過去
「本当にいいのか、セドリック」
「はい」
ただ、なるべく民には被害を出さないでください。
「…分かった」
頷いた男は、兵と民を率いて王城に向かった。無論、セドリックも。
脳裏にあるのは、愛しい女の在りし日の笑顔で。
今から国を落とそうという時に、浮かぶのはただ1人だけだった。
何故、あのとき俺は、王命で決まったという理不尽を、そのまま吞み込んでしまったのだろう。
何故、彼女から離れてしまったのだろう。
何故、守れなかったのだろう。
幼い頃から傍にいるのが当たり前だった彼女を。
傍にいられなくなっても、見ていることしかできなくても。
誰よりも、大切だった彼女を。
他の誰よりも、愛していたのに──。
幼馴染だったシルヴィアは、本家の姫だった。
いずれこの方に仕えるのよ、と母は言い。そのつもりだった。
優しいだけではなく、時に貴族としての冷静さを持つ、上に立つべき器量を持つ彼女を好ましくは思っていた。
もちろん、容姿は言うまでもなく。
けれど。
それが、その綺麗さに、目を奪われるようになったのはいつからだっただろう。
傍にいて見ているうちに、成長とともに、磨かれる美しさを眩しく思うようになったのは。
向けられる笑顔を、ずっと見ていたいと思い始めたのは。
いつしか、主としてではなく、女性として見るようになってしまったのは。
どうしようもなく、惹かれていく心を止めることなどできなかった。
それからセドリックは、求婚する権利を得るため、ひたすら努力を続けた。
ヴァルトゼーミュラー公爵は無駄が嫌いで、無能が嫌いで、側にも寄せ付けないほどだ。だが、実力さえあれば、身分は関係なく重用してくれる。それが王家の能無しどもとは違うところだ。
やっと小さいながらも目に見える功績を上げ、公爵にも許しを得て、想いを告げることができた。
シルヴィアは驚いていたけれど、嫌悪や戸惑いはなかったから、時間をかければきっと異性として見てくれると。
ゆっくり心を通わせればいいと期待していた矢先。
断ったはずの王家からの縁談が、王命によって下されたことを知る。
シルヴィアは苦痛を耐えるような表情で、謝った。
ごめんなさい。
そんな顔で、そんな言葉、聞きたくなかった。
「王城が見えたぞ! 門番は抵抗するなら、身動きを封じろ! なるべく殺すな!!」
おー!!と民衆は湧く。
政務を放棄し、重税をかけ、民衆を苦しめてきた王家。
いずれはこうなっていただろう。
魅了魔法にかかっていて、あの女の言いなりだった?
そんなもの、言い訳になるわけがない。
学園入学前に、セドリックは隣国に渡った。
シルヴィアから離れるために。
傍にいれば、触れたくなるのを抑えられない。
きっと、彼女を苦しめる。
そんな自分を、許すわけにはいかない。
だから離れた。
いや、逃げた。
シルヴィアから。…自分の想いから。
その結果、何が起こったか。
セドリックが手を下すまでもなく、民衆の手によって王家の人間は捕らえられた。
もし。
もしも、シルヴィアが、王妃になっていたら。
ここまで、この国は疲弊することはなかっただろう。
民が苦しめられることはなかっただろう。
この国が、亡ぶことも、なかっただろう。
王家の人間など八つ裂きにしても足りない、けれど。
そんなことをしても、シルヴィアは還ってこない。
あの笑顔が、戻ってくるわけではないのだ。
「セドリック…」
「…ご協力、感謝いたします。皇太子殿下」
「いや、この国の惨状を見れば、お前の判断は正しい」
「そうですね」
「この国は帝国の属国となるが、どうする? お前が統治するか?」
「ご冗談を」
「お前にはそれだけの器があると思うが」
「いいえ」
シルヴィアのいない、この国に。何の意味も、価値も見いだせませんので。
「そうか、分かった。──ひとつだけいいか」
「何なりと」
「死ぬな。…お前ほどの男を失うのは惜しい」
「…死にませんよ」
死ねません。──…約束、したので。




