第5話 何度も殺すな
空襲警報が鳴っていた。
コロニー2020内の隔離区域、戦争記録区画。
時刻は、八時五十八分。
朝の学校も、駅の混雑も、病院の待合室も、ここにはない。
あるのは、焼けた街だった。
低い木造家屋。
倒れた電柱。
黒く焦げた看板。
ひび割れた道路。
瓦礫の下から伸びる手。
逃げる人々。
遠くで燃える屋根。
そして、空。
空には、爆撃機の影がある。
この区画は、二〇二〇年代そのものではない。
コロニー2020が保存している、さらに古い記憶を再現するための教育区画だった。
戦争。
空襲。
避難。
焼け跡。
記録映像、証言、写真、日記、行政文書、後年の教材、家族の聞き書き。
それらを統合して作られた、古い死の再現。
本来なら、観光地ではない。
少なくとも、有人はそう思っていた。
だが現実には、観光客がいた。
不可視フィールドの中で、未来人たちが焼け跡を見物している。
彼らは直接、死者に触れない。
爆炎にも焼かれない。
煙を吸い込んでも、身体には影響がない。
熱も痛みも、教育用に調整された範囲だけが再現される。
だから、彼らは見ていられる。
「すごいな、熱まで来る」
「これ、どこまで本物なの?」
「死体表現は弱めだね」
「教育区画だからじゃない? もう少し強い再現モードもあるらしいよ」
「記録っていうより、アトラクションだな」
相良ミツル《さがらみつる》は、その声を聞いていた。
彼は焼けた交差点の中央に立っている。
右目には赤い冠星紋。
彼はコロニー2020に現れた、三人目の覇王だった。
ミツルの足元では、瓦礫が組み変わっている。
木柱リグナの青龍長槍が地面へ突き立てられ、焼け残った梁と柱が仮設住宅の骨組みに変わっていく。
火柱イグニスの朱雀双刃が火花を散らし、燃え広がる炎を炊き出しのかまどへ集める。
土柱テルスの黄龍盾槌が瓦礫を打ち、避難所の土台と通路を作る。
金柱フェルムの白虎刀が走り、銃器データを解体して、釘抜き、鋸、鍬、鉄板へ変えていく。
水柱ウンダの玄武鎖鞭が濁った水を引き、消火用水と給水路へ巡らせる。
戦場が、復興現場へ変わっていく。
爆撃のために作られた街が、生き残るための街へ組み直されていく。
それは、怒りの改変だった。
けれど、美しかった。
ミツルは空を見上げた。
爆弾が止まっている。
落下途中で、空中に凍りついたように止まっている。
黒い影。
先端の丸い鉄。
落ちれば、また街を焼くもの。
彼は手を伸ばした。
「消えろ」
爆弾の一つが、白いノイズになって崩れた。
それを見て、観光客の一人が歓声を上げた。
「おお、ルート分岐だ」
ミツルの指が止まった。
観光客は、まだ続ける。
「戦争阻止イベント? 面白いな」
「プレイヤー介入型なのかな」
「復興ルートが解放されたっぽい」
ミツルは、ゆっくりとそちらを見た。
不可視フィールドの中にいる未来人の姿が、彼には見えていた。
王座戦の深度に入ったせいだろう。
彼らの表情も、視線も、笑いも、全部見える。
「面白い?」
ミツルは言った。
観光客たちは、彼に見られていることに気づいていない。
「復興ルート?」
声が低くなる。
五柱が、それぞれ動きを止めた。
リグナがミツルを見る。
「主」
ミツルは答えなかった。
彼は爆弾を見た。
焼けた家を見た。
逃げ遅れた子どもNPCを見た。
瓦礫の下にいる母親モデルを見た。
それから、観光客を見た。
「何度も殺すな」
その声に、戦争記録区画の空気が変わった。
「死ぬところを見て、怖かったねで終わるな」
爆弾が、また一つ消える。
「焼け跡を歩いて、昔の人は大変だったねで終わるな」
三つ目が消える。
「泣くところだけ作って、助けるところを後回しにするな」
空に浮いていた爆弾が、次々と白いノイズへ変わる。
観光客たちは、ようやく異常に気づいた。
「え、何これ」
「再現が消えてる」
「さっきの空襲ログ、保存対象じゃないの?」
「管理者、何してるんだ」
ミツルは笑わなかった。
「こんな記録、残すな」
五柱の足元で、五色の光が強くなる。
五行の巡りが、戦争記録そのものへ食い込もうとしていた。
爆撃。
避難。
焼死。
飢え。
空襲。
記録文。
証言。
写真。
それらを、復興へ上書きしようとしている。
その時、焼け跡の外れに黒金の蜂が飛んだ。
一匹。
十匹。
百匹。
蜂たちは、煙の中を抜けていく。
瓦礫の隙間に入り、倒れた避難民NPCの呼吸ログを確認し、火災の熱量を測り、破損した家屋データの損傷を読む。
続いて、真壁有人が現れた。
左目に青い冠星紋。
その隣に、ケーニギン。
黒金の女王蜂は、焼けた街を一目で見渡した。
「戦争記録区画、改変率六十一パーセント」
「分かってる」
有人は周囲を見た。
爆弾は消えかけている。
火災は炊き出しの火へ変わっている。
瓦礫は避難所へ組み変わっている。
逃げる人々は、避難誘導を受けている。
それだけ見れば、ミツルは間違っていない。
むしろ、正しい。
爆撃で終わるより、復興まで描いた方がいい。
死ぬところだけを何度も再演させるより、生き残った者がどう暮らしを戻したかまで記録した方がいい。
有人も、それは分かる。
だが、端末の表示は赤く染まっていた。
戦争記録、欠損進行。
死者証言ログ、消失率二十二パーセント。
加害記録、抹消進行。
被害地図、復興地図へ強制変換。
空襲経路、削除中。
そして、その下に別の警告が走っていた。
疑似循環中枢、同期異常。
戦争記録区画は、ただの教育区画ではなかった。
懐古王座全体の思考データを洗い直す、リセットポイントでもある。
コロニー2020は、二〇〇〇年代から二一〇〇年ごろまでを繰り返している。
その間に寿命や事故や病で死んだ復元人格は、ここで記憶を消され、再誕する。
戦争記録区画へ。
いわば魂の疑似循環システム。
事故で亡くなった人格が、次の巡りでは防空壕へ逃げる子どもとして配置される。
戦争の記録は、その歯車の一部だった。
だがそれは管理の理屈であって、現状の容認の理由にはならない。
有人は、ミツルへ声をかけた。
「相良ミツル」
ミツルは振り返る。
「でたな、管理者」
「そうだ」
「止めに来たんだな」
「話を聞きに来た」
ミツルの顔が歪んだ。
「聞く? この音を?」
彼は、空を指差した。
爆弾はもうほとんど消えている。
だが、まだ遠くで空襲警報が鳴っている。
「何回鳴らした」
有人は答えない。
「この区画で、何回、同じ人間を逃がした。何回、同じ家を焼いた。何回、同じ子どもを泣かせた」
「教育記録だ」
「教育?」
ミツルは笑った。
乾いた笑いだった。
「じゃあ、あいつらは何だ」
観光客たちが、少し後ろへ下がっている。
不可視フィールドの中で、安全に。
自分たちには熱も火も届かない位置で。
「あいつら、教育されてるように見えるか」
有人は、すぐには返せなかった。
観光客の一人が、まだ撮影ログを回している。
別の一人は、戦争再現が壊れていく様子を珍しがっている。
有人は歯を食いしばった。
「見えない」
「なら消す」
「それは違う」
「違わない」
ミツルの右目が赤く光る。
「こんなものは、記録じゃない。死者の再演だ」
五柱が動く。
リグナが青龍長槍を振ると、焼けた電柱が支柱へ変わる。
イグニスが火を集めると、爆炎が鍋の火へ変わる。
テルスが地面を打つと、防空壕が避難所へ変わる。
フェルムが白虎刀を振ると、銃声の記録が工具音へ変わる。
ウンダが玄武鎖鞭を流すと、空襲後の濁った水が給水路へ変わる。
戦争が消える。
復興が残る。
それは優しい。
優しすぎた。
有人は言った。
「戦争を消したら、次の人間は知らないまま同じことをする」
「知るために、何度も死なせるのか」
「死なせるためじゃない」
「でも死ぬだろ」
「再現だ」
「そう言えば軽くなるのか」
ミツルの声が荒くなる。
「死者は一度死んだ。それで十分だ。後の人間が勉強したいからって、何度も燃やすな。何度も泣かせるな」
有人は、焼け跡を見た。
彼の言葉は正しい。
あまりにも正しい。
だが。
有人は、瓦礫の下に倒れている老人NPCのそばへ行った。
その人物は、記録の中で死ぬ役割を持っていた。
この空襲再現では、避難が遅れ、家族を逃がしたあとに瓦礫の下敷きになる。
観光客は、それを悲劇として見る。
教材は、それを戦争の被害として示す。
だが、有人の端末には、その老人NPCの元になった証言ログが残っている。
彼は実在した。
少なくとも、記録上は。
家族が語った。
あの人は、最後に戸を開けてくれた。
逃げろと言った。
その声が聞こえた。
だから私たちは生きた。
有人は、その証言ログをミツルへ送った。
ミツルの前に、古い文字が浮かぶ。
逃げろ。
それだけの音声記録。
割れている。
ノイズまみれ。
本人の声かどうかも、完全には分からない。
だが、残っている。
有人は言った。
「これも消すのか」
ミツルは黙った。
「この人が死んだことを残すのは、死なせるためじゃない」
有人は、瓦礫の下の老人NPCを見る。
「この人が、最後に誰かを逃がしたことを消さないためだ」
ミツルの拳が震えた。
「じゃあ、死ぬところを見せる必要があるのか」
「ある場合もある」
「お前」
「ない場合もある」
有人は、すぐに続けた。
「だから、この区画は間違っている」
ミツルが顔を上げる。
有人は、観光客たちを見た。
「爆撃で終わらせている。泣き声で終わらせている。焼け跡で止めている。復興まで続けていない。見る側にも覚悟を求めていない」
「なら」
「変える」
ケーニギンが有人を見る。
「君主。変更案を」
「まだ考えながら話してる」
「非効率です」
「知ってる」
ミツルが一歩前に出た。
「考えている間に、またあれが落ちるぞ」
空に、まだ一つだけ爆弾が残っていた。
五柱が消し損ねたもの。
いや、ミツルがわざと残していたのかもしれない。
最後に、有人へ突きつけるために。
あれを残すのか。
消すのか。
その問いが、空にぶら下がっていた。
ケーニギンが前に出る。
「対象は記録中枢へ直接干渉しています。制圧を実行します」
「待て」
「会話は済みました」
「まだだ」
「彼は記録を消します」
ケーニギンの翅が鳴る。
眷属蜂が、焼け跡の上に広がっていく。
対して五柱が、ミツルの周囲へ集まった。
リグナが青龍長槍を構える。
イグニスが朱雀双刃を回す。
テルスが黄龍盾槌を地に置く。
フェルムが白虎刀を抜く。
ウンダが玄武鎖鞭を流す。
黒金の女王蜂と、五色の復旧者。
救済と復興が、焼け跡で向かい合った。
ケーニギンが跳んだ。
最初に動いたのは、リグナだった。
青龍長槍が伸びる。
槍の穂先から青い蔓が広がり、ケーニギンの進路に木の盾を作る。
ケーニギンは避けない。
眷属蜂が木盾の継ぎ目へ入り込み、繊維を読んで薄い場所を開く。
黒金の影が通り抜ける。
次に、イグニスが前へ出る。
朱雀双刃が交差し、火花と煙を散らす。
焼く火ではない。
視界を切る火。
火の粉が蜂の群れにまとわりつき、進路を乱す。
ケーニギンは翅を強く鳴らした。
眷属蜂が煙の粒を数え、気流の隙間を作る。
女王蜂は、その隙間を抜ける。
テルスの盾槌が地面を打った。
瓦礫が盛り上がり、低い土壁になる。
逃げ道を塞ぐ壁ではない。
受け止める壁。
ケーニギンの蹴りの勢いを殺すための壁。
だが、彼女は壁を蹴った。
受け止めるための壁を、踏み台にした。
黒金の身体が上へ跳ねる。
フェルムの白虎刀が、そこを狙った。
白い刃が、針だけを落とそうとする。
殺すためではない。
王針蹴撃の本命である針を斬るための一閃。
ケーニギンの脚が、空中で軌道を変えた。
眷属蜂が足首の向きを押し、白虎刀の刃を半寸だけ外す。
ケーニギンは止まらない。
最後に、ウンダの玄武鎖鞭が伸びた。
水のような軌道で、ケーニギンの腰へ絡む。
落とすのではない。
流す。
蹴りの方向を変え、ミツルから逸らす。
ケーニギンは、初めて少しだけ表情を動かした。
五柱は強い。
個々の火力では、先に戦ったアウレリアほどではない。
だが、場を整える。
殺さず、壊さず、勢いを変え、道を作る。
五柱は、正面から押し切れる相手ではない
直接ぶつかると厄介だった。
ケーニギンは、空中で身をひねった。
絡んだ鎖鞭へ、眷属蜂を放つ。
蜂が鎖の節を読み、ウンダの水流の拍子を一拍だけ止める。
その一拍。
女王蜂が、五行の隙間を抜けた。
リグナの木。イグニスの火。テルスの土。フェルムの金。ウンダの水。
五つの防御を、完全には破っていない。厄介だ。
だから、相手にするのは五柱ではない。狙うのは、ミツルだった。
ケーニギンの足先、いや、針先だけが五柱の防御を抜けた。
ミツルの胸へ届く。
「――王針蹴撃」
衝撃は浅かった。
ケーニギンは、深く刺さなかった。
いや、五柱が浅くした。五行の防御が、毒針の勢いを殺していた。
それでも、ミツルの赤い冠星紋が揺れる。
右目の赤い十字星の周囲に、黒金の王針印が刻まれた。
「これは警告です。二度目はありません」
ミツルは膝をつかなかった。
ただ、胸を押さえ、ケーニギンを睨んだ。
「お前も、死者を道具にする側か」
ケーニギンは答えない。
代わりに、有人が答えた。
「違う」
ミツルは有人を見る。
「違うと言えば違うのか」
「違う形に変える」
「管理者の言葉だな」
「そうだ」
有人は端末を開く。
懐古王座の戦争記録区画へ、管理者権限を通す。
警告が走る。
戦争記録の歴史再現精度が変化します。
観光運用の収益性が低下します。
教育モードと娯楽モードの分離が必要です。
有人は、すべて無視した。
「戦争記録区画の娯楽利用を停止」
観光客たちの不可視フィールドが揺れる。
「教育利用は同意制に。軽量観光モードを廃止」
有人は続ける。
「爆撃、避難、被害で終了する記録は禁止。必ず救助、看護、炊き出し、復旧、証言継承まで連続させる」
ミツルの目がわずかに動いた。
「死者の記録は消さない。ただし、死で終わらせない」
空に残っていた最後の爆弾が、ゆっくり下がってきた。
落ちるのではない。
五柱の光と、ケーニギンの眷属蜂と、有人の管理権限が絡み合い、爆弾は黒い鉄のまま、降り立った。
爆発しない。
消えもしない。
そこに残る。
現代ではこの爆弾は安全処理が施され、戦争資料館の展示ケースへ納められることになる。
誰が作り、誰が落とし、誰が逃げ、誰が死に、誰が助け、誰が復興したのか。
その記録へつながる入口として。
ミツルは、不発弾を見た。
怒りは消えていない。
納得もしていない。
けれど、さっきまでとは違う沈黙があった。
「それで、死者が許すと思うのか」
「分からない」
有人は言った。
「許すかどうかを、僕が決めることじゃない」
「じゃあ、なぜ残す」
「勝手に消すことも、僕が決めていいことじゃないからだ」
ミツルは、何か言おうとして、やめた。
五柱が、静かに武器を下ろす。
リグナが、仮設住宅の梁を整える。
イグニスが、炊き出しの火を弱める。
テルスが、避難所の床を固める。
フェルムが、工具を並べる。
ウンダが、給水路を澄ませる。
戦争記録区画は、もう元の区画ではなかった。
爆撃を見る場所ではなくなった。
死者が泣く場所だけでもなくなった。
その後を、見なければならない場所になった。
ミツルは、右目の王針印に触れた。
「二度目はない、か」
ケーニギンが言う。
「はい」
「便利な脅しだな」
「事実です」
「なら、そっちも覚えておけ」
ミツルは有人を見る。
「また誰かが、ここを娯楽に堕としたなら」
ミツルの右目が赤く光る。
「そうなったら、今度は全てを消す」
有人は、まっすぐに頷いた。
「そうはさせないさ」
「やってみろ、管理者。壊すのは簡単でも、治すことは難しい。維持することはもっとだ」
有人は返事をしなかった。
それは、ミツルの正しい怒りだったからだ。
ミツルと五柱は、五色の光に包まれて焼け跡の奥へ退いた。
完全には消えない。
この区画に残り、改変を監視するつもりなのだろう。
ケーニギンが有人の隣に降りた。
「三人目の覇王へ、王針印を刻みました」
「浅かったな」
「五柱に防がれました」
「わざと浅くしたようにも見えた」
ケーニギンは、少しだけ黙った。
「彼の怒りは、巣の保全と矛盾しません」
「じゃあ、刺さなくてもよかったんじゃないか」
「矛盾しない怒りほど、深く巣を変えます」
有人は、焼け跡を見た。
そこでは、避難所が立ち上がっていた。
鍋から湯気が出ている。
戦争で壊れた街の上に、復興の足場が組まれている。
だが、資料ケースの中には、爆弾が残っている。
繰り返さないために。
有人は、端末を閉じた。
空を見る。
赤い星は、まだ二つ強く瞬いている。
ネットワーク海岸。
市役所区画。
昇龍とアルトリウス。
自由の海と、正しい秩序。
有人は、疲れた息を吐いた。
「次は海か」
ケーニギンの翅が低く鳴る。
「箱庭に潮流が侵入しています」
「船酔いしそうだな」
「船酔いでは済まないでしょう。すべてが洗い流される可能性もあります」
「それは問題だ」
有人は、焼け跡から歩き出した。
背後では、空襲警報が止まっていた。
代わりに、誰かが鍋をかき混ぜる音がする。
それは、戦争の終わりではなかった。
生活を、ようやく始める音だった。




