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英星王座戦 リアライメント・アーク  作者: 明丸 丹一
第5章 終末星域オムニアーク
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第1話 天上の管理者

 神の世界は、静かだった。


 新人管理者ハルト・ノアは、白い床の上に立っていた。


 床、と呼んでいいのかは分からない。


 足の下には、石があった。大理石に似ていた。磨かれた白い石。どこまでも続く、継ぎ目のない床。


 だが、その奥に星が流れていた。


 透明な石の下を、無数の光が通り過ぎていく。小さな銀の粒。赤く割れた星。青く沈む渦。輪の切れた惑星。折れた塔のような都市。砂になった海。凍った麦畑。


 それらは、星ではなかった。


 宇宙だった。


 壊れかけた宇宙が、床の下を静かに流れている。


 音はない。


 悲鳴もない。


 炎もない。


 ただ、ひとつ、ひとつ、光が細くなっていく。


 消えかけた灯のように。


 ハルトは、思わず息を止めていた。


「呼吸は止めなくていいですよ」


 声がした。


 振り返ると、女が立っていた。


 シオン・アステル。


 天上管理者。


 ハルトが配備された先の上司であり、この終端星域オムニアーク管制層を、もっとも長く維持している者。


 年齢は、見た目だけなら二十代の終わりか、三十代の初めに見えた。


 銀に近い淡い髪。


 星図のような薄青の瞳。


 白い長衣。


 衣の裾には、無数の小さな星座が刺繍されている。だが、それは飾りではなかった。刺繍に見える線の一本一本が、どこかの宇宙の王座戦記録につながっている。


 シオンが一歩動くたび、裾の星がわずかにまたたいた。


 美しい人だった。


 けれど、ハルトはその美しさより先に、疲れていると思った。


 目の下に隈があるわけではない。


 姿勢が崩れているわけでもない。


 声も澄んでいる。


 それでも、どこかがすり減っていた。


 長く使われ続けた道具のように。


 あるいは、音が鳴らなくなるまで祈られ続けた鐘のように。


「ハルト・ノア。天上管理補助員としての配備を確認しました」


 シオンは淡々と言った。


「はい」


 ハルトは背筋を伸ばした。


「本日より、星環王座ゾディアック・スローンの記録補助と、王座戦リアライメント・アークの配備前照合を担当します」


「了解しました」


「緊張していますか」


「……少し」


「よいことです」


 シオンは、床下の宇宙を見た。


「ここに慣れるのは、あまりよいことではありません」


 その言葉の意味を、ハルトは測りかねた。


 慣れてはいけない。


 それを言ったシオン本人が、誰よりもここに慣れているように見えたからだ。


 ハルトは正面を見た。


 白い大広間の先に、巨大な輪が浮かんでいる。


 星環王座ゾディアック・スローン


 それは、玉座ではなかった。


 椅子ではない。


 王冠でもない。


 天球儀でもない。


 それらすべてに似ていて、どれとも違っていた。


 十二の巨大な環が、互いにずれた角度で回転している。環の内側には、無数の王座の記録が刻まれていた。都市中枢。神殿。艦隊。麦畑。電子街区。海図。灯台。外殻都市。円卓。蜂巣。天秤。黒龍。


 星環王座は、世界を支配する王座ではない。


 各宇宙の王座を観測し、配備し、記録する王座。


 王座戦そのものの、上位管制中枢だった。


 その周囲には、いくつもの星座が浮かんでいる。


 傾いた天秤の星座。


 五色の麦穂の星座。


 黒い龍影と白銀の円卓艦隊。


 電子街区に張られた黒金の蜂巣。


 ハルトは、それらを見上げた。


「これが、記録ですか」


「はい」


 シオンが答えた。


「王座戦が成立した宇宙の、主要記録です。あちらが天秤王座リブラ・スローン。継承都市アステラードの記録」


 シオンが指を動かす。


 傾いた天秤の星座が、静かに近づいた。


 そこに、灰色の空が映った。


 空中都市。


 外縁区。


 金色の女神。


 ひとりの少年が、少女を背負って空を見上げている。


 映像はすぐに消えた。


「こちらが社稷王座ソイル・スローン。中世平原大陸ラウンドグレインの記録」


 五色の麦穂が光る。


 乾いた村。


 開かれた倉。


 薄い粥。


 黒金の蜂姫。


 そして赤い星を右目に宿した男。


「こちらが海冠王座マーレ・スローン。海冠帝国オルドマーレ」


 黒い波が広がる。


 船底。


 鎖。


 番号札。


 小さな黒い龍魚が、鉄の鎖に噛みつく。


「こちらが懐古王座ノスタルジア・スローン。追憶仮想都市コロニー2020」


 電子街区が灯る。


 小学校の教室。


 泣いている男の子。


 管理室で画面を見る男。


 ハルトは、喉の奥が少し詰まるのを感じた。


 どれも一瞬だった。


 ただの記録片にすぎない。


 それでも、何かが伝わってきた。


 怒り。


 飢え。


 恐怖。


 守りたいという焦り。


 間に合わないかもしれないという痛み。


 ハルトは、自分がここに来た意味を思い出した。


 壊れた宇宙を救うため。


 沈黙しかけた世界に、もう一度、選択肢を届けるため。


 英星エクススターを配備し、君主タイクーン覇王ユーサーパーの覚醒を見届け、王座戦を成立させるため。


 それは、神の仕事だと思っていた。


 だが、いま見たものは、神の仕事というより、人間の叫びに見えた。


「美しいでしょう」


 シオンが言った。


 ハルトは少し遅れて答えた。


「はい」


「美しいと思えるうちは、大丈夫です」


 シオンは、星環王座の方へ歩き出した。


 ハルトも続く。


 王座へ近づくほど、空気が変わった。


 音が増える。


 それは声ではない。


 風でもない。


 無数の宇宙が、かすかに軋む音だった。


 どこかで王座が限界を迎えている。


 どこかで秩序が人を守れなくなっている。


 どこかで反逆が形になる前に消えかけている。


 その全部が、細い音になって、星環王座へ集まっている。


 シオンは、王座の前で止まった。


 透明な盤面がいくつも開く。


 そこには、数字と波形と星図が並んでいた。


 王座安定率。


 秩序保持限界。


 現地人覚醒候補。


 英星適合率。


 過熱スーパーヒート予測値。


 熱的死ヒートエンド進行率。


 ハルトの視線が、最後の文字に止まった。


熱的死ヒートエンド……」


「天上管理領域の終端です」


 シオンは、特別に怖がらせるような言い方をしなかった。


 だからこそ、言葉が重かった。


過熱スーパーヒートの循環が止まれば、多宇宙支援系は沈黙します。支援系が沈黙すれば、壊れた宇宙へ王座を送れない。王座を送れなければ、宇宙は王座戦に至ることすらなく消えていく」


 シオンが指を動かす。


 床下を流れていた宇宙のひとつが、浮かび上がった。


 黒い球だった。


 よく見ると、球の表面に街があった。


 白い塔。長い橋。水路。森。


 だが、すべてが止まっていた。


 塔に灯はない。


 水路に水はない。


 森は灰色だった。


「これは、王座戦に至らなかった宇宙です」


 シオンは言った。


「王座は限界を迎えていました。秩序は人を守れず、こぼれた者の怒りも、祈りも、形にならなかった。英星を送るための過熱が足りなかった」


 黒い球の中で、街が音もなく崩れた。


 炎すら上がらない。


 ただ、輪郭が薄くなり、消えた。


「滅亡とは、いつも爆発ではありません」


 シオンは言った。


「多くは、こうして静かに終わります」


 ハルトは、返事ができなかった。


 怖い、と思った。


 戦いよりも。


 叫びよりも。


 誰かが立ち上がることさえないまま終わる静けさが、怖かった。


「だから、私たちは配備します」


 シオンの声は静かだった。


「滅びかけた宇宙に、王座を仕込む。王座は古代宇宙では地脈となり、近代宇宙ではネットワークとして発展する。その王座が揺らいだ時、英星エクススターを送る。君主タイクーン覇王ユーサーパーが並び立つ条件を整える。王座戦リアライメント・アークを成立させる」


「……戦乱を起こす、ということですか」


 言ってから、ハルトは少し後悔した。


 新任助手が、最初から言う指摘ではなかった。


 だが、シオンは怒らなかった。


 少しだけ、まばたきをした。


 それだけだった。


「誤解しないでください、ハルト」


 シオンは、盤面に手を触れた。


 いくつもの壊れかけた宇宙が、彼女の周囲に浮かび上がる。


「私たちが戦乱を起こしているわけではありません」


 その声は、説明に慣れた声だった。


 何度も同じ質問を受け、何度も同じ答えを返してきた声。


「宇宙は、先に壊れています」


 ひとつの宇宙が拡大される。


 荒れた平原。


 閉じた倉。


 飢えた村。


 誰も倉を開けないまま、子どもが倒れる。


「王座は限界を迎えている。秩序は人を守れなくなっている。怒りは形を持てず、祈りは熱にならない」


 別の宇宙。


 船底。


 鎖。


 番号札。


 船は進む。


 誰も鎖を切らない。


「そこへ、私たちは力を与える」


 星環王座の環が、ゆっくりと回る。


 黒い宇宙に、一本の光が落ちた。


「英星を配備する。君主が立つ。覇王が立つ。現地人が選ぶ。宇宙そのものが軋み、再配列へ向かう」


 映像の中で、閉じていた倉が開いた。


 船底の鎖が切れた。


 灰色の空に黒い星が落ちた。


「その過程で、宇宙には過剰な熱が発生します」


過熱スーパーヒート……」


「はい」


 シオンはうなずいた。


「君主、覇王、英星、現地人。彼らの感情と選択が限界まで高まった時、宇宙の許容量を超えた熱が生じる。放置すれば、その宇宙を焼きます。巻き取らなければ、次の宇宙へ力を送れません」


 彼女は、星環王座を見上げた。


「そして循環が止まれば、ここも熱的死ヒートエンドへ向かう」


 ハルトは、王座を見た。


 巨大な環は、静かに回っている。


 美しい。


 あまりにも美しい。


 だが、その美しさが、急に排熱機構のようにも見えた。


「私たちは、奪っているのではありません」


 シオンは言った。


「壊れた宇宙に力を与え、その結果生じた過熱を巻き取っている。巻き取った熱で、次の宇宙を支える。そういうシステムです」


 正しい。


 ハルトは、そう思った。


 シオンの説明は正しい。


 もし英星が送られなければ、救われなかった宇宙がある。


 もし王座戦が起きなければ、立ち上がれなかった者がいる。


 過熱を巻き取らなければ、次の宇宙へ力を送れない。


 熱的死ヒートエンドを避けるには、循環が必要だ。


 どこにも、悪意はなかった。


 だからこそ、胸の奥に小さな棘が残った。


 ハルトは、その棘の名前をまだ知らなかった。


 シオンは、盤面をひとつ閉じた。


 代わりに、別の記録膜が開く。


 天上管理補助員、ハルト・ノア。


 配備適性、承認。


 記録補助適性、良好。


 過熱感応閾値、異常高値。


 情動残響視認傾向、顕著。


 シオンは、それをすぐに閉じた。


 だが、ハルトは最後の二行だけを見ていた。


 過熱感応閾値。


 情動残響視認傾向。


「今のは」


「あなたの配備記録です」


 シオンは淡々と答えた。


「気にする必要はありません。天上管理領域では、壊れた宇宙を正しく見られる者が補助員として選ばれます」


「正しく、ですか」


「はい」


 シオンは、ハルトを見た。


「数字の奥に何があるかを、まったく見ない者はここに置けません」


 その言葉は、ハルトには少し意外だった。


 数字の奥。


 シオンは、それを見ていないわけではないのか。


 それとも、見たうえで、見ないようになったのか。


 ハルトには分からなかった。


「初日の業務に入ります」


 シオンは、淡々と告げた。


「指定した第一記録から第四記録までの王座戦、宇宙記録ログを確認し、過熱スーパーヒート巻取履歴と英星再配備履歴を照合してください」


「はい」


「主な確認対象は、継承都市アステラード、中世平原大陸ラウンドグレイン、海冠帝国オルドマーレ、追憶仮想都市コロニー2020」


 四つの星座が、ハルトの前に並んだ。


「特に、第三記録の扱いに注意してください」


「第三記録?」


「海冠帝国オルドマーレです」


 黒い龍影の星座が、わずかに揺れた。


王座陥落リアライメントは不成立。玉座解放アーク・リスタートも不成立。ですが、戦役後の制度変容と民間伝承から、星海に刻まれた者――英星原型化候補が発生しています」


「英星原型化候補……?」


「後で分かります」


 シオンは、それ以上説明しなかった。


 ハルトの前に、ひとつの閲覧端末が開く。


 端末、といっても、手で持つものではない。星の薄膜が、空中に浮かんでいる。そこに、最初の記録名が表示された。


 継承都市アステラード。


 天秤王座リブラ・スローン


 王座戦リアライメント・アーク、第一記録。


 ハルトは指先で記録を開いた。


 灰色の空が広がった。


 古い排熱塔。


 交換期限を過ぎた気象膜。


 白い煙。


 錆びた連絡橋。


 その下で、少年が少女を背負っていた。


 少女は白い防塵布をかぶり、苦しそうに息をしている。


 少年は、焦げたスパナを腰に差して、空を見上げていた。


 空には、金色の女神がいた。


 女神アウレリア。


 守護者。


 都市を救う光。


 その女神が、外縁区へ弓を向けていた。


 端末の端に、管理表示が浮かぶ。


 外縁第七区隔離焼却局面。


 都市存続率最大化判断。


 覇王覚醒候補、カイ・レダ。


 過熱スーパーヒート予測値、急上昇。


 ハルトは、その表示を見た。


 それから、もう一度、少年の顔を見た。


 彼は怖がっていた。


 当たり前だ。


 相手は都市を守る女神だった。


 自分は外縁区の修理工見習いで、背中には呼吸器の弱い少女がいる。


 それでも、彼は空を見上げていた。


 端末の音声が再生される。


「未来を守るって言いながら、未来を持てない人間から捨てるのか」


 ハルトの指が止まった。


 少年の右目に、赤い十字星が灯る。


 世界が軋む音がした。


 空でもない。


 地面でもない。


 都市の機械音でもない。


 もっと深い場所で、宇宙の骨組みそのものが曲がる音。


 覇王ユーサーパー簒奪起動スタートアップ


 そのシステムコールと同時に、端末の端で数値が跳ね上がった。


 過熱スーパーヒート発生。


 巻取準備開始。


 ハルトは、数値を見た。


 そして、少年の背中の少女を見た。


 彼女の名前は、まだ表示されていない。


 ただ、咳き込みながら、少年の服を握っている。


 ハルトは、小さく息を吸った。


 これは、過熱なのか。


 まだ、言葉にはしなかった。


 だが、胸の奥の棘が、ほんの少しだけ深く刺さった。

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ここまで読んでくださってありがとうございます。

『英星王座戦 リアライメント・アーク』は、守る者と奪う者が、滅びかけた世界の次の秩序を賭けて戦うSFヒーロー連作です。

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好きな英星、気になった王座戦、読みづらかった箇所など、ひと言でも歓迎です。
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