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英星王座戦 リアライメント・アーク  作者: 明丸 丹一
第4章 追憶仮想都市コロニー2020
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第10話 帝蜂王針蹴《インペリアル・スティング》

 コロニー2020の空に、白銀の円卓が残っていた。


 だが、それはもう完全な円ではなかった。


 あちこちが欠けている。


 駅へ降りていた第二席 『門』は、零刃ゼロブレイドに斬られた。


 ログアウトゲートは、離脱申請窓口ではなく、本人の意思で進むための出口へ戻っている。


 病院区画に降りた第三席『医』と第十一席『審』、そして円卓決議を執行する第一席『剣』は、アウレリアの天弓閃光スペクトラム・レイに撃ち抜かれた。


 戦争記録区画の第五席『記』と第九席『災』は、五柱ごちゅう五行大循環サイクル・オブ・アース太極機神ウーシン・ドミニオンによって打ち砕かれた。


 ネットワーク海岸の第十席『港』は、昇龍ショウリュウ登龍海路ライジング・ドラゴンロードに呑まれた。


 第七席『政』と第十二席『盾』も、黒金蜂巣ハイヴ・インペリウムに穴だらけにされている。


 円卓十二席は、壊れていた。


 だが、終わってはいなかった。


 砕かれた席の役割は、白銀の粒子となって市役所上空へ戻っていく。


 門。


 医療。


 教育。


 記録。


 交通。


 行政。


 観光。


 災害。


 港。


 裁定。


 防壁。


 執行。


 それらは、もはや個別の騎士としては成り立たない。


 しかし、すべてが一人の英星へ集約されていた。


 サー・アルトリウス。


 白金の鎧。


 深紅の外套。


 聖盾。


 聖剣。


 円卓十二席の機能は、その聖剣の周囲に白銀の紋章として浮かんでいる。


 アルトリウスは、セイの前に立っていた。


 最後の防壁として。


 最後の剣として。


 コロニー2020を、正しい円卓秩序へ収めるために。


 観光者フィールドの内側では、未来人たちが息を殺していた。


 少し前までは、誰かが笑っていた。


 誰かが「公式イベントか」と言った。


 誰かが「録画しておこう」と言った。


 だが、いまは違う。


 退出ボタンは灰色のまま。


 視界ログは保存不能。


 安全フィールドは機能しているはずなのに、黒潮の湿気と焼け跡の煙の匂いが、どこかから入り込んでくる。


 誰かが小さく言った。


「これ、まだ見物イベントなのか」


 誰も答えなかった。


 真壁有人まかべあるとは、黒金のハイヴの中心で、市役所上空を見上げていた。


 左目には、青い冠星紋クラウン


 目の前には、無数の黒金の線が走っている。


 駅ノード。


 病院ノード。


 学校ノード。


 戦争記録ノード。


 外洋港ノード。


 市役所ノード。


 商店街ノード。


 観光者ノード。


 復元人格ノード。


 そのすべてを、眷属蜂けんぞくばちがつないでいる。


 超真星スーパーノヴァ黒金蜂巣ハイヴ・インペリウム


 蜂の巣。


 ネットワーク。


 生活と生活をつなぐ、分散したノードの群れ。


 ただし、今そのハイヴも限界に近かった。


 零刃は動けない。


 駅の上空で、蒼い刃を下ろしたまま、完全ログアウトゲートを見守っている。断空ホリゾント・ブルーの余波は残っているが、もう一度斬る余力はない。


 だが、零刃は見ている。


 落ちる線。


 落ちない線。


 アルトリウスへ集約されていく白銀の線。


 そのどこを通れば、最後の一撃が届くのかを見ている。


 アウレリアも動けない。


 病院区画の空で、白金の光輪を薄く残し、未来を見ている。第一席『剣』を撃破した代償で、次の矢は放てない。


 だが、アウレリアは見ている。


 届く未来。


 届かない未来。


 現実へ帰る未来。


 コロニー2020が円卓に沈む未来。


 その分岐を、ハイヴへ流し続けている。


 五柱も動けない。


 戦争記録区画で、太極機神ウーシン・ドミニオンの残光を背負いながら、焼け跡と復興の場を見守っている。五行の巡りは、もう攻撃ではなく支えに回っていた。


 だが、五柱は見ている。


 どの区画が崩れるか。


 どこを支えれば、円卓が割れても街が落ちないか。


 五色の視線が、黒金の蜂を通じて流れてくる。


 昇龍も動けない。


 ネットワーク海岸で、黒潮の巨体を低くうねらせ、開いた海路の先を見ている。登龍海路ライジング・ドラゴンロードを撃った後の龍は、しばらくは波動を吐けない。


 だが、昇龍は見ている。


 沈める潮。


 帰す船。


 セイのアバターを現実側へ押し流すための、黒い流れ。


 四つの英星はそれぞれの場所で、円卓の騎士を撃破した。


 それぞれの怒りを、秩序に整理にされる寸前で押し返した。


 だからこそ、今は見守っている。


 道を。


 未来を。


 循環を。


 海を。


 ハイヴを通じて、その視線だけが有人とケーニギンへ流れてくる。


 もう総力戦ではない。


 総力戦の後に残った、最後の一騎打ちだった。


 ◇


 動ける英星は二体だけ。


 ハイヴの中でなお強化されるケーニギン。


 円卓決議圏を背負うアルトリウス。


 女王蜂と聖騎士。


 白銀の中心で、皇城セイ《すめらぎせい》が静かに言った。


「まだ続けますか、真壁有人」


 声は、市役所からではなく、街全体から響いた。


 駅のスピーカー。


 病院の案内板。


 学校の黒板。


 海岸の波音。


 戦争記録区画の警鐘。


 それらが、セイの声を運んでいる。


「あなたの反逆者たちは善戦しました。出口、進歩、記録、海。どれも確かに必要だった。だから、私はそれを消しません」


 有人は黙って聞いていた。


 セイは続ける。


「ただ、正しい場所へ置くのです」


 白銀の円卓が、ゆっくりと回る。


「出口は門へ。進歩は医へ。記録は記へ。海は港へ。問いは学へ。生活は政へ。観光は観へ。危機は災へ。すべて円卓に置かれることで、初めて守られる」


 アルトリウスが聖剣を構えた。


 聖剣の周囲に、砕かれた十二席の紋章が浮かぶ。


 門扉。


 医療輪。


 教科書。


 書板。


 線路。


 印章。


 観覧席。


 警鐘。


 錨。


 天秤。


 盾。


 剣。


 セイの言葉は正しい。


 少なくとも、かなりの部分で正しい。


 有人は、それを分かっていた。


 駅には安全な出口が必要だ。


 病院には治療が必要だ。


 学校には説明が必要だ。


 戦争記録には整理が必要だ。


 海には港と灯台が必要だ。


 市役所には手続きが必要だ。


 観光者にも責任のある導線が必要だ。


 秩序は不要ではない。


 だが、秩序がすべてを決めた瞬間、生活は生活ではなくなる。


 有人は、白銀の円卓の下にある街を見た。


 駅前で、出ようか残ろうか迷っている少女がいる。


 病院で、治療方針を前に泣きながら考えている母親がいる。


 焼け跡で、何も言えずに立ち尽くす若者がいる。


 海岸で、かき氷の旗をしまいながら外洋を見ている人格、夏海なつみがいる。


 教室で、昨日描いた海の絵を握りしめた男の子がいる。


 そのどれも、正しい秩序には収まらない。


「ケーニギン」


「はい」


帝蜂王針蹴インペリアル・スティングを使う」


 ケーニギンの翅が、一瞬だけ止まった。


「最終確認。これは一撃必殺です。外したら次はありません。」


「分かってる」


「通常の王針蹴撃ロイヤル・スティングは、二撃必殺。一撃目で王針印を刻み、二撃目で切り離します。警告と隔離を分けるためです」


「インペリアルは違う」


「はい」


 ケーニギンの声が低くなる。


両足ふたつの王針で、同時に相手の王座接続を直接貫きます。セイ本人と円卓決議圏を切断し、現実側へ強制ログアウトさせる。一撃で決めます」


「殺すわけじゃない」


「はい。ですが、外せばこちらのハイヴが砕けます」


「外さない」


「あなたは、根拠なくそう言います」


「根拠はある」


 有人は、ハイヴに流れ込む四つの視線を感じた。


 零刃の蒼い視線。


 アウレリアの白金の視線。


 五柱の五色の視線。


 昇龍の黒潮の視線。


 四つの英星はもう動けない。


 だが、見ている。


 道を。


 未来を。


 支点を。


 帰る潮を。


「一人じゃない」


 ケーニギンは、少しだけ沈黙した。


 それから、静かに言った。


「では、ハイヴ全域を開きます」


 黒金の羽音が、街全体を満たした。


 駅の改札から、黒金の蜂が飛び立つ。


 病院の母子手帳から、蜂が飛ぶ。


 学校の筆箱から、蜂が飛ぶ。


 焼け跡の炊き出し鍋から、蜂が飛ぶ。


 海岸のかき氷の旗から、蜂が飛ぶ。


 市役所の机から、蜂が飛ぶ。


 商店街の看板から、蜂が飛ぶ。


 観光者のバッグからも、蜂が飛んだ。


 観光者の一人が、その蜂を目で追った。


「ログが取れない」


 別の一人が言った。


「これ、記録用の演出じゃない」


 また別の一人が、かすれた声で言った。


「じゃあ、私たちは何を見てるんだ」


 誰も答えられなかった。


 黒金の蜂たちは、命令を運ぶ兵隊ではない。


 情報を運ぶ。


 記憶を運ぶ。


 迷いを運ぶ。


 選択を運ぶ。


 怒りを運ぶ。


 不安を運ぶ。


 声にならない声を運ぶ。


 黒金蜂巣ハイヴ・インペリウムは、巨大な蜂の巣であると同時に、コロニー2020全域に広がる分散ネットワークになっていた。


 零刃から、蒼い信号が来る。


 落ちるな。


 中心線が、少しだけ右へずれている。


 アウレリアから、白金の信号が来る。


 今ではない。


 次の瞬間。


 そのさらに次。


 五柱から、五色の信号が来る。


 左の区画が揺れる。


 だが支えられる。


 昇龍から、黒潮の信号が来る。


 帰す潮は開いている。


 沈めるな。


 流せ。


 そのすべてが、ケーニギンへ集まる。


 だが、彼女の身体はまだ動かない。


 アルトリウスが、聖剣を構えたまま待っている。


 白銀の騎士は焦らない。


 円卓の力を背負い、セイの前に立ち、ケーニギンの一撃を待っている。


 彼に奇襲は通じない。


 彼に半端な針は通じない。


 ロイヤル・スティングでは届かない。


 だから、ケーニギンは空へ跳んだ。


 その跳躍は、ロイヤル・スティングのものとは違っていた。


 通常の王針蹴撃ロイヤル・スティングは、片脚の踵に針を隠す。


 相手に王針印を刻むための一撃。


 警告の一撃。


 二度目の切断へつなげるための技。


 だが、今のケーニギンは違う。


 彼女は空中で身体を横倒しにした。


 両脚をそろえる。


 ドロップキックに近い態勢。


 背後に、巨大な黒金の蜂巣ネットワークが開いている。


 無数の蜂が、噴射炎のように彼女の背後へ広がる。


 各ノードから送られる記憶、怒り、不安、問い、選択、航路、出口、治療、証言。


 それらが黒金の蜜となって両脚へ集まっていく。


 ケーニギンの両脚の先に、一本の巨大な王針が形成される。


 有人は、それを見上げた。


 女王の一撃。


 いや、違う。


 群れの一撃。


 アルトリウスが、聖剣を構え直した。


 白銀の円卓が、彼の前に幾重にも重なる。


 門扉。


 治療輪。


 教科書。


 書板。


 線路。


 印章。


 観覧席。


 警鐘。


 錨。


 天秤。


 盾。


 剣。


 そのすべてが、聖剣の前に防御層を作る。


 セイが命じた。


「防げ、アルトリウス」


 アルトリウスは、静かに答えた。


「御意」


 白銀の円卓防御が完成する。


 ケーニギンが突っ込む。


 黒金の流星。


 蜂の群れを背負った女王蜂の落下。


 ハイヴの信号が、その軌道を整える。


 零刃の視線が、落ちない道を示す。


 アウレリアの視線が、届く瞬間を示す。


 五柱の視線が、反動で崩れない支点を示す。


 昇龍の視線が、帰る潮を示す。


 そのすべてを背負って、ケーニギンが叫んだ。


「――帝蜂王針蹴インペリアル・スティング!」


 黒金の両脚が、白銀の防御層へ迫った。


 アルトリウスの目が細くなる。


 彼は、通常の防御では受けなかった。


 影武者でも、防壁でも、手続きでもない。


 聖騎士として前へ出る。


 聖剣を高く掲げる。


 深紅の外套が、白銀の風を裂いた。


「――聖剣解放クラウ・ソラス!」


 剣から、太陽のような白光が放たれた。


 それは切断ではなかった。


 裁きに近い。


 曇りなき剣光が、黒金の流星を真正面から迎え撃つ。


 白銀と黒金が衝突した。


 最初の層が割れる。


 門扉の紋章が砕ける。


 治療輪の紋章が飛ぶ。


 書板の紋章が裂ける。


 錨の紋章が弾ける。


 天秤の紋章が傾く。


 盾の紋章がひび割れる。


 だが、聖剣クラウ・ソラスの光は止まらない。


 黒金の女王蜂を、その両脚ごと、真正面から切り裂いた。


 ◇


 有人の息が止まった。


 駅で、真生が叫んだ。


「おい!」


 病院で、レイナの目が見開かれる。


 焼け跡で、ミツルが太極機神の中で歯を食いしばる。


 海岸で、リクが昇龍の背で声を上げる。


 彼らは動けない。


 見ていることしかできない。


 観光者たちも声を失っていた。


 誰も歓声を上げなかった。


 誰も「すごい」と言わなかった。


 黒金の流星が、白光の中で砕けていく。


 ケーニギンの身体が、ばらばらにほどける。


 翅が散る。


 甲殻が散る。


 両脚の王針が、光の中で割れる。


 アルトリウスは、聖剣を振り抜いた。


 クラウ・ソラスの白光が、黒金の流星を完全に両断する。


 セイが静かに息を吐いた。


「終わりました」


 だが、有人は見た。


 砕けた黒金の欠片が、蜂になっていた。


 一つ一つが、小さな子蜂だった。


 それは、ケーニギンではなかった。


 ケーニギンの姿をした、子蜂の集合体。


 ハイヴの通信子を束ね、女王蜂の形へ偽装した黒金の囮。


 アルトリウスのクラウ・ソラスは、それを完璧に撃ち抜いた。


 完璧だった。


 完璧すぎた。


 だから、聖剣の白光は、そこへ固定された。


 聖騎士の視線も。


 円卓決議圏の防御も。


 すべてが、偽のインペリアル・スティングへ向いていた。


 その背後。


 白銀の防御層のさらに薄いところ。


 零刃が見ていた、落ちない道。


 アウレリアが見ていた、届く未来。


 五柱が見ていた、支えられる支点。


 昇龍が見ていた、帰す潮の手前。


 そこに、ケーニギン本人がいた。


 彼女は、すべてを投げ捨てていた。


 背後の蜂群はない。


 ハイヴの推進もない。


 子蜂の護衛もない。


 甲殻の一部すら、白銀の摩擦で剥がれていた。


 ただ、女王蜂の身体と、両脚に集約された最後の王針だけが残っている。


 有人は理解した。


 帝蜂王針蹴インペリアル・スティングは、群れの一撃である。


 だが、最後に刺さるのは、女王本人の針でなければならない。


 群れを囮にし。


 ハイヴを焼かせ。


 子蜂を捨て。


 防御も推進も逃げ道も投げ捨てて。


 ただ、届くためだけに、ケーニギンはそこへいた。


 アルトリウスが気づいた。


 遅い。


 聖騎士は、クラウ・ソラスを振り抜いた直後だった。


 間に合わない。


 ケーニギンの両脚が、セイへ向かう。


 音はなかった。


 蜂の羽音すらなかった。


 静かな、一直線の落下だった。


 セイの目が、初めて揺れた。


「まだ、です」


 彼は手を伸ばす。


「この世界は復元です。記録です。現実ではない」


 有人は、ハイヴの中心から叫んだ。


「この時代の人々は瞬間瞬間を懸命に生きていた! それは復元されたから否定されるものじゃない!」


 セイの表情が歪む。


 ケーニギンの両脚が、セイの胸部アバターへ迫る。


 セイはなお言った。


「ならば、私が正しく保存する」


 有人は、左目の青い冠星紋を燃やした。


「ここはお前の遊び場じゃない。現実へ帰れ!」


「――帝蜂王針蹴インペリアル・スティング


 両足の王針が、セイのアバターの胸に刺さった。


 ロイヤル・スティングのような、蜂が花に触れる小さな音ではなかった。


 街全体の鐘が、一斉に割れたような音だった。


「これで終わりです」


 セイの赤い冠星紋が、砕けたのではない。


 接続が切れた。


 懐古王座への接続。


 円卓決議圏への接続。


 コロニー2020への侵入経路。


 そのすべてが、黒金の王針によって強制切断される。


 セイの身体が白く崩れていく。


 崩壊ではない。


 ログアウト。


 昇龍が開いた黒い潮が、セイのアバターを現実側へ押し流す。


 セイは最後に、何かを言おうとした。


 言葉にはならなかった。


 白い粒子となって、黒潮の向こうへ消えた。


 現実へ帰された。


 白銀の円卓が、音を立てて崩れ始める。


 だが、街は落ちなかった。


 零刃は、最後まで落ちる線を見ていた。


 アウレリアは、最後まで崩れる未来を分けていた。


 五柱と太極機神は、最後まで各区画を支えていた。


 昇龍は、最後まで過剰な白銀を外へ逃がしていた。


 ケーニギンのハイヴは、かろうじて各ノードをつないでいた。


 アルトリウスは、聖剣を下ろした。


 深紅の外套が、静かに揺れる。


 円卓十二席の白銀は、もう彼の剣へ集まっていない。


 セイとの接続が切れたからだ。


 だが、アルトリウスはすぐには消えなかった。


 彼は、落下していくケーニギンを見た。


 ハイヴを捨て、子蜂を捨て、最後の一撃だけを通した女王蜂。


 アルトリウスは、静かに聖剣を収めた。


「見事」


 ケーニギンは、返事をしなかった。


 彼女は、空中で力を失っていた。


 有人が手を伸ばす。


 その前に、残った子蜂たちが集まる。


 砕けた囮の子蜂。


 焼かれたハイヴの通信子ノード


 街の各房に残っていた眷属蜂。


 それらが、黒金の雲になってケーニギンを受け止めた。


 女王蜂は、群れに落ちた。


 今度は、群れが女王を支えた。


 アルトリウスは、有人を見た。


「秩序は、不要ではない」


 有人は、荒い息のまま頷いた。


「分かってる」


「門も、医も、記録も、港も、政も、学も、必要です」


「それも分かってる」


「ならば、なぜ拒んだ」


 有人は、崩れた円卓の空を見た。


 その下で、街が少しずつ元の形へ戻っている。


 元通りではない。


 駅には出口がある。


 病院には未来更新の選択肢がある。


 戦争記録区画は復興まで続く。


 海岸には外洋航路と戻る港がある。


 学校には、問いが残っている。


 市役所は少し分かりやすくなっているが、帰り道に寄り道もできる。


「秩序を、生活の上に置いたからだ」


 有人は言った。


「秩序は必要だ。でも、生活そのものにはなれない」


 アルトリウスは、少しだけ目を伏せた。


「生活の下に置く、ということですか」


「そうだ」


 アルトリウスは、聖剣を胸の前に立てた。


「ならば、私の役目はここまでです」


「セイのところへ戻るのか」


「私は英星エクススター。呼ばれた使命に応じるものです」


 アルトリウスは、わずかに笑ったようにも見えた。


「ですが、今回の主は、王座に座るには急ぎすぎました」


 有人は答えなかった。


 アルトリウスの姿が、白銀の光へほどけていく。


 消える直前、彼は言った。


「次に秩序を呼ぶ時は、上ではなく、足元に」


 そして、聖騎士は消えた。


 コロニー2020の空に、青いシステム文字が浮かぶ。


 懐古王座ノスタルジア・スローン


 単独管理権限、失効。


 王座陥落リアライメント


 有人の端末が震える。


 彼は、それを見た。


 自分の管理者権限が、消えていく。


 いや、消えているのではない。


 分かれている。


 駅ノードへ。


 病院ノードへ。


 学校ノードへ。


 戦争記録ノードへ。


 外洋港ノードへ。


 市役所ノードへ。


 商店街ノードへ。


 観光者責任ノードへ。


 復元人格自治ノードへ。


 黒金蜂巣ハイヴ・インペリウムが、支配型巣構造から分散型生活ネットワークへ再定義される。


 コロニー2020が、懐古テーマパークから分散型生活記憶圏へ再定義される。


 玉座解放アーク・リスタート


 青い文字が、空にほどけた。


 観光者フィールドのロックも、そこで解除された。


 退出ボタンが戻る。


 視界ログの保存表示が復旧する。


 だが、誰もすぐには押さなかった。


 一人の観光者が、小さく言った。


「さっきの子、泣いてたよな」


 別の誰かが、駅の方を見た。


 また別の誰かが、戦争記録区画の煙を見た。


 誰も笑わなかった。


 有人は、膝をついた。


 疲労が一気に来た。


 ケーニギンが、子蜂たちに支えられて横に降りる。


 翅は破れ、甲殻はところどころ焦げている。


「生きてるか」


英星エクススターに、その問いは不適切です」


「無事か」


「損耗は甚大です」


「動けるか」


「しばらくは、無理です」


「そうか……」


 ケーニギンは、少しだけ有人を見た。


「あなたは、単独管理者ではなくなりました」


「そうだな」


「人類最後の労働者でもありません」


 有人は、空を見上げた。


 白銀の円卓は消えた。


 そのかわり、黒金の細い蜂道が、街のあちこちをつないでいる。


 4人の覇王……未来人アルファがコロニーにそれぞれ意見を持っている。


「それは助かるな」


 ケーニギンは、静かに言った。


「巣とは、閉じ込める場所ではありません」


 有人は彼女を見る。


「冬を越えた群れが、次の花へ飛ぶための場所です」


 その言葉は、ハイヴ全体へ流れていった。


 駅で、白い改札の前にいた少女が、今日は出ないことを選んだ。


 病院で、母親が複数の治療案を見ながら、子どもと一緒に選び直している。


 戦争記録区画で、語り部が、食い違う証言をそのまま話している。


 海岸で、夏海なつみが外洋航路の案内板を見て、今日ではなく明日の出航予定を眺めている。


 学校で、男の子が黒板の前に立ち、自分の描いた海の絵を見せている。


 市役所で、老人が手続きを終えたあと、ふと思い出したように商店街へ歩いていく。


 誰も完全には正しくない。


 誰も完全には自由ではない。


 誰も完全には守られていない。


 だが、行き来はある。


 戻る場所はある。


 問いは消されていない。


 痛みは減らせる。


 記録は死で止まらない。


 海は、だれかの領海ではない。


 それで十分だった。


 少なくとも、始まりとしては。


 翌朝。


 管理室の扉が開いた。


 有人は、いつものカップを持って入った。


 コーヒー風味栄養液ドリンク


 湯気は出ない。


 味だけが、古臭い。


 だが、管理室はもう、昨日までとは違っていた。


 半円形の壁面には、シフト表が表示されている。


 駅ノード担当。


 病院ノード担当。


 学校ノード担当。


 復興記録ノード担当。


 外洋港ノード担当。


 市役所ノード担当。


 観光者案内担当。


 復元人格相談担当。


 そこには、有人以外の名前が並んでいた。


 復元人格の名前もある。


 未来人の名前もある。


 真央も、レイナも、ミツルも、リクもいる。


 まだ不安定だ。


 まだ揉めるだろう。


 たぶん、面倒なことになる。


 有人は、シフト表を見て少し笑った。


 ケーニギンが横に立つ。


 正確には、数匹の子蜂に少し支えられながら浮いている。


「笑うところですか」


「いや」


 有人は、カップを机に置いた。


「人手があるって、いいなと思って」


「怠惰です」


「人類の到達点だろ」


「使い方次第です」


「そうだな」


 管理室の壁面に、小学校三区の朝が映る。


 黒板には日付。


 今日の目標。


 あいさつをしよう。


 忘れ物をしない。


 手を洗う。


 その横に、小さく新しい一文が追加されている。


 分からないことは、聞いてもいい。


 有人は、それを見た。


 そして言った。


「じゃあ、朝の点検を始めよう」


 黒金の眷属蜂が一匹、管理室から飛び立った。


 駅へ。


 病院へ。


 学校へ。


 戦争記録区画へ。


 海岸へ。


 市役所へ。


 商店街へ。


 蜂は蜜を運んでいない。


 花粉を運んでいた。


 ひとつの房から、別の房へ。


 ひとつの生活から、別の生活へ。


 巣は閉じていない。


 今日も、誰かがどこかへ行くために、開いている。

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