第3話 空の底
金色の光が、トンネルの入口を埋めた。
女神の二射目。
さっきより近い。
さっきより速い。
そして、さっきより正確だった。
「伏せろ!」
カイは叫んだ。
けれど零刃は伏せない。
ミラを左腕に抱えたまま、右腕に蒼い光刃を短く伸ばす。
トンネルの入口から、熱い金色が流れ込んでくる。
空から放たれた矢が外縁第七区の地表をなぞり、その余波だけが保守通路の奥まで届いていた。
「直撃ではない。熱波と崩落が来る」
「どうすんだよ!」
「通す線を変える」
零刃は壁を斬った。
いや、壁そのものじゃない。
蒼い光刃が、配管と補強材の接続部だけを細く三か所なぞった。
次の瞬間、トンネルの天井が沈んだ。
「おい!」
カイは反射的にミラをかばおうとした。
だが、天井は落ちなかった。
沈んだ補強板が斜めに噛み合い、金色の熱波を横の排気坑へ逃がす。
焼けた風が頬をかすめる。
髪の先が焦げた。
それでも、生きていた。
「今の、崩したのか?」
「荷重再配置だ」
「言い方でごまかすな。めちゃくちゃ崩れたぞ」
「必要分だけだ」
零刃はそう言って、ミラの呼吸補助端末を確認した。
ランプは黄色のまま。
ミラは苦しそうだが、意識はある。
「次はない。アウレリアは地下構造を読む」
「女神さま、地下まで撃つのかよ」
「都市全体を守るなら撃つ」
その答えが、いちいち胸に刺さった。
守るためなら撃つ。
女神だから撃つ。
カイは奥歯を噛んで、通路の奥を指差した。
「こっちだ。地下水路に出られる」
「地下水路?」
ミラが、零刃の腕の中で小さく笑った。
「地下って呼んでるけど、地下じゃないよね、ここ」
「今それ言うか?」
「だって、零さん知らなそうだから」
零刃がこちらを見る。
「説明を求める」
カイは走りながら吐き捨てた。
「アステラードに地面なんてねえんだよ」
保守通路の床が、低く唸っている。
その下に土はない。
岩盤もない。
あるのは外殻装甲と、排水管と、浄化槽と、古い補助炉と、空だ。
継承都市アステラードは、地上の都市じゃない。
星禍獣に地表を食い荒らされた人類が、最後に逃げ込んだ軌道空中都市。
空に浮かぶ、最後の箱舟。
下に広がるのは大地ではなく、毒の雲と、昔そこにあった街の残骸だ。
だから落ちれば終わる。
誰も助からない。
カイは何度も聞かされてきた。
この都市を残すために、すべては配分される。
水も、空気も、職業も、結婚も、子どもも、夢も。
落ちないために。
生き延びるために。
そのために、外縁区はいつも後回しにされてきた。
地下水路と呼ばれる場所も、実際には地下ではない。
外殻下層。
つまり、都市の腹の底。
外から見れば、空にぶら下がった薄い機械の層。
カイたちは、その上を走っている。
「ここは地下じゃない」
カイは言った。
「空の底だ」
ミラが、少しだけ黙った。
「嫌な言い方」
「本当のことだろ」
その会話を遮るように、少し先で人の声がした。
「こっちだ!」
「子どもを先に!」
「待て、足場が抜ける!」
カイは足を速める。
保守通路の先、地下水路と呼ばれている外殻下層の連絡口に、外縁区の住民たちが集まっていた。
老人。
子ども。
作業着の修理工。
担架に乗せられた患者。
十数人。
その前で、白い制服の保安局員が必死に誘導していた。
「落ち着いてください。地下水路側へ移動します。職能番号に関係なく、歩行困難者を優先します」
カイは一瞬、足を止めた。
保安局員だった。
自分たちを現地待機にした側。
都市の計画に従って、人の未来を選別する側。
なのに、その保安局員は汗だくで、泣きそうな顔で子どもを抱き上げていた。
「おい!」
カイが叫ぶ。
保安局員が振り向き、目を見開いた。
「カイ・レダ……」
「呼び方に困ってる暇あるなら答えろ。ここ、抜けられないのか」
「梯子が半壊しています。重量制限を超えると、外殻下層まで落下します」
「落ちたら?」
「雲海まで一直線です」
「最悪だな」
「はい。最悪です」
妙に正直だった。
カイは壊れた梯子を見る。
補強材が足りない。
足場も腐っている。
老人や患者を運ぶには時間がかかる。
だが、ここで大掛かりな修理はできない。女神の三射目が来る前に、とにかくこの十数人を下へ逃がすしかない。
「零。人を落とさず降ろせるか」
「できる」
「早いな」
「ただし、一人ずつだ」
零刃はミラを壁際に座らせ、呼吸補助端末を固定した。
それから、崩れかけた梯子へ向かう。
近くにいた大柄な作業員の腕を取った。
「力を抜け」
「は? 無理だろ!」
「抜け」
零刃が腰に触れる。
大柄な作業員の身体が、ふっと軽くなったみたいに傾いた。
次の瞬間、その巨体が梯子へ流れた。
落ちた、と思った。
違った。
作業員は、落ちる力を横に逃がされ、壊れかけの足場へ音もなく降りた。
「次」
零刃は言った。
子ども。
老人。
担架の患者。
零刃は一人ずつ重心を読み、身体の向きを変え、落下の力を殺していく。
敵を倒す時と同じ技術で、今度は人を落とさない。
カイは、その光景を見ていた。
こいつは、本当にそういうやつなのだ。
人を倒すためではなく、人を転ばせないために作られた。
だから転ばせ方も知っている。
だから落とし方も、落とさない方法も知っている。
「カイ!」
ミラが呼んだ。
「ぼーっとしない。手、動かして」
「分かってる!」
カイは腰のスパナで、梯子の横の緩んだ固定金具を締めた。
これは修理じゃない。
ただの時間稼ぎだ。
ひび割れた金具をほんの少し噛ませて、次の一人が通るまで持たせる。外縁区の古い設備では、そういう誤魔化しも立派な技術だった。
保安局員も隣に膝をついた。
「そこは逆です。荷重が右に逃げます」
「あんた、詳しいのか」
「保安局の訓練に、避難路保守があります」
「なら最初からやれよ」
「やっています!」
「そうかよ!」
二人で金具を締める。
喧嘩みたいな声で、同じ場所を直す。
カイは少しだけ笑いそうになった。
世界は思ったより面倒くさい。
悪いやつだけを斬れば終わるほど、親切じゃない。
この保安局員も、王座の側の人間だ。
でも今は、子どもを先に降ろしている。
カイを反逆対象として見ているのに、そのカイと一緒に金具を締めている。
むかつく。
なのに、少しだけ助かる。
「名前、何だ」
カイは金具を締めながら聞いた。
「今ですか?」
「今しかないだろ」
「ユアン・クルス。継承保安局、外縁第七区担当官です」
「ユアン。ここ持ってろ」
「はい」
ユアンが金具を押さえる。
カイが締める。
零刃が人を降ろす。
ミラが、呼吸を整えながら子どもたちに声をかける。
「大丈夫。下見ないで。あっちの青いランプ見て。そう、そこ」
歌うような声だった。
保安局が推奨しない声。
けれど、子どもは泣き止んだ。
カイは、聞こえないふりをした。
最後の子どもが下へ降りた。
ミラも、零刃に支えられて足場へ移る。
カイは息を吐いた。
「よし、抜けたな」
その時、天井が鳴った。
低い音。
さっきより近い。
零刃が、空のない天井を見上げる。
「三射目。外殻連絡口を狙っている」
「ここかよ!」
「このままでは直撃する」
「じゃあどうする!」
零刃は右腕の光刃を伸ばした。
「逸らす」
「できるのか」
「線が見えれば」
「見えてるのか」
「まだだ」
「そこは見えてるって言えよ!」
カイは周囲を見た。
古い排気坑。
曲がった補助梁。
半分落ちかけた床パネル。
ちゃんとした修理はできない。
でも、矢の熱を全部受ける必要もない。
王座も女神も、ここを地下の通路として撃っている。
でもここは地下じゃない。
空の底だ。
空の底なら、逃がす場所がある。
「零、正面から受けるな。あの排気坑に逃がせるか」
「角度が足りない」
「じゃあ、角度を作る」
カイは壁際の古い手動レバーを蹴った。
びくともしない。
もう一度、スパナで殴る。
火花が散った。
床の一部が、ぎしりと沈む。
「落ちるぞ!」
ユアンが叫んだ。
「落とすんだよ!」
床パネルが斜めにずれた。
完全に落ちる前に、下の補助梁へ引っかかる。
一瞬だけ、蒼い刃が届く高さに足場が生まれた。
「今!」
零刃が跳んだ。
人間の跳躍じゃなかった。
壁を蹴り、落ちかけた床パネルを踏み、背中の薄い翼を開く。
飛んでいるわけではない。
短い滑空。
その一瞬で、零刃は金色の矢の線へ入った。
「射線を捕捉」
カイは叫ぶ。
「全員、伏せろ!」
ユアンも叫んだ。
「伏せてください! 頭を守って!」
住民たちが身を低くする。
ミラが目を閉じる。
零刃の蒼い刃が、金色の矢を迎え撃つ。
「一点、両断」
音はなかった。
ただ、天井の向こうで何か巨大なものがずれた。
金色の矢は、外殻連絡口を直撃しなかった。
旧排気坑へ逸れ、遠くで爆ぜる。
熱風が通路を駆け抜け、古い端末が火花を散らした。
だが、誰も焼けなかった。
誰も落ちなかった。
零刃は滑空の勢いを殺しきれず、床に手をついて止まった。
カイは膝から力が抜けそうになった。
けれど、倒れなかった。
零刃が片手でカイの襟をつかんでいた。
「転倒リスク、高」
「……うるせえ
ミラが、かすかに笑った。
カイも笑った。
笑ってから、気づいた。
まだ何も終わっていない。
外縁第七区は焼かれようとしている。
女神はまだ空にいる。
王座はまだ、都市を守るために誰かを捨てようとしている。
でも、今ここにいる人間は、まだ生きている。
遠くでまた、警報が鳴る。
王座の声が、外縁第七区に響いた。
「隔離焼却シークエンス、第二段階へ移行」
ユアンの顔色が変わった。
「第二段階……外殻下層の分離準備です」
「つまり?」
「ここから先は、区画ごと切り離す可能性があります」
カイは空の見えない天井をにらんだ。
スパナを握る手に、力が入る。
「やってみろよ」
足元の床は薄い。
その下は空だ。
けれど、ここにはまだ人がいる。
「こっちはまだ、何も諦めてねえぞ」




