置し、王座が傾けば観測する。そこに英星を降ろし、君主タイクーン覇王ユーサーパーを立てる。衝突が起きる。過熱スーパーヒートが生まれる。王座戦が終われば、余剰熱を巻き取る」


 ダイナは、指で星環王座を叩いた。


 硬い音はしない。


 代わりに、遠いどこかで鐘が鳴ったような振動が広がる。


「巻き取った熱で、次の宇宙へ力を送る。英星を送る。王座を保守する。ここを維持する。そういう仕組みだ」


 ハルトは、喉の奥に小さな痛みを覚えた。


 シオンが説明したことと、ほとんど同じだ。


 同じなのに、聞こえ方が違う。


 シオンの説明は、救済の仕組みに聞こえた。


 ダイナの説明は、運転手順に聞こえる。


 どちらも嘘ではない。


 そのことが、かえって苦しい。


「奪っているんですか」


 ハルトは聞いた。


「違う」


 ダイナは即答した。


「壊れる前に回している。静かに消えるはずだった宇宙に、立ち上がる機会を与えている。沈黙を破る火を渡している。その結果生まれた熱を、捨てずに次へ回す。奪うだけなら、王座戦など要らん」


「でも、熱は巻き取る」


「燃え残しを集めなければ、次の火は灯らない」


 ダイナの声には迷いがなかった。


 それは冷酷さではない。


 長く同じ仕事を続けてきた者の声だった。


「お前は、王座戦に至らなかった宇宙を見たか」


「見ました」


「静かだったろう」


 ハルトは答えられない。


 白い塔。


 水のない水路。


 灰色の森。


 音もなく崩れた街。


 誰も立ち上がらないまま終わる宇宙。


 あの静けさは、まだ目の裏に残っている。


「俺は、あれが嫌いだった」


 ダイナは言った。


 初めて、声の底に別のものが混じった。


 怒りではない。


 悲しみとも少し違う。


 長い間、同じものを見続けてきた疲れだった。


「叫びもなく終わる。祈りも形にならない。誰も悪に立ち向かわない。誰も英雄を待たない。世界が、世界だったことすら残せずに薄くなる」


 ダイナは、鍵のような工具を握り直した。


「だから、英雄劇を組んだ」


 星環王座の環が、別の色に変わる。


 白ではない。


 舞台の照明のような、淡い金色。


 ハルトの視界に、巨大な盤面が浮かんだ。


 そこには、君主と覇王、英星、王座、民衆、災厄、守護者、反逆者という言葉が、星座のように配置されていた。


 英雄配役盤ヴァロール・ステージ


 名前を見た瞬間、ハルトはぞくりとした。


 美しい。


 美しすぎる。


 壊れかけた宇宙を、物語として並べ直す盤面だった。


「君主側に守護者を置く。覇王側には破壊者を置く。民衆には救われる役を与える。災厄には倒される役を与える。そうすれば、宇宙は沈黙しない」


 ダイナは、盤面へ指を走らせる。


 古い記録の中で、光の騎士が黒い怪物へ挑む。民衆が祈る。王が剣を掲げる。塔が崩れ、空に星が流れる。


「英雄が来る。悪が立つ。戦いが起きる。熱が生まれる。宇宙は、自分がまだ終わっていないことを思い出す」


 ハルトは、見入っていた。


 それはたしかに救いだった。


 滅びかけた宇宙に、物語を与える。


 誰も立てない場所に、英雄を置く。


 絶望に名前をつけ、戦える形にする。


 そこに悪意はない。


 むしろ、痛いほど善意に近い。


 けれど。


「覇王は」


 ハルトは言った。


 自分の声が、少し硬くなっているのが分かった。


「その盤面では、覇王はどうなりますか」


 ダイナは、目を細めた。


 楽しそうではなくなった。


 シオンが、静かに口を開く。


「破壊者になりました」


 ハルトは彼女を見る。


 シオンの声は静かだった。


「奪う者。壊す者。倒されるべき怪物。反逆者の怒りは、しばしば災厄として配役された」


「必要だった」


 ダイナは言った。


「熱を起こすには、衝突が要る。民衆が祈るには、恐れるものが要る。守護者が立つには、打ち倒すべき敵が要る」


「その敵にも、救いたいものがあったら?」


 ハルトは言った。


 ダイナは黙る。


 ハルトの頭に、船底の声が響いた。


 お前たちの言ってる秩序は、俺たちの鎖だ。


「その怪物が、番号札を引きちぎろうとしていただけなら?」


 今度は、薄い粥の匂いが蘇る。


「その破壊者が、倉を開けなければ子どもが死ぬと思っていたら?」


 灰色の空。


 ミラの咳。


「その反逆者が、捨てられる少女を背負っていただけなら?」


 大広間が静かになった。


 星環王座の回転音が、いつもより遠く聞こえる。


 ダイナは、すぐには答えなかった。


 代わりに、シオンが一歩前へ出る。


「だから、私は英雄配役盤ヴァロール・ステージを止めました」


 彼女の白い衣の裾で、天秤の星座が光る。


裁定鎖秤アストライアを発現し、王座戦を配役ではなく、使命同士の対立へ組み替えた。君主側がヒーローで、覇王側がヴィランという旧い構図を壊した」


 ハルトは、シオンを見る。


 これまで彼女がただ疲れているだけの管理者に見えていた。


 違う。


 シオンも、一度は反逆したのだ。


 ダイナの作った仕組みに。


 英雄劇という救済に。


 そこに隠れていた配役の不公平に。


裁定鎖秤アストライアは、君主と覇王を量ります」


 シオンは続ける。


「どちらが善かではありません。どちらが悪かでもない。どちらの使命が、傾いた王座へ答えを出すか。どちらが世界の次の秩序を背負えるか。それを量る」


「その結果、王座戦は安定したか」


 ダイナが言った。


 責める声ではない。


 確認する声だ。


「以前よりは」


「熱回収効率は落ちた」


「配役による過熱増幅を切ったからです」


「救えなかった宇宙も増えた」


 シオンは黙った。


 ダイナは、そこを刺すように見ていない。


 ただ、事実として置いた。


「公平は美しい。俺も嫌いではない。だが、公平な使命同士の衝突は、英雄劇ほど燃えない。時には、誰も悪役にならないまま、全員が正しく、全員が遅れる」


 ハルトは、二人の間に立っている気がした。


 ダイナの言葉も分かる。


 シオンの反逆も分かる。


 どちらも、壊れかけた宇宙を見捨てないための答えだった。


 けれど、胸の奥の棘はまだ抜けない。


「それでも」


 ハルトは言った。


 二人がこちらを見る。


「それでも、英星はまだ、呼ばれる側ですよね」


 白い大広間に、静けさが戻った。


 今度は、重い沈黙だった。


「君主と覇王が公平に量られても、英星は配備される。適合率で選ばれる。使命を抽出されて、王座戦へ送られる。シオンさんは、配役を公平にした。でも、英星自身が選んだわけではない」


「ハルト」


 シオンの声に、警告が混じる。


 だが、ハルトは止まれなかった。


「零刃は、落ちる者を支える使命を持っていた。アウレリアは、未来を守ろうとした。ケーニギンは、群れを冬から守ろうとした。昇龍は、鎖を切ろうとした。アルトリウスは、秩序を並べ直そうとした」


 ひとりずつ名を口にするたび、星環王座の周囲に小さな光が灯った。


 黒銀。


 金色。


 黒金。


 黒い水。


 白銀。


 シオンの目が険しくなる。


「名前を呼びすぎています」


 ダイナは、逆に興味深そうにハルトを見ていた。


「彼らは、役割なんですか」


 ハルトは言った。


「それとも、応じる者なんですか」


 星環王座が震えた。


 ほんのわずかだった。


 だが、床下を流れていた宇宙の光が、いくつか乱れる。


 シオンが手を伸ばす。


「ハルト、そこまでです」


「でも」


「今の問いは、王座戦の基幹に触れています」


「触れなければ、分かりません」


「分からないまま扱うべきではありません」


 シオンの声が鋭くなった。


 初めてだった。


 ハルトは、そこでようやく自分が踏み込みすぎていると気づいた。


 だが、もう遅かった。


 星環王座の盤面に、警告が走る。


 天上管理補助員、ハルト・ノア。


 過熱感応閾値、異常上昇。


 情動残響視認、暴走域へ接近。


 英星名呼応、複数発生。


 王座接続異常。


 ハルトの右目が熱くなった。


 アステラードのカイ。


 ラウンドグレインのガイ・レン。


 オルドマーレのナギ。


 コロニー2020の五重覇王。


 赤い冠星紋クラウンの記録が、頭の奥で重なる。


 同時に、左目も熱くなった。


 セレナ。


 リャン・セイ。


 レオノーラ。


 真壁有人。


 青い冠星紋クラウンの記録が、別の場所で光る。


 守る者。


 奪う者。


 どちらも見た。


 どちらの痛みも、記録の中で触れてしまった。


 ハルトは、目を押さえた。


「何、ですか、これ」


 声がうまく出ない。


 視界の右側に、赤い十字星が灯る。


 左側に、青い十字星が灯る。


 どちらか一つではない。


 二つ。


 同時に。


 シオンが、すぐにハルトの前へ出た。


「星環王座、接続遮断。補助員権限を凍結」


 白い盤面が開く。


 だが、遮断は走らなかった。


 むしろ、星環王座の環が、ハルトの方へわずかに傾く。


 ダイナが小さく口笛を吹いた。


「二重冠星紋か」


 シオンが彼を睨む。


「面白がる場面ではありません」


「面白いものは面白い。君主と覇王が同じ目に宿るとはな」


「彼はまだ補助員です」


「もう違うかもしれん」


 ダイナは、ハルトの目を見る。


 薄い金色の瞳が、初めて真剣になっていた。


「ハルト・ノア。お前は王座を守りたいのか。それとも奪いたいのか」


 ハルトは答えようとした。


 だが、どちらも違った。


 守りたい。


 たしかに、王座戦で救われた宇宙を否定したくない。


 奪いたい。


 たしかに、英星を配備されるだけの存在にしておきたくない。


 どちらもある。


 だから、どちらかでは答えられない。


「俺は」


 ハルトは、星環王座を見る。


 環の中で、零刃の黒銀が光る。


 アウレリアの金色が光る。


 ケーニギンの黒金が光る。


 昇龍の黒い水が揺れる。


 アルトリウスの白銀が立つ。


 五柱の五色が回る。


 そして、どの星もまだ、ハルトへ応じてはいない。


 ただ、名前を呼ばれたことに気づいたように、遠くでまたたいている。


「使命を、王座だけで決めたくない」


 言葉にした瞬間、星環王座の外周が大きく鳴った。


 白い大広間の上空に、巨大な鎖が現れる。


 鎖は銀色だった。


 美しい。


 冷たい。


 両端には、天秤皿のような光が下がっている。


 裁定鎖秤アストライア


 シオンの表情が変わった。


 焦りだった。


 ハルトは、初めて彼女の顔にそれを見た。


裁定鎖秤アストライアが、自動裁定に入ります」


 ダイナが、静かに工具を構えた。


「基幹保護を優先する。シオン、封鎖の準備を」


「分かっています」


 シオンはハルトへ手を伸ばす。


「ハルト、動かないでください。あなたは今、王座戦の外側から、王座戦そのものへ接続しかけています」


 ハルトは動けなかった。


 右目が熱い。


 左目も熱い。


 守る者と奪う者の記録が、頭の奥で重なり続けている。


 裁定鎖秤アストライアの鎖が、ゆっくりと降りてくる。


 それは、罰に見えなかった。


 むしろ、正しい手続きに見えた。


 危険な異常を量り、封じ、天上の基幹を守るための、正しい鎖。


 ハルトは、黒い水の声を思い出した。


 俺を、お前の怒りの旗にするな。


 その声は、今度は少し違って聞こえた。


 誰かを旗にするな。


 誰かの使命を、勝手に掲げるな。


 裁定鎖秤アストライアの鎖が、ハルトの足元へ届く。


 星環王座の警告が、赤く染まった。


 異常覚醒者、確認。


 ハルト・ノア。


 二重冠星紋クラウン、発現。


 封鎖裁定、開始。

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ここまで読んでくださってありがとうございます。

『英星王座戦 リアライメント・アーク』は、守る者と奪う者が、滅びかけた世界の次の秩序を賭けて戦うSFヒーロー連作です。

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好きな英星、気になった王座戦、読みづらかった箇所など、ひと言でも歓迎です。
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