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英星王座戦 リアライメント・アーク  作者: 明丸 丹一
第5章 終末星域オムニアーク
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第2話 記録補助員

 灰色の空が閉じたあとも、ハルトの指先には熱が残っていた。


 白い閲覧膜は、すでに第一記録の再生を終えている。目の前には、星環王座ゾディアック・スローンの淡い光だけが浮かんでいた。


 表示は静かだった。


 継承都市アステラード。

 天秤王座リブラ・スローン

 王座戦リアライメント・アーク第一記録。

 過熱スーパーヒート発生。

 巻取、正常終了。


 たったそれだけだった。


 あの灰色の空も、金色の女神も、少年の背中で咳をしていた少女も、そこにはもういない。


 残っているのは、処理済みの文字列だけだ。


「ハルト」


 シオンの声がした。


「はい」


「閲覧を続けられますか」


 続けられるか。


 聞かれて、ハルトはすぐに答えられなかった。


 手は震えていない。呼吸も乱れていない。天上管理補助員としての身体制御は、問題なく働いている。視界の端には、心拍、精神負荷、感応値が小さく並んでいる。


 どれも警告域ではなかった。


 それなのに、胸の奥だけが落ち着かなかった。


「続けます」


 ハルトは答えた。


 シオンは、うなずきもせず、次の記録膜を開いた。


 五色の麦穂が、白い空間に浮かび上がる。


 第二記録。


 中世平原大陸ラウンドグレイン。


 社稷王座ソイル・スローン


 はじめに匂いが来た。


 乾いた土。


 薄い粥。


 焦げかけた薪。


 ハルトは思わず目を細めた。


 閲覧膜の中に、村の広場があった。


 大きな鍋が火にかけられている。粥と呼ぶには薄すぎる湯の中で、麦の欠片がわずかに揺れていた。椀を抱えた子どもが、底に残った粒を探している。


 記録はすぐに飛んだ。


 封印札。


 閉じた倉。


 鉄の鍵。


 麦の匂い。


 剣が振られ、封印が裂ける。


 倉の扉が開く。


 麦袋の山が、暗い倉の奥に積まれていた。


 その前で、赤い冠星紋クラウンを宿した男が立っている。


 ガイ・レン。


 ハルトは、名前を読む前に分かった。


 男が剣を構えたとき、怒りより先に責任が立っていたからだ。


「背負う」


 記録膜の中で、ガイ・レンが言った。


 その瞬間、表示が跳ねた。


 覇王ユーサーパー簒奪起動スタートアップ

 過熱スーパーヒート発生。

 英星エクススター軌道接続オンユアマーク


 黒金の羽音が降ってくる。


 ケーニギン。


 黒金の蜂姫は、村の土を踏んだ。


 膝はつかない。頭も下げない。けれど、倒れた子どもの前でだけ、距離を取ってしゃがんだ。


「幼きものに、濃い蜜は強すぎますね」


 琥珀の蜜が、淡い金色の甘露へ変わる。


 子どもの喉が、ほんの少し動く。


 母親が泣いた。


 その泣き声が、ハルトの耳に残った。


 だが、記録はそこで終わらない。


 蜂が増える。


 倉の梁に止まる。


 井戸の縁に止まる。


 人の肩には止まらない。


 ただ、数えている。


 麦袋の数。


 鍋の数。


 病人の数。


 隠された種籾の場所。


 救うために。


 配るために。


 従わせるために。


 ハルトの喉が、少し詰まった。


 蜜は、救いだった。


 それは間違いない。


 だが、蜜が垂れた場所には、必ず蜂が来る。蜂が来れば、そこは巣になる。


 シオンが静かに言った。


「第二記録は、過熱値が非常に安定していました」


「安定」


「覇王側の救済衝動と、君主側の秩序修復が、同じ対象へ向いていたためです」


 記録膜が切り替わる。


 五色の義勇兵。


 リャン・セイ。


 青い冠星紋クラウン


 木、火、土、金、水。


 五つの柱が、乾いた大地へ立つ。


 水車が回る。


 種籾が守られる。


 粥ではなく、来年の麦が語られる。


 ハルトは、そこでようやく息を吐いた。


 ガイ・レンは、今日の粥を渡した。


 リャン・セイは、来年の種を残そうとした。


 どちらも正しい。


 どちらも足りない。


 だから王座戦になった。


 それは分かる。


 分かるのに、巻取表示だけを見ると、すべてが一つの熱に見えた。


 飢えも。


 蜜も。


 種も。


 王朝の責務も。


 ケーニギンの羽音も。


 五柱の循環も。


 すべて、次の宇宙へ送るための力として整理されていた。


 ハルトは、表示から目を離した。


「この熱は」


「はい」


 シオンは、先を促すようにこちらを見る。


「どこまでが余剰なんですか」


 シオンの薄青の瞳が、わずかに止まった。


「どういう意味ですか」


「宇宙を焼かないために巻き取る。次の宇宙を支えるために使う。それは分かります」


 ハルトは、記録膜の奥を見た。


 ケーニギンが、蜂の群れを背にして立っている。


 彼女の目は、飢えた村を見ていた。


 数字ではなく、群れを見ていた。


「でも、あの母親の泣き声も、ケーニギンが甘露を薄めた判断も、リャン・セイが種を食べるなと言った迷いも、同じ熱として扱われています」


「王座戦で発生した過剰な情動と選択圧は、分類上、すべて過熱スーパーヒートに含まれます」


「分類上は」


 ハルトは、言ってから口を閉じた。


 シオンは怒らなかった。


 ただ、少しだけ視線を伏せた。


「その疑問は、初期補助員の多くが持ちます」


「では、慣れるんですか」


「慣れる者もいます」


「シオンさんは」


 聞いてから、ハルトは失礼だったと思った。


 だが、シオンは少しも表情を変えなかった。


「慣れた部分と、慣れなかった部分があります」


 それは、答えになっているようで、なっていなかった。


 だが、ハルトはそれ以上聞けなかった。


 第三記録が開いた。


 音が変わる。


 麦の擦れる音ではない。


 水だ。


 暗い水。


 船底に溜まった、汚れた水。


 波の音ではない。板の隙間で揺れる、小さく濁った水の音だった。


 海冠帝国オルドマーレ。


 海冠王座マーレ・スローン


 閲覧膜には、低い天井が映っている。


 湿った板。


 錆びた鎖。


 足首の輪。


 番号を書かれた木札。


 少年がいた。


 ナギ・カラン。


 十六歳。


 登録労働民。


 彼の首にも、札が下がっている。


 名ではない。


 番号だった。


 ハルトは、その札だけを見ていた。


 木目の荒い札。端が少し欠けている。濡れた紐が、少年の首筋に貼りついている。


 記録は断片だけを見せる。


 帝国兵の淡々とした声。


 海賊の笑い。


 奴隷管理者の帳簿。


 積荷。


 獲物。


 登録番号。


 違う言葉が、同じ場所へ落ちていく。


 誰も、ナギを人間として呼ばない。


 ナギの右目に、赤い星が灯る。


「お前たちの言ってる秩序は、俺たちの鎖だ!」


 船底の水が揺れた。


 小さな黒い龍魚が、排水の暗がりから現れる。


 昇龍ショウリュウ


 まだ巨大な龍ではない。


 水たまりの中で尾を打つ、小さな影だった。


 だが、その小さな影が鎖に噛みついた瞬間、ハルトの背中に寒気が走った。


 切れる。


 そう思った。


 鎖が切れる。


 世界のどこかで、何かが切れる。


 しかし、表示は冷たかった。


 王座陥落リアライメント、不成立。

 玉座解放アーク・リスタート、不成立。

 過熱スーパーヒート巻取、不完全。

 戦役後制度変容、確認。

 民間伝承残留、確認。

 英星原型化候補、発生。


 ハルトは、表示を何度も読んだ。


 不成立。


 不完全。


 候補。


 どの言葉も、ナギの叫びより軽かった。


「彼は、失敗したんですか」


 ハルトは聞いた。


 シオンはすぐには答えなかった。


 黒い龍魚が、記録膜の中でまだ鎖を噛んでいる。


「王座戦としては、成立しきっていません」


「失敗なんですか」


「分類上は」


 また、分類上。


 ハルトは唇を結んだ。


 シオンは続ける。


「ナギ・カランは、王座を奪えませんでした。玉座解放にも至っていない。過熱の巻取効率も低い。君主側の秩序は残り、覇王側の回答は制度として完成しませんでした」


「でも」


 ハルトは、番号札を見る。


 ナギの喉元で揺れる、小さな木片。


「でも、鎖は鎖として残った」


 シオンがこちらを見る。


「はい」


「それまでは、登録労働民だった。保護監督対象だった。戦後再配置民だった」


「はい」


「でも、彼が叫んだあと、その言葉では隠せなくなった」


 シオンは、ほんの少しだけ目を細めた。


「よく見ていますね」


「見えてしまいます」


 それは、自慢ではなかった。


 むしろ、少し苦しかった。


 記録膜の中で、ナギはまだ少年だった。


 怒りで立っている。


 怖くないはずがない。


 鎖は重い。


 相手は帝国で、海賊で、帳簿で、法で、船そのものだった。


 それでも彼は立った。


 その記録が、候補という文字で閉じられている。


 ハルトには、それが少しだけ許せなかった。


 第四記録が開いた。


 今度は、白い教室だった。


 黒板。


 二〇二〇年、十月十二日、月曜日。


 今日の目標。


 あいさつをしよう。


 忘れ物をしない。


 手を洗う。


 その下で、男の子が泣いていた。


 手の甲に、青い絵の具が残っている。


 図工でついたものらしい。爪の端まで入り込んで、洗っても落ちなかった色。


 子どもは、自分の手を見ている。


「ぼくたちは、本物ですか」


 教室が止まる。


 担任教師は答えられない。


 そこへ、真壁有人が入ってくる。


 管理者用の黒いジャケット。


 この時代の学校には、いないはずの大人。


 有人は、子どもの前で膝をつく。


 目線を合わせる。


「分からない」


 ハルトは、その答えに息を呑んだ。


 管理者なのに。


 答えを持っているはずなのに。


 有人は断言しなかった。


「でも、今、君が怖いのは本当だ」


 男の子の指が、机の端を握る。


 青い絵の具が、白い机に少しだけ擦れた。


 それだけだった。


 たったそれだけの記録だった。


 だが、ハルトの中で、第一記録から第三記録までの表示がひとつにつながった。


 カイは、ミラの未来を数えなかった都市に反逆した。


 ガイ・レンは、飢えた子どもより封印札を優先する倉に反逆した。


 ナギは、人を番号に変える鎖に反逆した。


 有人は、復元された子どもの恐怖を、ただの保全エラーとして閉じなかった。


 そして英星も。


 零刃も、ケーニギンも、昇龍も、アウレリアも、五柱も、アルトリウスも。


 彼らは記録から再構成され、宇宙ごとに実体化する。


 肉体が違う。


 出力形式が違う。


 同じ本人と言えるのかは、分からない。


 けれど。


 ハルトは、青い絵の具を見ていた。


 男の子の手に残った、昨日の汚れ。


 そんなものまで再現されているのなら。


 その汚れを怖がる心が、ここにあるのなら。


 英星の使命は、ただの機能なのか。


 ハルトは、声を出していた。


「シオンさん」


「はい」


「英星は、配備されているんですか」


 シオンは答えなかった。


 ハルトは続ける。


「それとも、応じているんですか」


 白い大広間に、長い沈黙が落ちた。


 床の下では、壊れかけた宇宙が静かに流れている。


 星環王座の環だけが、音もなく回っていた。


 シオンは、しばらくしてから口を開いた。


「その問いは、記録補助員の業務範囲を超えます」


「では、管理者なら答えられますか」


 言ってしまった。


 ハルトは、自分でも驚いた。


 初日だ。


 まだ一日目の補助員だ。


 上司にぶつける質問ではない。


 それでも、もう戻せなかった。


 シオンは、ハルトを見ていた。


 怒ってはいない。


 ただ、疲れた瞳の奥で、何かが小さく揺れていた。


「答えられる日が来るとは限りません」


 シオンは言った。


「ですが、答えずに済ませてよい問いでもありません」


 その時、ハルトの閲覧端末に、予定外の表示が走った。


 第三記録補助領域。

 英星原型化候補、微弱応答。

 黒龍海賊ナギ・カラン。


 白い空間の端で、黒い水音がした。


 ハルトは振り返った。


 どこにも海はない。


 それでも、足元の透明な床の下で、一本の鎖が揺れていた。


 ナギの番号札が、暗い水の中で反転する。


 表示が、もう一度点滅した。


 英星原型化候補、微弱応答。


 ハルトは、無意識に手を伸ばしかけた。


 シオンの声が鋭くなる。


「触れてはいけません」


 ハルトの指が止まる。


 黒い水の奥で、赤い目が開いた。


 少年の声がした。


「俺を、お前の怒りの旗にするな」


 それだけ言って、黒い水は閉じた。


 閲覧端末の表示が、すべて消える。


 ハルトは、伸ばしかけた手を見た。


 指が、震えていた。


 今度は、はっきりと。

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ここまで読んでくださってありがとうございます。

『英星王座戦 リアライメント・アーク』は、守る者と奪う者が、滅びかけた世界の次の秩序を賭けて戦うSFヒーロー連作です。

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好きな英星、気になった王座戦、読みづらかった箇所など、ひと言でも歓迎です。
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