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八月三十日  その1

鳥谷に亜悠を描いた絵を壊されたまま、創太は亜悠の誕生日を迎えます。

 八月三十日


 亜悠の誕生日。午後三時に携帯に亜悠からメールが入った。誕生日会はあの広場でみんなで集まり、亜悠のお父さんとお母さんがバーベキューの準備をして食べたり、花火を用意して打ち上げたり、楽しく祝うらしい。開催時間は午後六時。メンバーは十五、六人になる予定、か。そのメールを見て、力のない笑みを浮かべると佇んだ。


 あれだけ頑張って仕上げた絵は何だったんだろう。準備する足取りが重い。また泣きそうになる。けど、亜悠本人の前でこんな面してたら悪いや。鏡の前ではにかみ笑顔の練習をする。うまくできないけど……。笑顔でいかなきゃ! そうしておしゃれな夏服を選び部屋を後にした。





 さっそく広場に着いてみると、街灯もある広場の南側の端っこにちょこんとテントが二つ建ててある。そこから少し離れた場所で十人ぐらいの人数が集まっていた。どうやらあの集団らしい。近くまで行き、楽しく会話している輪の中に入るようにして隅っこのベンチに腰を下ろした。


「よく来てくれたわね。はいこれ」


「あ、ありがとうございます」


 亜悠のお母さんからジュースを手渡されるとさっそく開けて喉に流し込む。誕生日会といっても亜悠の友達や仲間ばかり。よく見渡すと男女の集まりの中に光村もいる。


「あー! 創太くん!」


 みんなと戯れている亜悠が僕に気づくと笑顔で手を振り挨拶してくれた。僕も笑顔で手を振った。僕は君にちゃんと笑顔を返せてる?


「あ! 君は試合の時の」

「気合入れてくれた人だよね! 覚えてるよ!」


 集まってきてた人達も中には僕のことを覚えてくれている人もいた。その人達とも会話していくらかみんなの輪の中に入ることはできた。けれど、亜悠になんて話しかけたらいいか迷っている自分がいる。絵は結局描けなかったから。それでも亜悠の誕生日なんだ。ちゃんと祝ってあげなきゃ。僕は亜悠に話しかけた。


「亜悠! 誕生日おめでとう!」


「わあ、ありがとう!」


 笑顔がいつになくかわいい。ほんのり頬が赤くなっている。照れてるのかな。お父さんとお母さん、友達仲間に囲まれている亜悠は幸せそうだ。


「ねえ、ちょっと堤防のぼってみようよ」


 亜悠がそう言って手を差し出す。恥ずかしがりながらその手を握ると、笑顔の彼女はつないだ手をひっぱり友達をつきぬけて僕を堤防へと連れていく。彼女のその態度に僕は心がキュンとする。ああ、この感じ。心が亜悠に導かれている。何もかもがとても素敵で。君にいつも勇気を与えられてばかりで。この手をとって走り出して、ねえ連れて行ってよ。ここじゃないどこかへ。


 空は夕焼けが沈みかけ、ほんのり闇があたりを染めていく。風はやわらかく、肩を並べる僕達の身をすりぬける。木々は静かにゆらめいて、堤防から見下ろす川のほうではトンボが低く飛んでいる。亜悠の友達も遠くに見える。いつかここで僕が絵を描き、君が見ていた場所だ。


「はあ、はあ」


 その場にへたりこむ僕に亜悠は、「だらしないぞ」と優しそうに言うと一緒に座り込んだ。


 風が心地いい。身も心も十分に自然を満喫している。静かに虫達の鳴き声もきこえる。


「ねえ、ここ創太くんと私が初めて会った場所だよ」


「うん。そうだね。でももう夏の終わりだね。空も自然も」


 この広場で見る夏の空ももうしばらく見れないな。夏の終わりの空というのはどこか寂しいものだ。毎度僕はここに来るたびに空にばかり想いを巡らしている。今日は亜悠の誕生日なんだから亜悠のことを考えろよ、バカ。


「わあー」


 亜悠は感嘆の声をあげた。僕は亜悠をそっと見る。嬉しさの滲む色の瞳でこの空を見上げていた。しっとりと映えるセミロングの整った髪にかわいらしい横顔がそこにあった。その横顔は試合の時のボーイッシュな雰囲気とはまた違う。様々な違いをみせる亜悠の魅力に惚れてもう一度亜悠をそっと見してしまう。僕にとって彼女はやっぱり特別だ。


「この場所に創太くんといるからかな。今日のこの空は寂しいけど優しい」


「そう?」


「うん。私にだってわかるよ」


 今、空を眺めている人は何人いるのだろう。何十万、何百万といるだろう。憂鬱になりながら眺めている人もいるだろうし、泣きながら眺めている人もいるんだろう。僕達の様に二人で眺めている人達もいて。眺めている全ての人達の心の中にそれぞれの空がある。だけれど、この「空」を感じられているのは僕と亜悠しかいないんだ。そうだよね、亜悠。


 うっ! 僕は理解してしまった。この状況を。亜悠と二人きりで星が瞬くような暗くなった空の真下。


 もしこのままキスができたら。


 男の本能が欲情して駆り立てる。


「ん?」


 亜悠は僕の視線に気づき、こちらを振り返る。その顔がたまらなくキュートである。

 疼きが体の奥から湧いてくるのが分かる。僕は亜悠に近づいた。


「亜悠、その……」


 その、誕生日プレゼント! 用意してこれなかった……。


「その何?」


 ど、どうしよう。亜悠になんて言ったらいいんだろう。


「誕生日プレゼントなんだけど」


「あ! プレゼント!?」


 ごめん、亜悠。


「実は誕生日プレゼントの約束だった亜悠の絵。用意できなかった」


「え……」


「いや違うんだ。本当は――」


「そんなこと言わなくても、創太くんと誕生日にこの空が一緒に見れたことが嬉しいよ。それだけで十分プレゼントだよ」


 亜悠のその言葉に涙が溢れそうになった。亜悠……。決して無理はしないでよ……。


「そ、そっか」


 本当は絵をプレゼントしたかった……。絵は壊されたなんて言ったとしたら、亜悠はきっと僕を心配する。この誕生日の彼女の笑顔を崩すなんてできないから、グッとこらえる。

 

 そうしてしばらく無言でいたけれど、そろそろみんなの所へ戻らなくちゃいけないんじゃないかな。


「亜悠、そろそろ戻ろう」


「うん!」

次の話も八月三十日です。

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