九月二日 その1
九月二日
徹夜明けの今日、一時限目は体育だ。種目は走り高跳びの測定。眠いなあ。あくびをかいて怠さをこらえる。さっそく走り高跳びの準備は整っている。
先生の指示でバーの高さは一メートルに設定される。
「なあ創太。走り高跳びっていいよな」
直樹が嬉しそうな顔で僕に聞いてくる。
「なんで?」
「だっておまえ陸上だぜ? 陸上女子の体つき、いいよな」
「あのなあ……」
「女子が背面跳びをするときの体のラインたまんねえよなあ。ひひっ」
「こらっ直樹! なにをニタニタしている! 後がつっかかってるんだ! 早く跳べ!」
体育の先生は怒鳴って直樹を注意する。
「ほら、直樹の番だよ。跳べよ」
「あっ俺か。じゃあいってきまーすっと」
そう言うと直樹は勢いよくダッシュし、一メートルの高さなのに背面跳びをしてみせた。が、背中がバーにかすってしまいバーは地面に転がり落ちた。マットに背中から倒れた直樹は大胆なM字開脚のポーズのまま動けないでいる。なんだかすごく格好悪い。
「じゃあ次!」
「はい」
自分の番になっていささか緊張を覚えたまま、明鏡止水の心持でダッシュして思いきりはさみ跳びした。
ほ、よかった。跳べた。
そうして徐々にバーの高さは上がっていき、一メートル三十センチに挑むころには半分の生徒達が脱落していた。
「光村!」
「はい」
光村は怠そうに返事をすると、凄まじいダッシュでジャンプしベリーロールを決めた。まだまだ余裕といった跳躍だった。周りから、「すげえ」と感嘆の声がもれている。
「じゃあおまえ!」
今度は僕だ。一メートル二十センチをギリギリで跳んだ僕にはこの高さが限界だ。けれど跳びたい。光村への対抗心がそうさせている。全速力でテンポ良く距離を縮めながらはさみ跳びの要領でジャンプした。
ガタンという音と共にバーは僕の脚に引っ掛かり勢いよく地面に落ちた。くそっ、やっぱりだめか。
結局記録は一メートル二十センチ。それでも頑張れた。それなのに光村は一人で一メートル六十センチに挑戦しようとしていた。
「やはり光村だけが残ったか。この高さは陸上部の部員でも跳べないんだがな。すごいぞ、光村」
先生に褒められる光村。僕は数学の質問の時といい、今回の事でも光村の能力に嫉妬を重ねる。結局、亜悠は光村との方がお似合いだ。誰がどう考えようと。
光村は首を左右に振り、ペッと地面に唾を吐きつけると加速した。そのスピードのまま背面跳びの態勢に入る。そして軽やかにバーを跳びこえた。
「おお!」
「すげえ」
「まじかー」
みんなの呆然とする声がちらほら聞こえる。僕もこれは悔しいけど凄いと感じざるをえなかった。かっこいい。あれが、本当の背面飛び。
「よっと」
光村はマットに背中から着地しリバウンドの衝撃を利用しながら後ろ回りしながら起き上がる。これが光村浩也だ。こんなやつにどうしたら勝てるっていうんだ。女子からもてはやされるのも当然だ。本当に悔しいけれど、あいつはかっこいいよ。
「チッ。失敗すりゃよかったんだよ。俺にもあいつぐらいのフェイスとボディとフィジカルとインテリジェンスがあれば今頃は女子にモテモテウハウハなのに。ぐぬぬ」
直樹の言うことはわかる。羨ましい。頭脳でも体力でも僕より光村の方が上。とっくの前から承知していることだけれど。夏休みに美術室で優香に油絵を教えてもらう時にこう会話したことがある。
「え。それなんだよ!」
「なんでって当然でしょー?」
「僕よりやっぱり光村がいいっていうのかよ!」
「そりゃ創太と光村くんどっちって言われたら即答だわ」
「……」
「私、光村くんに目の前で好きっていわれたら、裸になる。抱きしめてもらうの」
もちろん優香は半分冗談で裸になるって言ったんだろうけど。亜悠が僕と光村を天秤にかけたら、おそらく……。イメージは容易にできる。女子にとって理想の男性はみんな光村なんだ。
学校の授業も終わり、僕は久しぶりに龍太郎と直樹の三人で帰ることになった。教室を出て廊下を歩く。
「あー終わった終わった。龍太郎はこの後どうすんだ?」
「受験勉強」
「創太は?」
「油絵の創作だよ」
「かー! おまえら真面目すぎ! 俺は彼女とデートだってのに」
「直樹は勉強しないのか?」
「俺は北山推薦でいくからもう勉強は関係なしだぜ」
いいなあ直樹は。僕は油絵と並行して受験勉強も本格的に始めなきゃいけない。やるんだ。納得した絵を描く。そして北山を目指して勉強に励まないと。
「ちょっと連れション頼むわ」
直樹に誘われ一緒に男子トイレに入る。
「まあおまえらは受験勉強がこれからの恋人になるわけだが、そうなるとなかなか遊べなくなるよな」
「三年生じゃそれが当たり前だよ」
「いやー、なんのために受験なんてあるんだろうな。こんなめんどくさいシステムごめんだぜ。は~。社会の歯車になるためにみんな必死に苦労して。くだらない大人になってただ生きていくことになる前に絶対百人斬りしてみせるからな。う~、さぶさぶ」
くだらない大人になってしまったらきっと夢なんてなくなるだろうし、直樹の言うことは一理ある。夢を持ち続ける大人になりたい。そのために今どんな事ができるだろう?
「俺は音楽の百人斬りしてみせる」
「!」
「おっ! 歌ってファンをつくるってのもいいな! 音楽が売れれば10万人斬りだってできるかもな」
ふと龍太郎の言葉に僕は気づいた。僕にもそんな自分を導いてくれるモノさえあれば……。
「そうか。龍太郎は音楽があるもんな。おい創太。おまえもそう思うだろ?」
「ああ」
「創太は絵が得意だしな。おまえの絵も相当なモノだよな。いいなあおまえらには特技があってよー。俺なんかなんもだし」
「直樹、今なんて言った?」
「え? だから絵が得意だって。なあ龍太郎?」
「ああ」
直樹に同意を求められた龍太郎は僕を見て微笑みながら頷いた。
「直樹が僕を褒めるなんて初めてだし、そんなこと言われてビックリしちゃったよ」
「いままではっきり言わなかったけど、センスあるぞ。その道に進んだらどうなんだ?」
「俺もそう思う」
直樹と龍太郎のまなざしと言葉にハッとされた。僕にはやっぱり絵しかない! 今までズルズルとやっていたことが、僕の心の明かりとなって道を照らしていた。夢は、きっと僕の夢は絵を描くことなんだ。
トイレから出た僕らはそのまま話をしながら廊下を歩いていた。すると前に壁に寄りかかっている亜悠がいた。
「あ!」
「ん? どうしたんだよ」
「亜悠だ」
亜悠はこちらに気づくと小走りでかけよってきた。まさか、僕を待っていてくれたの!?
「創太くん!」
僕達三人の前に立つ亜悠。学校でこんなことしていいの!? 全然階級が違うのにいいの!?
「え! 亜悠さん!? どうしたの!? まさか俺に用!?」
直樹はビックリして勘違いして話しかけている。でもそれも納得だ。学年の仲間グループでトップの輪のなかにいる亜悠がこうして学校で僕に話しかけているなんて信じられない。目立たない落ちこぼれのような僕等に笑顔で話しかけてくる。どうしてそんなことができるんだろう。
「直樹、悪いけど僕に用があるんだって」
「何言ってんだよ創太。寝言は寝て言えよ。で、なんか用ですか!?」
亜悠は笑顔だけど少し困ったような顔で僕達を見る。
「おいいくぞ」
龍太郎はそれだけ言うと直樹の首根っこをつかまえてずるずると後ろに引きずって連れていく。直樹はようやく事態に気づき、口うるさく叫びだした。
「え、嘘? 何かの間違いだろ? 俺は認めん! 絶対認めんからなー!」
龍太郎、ありがとな。心の中で感謝した。亜悠と学校で話をするのはみんながいるからすごく照れくさい。彼女の制服姿を見ているだけでなんだかクラクラする。
「な、なにかな」
「私と一緒に帰らない?」
その言葉に僕の心は弾むスーパーボールのように高く跳びあがった。亜悠と下校できるなんて夢のようだよ!
「え!? は、はい! じゃなくてどうぞよろしくお願いします!」
動揺もあったので自分でもちんぷんかんぷんな返事を返してしまった。
「じゃあ帰ろうよ」
それから正面玄関まで二人で下駄箱に着くまで僕は無言だった。その間にチラッと彼女の顔を見た。いい表情で前を見て歩いている。その間、すれ違う生徒達が好奇の目で僕達を見ているのがなんとなくわかった。多分ほとんどの生徒が、「なんで亜悠があんな奴と歩いてるんだよ」とか、「亜悠そんな趣味あるの?」なんて言葉を瞳で物語っている。それは自分が一番よく分かっている。こんなの学校のヒエラルキーの崩壊だ。革命が起きた。




