007話 誇り高き王女(前編)
王立学院へ入学してから、一か月。
新入生たちもようやく学院での生活に慣れ始め、それぞれの実力や人柄が見え始めていた。特別クラスでは、この日、初めての校外演習が行われる。
目的地は学院から王都へ続く街道。
王侯貴族として必要な街道管理や護衛体制を学ぶ、実地訓練だった。教壇に立つ教師が説明を終えると、教室の空気が少しだけ引き締まる。
「今回の演習は、街道視察を兼ねています。王都との物流、補給地点、野営地の確認が目的です。皆さんは将来、国を背負う立場になります。魔物だけではなく、人の営みも見なければなりません。」
教師の視線が教室を巡る。
「なお、最近この街道では小規模な野盗の目撃情報があります。護衛騎士が同行しますので危険はありませんが、くれぐれも隊列を乱さないように。」
その言葉に、生徒たちは小さく頷いた。
すると、レオニスが静かに手を挙げる。
「先生。」
「どうしましたか、レオニス殿下。」
「野盗とはいえ油断は禁物です。護衛を二名ほど増員していただけませんか。」
教師は感心したように微笑んだ。
「さすがですね。危険を軽視しない姿勢は王族の鑑です。」
護衛隊長も深く一礼する。
「承知いたしました。」
教室のあちこちから感嘆の声が漏れた。
「細かいところまで気が回るんですね。」
「さすが王太子殿下だ。」
セレスティアも静かにレオニスを見つめていた。
隣国アルセリア王国の第一王女。
幼い頃から王族教育を受け、感情より責務を優先するよう育てられてきた。だからこそ分かる。
レオニスの判断は決して派手ではない。
しかし、堅実で現実的だった。
(この方は、本当に王になることを考えておられる。)
少しだけ尊敬の念が芽生える。それは一人の王族としての評価だった。そんなセレスティアの様子を見て、隣に座るクラリスが小さく笑った。
「殿下は人気者ですね。」
「ええ。」
セレスティアも微笑む。
「頼もしい方だと思います。」
⸻
一方その頃。
一般クラスでは地形調査の実習が行われていた。
「じゃあ今日は街道周辺の地図を完成させるぞ!」
教師の声に、生徒たちは思い思いの方向へ散っていく。ルドルフが地図を振りながら笑う。
「アベル、一緒に行こうぜ!」
「悪い。」
アベルは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「俺、ちょっと向こうまで見てくる。」
「お、おう。そこまでしなくても適当にやりゃいいのに…真面目だなぁ。」
苦笑しながらガイルたちは別方向へ歩いていった。
一人になったアベルは街道へ視線を向ける。
(今日だったな。)
ゲーム本編ではセレスティアが野盗に襲われるイベント。主人公は彼女を救うことはできる。
しかし、護衛として同行していた侍女エマだけは助からない。
幼い頃から姉のように慕ってきた侍女を失い、セレスティアは深い喪失感を抱える。主人公はその悲しみに寄り添うことで、彼女との距離を縮めていく。ゲームでは人気の高いイベントだった。アベルも何度も見たシーンである。
(でも。)
足を止める。
(現実だ。)
ゲームのイベントだからといって、人が死ぬことを黙って見ている理由にはならない。
もちろん学院も対策はしている。
レオニスも同行している。
護衛も増える。
きっと大丈夫だろう。
それでも。
(もしもの時の保険くらいにはなるか。)
それだけのつもりだった。
人気のない林へ入り、荷物を開く。
中から取り出したのは、漆黒の外套《夜渡りの外套》。
学院入学後、単独で攻略した高難度迷宮《黒霧の迷宮》の宝箱から手に入れた装備だった。
圧倒的な防御力に加えて敵味方を問わず、装備者の印象を曖昧にする認識阻害の加護が宿っている。アベルはその効果を深く考えたことはない。ただ「顔を覚えられにくい便利な装備」程度に認識していた。
外套を羽織り、フードを被る。
「よし。」
静かに街道の近くへ移動した。
⸻
昼過ぎ。視察隊は予定どおり街道を進んでいた。
新緑の森を抜ける風が心地よい。
「この街道は整備が行き届いていますね。」
セレスティアが感心したように呟く。
「我が国も見習うべきところが多そうです。」
「ありがとうございます。」
レオニスが穏やかに笑う。
「将来的にはアルセリア王国との交易もさらに活発になるでしょう。」
未来の話。
経済の話。
互いに王族だからこそできる会話だった。
その時。
ヒュンッ――!
一筋の矢が馬車の前へ突き刺さった。
「敵襲!」
護衛隊長の怒号が響く。
次の瞬間、森の中から十数人の野盗が姿を現した。
「囲まれています!」
「予想より多い!」
護衛たちが剣を抜く。
レオニスも即座に前へ出た。
「王女殿下を中心に防御陣形!」
「護衛は隊列を崩すな!」
冷静な指示が飛ぶ。
増員した護衛も素早く動き、セレスティアを取り囲む。
その判断は間違っていない。
誰もがそう思った。
しかし、その一瞬。
護衛の輪から一人だけ取り残された少女がいた。
侍女エマ。
幼い頃からセレスティアに仕えてきた少女だった。
彼女へ向かって、一人の野盗が剣を振り上げる。
レオニスの瞳が、その光景を捉える。
――ゲームと同じだ。
ここでエマは命を落とす。その死が、セレスティアの心に消えない傷を残す。そして主人公だけが、その悲しみに寄り添える。レオニスは無意識に拳を握った。
(……仕方ない。)
胸が少し痛む。だが、未来を変えすぎれば、その先の展開も分からなくなる。
(王女を守ることが最優先だ。)
自分にそう言い聞かせる。
「護衛は王女殿下を守れ!」
その命令と同時に。
野盗の剣が、エマへ振り下ろされた――。




